14
それから。
また幾年かの月日が過ぎ去って。
ある日の休日。
僕は相変わらずいつもの海に来ていた。
「ここは本当に変わらないな」
そんなことをふと呟くと、
「変わってほしいの? 先生的には」
隣で僕と同じように絵を描いていた蒼ちゃんがそんなことを言う。
「いや、そんなことないよ。全然このままでいいんだけど。・・・・・・君こそ海の景色は飽きたんじゃなかったの?」
「新鮮味はないけど、先生が言ったんじゃん。変わらない方がいいこともあるって」
「まあ」
「私もさ、この海見てると帰ってきたなーって思えるようになってきたよ」
「そっか」
蒼ちゃんは立派に夢を叶えて小学校の先生となった。
といってもまだまだ新米だ。忙しい日々を送っているようだが、たまにこうして絵を描きにここへ来てくれるのだ。一緒になれば昔のように並んで絵を描いている。
「てか」
「ん?」
「先生はいいの? ここで絵を描いてて」
「うーん、まあ、僕もよくないとは思うんだけど」
僕と冬木――叶とはあの約束通り結婚して、嬉しいことに家族も増えた。僕は間違いなく幸せ者で、だから、この海を描くのももう終わりにするつもりだった。思い出は思い出としてそっとしておこうと。
でも、叶が言うのだ。
「らしくないことしないでください」
家の窓から見える景色を描いている僕に彼女は言った。
「あの海は、春馬にとって大切なものなんでしょう」
それはそうだ、その通りだ。
――でも。
それ以上にもう忘れたいと思うべき過去の場所だ。
「いいんすよ、無理しなくて」
「無理なんて」
「ちゃんと春馬が私のこと想ってくれてるのわかってるつもりすから、私だって春華さんのことを考えちゃう春馬を丸ごと愛します」
「・・・・・・叶」
「それに」
「それに?」
「ちびっ子達に絵を教えてるんでしょ? 途中で投げ出しちゃダメじゃないすか?」
「それは、僕が勝手に始めたことだから。別に頼まれたことじゃない」
「なんにしても! あの海はもう春華さんとだけの思い出の場所じゃないんすよね?」
逡巡して、頷く。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「・・・・・・叶」
それからは、家族をないがしろにしない程度でここへ訪れている。
「叶さん、いい奥さんだね」
「本当に。僕には勿体ないくらいだよ」
「結婚かー、いいなぁ」
「蒼ちゃんは結婚願望あるの」
「そりゃまあ、人並みにはあるよ。子供も好きだし。・・・・・・でもなー、肝心のパートナーがいないんだなぁ」
「ああ、まあ、そればっかりはねー」
運命、巡り合わせなんてものもある。
僕だって、僕が春華さんに出会えたことも。叶と結婚したことも。全部がただの偶然だったと思うのは少し寂しい。
「パパー! パーパー!」
そんな話をしていると、海岸から女の子が手を振ってきて、僕も振り返す。
娘の紗季である。
「パパは海で遊ばないのー?」
「うん、僕はお姉ちゃんとここで絵を描いてるんだよ」
「・・・・・・浮気?」
「こらこら、嫌な言葉をどこで覚えてくるかね」
グサッと心に刺さる。
「それより紗季、ママはどうしたの?」
「置いてきたー」
「君って子は・・・・・・」
「だっておそいんだもんー!」
「・・・・・・そっち行くから、ちょっと待ってなさい」
「うんー!」
スケッチブックを閉じて塀から降りる。
「蒼ちゃん、ちょっといってきます」
「はーい、ごゆっくり」
「うん」
僕は浜辺で待つ娘を拾って、叶の姿を探す。・・・・・・といっても、彼女も紗季がどこに行ったのか予想をつけていたのだろう。こっちに向かって小走りに近づいてきたところだった。
「もー、紗季! 突然いなくなったら焦るじゃないすか!」
「ママがおそいからー」
「紗季、こういうときはごめんなさいだよ」
「ごめんなさーい」
反省しているのかどうなのか、にへへと笑う紗季の頭を僕はワシワシ撫でて。
「ママを困らしちゃだめだよ、それに海は危ないんだからね」
「はーい」
「返事はいっちょ前なんだよなー」
まあ、わかってくれていると思おう。
「ごめんなさいっす、春馬。絵描きの邪魔しちゃって」
「いいよいいよ。僕こそ紗季の面倒任せちゃってごめん」
「誰に似たのかお転婆すよね。ついていくのが大変で」
「うん」
きっと君に似たところだよ。とは言わない。
「そういうとこも可愛いんですけどねー」
なんて言いながら、叶は紗季のことを抱き上げる。紗季も嫌がることなく身をゆだねて。
「さーて、私達もお絵描きしましょうか、紗季」
「する! 蒼お姉ちゃんに教えてもらう!」
「よしよし、パパもビシバシ教えるぞー」
「まあ、パパはいいや」
「ひどいな!」
そんな取り留めない会話をしながら、僕達は海から離れていき、
「・・・・・・」
ふと振り返って。
思い出の景色を見つめる。
ここは大切な場所だ。そして、これからも思い出が増えていくのだろう。
『幸せになってね』
そんな声が聞こえた気がした。
なってますよ、僕は今幸せです。これからも幸せになっていきます。あなたの言葉通りに。
『うんうん、いいことだ!』
声が言う。
『春馬』
はい。
『ずっと幸せでいてね』
・・・・・・ええ、もちろん。
「パパ―?」
「春馬?」
二人の声で現実に引き戻される。
「どうかしたんすか?」
「ううん、なんでもないよ」
僕は生きていきます。叶を想って。紗季を想って。
春華さん、僕、幸せになりましたよ。
そう伝えることが。
そう祈ることが。
きっと、今の僕があなたにできることなのでしょう。




