三、かけおちしちゃった
ずっと考え込んで、大人しくなすがままにされていたあたしは、しばらくそいつが何をしているのか認識できていなかった。
なんだか、ぞわぞわとキモチワルイ感覚があって。
「なっ?」
気がついたら足の臭いスケベ中年が、いやらしい顔であたしの太股をなでまわしていた。
「何すんのよ!」
両足をそろえて蹴り飛ばそうとしたら、伸ばした足をつかまれてさかさまに吊り上げられた。
「いいじゃねーか、明日の朝処刑されるんだろ。こういうことは生きてるうちにしかできねーんだぜ?」
悪びれもせずにあたしの足首をつかんだまま、めくりあがった貫頭衣からのぞくあたしの下着を凝視するスケベ中年。
「こ、こらっ! 離しなさいよ!」
暴れてみるものの、片足で宙吊りにされている状態ではどうにも力が入らない。
「すぐに気持ちよくしてやるよ」
あたしのデリケートな所に男が手を伸ばしてきて。
……ふざけんなっ!
「うりゃ!」
思いっきり体をくの字にして、スケベ中年のバカ面に頭突きした。
「ぐはっ」
頭突きでひるんだところに、空いている方の足で思いっきり男のアゴを蹴り上げた。
「ぐっ!」
「あいたっ!」
男がたまらず手を離し、肩から地面におっこちたあたしも痛みで思わず悲鳴を上げる。
「……くそ、何しやがるこのじゃじゃ馬。大人しくしてりゃ気持ちよくしてやったのに」
「あんたみたいなのはお断りよっ!」
強がってみたものの、上半身を縛られた上で鉄格子の中というこの状況は、どうにも不利でしょうがなかった。奥の手の肩当も剣もないし、このままじゃいつかはスケベ中年にえろいことをされてしまうのは確実だ。
だから。
「……だいたいいつまでもあたしが大人しくしてるなんて思わないことね」
あたしは、不敵な笑みを浮かべて冷たい床にあぐらをかいた。
……下着見えてる気がするけど、今はしょうがない。
「ほう」
「この街の三分の一をふっとばしたあたしが、こんな牢屋の壁くらい壊せないとでも思っているの?」
じろり、スケベ中年を睨みつける。
が、スケベ中年は何がおかしいのか、腹を抱えて笑い出した。
「がはは、これは傑作だ。まさか、おまえ自身がそんなことを言い出すとは」
「な、何がおかしいのよっ!」
「何がおかしいってお前、個人の魔法であんなことが出来るわけないだろう?」
「な、だって、あんたらが、あたしが街を破壊したって言ったんじゃない?!」
「詳しいことは知らんがな、あれは市長の差し金だ。お前を破壊魔に仕立て上げるために、きっと爆弾でも仕掛けたんだろう。死人も怪我人も出てないからな。……ただまぁ、ちょっと壊しすぎな気はするが」
スケベ中年は言いながら右手の人差し指を立てた。
「おまえ本当に魔法の知識が無いらしいな。見せてやろう」
言いながらスケベ中年が小さく何かつぶやくと、立てた右手の人差し指の先に小さな炎が灯った。
「本来なら一抱えはある火球になるんだが、ケビンのやつが貼った結界札の影響か……。まぁいい。これが魔法だ。達人クラスになるとこの火球を五つくらい同時に撃てるらしい。俺はこれひとつで精一杯だがな」
「あんた、魔法使い……なの?」
「盗賊都市っていったっていろんな人間がいる。中には俺みたいな魔道士崩れだっているわな」
スケベ中年はロウソクの火を吹き消すようにして人差し指の先の炎を消した。
「今のは白魔法と呼ばれている。主に自分自身の魔力のみで奇跡を起こす魔法だな。人間の魔力限界なんてたかが知れてるから、達人でもせいぜい家のニ、三軒を吹き飛ばせる程度のもんだ。やりようによっては街の外壁に穴くらいは開けられるだろうが、その程度だ。一撃で街の三分の一ふっとばそうと思ったら、数百人規模の魔道士団が必要だな」
「……じゃ、あたしは、街を壊してない?」
「もうひとつ、見せてやろう」
あたしの声を無視して、スケベ中年は両の手のひらを天井に向けた。
ぐぐ、と力を込めるように体の前で手のひら同士を向き合わせる。
その手のひらの間に黒い炎が灯り、渦を巻き、先ほどよりもずっと大きい火球が生み出される。
「こ、これが黒魔法だ」
制御するのに集中力が必要なのか、スケベ中年の顔に余裕が無い。
そこまで無理して見せなくてもいいのに……。
「……さっきより大きめだけど、色以外に何か違うの?」
スケベ中年は、「ふん!」と力を入れて両の手のひらをばちんと叩き合わせ、黒い炎を消した。
「まず、威力が違う。結界札があるここでも、何発か壁にぶつければぶち壊せるだろうな」
はぁはぁ、と荒い息をつくスケベ中年。
けっこうきつそうである。
「黒魔法は、自分以外の高次の存在の力を借りて行われる魔法だ。つまり、人間単体では不可能な規模の奇跡を起こせる魔法だ。威力の上限は力を借りる高次存在に依存する」
「……つまり黒魔法なら、街をぶち壊せるってこと?」
「高次の存在の力を借りる魔法というのは、その行使じゃなく制御に主に魔力を必要とする。つまり本人の技量如何によっては、白魔法と違って本人以上の力を使うことが出来る」
「結局どういうこと?」
「黒魔法の概念は、よく川の流れに例えられる。川の流れという大きな力があって、そこに水車を作って粉を挽くようなものだ。この水車にあたるのが黒魔法という技術だな。人間一人よりはるかに大きな力を借りることが出来るが、それでも限界はある。たった一人で川の流れをせき止めたり、川の流れを変えるようなことはできんだろう? 何十人か協力して土嚢を積んだり堰を作るようなことをするなら別だがな」
「……結局、あたしには無理ってこと?」
「少なくとも、お前一人では絶対に無理だな」
馬鹿にしたような顔で見下された。
くそう。あたしはやれば出来る子なんだぞ!
「……」
「つまり、お前のハッタリなんざ何の意味もないってこった。だいたいそれ以前に、おまえ魔法の発動体もってねーだろうが」
「はつどうたい?」
なんだそれは?
「杖とか指輪が一般的だな。魔力っていうのは精神的な力だ。これを物理的な力に変換するのに必要な媒体だ」
よくみると、スケベ中年の指にはいくつか指輪がはまっていた。
これが発動体というやつなのだろう。
「さて、魔法講座は終わりだ。締りが悪くなるのであんまり好きじゃないんだが……」
スケベ中年が何かをつぶやいて、人差し指をあたしに向けた。
とたんに一瞬、身体にぱりっと電気が走った気がした。
「……っ! ぴ、ぴりっ、てきた」
身体がちょっとしびれる。が、動けなくなるほどではない。
ぐぐぐ、と睨みつけてやると、スケベ中年は頭をぽりぽりとかきながらつぶやいた。
「んー、やっぱり麻痺も効き難いか」
がんばれお札! ふれーふれーお札! 負けるなお札! あたしの貞操は君の手にかかっている!
心の中で魔法封じのお札にエールを送るあたしを尻目に、スケベ中年がぽん、とひとつ手をうって鉄格子に貼られたお札の方へ歩いていく。
「つーか、こいつ魔法使えないの確実なんだしはがせばいんじゃねーか」
「待て、ロイド! 何をしている。それをはがしてはならん」
そこへやってきたケビンさんがスケベ中年を制した。
「なんでぇケビン。邪魔すんなよ」
不機嫌そうにロイドと呼ばれたスケベ中年がケビンさんに突っかかった。
スケベ・チュネンじゃなかったのか。いいやこのあともスケベ中年で。
「なかなか戻ってこないと思ったら中で何をしている、バカモノ! 魔法発動体も鍵も持った状態で、奪われて逃げられたらどうするつもりだ! はやく出て来い!」
……むむむ。それはよいことを聞いた。
あたしはそおっと、音も無く立ち上がってスケベ中年の背後に忍び寄る。
「こんなガキに遅れはとらねぇよ! くそ、じゃぁお前に預けとくから、一時間くらいほっとけ」
スケベ中年が指輪をはずしてケビンさんに渡そうとしたそのタイミングで。
「……うりゃ!」
あたしはスケベ中年の膝の裏を思いっきり蹴飛ばした。
がくん、と体勢の崩れたスケベ中年が仰向けに床に倒れこんで、あたしはすかさずその首に両脚を絡ませた。首四の字ってやつだ。だいぶふとももでさーびすしちゃってる気もするけどこの際しょうがない。
「ぐ、ごっ!」
結構容赦なく首絞めてるのでたちまちスケベ中年が口から泡を吹いた。
「さて、似非弁護士さん。このおっちゃんと親しいみたいだけど……このひとの命、惜しかったりする?」
あたしの囁きに、似非弁護士ケビンさんはしばらく黙っていた。
「……しらん。自業自得だろう」
「あら。じゃ、ぽきってやっちゃっていい?」
今の所は締め落としただけだけど、その気になれば首くらいぽっきり折ることが出来る。
「そんなことをしても、お前の罪状に殺人罪が追加されるだけだ」
……もしかして、時間を稼いでる……?
そういや、裁判所行く時には何人か武器持った人間がいたっけ。
騒ぎが起こったと知られたら、まずいことになるかもしれない。
ちょっと行動を起こすには考え無しだったかもしれない、と後悔し始めたところに、背後から突然重いものが崩れる音がした。
「……っ?!」
まさか、似非弁護士が正面にひきつけといて背後からっ?!
慌てて体勢を整えようとして、足をはずした瞬間、スケベ中年の姿が消えた。
「え、何?」
慌ててまた正面を向こうとしたら鉄格子の外の似非弁護士がスケベ中年を担いでいた。
「兵を呼べっ!」
叫びながらばたばたと似非弁護士が駆け出す。
「おおーっと、そうはいかないんだな」
その影から突然小さな人影が浮き上がり首筋をぽんと叩くと、それ以上声を上げること無くスケベ中年ごと似非弁護士がその場に崩れ落ちた。
こちらを見つめてにひひと笑う小さな人影は、どこかで見たような気がする少年だった。
「……いったい、何がどーなってるの?」
なんて慌てた瞬間に、突然からだの拘束が緩んだ。あたしの上半身を縛り付けていたロープがばさりと落ちる。
これはいったいどういうことなのろうと考えているあたしに、どこかで聞いたことのある声が聞こえた。
「無事か?」
あたしの拘束を解いてくれたのは、賞金稼ぎのティムだった。
「どういうこと?」
あたしは疑いの眼差しをティムに向けた。
「詳しい話は後だ。とりあえず俺と来ないか? ロナ」
ティムが言った。
「何をいまさら! そんなこというくらいなら最初から捕まえるなーっ! だいたいロナ、ロナって馴れ馴れしいわよ、あんた!」
「まぁ、そう言うな。お前も縛り首になるのを楽しみにしてるわけじゃないんだろう?」
ティムが頬の端を吊り上げて笑い、視線をあたしの背後に向ける。
つられて振り返ると、先ほど似非弁護士を気絶させた小さな人影があたしの装備を抱えてすーっと鉄格子をすり抜けるようにして入ってくるところだった。
「大丈夫、まだ音はちゃんと殺せてるけど、少し急いだ方がいいかも」
言いながらあたしの荷物を突き出してきたので、受け取る。
音を殺すってなんだろう。さっきの壁が崩れた音とかすごかったし、まだ誰もやってこないところをみると、何かこの中の音が外に漏れない仕掛けでもあるのだろうか。
「こいつはエバ、ここの盗賊の一人だ」
ティムが後ろの奴の紹介をしたので、いちおーあたしも頭を下げる。
ところがその顔にあたしは何か気になるところがあった。
「……? ああっ! 思い出した!」
あたしはそのエバという少年に見覚えがあった。そう、ふとどきにもあたしの寝ていた部屋にこっそり忍び込んできたやつである。
「あの時の変態!」
あたしははっきりと思い出した。
「ぶんなぐらなきゃ、気が済まない!」
あたしは拳を振り上げてその盗賊に飛びかかろうとした。
「まあ待てって」
ティムがあたしの三つ編みをぐいっとひっぱったので、がくんとなってあたしの拳は空を切った。
「何するのよティム」
「そういうことは無事に逃げてからにしろよ」
ティムが手に持っていた大きな麻袋を冷たい床に置いた。
「この中に入れ。そうしたら俺達がかついでいくから」
「何でわざわざそんなことを?」
あたしはまだティムに対して警戒を解いていない。
「エバは盗賊だ。夜中に荷物持ってるほうが自然だ。あんたは街のやつらに顔を知られすぎているから、そのままでは連れて行けない」
ティムはそう言うと、有無を言わさず麻袋をあたしの頭からかぶせて床に落ちていた魔法のロープで口を縛った。
「な、なにをするの、人攫い! きゃあ!」
もがもがと暴れるあたしをティムが制する。
「静かにしろ。見つかったらお前は朝には縛り首だぞ?」
……うっ……考えまいとしていたことを……。
「ひとつ聞いていい?」
あたしはティムとエバにかつがれながら言った。
「どうしてあたしなんか助けようとするの?」
きっと、何か下心があるに違いない、とあたしは思った。
「王都に連れてけば、あの手配書どおりの金額がもらえるんじゃないかと思っただけだが?」
ティムが当然のように答えた。
……なるほどわかりやすい。
「ボクは君自身に興味がある。というか、死刑っていうのはちょっと気がとがめてね」
エバの方は、よくわからないことを言った。
裁判のときの雰囲気からして、ここの盗賊はみんなあたしのことを恨んでいるのかと思っていたけれど、そうでないヤツもいたみたいだ。
ふたりはえっさかほいさとあたしをかついでいずこかへと運んでいく。よく他の盗賊に見つからないもんだと思ふ。
「このまま。ロミスバダムを出るぞ」
ティムが言った。
麻袋の中で揺られながら考える。
とりあえずの危機は脱したようだけど、根本的な原因は手配書だ。あれを何とかしない限りあたしはまともに外を歩けないだろう。
それにこの二人、必ずしもあたしの味方と言うわけでもなさそうだし。そのへんも何か考えないといけなさそうだ。
……しかし麻袋で身動きとれないとはいえ、あたしのおしりを撫で回してるのはいったいどっちだっ!! いいかげんにしないと中から刺すぞ!
そのくらいは運んでもらっている代金と割り切って我慢するしかないのかなー、などとぐるぐる考えているうちに。
――あたしはとりあえず無事に朝を迎えることが出来た。