第二十二話 見えない毒と見える光
鍛冶工房で鉱山トラブルの概要を聞き終え、私は酸欠が原因だと仮定し終えたところだった。
炉の熱が背中に刺さる。鉄槌のリズムがゆるみ、職人たちの視線が私に集まる。
藤野「まずは、原因が本当に“空気の問題”かどうかを確かめましょう」
鍛冶師1「そんなの、どうやって? 調べる方法はあるのか?」
藤野「はい。鉱山側の監督に、いくつか試してもらいます。記録もお願いします」
私は作業台の紙束を引き寄せ、炭筆を走らせた。簡単な表と手順の見取り図を描く。
藤野「一つ目。坑道の“火の様子”を観察する方法です。酸素が足りないなら火は弱り、炎が赤く短くなる。逆に、火が普通に燃えているのに人が頭痛や吐き気を訴えるなら、酸素不足ではない可能性が高い」
鍛冶師2「……火が普通に燃えてるのに、具合が悪くなることがあるのか?」
藤野「あります。たとえば“一酸化炭素”という見えない毒のせいです。色も匂いもほとんどない。
火は燃え続けるのに、人の身体の中だけが“息苦しく”なっていく」
鍛冶師1「そりゃ厄介だな……」
藤野「二つ目に、症状の記録。頭痛、吐き気、めまい、肌や唇が妙に紅く見える
――こうした様子が揃うほど、一酸化炭素の可能性が高い。
三つ目。炭や油の焚き方と場所を図にして、症状が出た地点と重ねる。
焚き場の近く、風下、上り勾配の先で強く出るかどうか」
鍛冶師2「なるほど、火の位置と症状の出た場所を追うわけか」
藤野「ええ。そして四つ目、坑口や竪穴の“風の向き”を焚き香で確かめてもらう。
煙がどちらへ流れるか、時間帯で変わるか。これで空気の通り道が見える。
――この四点で、酸素不足か、一酸化炭素か、見当がつきます」
私は描き上げた“確認表”を破り、鍛冶師に手渡した。見やすいように大きな字で〈火の様子〉〈症状〉〈焚き場の位置〉〈風向き〉と見出しを入れてある。
鍛冶師1「よし、信頼できる連中に持たせよう。山まで走らせりゃ、明日の夕刻には報せが戻る」
藤野「ありがとうございます。私は次の段取りを用意しておきます」
その日のうちに使者が西の山岳部へ出立し、私は鍛冶工房の片隅を借りて、対策案の下ごしらえに取りかかった。手回し発電機、簡易配線、ゴロッタ石の照明、風を送る扇風機――頭の中で必要な部材を並べ、手配可能なものから順に書き出す。
翌日の夕刻。
山へやった若い職人が息せき切って戻ってきた。埃まみれの顔には疲労と安堵が同居している。
鍛冶師1「どうだった!」
若職人「監督に言われた通りに見てきた。坑道の奥、火は普通に燃えてる。
だが、男たちは急に頭が痛いだの吐き気だの……顔色が、やけに紅く見えたやつもいた。
それと、炭を焚いた場所の上り勾配の先で症状が強い。
風は、昼は奥へ入り、夜は口へ抜けることが多かった」
私は短く息を呑んだ。炎は弱らない、症状は典型的、焚き場の上流側で強い。風向きが時間で反転……。
藤野「……一酸化炭素の可能性が高いです。火を使った照明や暖取りが、坑内で“毒”を育てている。
炎は平気で、人だけがやられる。最悪の組み合わせです」
鍛冶師2「つまり、火をやめるしかねえってことか」
藤野「少なくとも坑内では。いまは“燃やさない光”に切り替えた方がいいでしょう」
私は工房の壁に大きな紙を広げ、段取りを順に書き上げた。
藤野「対処は三本柱です。一つ目、“燃やさない照明”――ゴロッタ石を電気で光らせた投光器と懐中電灯を用意します。手回し発電機とバッテリーを組にして、坑内の灯りを置き換える」
鍛冶師1「それだと、数が要りそうだな」
藤野「だから、まず“要所”に絞ります。分岐、取り付け場、斜坑の踊り場、危険区域の手前。懐中電灯は監督と先行組に。投光器は作業班ごとに据え置きで使うことにしましょう」
鍛冶師2「ふむ……で、二つ目は?」
藤野「“風を作る”です。モーターを使った扇風機を使います。
ですが、鉱山まで扇風機や発電機を運び設置するには時間がかかるでしょう。
そこで応急策――大きな“ふいご”と、風を送るパイプ……“ダクト”を現地で作ってもらうんです」
鍛冶師2「なるほど。三つ目は?」
藤野「“燃やす場所を外へ移す”。坑内で熱を取らない、焚き物は坑外で。
どうしても火が要る作業は、換気が効く立坑の真下だけ……といったところでしょうか」
鍛冶師1「……現実的だ。やれる範囲から叩き込める」
私はさらに紙を裂いて、“作り方”の図を描いた。ふいごは鞴箱を二つ連結し、交互に押して途切れぬ風を出す。送風用のダクトは帆布を筒状に縫い、木枠で四角いパイプの形に仕上げる。
投光器は木の三脚にゴロッタ石灯を固定し、手回し発電機からの線をねじ式端子で着脱。
懐中電灯は筒型の木胴に小さなゴロッタ石を入れ、反射皿を内張りにした簡素なもの――。
投光器と懐中電灯のバッテリーもいくつか用意する。
藤野「照明機器は私の方で作りましょう。ただし、数が必要になるので手伝ってください。
それ以外のふいごや送風ダクトは現地でも作れるでしょう。
完成品やバッテリーを山へ運ぶ班を二組、交互に回す。
――これで、しばらくは“燃やさず照らし、風で薄める”ができるはずです」
鍛冶師2「よし、すぐ取り掛かる。鉄が仕入れられなくなる方が困るからな」
鍛冶師1「発電機やバッテリーなら、何度か作るのを手伝ったことがある。今回もやってやろうじゃないか」
工房がにわかに騒がしくなり、仕事場の熱は刃物ではなく電気機器の製作に移った。私は蓄電器の組み立て工程を書き込み、手回し発電機の軸を点検する。
数日後の夜。
油皿の明かりの代わりに、ゴロッタ石を弱く光らせた投光器が工房の隅を照らす。
私は図面の余白に“注意書き”を加えた。
藤野「現場では“火を消す”、これが最優先です。坑内での焚き物禁止。暖を取るなら外。――それと見張り役を置き、作業班ごとに“休息時刻”を決めること。頭痛が出たら即時撤退。無理は絶対にしない」
鍛冶師1「了解だ。監督に託す文もつけてくれ」
藤野「もう書きました。症状の見分け方、ふいごの操作法、投光器の点灯手順。――あとは、あなた方の手でやり切るだけです」
翌朝。
完成した扇風機、投光器と懐中電灯、蓄電器が荷車に積み上げられた。
村人の若者二人が先行、監督への書付と図面の束を胸に差し込む。
藤野「道中、無理はしないでください。荷は重いですが、命の荷です。よろしく頼みます」
若者「任せてくれ! 日が暮れる前に、峠の手前までは行く!」
荷車が軋みをあげて動き出す。私はその背を見送って、深く息を吐いた。
工房の奥から、手伝いに来てくれていたガラムが短く声をかける。
ガラム「お前さん、寝たのか?」
藤野「ええ、少しだけ。――でも、まだ足りない。根本的には、やっぱり“風を回し続ける仕組み”が要ります。山で水車が使えそうなら、軸を引いて羽根を回す。……けれど、山は遠い。
発電機を運ぶにも、道が悪いですし……」
私は作業台に肘をつき、地図を広げた。西の山岳部――丸一日歩き続けてようやく着く距離。
サキュバスの住むチャルノトラス遺跡の、三倍以上。人も荷も削られる遠さだ。
藤野「しばらくは、ふいごとダクト、投光器でしのぐ。様子を見ながら、現地の“風の通り”を見取り図にしてもらう。次は、それを基に扇風機の設置と竪穴の追加を検討……」
ガラム「手はある。だが、山は待っちゃくれねえ」
藤野「分かってます。だから、段取りを絶やさない。――でも、まだまだ解決は難航しそうです」
私は小さくつぶやき、炭筆の先を削り直した。紙の上に、次の線を引くために。




