第七話 蒸気のタービン、責任の水路
朝焼けの煙が、静かに村を包み込んでいた。
私は、村の共同浴場の裏に設置した簡易ボイラーを見つめていた。
内部に取りつけた鉄製の水管が、焚き火の熱で唸るように沸き立ち、蒸気がパイプを通じて、円筒に接続された羽根車へと送り込まれている。
それは、いびつな形ながらも間違いなく「蒸気タービン」だった。
試作した火力発電用の蒸気タービンは、音を立てて回っている。
薪を燃やして沸かしたお湯の蒸気で羽根車を回し、発電機を回す。
蒸気タービンを利用した発電設備の構造については熟知している。
設計上に問題はなく、動作そのものは成功だ。
……が、問題も山積みだった。
藤野「出力は出せる……。でも、これじゃあ続かないな」
原因は明らかだった。
予想以上に水の消費量が多く、村の井戸の水では追いつかないため、連続稼働が不可能だった。
現代の火力発電は、タービンを回した後の蒸気を冷却して水に戻して再利用するが、
これには、蒸気にする水とは別に、蒸気を冷やすための水……“冷却水”が必要になる。
この冷却水にはある程度の水量が必要だが、その水量の確保が難しかった。
そのため、今回の蒸気タービン試作型では、使い終えた蒸気はただ逃げていくだけだった。
藤野「仕組みは悪くない……けど、インフラが整ってない」
作業部屋に戻って、メモ帳に設計図と改良案を書き連ねていたときだった。
キース「ねえねえ! お風呂に付いてたあれは何!」
部屋の扉が開き、元気な声が飛び込んできた。
キースだ。
以前、私の発電機に興味を示していたあの少年。
藤野「おいおい、入る前にノックしてって言ったでしょ。危ない装置もあるんだから」
キース「ごめん! でもさ、お風呂のボイラーが進化してるでしょ? 気になってさ!」
藤野「ああ、あれはお湯を沸かした蒸気でタービンを回して発電してる。
……けど、水が足りなくて、長い時間は動かせなくてさ」
私はタービン装置の図面を広げ、キースに火力発電と水力発電の概念を教えていた。
藤野「――つまり、水の流れや落差を利用して水車を回す。問題は、どこで水を得るかだ。
川が近くにあったらいいんだけど、ちょっと距離があるからなぁ」
キース「ふーん……なら、逆にさ。水の方をこっちに引っ張ってこれない?」
藤野「……水を?」
キース「そう。水路でこっちまで水を引いて、近くで水車回せば、距離が短くなるよ」
藤野「…………」
一瞬、返す言葉が出なかった。確かに、それは発想の転換だった。
藤野(発電所を水源に近づけるのではなく、水を発電所に近づける。
……この柔軟さ、私より上かもしれんな)
藤野「それ、良い考えだね!」
キース「えっ、ほんとに!?」
藤野「ああ。村の北東に大きな川がある。そこから村の近くまで水路を引ければ、水力発電もできるし、蒸気タービンの水量も確保できる。設計は私がやるけど、村人に手伝ってもらわなきゃな」
キース「僕もやるよ!」
藤野「ありがとう、頼もしいな」
次の日、私は村の広場に村人を集めた。
藤野「皆さんに手伝ってほしいことがあります。水路を作って北東の川から水を引きたいんです」
当然、ざわつく声が起こる。
村人1「水路って……なんのために?」
村人2「水なら井戸で足りてるだろ?」
だが、続くのはこんな声だった。
村人3「藤野が言うなら、きっと意味があるんだろ」
村人4「どうせ俺らが知らない何かなんだ。任せるさ」
藤野「ありがとうございます!」
その翌日から経路の測量と水路の設計に取り掛かる。
管路で水を流すだけだ。難しくはない。
……そう思っていたが、思った以上に難航した。
私自身、治水に関する工事や水路の設計に心得が無かったあり、設計に苦慮していた。
昼は測量、夕方は図面の修正と、毎日がフル稼働だった。
――数週間後、なんとか測量と設計を終え、村人たちを集めて工事に取り掛かる。
藤野「今日も安全作業で頑張ろう!」
全員「「「 おう! ご安全に! 」」」
号令の後、各々が作業予定場所へ向かっていく。
しかし、工事は思った以上に骨が折れた。
水を通すためには、傾斜を一定に保たねばならず、地形の高低差に合わせて土を掘る、石を積む、支柱を立てる必要があった。
土は想像よりも硬く、石を掘り起こすにも力がいる。
場所によっては地盤が緩く、支柱を立てようにも傾いてしまい、やり直しになることもあった。
寸法通りに作っても、水が流れなかったり、わずかに角度がずれていたりと、なかなかうまくいかない。
工事自体は四苦八苦しながらも着実に進んでいたものの、
手を止めて、汗まみれの額をぬぐう回数が日に日に増えていった。
――そんなある日。
村人1「おい、こっちの水路、まるで流れねえぞ!」
村人2「こっちもだ! 水が漏れてる!」
慌てて駆けつけた私は状況を確認し、すぐに原因に気づいた。
藤野「……測量ミスか。わずかに傾斜が逆だ。あと、接合部の密閉不足か」
村人3「こっちは言われた通りやったんだ。お前の設計ミスだろ?」
その言葉に、村人たちの視線が一瞬、私に向いた。
だが、私はそれを正面から受け止め、深く頭を下げた。
藤野「私の責任です。申し訳ありませんでした」
誰かのために何かを作る――
それがうまくいかなかった時の責任は、技術者自身が引き受けるしかない。
私はそれを、現場で嫌というほど学んできた。
しばらく沈黙のあと、キースが手を挙げた。
キース「えっと、ぼく、ちょっと考えたんだけど――ここの斜面、もう少し削って、こっちに新しい支柱を立てたら、流れると思う!」
藤野「ん? ちょっと見せて」
差し出された図面には、修正案が簡単に記されていた。
稚拙ながら、実に理にかなっている。
藤野「……採用だ。皆さん、この案でやり直しましょう」
工事は再開された。キースは誇らしげな顔で皆の指示に応じていた。
その後も所々で問題が発生したが、キースや村人たちと相談し、都度修正しながら工事を進めていった。
――三か月後、水路が完成し、水車が村の裏手で静かに回転を始めた。
藤野「……よし、安定してる。連続運転も可能。これは……いいぞ」
私は思わず、空を仰いだ。
キース「ねえ、藤野! これ、僕がやったって言っていい?」
藤野「ああ。むしろ君の発想がなければ、これはなかった。ありがとうね」
キースは飛び跳ねるように喜んだ。
その日、私は水車と発電機の接続を終え、初めての「水力発電」に成功した。
さらには、これで蒸気タービン発電機も完成形へと近づけることができるだろう。
長かった。
実際に電気を灯すのは二度目でも、水を導くまでの工程は、まったく別の戦いだった。
石に足を取られ、泥にまみれながら、谷を歩き、勾配を測り、何度も計算し直した。
設計図では単純に見えても、現場に立てば誤差だらけで、思い通りにいかない日々が続いた。
水量、勾配、流速。
誰かに教えられたわけでもない。教科書もマニュアルもない。
ここにあるのは、経験と直感と、少しの理屈だけ。
でも、それでも水が流れ、水車が回った。動かせた。
私は水車を見つめながら、ようやく次の段階へ進める実感を噛み締めていた。
――水車の完成から数日後。
キースと一緒に村の入り口で照明と警報ベルの点検をしていたところ、行商人と鉢合わせた。
行商人「まいど、藤野さん。ご無沙汰でございやす」
藤野「あらどうも。そちらもお変わりなく?」
行商人「ぼちぼちですな。ただ、西の村で、五人ほど倒れたって話を聞きやしたねぇ」
藤野「ああ、あの山岳部にあるという村ですか。なんとも不穏な話ですね……」
キース「病気が流行ったのかな?」
行商人「詳しくは分かりやせんが、旦那たちも気を付けてくだせえな」
行商人はそう告げ、取引のために村の中へと入っていった。
藤野「何も起こらなければいいんだけどなぁ」
つぶやいたその言葉は、空気に溶けていった。
空は、夏を終えようとしていた。