第1章-第7話 インフェルス領域
魔術の習得を開始してから1週間。
自室のベッドにて次にどの魔術を覚えようか考えながら魔術書を見ていたら、廊下から足音が聞こえて来た。
こっちに近づいてくる足音の主――バラムはヴェラの部屋まで来ると、扉から顔を覗かせた。
「おー、やっとるかのう?」
「んだよ。今忙しいんだ。ちょっかいかけるなら出ていって――」
魔術書を凝視しながら返していると、宙に魔法陣が発生し、ドサドサと音を立ててそこから出て来た無数の書物が床に落ちていく。
恐らく放出魔術を使って、バラムの『宝物庫』にあったものを出したのだろう。
「何だ? この大量の本は?」
明らかにこれから面倒なことが起きると察しながら、出てきたそれらを怪訝な目で見る。どの本も大判サイズはあり、さまざまな色の革表紙で包まれていた。
「魔王となるには統治する土地の地理や歴史や文化に社会体制、そして言語も知っておかねばならん。よって、魔王認定試験では実戦に加え、筆記試験も行う!」
「そういう大事なことはもっと早くに言いやがれ!」
バラムが高らかに発言し、ヴェラは間髪入れずに声を張り上げて指摘する。
だが、彼の言っていること自体は正しいので、筆記を行うことに関しては反論の余地もない。
「つい先ほど決めたからのう。知らなくて当然じゃ」
「お前なぁ……」
飄々とした口調で言われ、ヴェラはげんなりとした顔でバラムを見る。
ただでさえ魔術の習得で手一杯で、剣術の練習もできていないというのに、急にやることを増やされて嫌気が差す。
どう考えても嫌がらせにしか思えないそれに不満が溜まる中、バラムは誇らしげな笑みを浮かべる。
「親切にも忙しい身である我がわざわざ持って来てやったのじゃ。せいぜい頑張るがよい。ではな!」
持ってくるものを持ってきて用を終えたのかバラムは部屋から出て行った。
自分勝手なバラムに、一体誰に似たんだかと呆れつつ、ヴェラは落ちた書物を拾って表紙を見る。
(って、これ全部親父が書いたのかよ……ったく、どいつもこいつも暇かっ!)
表紙にアヴァンと書かれているのを見つけ、床にある書物をざっと眺めてみたら、そのどれもにアヴァンの著者名があった。
溜息を吐いたヴェラはひとまず床にある書物を拾い上げて、ベッドの脇にあった木製の机へ積み上げる。
「あら、ヴェラ様ではありませんの」
「魔術の方は順調でございますか?」
ヴェラの部屋の前を通りかかったのか、掃除用のバケツを持ったメフィスと羊皮紙製の書類を抱えたファウストが呼びかけてきた。
「まぁな。ぼちぼちやってるよ」
この1週間は炎と風の属性攻撃魔術、変身魔術、転移魔術の4つを徹底的に習得していった。
変身魔術の常時発動にもだいぶ慣れ、1日に2、3回解けるまでになっている。そして二属性の攻撃魔術は明日には中級に着手できる段階となった。
転移魔術はまだ石ころや木の枝と言った小さいものを、狙って転移させることができるように練習中だ。
「それにしても何です? この大量の書物は」
「あー、実はな……」
机の上に積み上げられた大量の本を目にしたファウストが首を傾げて問うてきた。ヴェラは先ほど起きたことをファウストとメフィスに話す。
「また性格の悪い……」
「バラム様がやりそうなことですわね……」
事情を聞いたファウストとメフィスは、揃ってうんざりしたように顔を歪めた。
長年で仕える側近と使用人からこう言われているのだから本当にバラムの性格は駄目なのだろう。
この調子では、あの老いぼれ魔王は、いつか見捨てられるのではないかと柄にもなく思ってしまう。
ひとしきりバラムへの愚痴を吐き出した後、書庫の隣に図書室があると判明。自らの『宝物庫』に積んだ本を納め、そこでファウストに教えて貰いながら勉強することになった。
メフィスも参加したがっていたものの、ファウストから「貴方が人に物を教えられるほどの頭を持っているとは到底思えない」と辛辣なことを言われ、あえなく掃除に戻らされるのだった。
「どれからに致しましょうか」
「そうだな……。まずは世界の成り立ちから頼む」
「かしこまりました」
椅子に座ったヴェラが歴史の本を開いたものの、読めない文字で書かれていた。
訊けば、この世界の言語には大きく分けて2つあるらしく、魔族が話す魔族語と魔族もヒト族も話す世界共通語に分かれているらしい。
今自分が喋っているのが魔族語で称号に書かれていた図形のような文字もそれにあたるそうだ。
一方で、この本に書かれているものが世界共通語となり、文字の造りはアルファベット――ラテン文字とほとんど変わらず、文法も生前に父から習っていたラテン語と似通っていた。
覚えるのが楽だから良いが、すぐには読めそうにないのでここはファウストに内容を要約して話してもらうことになった。
さっそくファウストは本に書かれた内容を読み上げ始めた。
「かつて1000年に続く神々の戦いがありました。数多の領域に別れた神々は自らを信仰する眷属を率いて戦ったのですが、残り100年間で魔神が我々悪魔を含めた魔族を生み出しました。そこで争っていた神々は共闘し、我々魔族と対峙。最終的に魔族が負けて、魔族たちが魔界へと封印される一方、世界では十二の領域が誕生します」
今話した内容が、聖書や日本神話なんかで言ういわゆる創世神話の部分にあたるらしい。そこを基点として今の世界があるのだそう。内容や出てくる神自体はそれぞれの領域ごとに違うようだ。
ファウスやバラム、メフィスは神話大戦の終盤に出てきた一柱の魔神によって悪魔となったという。つまり、神代の終わりに誕生したというわけだ。
「ちなみにあたし……いや、邪竜・ヴェルトゥスはその時にはもういたのか?」
「はい。ですが、当初ヴェルトゥスは聖竜としてヒト族側についており、我々魔族とは対立関係にありました」
「じゃあなんで……」
今の世で邪竜などと呼ばれ、恐れられているのだろう。
と、ヴェラの思ったことを読み取ったのかファウストが喋り出す。
「私も経緯はそこまで知らないのですが、戦いのさ中で邪気を帯びてしまい、魔族に堕ちたと聞いております」
ヒト族と魔族の違いは前にファウストが言っていたように邪気を纏っているか否かだ。
邪気を纏ってしまったものは如何なるものであろうとも魔族に堕ち、怒りや憎しみ、嫉妬といった負の感情が前面に出てしまうとされる。
聖竜であったヴェルトゥスも例外ではなかったのだろう。今、こうして落ち着いているのは中に真緒が憑依しているおかげなのかもしれない。
「話を戻しまして、魔族が魔界に封じられてから200年が経った頃。日々魔族同士の争いで荒れていた魔界にアヴァン様が現れます。その頃から争いを嫌っていたアヴァン様は私やメフィス、バラムを仲間に引き入れ、戦いを止めるように魔族を説得。魔界の均衡を保つ統治者――すなわち魔王となられます」
(そういえば、生前の親父も争いを嫌ってたな……)
ことあるごとに自分と姉は喧嘩していた。最初は緩く傍観していたが度が過ぎるとその時点で必ず止めに入る。
親としては当然の事ではあるのだろうが、それでも困っている人は必ず助けるというかなりのお人好しであり平和主義者だった。
幼い頃から好奇心旺盛で何事にも興味を持つ子供で、それ故に周囲を振り回していた自分に漫画を描く道を教えてくれたのも父だった。
原初の魔王などと父にしては大層な名前だと思っていたが、そういう理由であれば腑に落ちる。
「しかし、魔界を統治したは良いものの、魔族の数は年々増加。魔界だけではいずれパンクしてしまうと考えたアヴァン様は、十二大領域の一部を魔族の住処とすべく、各領域の統治者たちと交渉しました。その結果、魔族とヒト族の間で不可侵の盟約を締結する代わりとして、各十二大領域の僻地に新たに魔族の住処たるインフェルス領域が誕生することとなったのです」
そこまで読み終えたファウストは本から目を離した。
どうやら魔族とヒト族の間で結ばれた盟約によって両族の均衡が今日まで保たれているようだ。
そうなるとアヴァンは歴史の中でもかなりの重要人物になってくるな。それも織田信長級の。
自分の父親の功績に驚いていると、ファウストは再び口を開く。
「それが今から1000年前のことであり、現在に至るまで十二大領域の1つであるここ、イーデン・インフェルス領域の統治者として魔王・バラム様が君臨なされています」
ファウストはそう言って微笑んだ。
(てっきり今まで自分がいるのは魔界かそれに類する場所と思っていたけど、インフェルス領域だったんだな)
現状、魔王城内の景色しか見たことはないが、統治するとなればゆくゆくは領域全土の光景も見たり、細かな内情も知ることになるだろう。
そのためにはまず試験に合格しなければ。
内心で意気込んでいたところで、ファウストがインフェルス領域内の地図帳とタイトルの乗った書物を開いた。かなりの大きさになるそれをヴェラに見えるように置くと、彼は地図の真ん中を指差した。
「ちなみに私どもが今いる魔王城はここにございます。そして試験が行われるのは魔王城の裏手にあるグランデール大森林となります」
ファウストは魔王城を指差した後、魔王城の北側を指してそう言った。
森林の大きさはかなりのもので、魔王城の敷地の3倍はある。試験での実戦がどういう形式になるかは分からないが、その中からバラム1人を探すのはかなり至難の業になってくるだろう。
これは試験までに何かしら対策を講じなければならない。
と、端の方に総面積が書かれているのを見つける。
(7万キロってだいぶ広いな……)
インフェルス領域の面積が7万キロということは、大体北海道と同じぐらいの大きさになるようだ。そんな広大な土地を新たに統治すると考えると、今から末恐ろしくなる。
そうなると、1000年もの間、魔王として領域を統治していたバラムって案外凄いやつなのかもしれない。
休憩がてら机に置かれた書物を見渡していたら、どの本も分厚い中で1つだけ背表紙の薄い本があった。
タイトルを読んでみると、『旧暦について』と書かれている。
「なぁ、この旧暦ってのは何なんだ?」
「それは神代の前となる古代より更に前にあった文明のことらしいのですが、未だに謎が多く、神代末期から生きている私どももよく分かっていないのです。アヴァン様は自分が生きていた時代と似ている部分があると仰られていました」
気になってページを開いてみるが、書かれているのは最初の十数ページだけだった。旧暦が古代より前となると、それだけ文献が少ないのも理解できる。
(それにしても、自分の生きていた時代と似ている……か)
今考えてみれば、いくら父とはいえど生前の知識だけであそこまで整備できるのはおかしい。
ここにシャワーや水回り関連の事について記載されたものはないが、「デンワ」や「クルマ」と確かに出てくる単語に聞きなじみがある。
「もしかしてアヴァンはその旧暦に関する情報をどこかで手に入れて、この城を作ったんじゃないのか?」
「おや、よくお分かりになられましたね。ヴェラ様の予想通り、アヴァン様は城の建築から整備まで旧暦の遺跡から発掘した石版に書かれたものを参考にしたと仰っていました」
(やっぱりそうか……)
そう納得したヴェラはぐいっと伸びをする。
これでもまだ触れられたのはほんの一部だ。魔術を習得して剣術もやりながら勉強も、となるとこれからは更に忙しくなるだろう。
だが、それでも生前同様、自分にできることをこなすことには変わらない。
(残り3週間、やれるだけやってみよう)
そう心に決めて、ヴェラは山積みになった本と向き合うのだった。




