四、があるずとーくしちゃった?
久しぶりにまともな物を食べたし、長旅の汗と埃もすっかり落としたこともあって、あたしはすっかり極楽気分に浸っていた。
カウンターの端から、ちらりと奥のほうのテーブルの方を見ると、ティムが魔法のロープとちゃんばらの寸劇をして、酔っ払いからおひねりをもらっているところだった。
ティムってのもわかんないやつよね。何が楽しくてあたしについてきてるんだか……。
あたしは盃をぐっと飲み干すと、女将にもう一杯注文した。
宿の娘さん、フィアナさんの話を聞いて思ったんだけど、ティムの装備って語り継がれるようなホンモノの勇者がかつて装備していたもので、あたしはきっと、そのウワサか伝説かをどこかで見たか聞いたかしたことがあって、だからティムの装備に見覚えがあったんじゃないだろうか。
そうするとあいつってばいわゆる”勇者様”ってやつな訳で。なんで賞金稼ぎなんかやってるんだか。
はふぅ、と息を吐く。
……まぁどうでもいいよね。明日、王都に着いたらそこで終わりの関係なわけだし。
他のやつらはどうしてるかなってぼんやり見回すと、サークは一人、奥の方で地酒をちびちびとやっているようだった。……と思ったら一人じゃなくて、あたしと相部屋になったみぃちゃんと何やら話をしているようだ。
知り合いだった、というわけでもないようだけれど、微妙に深刻な様子で何話してるんだろ。
がやがやとした酒場の喧騒にまぎれてよく聞こえないけれど、口の形を見る限り共通語ではないようで、みぃちゃんの郷里の言葉なのかもしれないと思った。
エバの姿は見えない。お風呂で締め落としたあと、タオルでぐるぐる巻きにして脱衣所に放置してきたけど、まだ転がってるんだろうか。
あと、セナはと言えば。
「ねーっ! 暗いわよーっ、あなた!! もーっと、飲みなさいよ!」
となりで果実酒を飲んでいたセナが、不意にあたしの背中をどんっと叩いた。
果実酒程度でよくそこまでハイになれるものだと思う。
……っていうか背中イタイ。くそう、この酔っ払いめ。
「……飲んでるわよ。それよりそういうあなたは少し飲みすぎなんじゃないの?」
じと目でいい加減にしろ、と睨んでやる。
「なーに~? わたしゃ、まだ、酔ってなんかないわよ~う。まだ飲むんだからねぇ」
セナがろれつの回らない口調でそう言いながら、あたしの方に何か液体の入った小さな小瓶をを二つ、押しやった。
はてなんだろう、と手にとって見ると、小さな紙切れが添えてあった。開いてみるとどうやらセナが書いたものらしく、ちまちまとした丸文字が並んでいた。
”青い薬を一滴でロナルドに、赤い薬を一滴でロナに戻れるわ。それぞれ五回分くらいしかないけど、私が居ないときはにはこれを使ってちょーだいね(はぁと)”
文章の最後にセナ自身の自画像らしい小さな杖を持った黒衣の魔女が描かれていた。
頭身が低く簡略化された輪郭で、もしかしたらセナ自身を象徴するマークなのかもしれない。
……セナって、意外とおちゃめなとこあるのね。
ちらり、と隣のセナを見るが、彼女は薬を渡した次点でこちらに興味をなくしたようで、隣のおっちゃんに難癖をつけていた。
酔ってるのは演技なのか素なのか、ちょっと判断がつかなかった。
しっかし、明日のこととかちょっと相談しとこうと思ってたんだけど、みんなばらばらだ。
そもそもみんなで同じテーブル囲んで仲良くごはんなんて間柄でもないわけだから、個々人で好きに飲んでいるこの状態は正しいような気がするし、よく考えてみたら今のロナの姿のままであいつらと仲良くするわけにいかないような気もする。
寝る前に、大部屋の方でちょっと話すればいいかな、なんて考えてからふと思う。
……あたしどこで寝ればいいんだろ?
ロナルドの姿でなら大部屋の方だけれど、このままロナの姿でいるならみぃちゃんと一緒の部屋だろうし。
頭が回らない。あたしも少し飲みすぎだろうか。
お酒はやめて、ちょっとお茶にしとこうかな……。
おかみさんにお茶を注文したところで、奥からフィアナさんが出てきてセナにちょっと手を振ってから給仕を始めた。多分常連のお客なのだろう、労働者風の中年の男と軽い世間話をしたり、楽しげに店の中を走り回っている。
「母さん! ビール二つ追加!」
「はいよ」
てきぱきと仕事をこなし、場を明るくする笑顔を振りまき、くるくると踊るように酒場の中を動き回る。その姿が、あたしにはちょっと眩しかった。
「いやー、フィアナちゃんは、よー働く娘だなぁ」
「きっといい嫁になるな~、つか俺の嫁になんねーかなぁ」
酔っ払いが目をほそーくしてフィアナさんの方を眺める。あたしも、楽しげに店の中を行き来するフィアナさんを見ていると、賞賛とも羨望ともつかないため息が出てくる。
「くらいわねー」
セナがまたどんとあたしの背中を叩く。
……だからイタイってば、この酔っ払いっ!
「うん、なんだかねー。あの娘をみてると……」
あたしは少々背中がヒリヒリするのを我慢してセナの方に向き直った。
「あーいう子供がほしいなーなんて、おかみさんがうらやましくなっちゃってさ」
ぼそっと言うと、セナがまじまじとあたしを見つめた。
「あなたって変な人ねぇ。まだそんな歳じゃないでしょう?」
そう言って、それからセナはクスクスと笑った。
「まぁ、今から種を仕込めばその願い十数年で叶うわよ。今晩ティムにでもお願いしたらどうかしらぁ?」
「冗談でしょ」
今のところ、あいつをそういう対象にはとても思えないし。
「ならサークはぁ? わたしの好みじゃあないけれど、あの人なかなか美中年だと思うわ?」
「……あたしの好みでもないわね」
鼻で笑ってからふと、思う。
サークは一族の掟とやらで契約の主人以外から精気を吸わないっていってたけど、それってつまり触れられるのが今現在の主人であるあたしだけってことなんじゃ。
そうなると、サークがごにょごにょなこと出来るのはあたしだけってことで。
出会ったときの言葉、”どうせならかわいい女の子のほうがいいから”ってまさかそういう意味だったりする?
……もしかして、あたしの貞操ぴんちたっだりする?
よし、今夜はみぃちゃんの部屋の方で寝よう。うん、決めた。今決めた。
「まぁ、誰に種仕込んでもらうにしても、あなたの子供だったらとんでもないひねくれ者になりそうだし、どうしたってフィアナさんみたいになるとは思えないわねぇ」
「余計なお世話、っていうか……。あんたに言われたくないわよ」
セナの子供だったら、とんでもなく思い込みが激しい勇者マニアになるに違いない。
なんにしても旅の途中で子育てする気なんてないけどね。
「……ねぇねぇ、ボクは? ボクは? 種仕込んじゃだめ?」
ひょこり、とあたしとセナの間に突然割り込んできたのはエバだった。
「んー。お仕置きがたりなかったかなー?」
エバのほっぺをぎゅう、とつねってやると面白いように伸びた。
「あひゅあい」
「だいたいどうやって種仕込む気よ? あなたオンナノコでしょう」
「……気合い?」
ちょっと首を傾げてにこにこ笑うエバ。
「……冗談だったらそろそろやめてよ、あんまり笑えないから」
エバが手に持っているのはミルクだろうか。年齢的にお酒は控えたのか酔っ払っているわけでは無さそうだ。
「あたしにはそういう趣味ないから」
「ボクにだってそういう趣味はないよ?」
にふーと笑ってエバがあたしに擦り寄ってくる。やわらかな頬をあたしの肩にこすり付けてにゅふふと微笑む。肌からは仄かに石鹸が香り、髪からは香油の香りが漂って来る。
「……ロナだから、だよ? 別に女の子が好きなわけじゃない」
「……」
耳元で囁かれた言葉にため息を吐いた。
「あきらめてちょうだい」
「……じゃあ、一回でいいからエヴァンジェルって呼んで?」
「ひゃっ?」
また耳元で囁かれて、その小さな吐息があたしの耳をくすぐった
「エヴァンジェル=サティス、ボクの本当の名前。長いからエバって呼んでもらうことが多いけどね」
何か期待を込めて、エバがあたしを見上げてくる。
あたしにそういう趣味はないし、オンナノコだとわかっているのだけれど、それでも何か抗いがたいものを感じてしまい、やばいちょっとなでなでしたいとか思ってしまって、ちょっと内心でむむむと唸る。
「……今後許可なくあたしに触れたりとか、変態的行為をしないと誓うのなら、名前で呼ぶくらい考えてあげなくもないけど」
「誓うよ」
即答したエバにどれだけの信用があるのか疑問だったけれど。
少々酔っ払い気味なこともあって頭があまりまわっていなかったあたしは、言うだけならタダだしね、と深く考えずに名前を呼ぶことを了承した。
えーっと。なんだったっけな。
「……エヴァンジェル=サティス」
エバの耳元で、そっと囁く。
「……契約成立、だね?」
あれ? なんか今一瞬、エバの瞳が光ったような?
「ありがとう、ロナ」
言いながらエバはすーっと音もなくあたしの側を離れて……。
「……あれ?」
気がつくとミルクのグラスだけが残されていた。
「……あれ?」
よくわからない。わからないけれど、何かマズイことをしてしまったような気もする。
妙に気配を隠すのがうまいというか、不思議に気配が薄いエバではあったけれど、目の前にいたのにどこに行ってしまったのか良くわからなかったのがなんだか不安だった。
「ちょっと気分を変えてくる……」
ロナルドの姿を見せる必要もあるし……気分を変えて飲みなおすか。
あたしはまだ隣のおっちゃんに絡んでいるセナに一声かけて、なんだかよくわからない不安を抱えたまま、あたしは薬を飲むために二階に上がることにした。
……絶賛迷走中! 事件はまだかっ!?




