ぷろろーぐ
「あたしに勝とうだなんて、百かける百万年早いわよっ!」
小さく微笑みながらそいつの首に短剣を突きつけると、そいつは地面に尻餅をついたまま下唇をかみ締め、強い瞳であたしの顔をにらみつけた。
「返り討ちにされた気分はどお?」
「……」
返事は無い。森の中を、どっと涼しい風が走る。
「何とか言ったらど~なの、ねえ。いきなり人に向かって剣で斬りかかってきといて、ごめんなさいのひとつも言えないの?」
いやもちろん、ごめんなさいと素直に謝られたとしても許してやる気はないけれども。
「強盗や追いはぎの類には見えないんだけどな?」
あたしは値踏みするように襲撃者をじろじろとねめつけた。
森の中の街道をとぼとぼ歩いていたら突然現れて、あたしの背後から無言でいきなり切りかかってきたのだ。盗賊なら金を出せくらいのことは言いそうなものだけれど、何も言わずに切りかかってくるのはいったいどういう理由によるものなんだろう。
……最初から殺す気でかかってきたようにしか思えないんだけど?
まぁ当然、ステキに無敵でかわいいあたしとしては、振り向きざまに腰の短剣であっさりとそいつの剣を弾き飛ばして、返り討ちにしたわけではあるのだけれど、どこも怪我しなかったからいいとかじゃなくて単純にどこの誰とも知らないやつに殺意を向けられたのがキモチワルイ。
歳は十七、八。濃い茶色の髪。世の中をなめきったような不敵な眼。顔のつくりはまぁ整っている方だろう。あたしの好みじゃないけれど。ただ問題はそいつの装備だった。
胸鎧に長剣という、割合ありふれたスタイルなのだが、その両方ともがかなり強い気を放っている。
ただの魔法装備ではない。おそらくは精霊とか女神に祝福されていて、武器の方が持ち主を選ぶタイプ。どこぞの大岩に突き刺さっていて、抜くことが出来た者にだけ使えるとか、泉の精霊に授かったりとか、そんな感じの特別な武器だ。
ただのごろつきや追いはぎが持てるシロモノではないし、そもそも絶対数が少なすぎるからああいういわゆるアーティファクトとか呼ばれるような装備は、金だけ積んでも手に入る代物ではないのだ。どこぞの国家に認められたいわゆる勇者様だとかどこぞに所属する高名な騎士様であるとかならともかく、そこらをうろついている戦士風情がこんな装備をしているなんてことは、まずありえない。
こんな装備を身につけているというのは、考えられるとしたら代々勇者の家系だとか、どこぞの王族か。なんにしろこいつが只者ではないことだけは確かだった。
そういうヤツに命を狙われるような心当たりは……ないはずなんだけどなぁ。
「ね、どうしてあたしを襲ったの?」
あたしは作りたてのとびきり上等な笑顔を頬に貼り付けて、そいつに尋ねた。
あたしには、見ず知らずの他人にいきなり後ろから長剣で襲い掛かられるようなことをした覚えはない。どこか知らないところで誰かの恨みでも買ってしまったのだろうか。
「……」
またしても、答えは無い。
ただそいつは、親の仇でもみるかのようにあたしをにらみつけるばかりである。
「喋れないわけじゃないんでしょ?」
あたしは手首を少しかえして、そいつの首に紅い印をつけた。
「……」
それでも、答えは無かった。
あたしはひとつため息をついて、少し違う方向から攻めてみることにした。
「あたしがあんまり”ないすばでぃ”だからって、後ろからいきなり襲うなんてだめだよん?」
かわゆく身をくねらせて、流し目ちらり。
「……」
そいつは無言であたしの胸元を見つめ、それからふっ、と鼻で笑った。
……どうやらこいつ、命がいらないらしい。
しょうがないのであたしは短剣を持つ手を少し動かし、剣先をそいつの右目に近づけた。そしてそのまま、眼球にぴたりと押し付ける。剣先の圧力は感じるが、実際には傷をつけないぎりぎりの位置。
「まばたきしたらまぶた切れるよ? 動かないでねー」
流石にそいつもまだ失明したくは無かったのだろう。目を見開いたまま息を呑む音が聞こえた。
「……ちくっ、ってやったら、痛いと思うんだけどなー?」
にっこり、冷たい天使の微笑みを浮かべる。
もちろん、これで何も喋らないようなら本気でちくりとやるつもり。
こちらを殺す気で切りかかってくるようなやつに、遠慮なんていらないよねー。
みるみるうちにそいつの頬を冷や汗らしきものが伝い、おそらく無意識なのだろうがじりじりと後ずさりし始める。
しかし、もちろんあたしは天使の笑みのまま、ぴたりと眼球から剣先をはずさない。
ここに至って、ようやくそいつは重い口を開く気になったらしい。
「……お、おまえ、ロナだろ?」
そいつはうめくように言った。
「あれっ、あたしのこと知ってるの?」
あたしはちょっぴり驚いた。
この土地を訪れたのは、つい一昨日のことだ。地元では少々知られているとはいえ、この地であたしの名前を知っているやつに出会うとは思いもしなかった。
「いや~、あたしも有名になったもんだ。……もしかして、あんたあたしのファンだとか?」
「んなわけあるかっ!!」
急に怒鳴るものだから、危うくそいつの右目をつぶしてしまうところだった。
そこまで力いっぱい否定することもないんじゃない?
あたしは少しふくれた。
「じゃ、どうしてあたしに剣を向けたの?」
短剣を右目から遠ざけると、そいつは少し落ち着いたように息を吐いた。
「あんた、”皆殺し”ロナだろ?」
そいつが小声で言った。
「はぁ? 何、それ?」
あたしは驚いて声をあげた。
花も恥らう乙女にジェノサイドですと?
「他に超絶極悪兵器とか、破壊の象徴とか、大魔王ダークストライダーの化身とか……」
「……」
あたしはあっけにとられて何も言えなかった。
ちなみにダークストライダーっていうのは約三千年前にこの世界の97.89%を破壊した(うみゅ、数字が細かい)異世界の住人のことである。
「……あたしは破壊神か?」
「街壊しとか殺人主義者とか……」
あたしは指を折りながら次々ととんでもない通り名を上げていくそいつの頬を、短剣持っていない右手で思いっきり張り飛ばした。
「いいかげんにしてよっ! あんたこの場で消滅したいっ?!」
「……ってことは、やっぱり……あんたが?」
「いったいどこの誰がそんなことを言ってるのよ? あたしはただの旅人なのよ?!」
あたしはなんとか怒りを抑えようと努力した。じゃなきゃ冗談抜きで目の前のそいつを消滅させかねない。
確かに、世間様には勇名より悪名の方が知られてるかもしれないけれど、それでもあたしは犯罪者よばわりされるようなことをした覚えはない。
「……これ、あんただよな?」
そいつは両手を上げたまま、自分の懐を目で指した。小さくうなずくと、そいつは左手を上げたまま右手でそっと四つ折の紙を取り出し、あたしの方へと差し出した。
あたしは短剣を突きつけたまま、その紙をひったくって片手で広げる。
その紙に描かれていたのは、まぎれもなくあたしの顔だった。
後ろで大きくひとつにまとめた自慢の黒髪。自分では愛嬌があって可愛いと思っている、黒い双眸。ちょっぴり上向きのぷりてぃなお鼻に、悪戯天使の微笑み。
青い貫頭衣や、胸の真紅の宝石、テクロイド製の肩当にいたるまで、ぴたりとあたしにあてはまる。
「へぇ~、なかなかうまいもんじゃない。誰が描いたの、これ? あ、それとも今流行りのふぉとぐらっふぁってやつ?」
あたしはナルシストではないつもりだったが、この絵はちょっぴり欲しくなった。
「どう見たって、あんただろ、それ?」
憤りも忘れて、うん、うん、とうなずくあたし。
そのとき、あたしは絵の下に何やら数字が書いてあるのに気がついた。
「賞金……? な、何? どうしてあたしに賞金なんかかかってるの?」
ゼロが十三個もついている。ご丁寧にも史上最高の賞金首と横に赤インクで書かれていた。
「ま、街ひとつ、まるごと買えちゃう額じゃないっ! 賞金かけたヤツはいったい何考えてるのっ!?」
「知りたかったら、その下の方。ちょっと小さな字で書かれてるが読んでみな」
あたしのことを馬鹿にしたような口調でそいつが笑う。
あたしは手にした短剣でそいつを三枚におろしてやったらすっきりするだろうな、と思ったがかろうじてその衝動を抑えることに成功した。
「……被害者十数万人……被害総額四兆五千億ゴールド……ふたつの街を灰燼と化し全大陸で指名手配中。生死を問わず捕らえたものに上記賞金を与える……」
「ど~だ? 死体だけでも金はくれるそうだし、俺に殺されたって文句は無いだろう?」
そいつが己の立場もわきまえずそんなことをいうものだから、あたしはもう少しでそいつを細切れにするところだった。
「だああああああっ! あたしはそんなことしたおぼえはないっ!!」
あんまし腹が立ったものだから、勢いで人相書きをびりびりと真っ二つに破って、両手でぐしゃぐしゃと丸める。
……そこに、隙ができた。
「いただきっ!」
そいつの手が電光石火の素早さで伸び、気がついたときにはあたしの手の中の短剣はそいつの手に移っていた。
「形勢逆転、ってやつだろ?」
あたしの短剣を片手に、そいつは楽しげに笑った。
「……そうかも、ね?」
あたしもわざと明るく笑った。
これだから、アーティファクトを装備するようなガキは油断できない。
「さあ~ってと、」
そいつはあたしに短剣を突きつけたまま、腰の袋から奇妙なロープを取り出した。
「あたしを縛ろうっての? 変態」
「そうしなきゃこっちが危ない。あ、いっとくがこれは魔法のロープだからな。変な気を起こすなよ?」
言いながらそいつがロープの一端をあたしに向けると、ロープがひとりでにあたしをぐるぐると縛り始め、あっという間に上半身が拘束されてしまった。
「俺から一定以上はなれると、首が絞まるからな」
「あたしは何もしらないってば! 人違いでしょ? 解きなさいよっ!」
あたしはじたばた暴れたが、魔法のロープというのは伊達ではないらしく、なんだか嫌な締まり方をしてくる。
……なんで胸とか強調するような感じになるんだっ!?
「んじゃ聞くが、あんた昨日はどこにいた?」
そいつが地面に落ちていた彼自身の魔法の長剣を拾って腰に差しながら言った。
「あたしは今朝、ロミスバダムから出てきたのよ」
あたしは人違いであることを祈ってそう言った。
きっと、ひじょーにあたしに似ている人物がどこかにいて、そいつが犯罪者なのに違いない! そうに違いない! そうだと思いたい……。
「ちなみに、俺の追っていたヤツは昨日はその街にいたそうだ」
って、ことは……あたし?
「や、やだ、そういう冗談言う男は女の子に嫌われるゾ?」
「往生際の悪いやつだな」
そいつは耳も貸さずに、ロープの端をぐいと引っ張り、あたしを引きずるようにして元来た道を帰り始めた。
「だからあたしじゃないってば!」
「聞く耳もたん。だいたいお前じゃなかったとしても、あの盗賊都市に行くようなやつが信用できるか。顔がかわいいけりゃなんでもごまかせるなんて思うなよ?」
そいつがあたしの方を見もせずに言った。
「かわいいってとこだけありがとう」
あたしはぶすっとした顔で言った。
どうも何を言っても無駄なようだ。こんなときは大人しくしておくに限る。だいたい盗賊都市ロミスバダムに行ったのだって、道に迷ったあげくにたどり着いたのであって別に行きたくて行ったわけじゃない。ど~せ信じないだろうけど。
ま、少しくらい付き合うことにしよう。どうせあたしは無実なんだし、急ぎの旅でもないので時間はいくらでもある。ちょっとあの人相書きが気になるけど、きっと何かの間違いだろう、
うん。……それにいざとなったら奥の手もあるし。
あたしはそう思うことにして、大人しくそいつの引っ張るがままについていった。
しかし、その考えは三百倍に濃縮されたハチミツを端からこぼれるくらいにたぁっぷりかけたホットケーキと、砂糖壷に注いだコーヒーのモーニングセットよりも甘かった。
アリが胸焼けおこしてひぃひぃ言うくらい。