第九話 妖艶の民、サキュバス
それは、村に不穏な空気が立ち込め始めてから数日後のことだった。
三人目、そして四人目の犠牲者が、村の中で倒れているのが発見された。
藤野「……またか」
私は村人たちとともに倒れた男を運びながら、唇を噛んだ。
男の顔色は土気色で、皮膚にはうっすらと冷たい汗が浮かんでいる。
脈は弱く、意識はない。だが、明らかに生きてはいた。
村人たちの間に、恐怖と疑念が広がる。
夜警「……もう嫌だ。夜番なんてやってられない。次は俺かもしれねえ」
夜警の一人がそう漏らすと、周囲の者たちも一様に頷いた。
そんな中、最初に倒れていた西門の夜警が、ようやく喋れる程度にまで回復したとの知らせが届いた。
私を含めた村人たちはすぐさま彼のもとへ向かい、事情を聞く。
村人1「……何か覚えていることは?」
夜警の男は、朦朧とした瞳のまま、ぽつりと語った。
西門夜警「……夢の中で、銀髪の女が現れて……俺を抱きしめてきて……そしたら、こうなってたんだ……」
それを聞いた老婆が、震える声で囁いた。
老婆「……やはり、サキュバスじゃ……」
確信に至るには、十分すぎる証言だった。
その夜、私は老婆の家を訪れ、詳しく話を聞いた。
藤野「サキュバスについて……その実態を教えていただけませんか?」
老婆「……サキュバスは魔族の一種。人の男の精を吸うことで生きておる。
それで得た精から、魔力を作り出すそうじゃ」
藤野「なるほど……魔力。魔力が必要だから人を襲っている、ということですか」
老婆「そうじゃ。だが、普段はもっと慎ましいはずじゃった。
少しだけ吸って、森に帰っていったものさ。
今みたいにあちこちで倒れるなんて、異常だよ。――何かが、変わったんだろうねぇ」
私は思索に沈む。必要なのは精力ではない。魔力なのだ。
ならば、魔力を別の手段で得られれば、彼女たちに人を襲わせずに済むのではないか。
藤野「……魔力を生み出す手段について、何か知りませんか?」
老婆は首を振った。
老婆「そればかりは、あたしにも分からぬ。魔術師でもないしのぉ……」
村の古老たちに尋ねても、明確な答えは得られなかった。
仕方ない。直接、聞くしかない。
藤野(でも、どうやってサキュバスと接触すればいいんだ?)
私は考え、そして一つの方法を思いついた。
――その夜、私は最低限の武器を手に、村の外周を歩いていた。
さらに、胸から板をぶら下げており、その板には大きくこう書かれている。
『サキュバスへ。敵意なし。話がしたい』
闇が支配する中、私はただひたすら村の外を歩き続けた。
普通にサキュバスに襲われる可能性もあったが、死ぬわけではない。
それに、ちょっといい夢を見れるなら、それはそれでアリかもしれない。
期待と不安と恐怖と、怖いもの見たさが渦巻く中で、そんなことを考えていた。
そして歩き続けて数時間、眠気を感じ始めた頃――
藤野「会えなかったか……今夜はもう切り上げよう」
こんな方法でサキュバスに会えるのか疑問に思いながらも、私は帰路についた。
翌日、一日の労働を終え、夕方に仮眠を取り、日が沈んで村人たちが寝静まった時間。
前回と同じ方法で、再びサキュバスとの接触を試みる。
またしても数時間歩き続けたが、手応えは無い。
藤野「今日もダメか……あと2日ぐらいやってダメだったら、別の方法を考えよう」
そう思い、村の中へ戻ろうと進路を変え――――――
――――私は、村の診療所で目を覚ました。
状況を理解するのに少し時間がかかった。日はすでに高く昇っている。
医者に話を聞いたところ、私は村の入り口付近で倒れていたのを夜警に発見され、
ここまで運び込まれたらしい。
体に異常はなく、精力を吸われた様子もない。
ただ、夢は見ていた。美しい女性が私に話しかけてくる夢だった。
夢の中の女性「今日の夜、会いに行くわ。北側の村の井戸に一人で来てね」
――あの夢の通りであれば、サキュバスに会えるはず。
体調に問題はなかったので、午後はいつも通り、仕事をこなした。
そしてその夜、私は井戸の前に立った。
胸の中は期待と緊張でいっぱいだった。
何しろ、ゲームやアニメでしか見聞きしたことのない存在に、会えるかもしれないのだから。
???「面白い人ね。サキュバスと話がしたいだなんて」
夜の静寂を破るように、空から声が聞こえた。
私が顔を上げると、月明かりの中に舞い降りる姿が見えた。
銀色の髪が夜風に揺れ、赤い瞳が暗闇に煌めいている。
背中には漆黒の翼、肌は雪のように滑らかで、衣の布地は限界まで少ない。
その姿は、明らかに“人ならざる美しさ”を備えていた。
まさしく、昨晩の夢で見た女性だった。
元の世界でも、こんな女性はそうそういない。
その美しさに、しばし見惚れてしまっていた。
そんな私を見たサキュバスが、くすりと笑いながら口を開く。
???「どうしたの? 見惚れちゃった?」
藤野「あ、ああ。失礼……こんばんは。藤野 陸と言います。害意はありません。
ただ、知りたいんです。なぜあなたたちが、村の男たちを襲うのか」
その言葉に、銀髪の女性――ローレスと名乗ったサキュバスは、ふっと微笑んだ。
ローレス「……ふふ。事情を聞きに来る人間なんて、初めて。
いいわ、少し付き合ってあげる」
彼女の語るところによれば、この周辺にはおよそ二十体のサキュバスが潜んでいるという。
彼女たちは本来、森の中にある古代遺跡を拠点としてひっそり暮らしていたが、
ある変化を境に状況が一変した。
ローレス「私たちは精力を吸収して、それを体内で魔力に変える。それが私たちの生きる糧。
でも、やりすぎて人間たちに敵対視され、討伐の対象にされた過去があるの。
だから近年では、精力の吸収はほどほどにしてたのよ」
藤野「では、なぜ今になって、こんなに……?」
ローレスの表情が陰った。
ローレス「精力から作り出した魔力は、決して多くない。だから足りない分は魔石を使ってたの」
藤野「魔石?」
ローレス「森のあちこちにある洞窟で採れる、魔力を蓄えた石よ。
でも、この数ヶ月、不作が続いていて……魔力が足りなくなった。
仕方なく、人間から直接、たくさん奪うしかなかったのよ」
その声は、鈴の音のように柔らかく、それでいて心の奥をざらつかせる艶があった。
ローレスは静かに目を伏せ、囁く。
ローレス「……こんなやり方は、本当はしたくない。でも、生きるには、仕方なかったの」
藤野「生きるため……つまり、魔力が必要だと」
ローレスは小さく頷いた。
藤野(やはり、魔石不足や魔力不足をどうにかすれば解決しそうな話だな)
分かってしまえば単純な問題だった。
だが、単純だからと言って簡単ではないし、彼女たちにとっては――単純だからこそ、致命的な問題だった。
藤野「それなら……他に魔力を得る手段はあったりします?」
ローレス「魔石と“ベーズ鋼”を擦り合わせると、魔力が発生するって聞いたことがあるわね。でも、試してみたけど、何も起こらなかったわ」
私は頭を抱えて考え込む。
魔石とベーズ鋼の摩擦で魔力が生まれる?
魔石や魔力について分からないことが多すぎてイメージが思い浮かばない。
だが、もう少し詳しく知ることができれば、解決の糸口が見つかるかもしれない。
藤野「その魔石とベーズ鋼で魔力が作れるって話、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
ローレス「私は詳しくないけど…そうねぇ…、一人、王都の魔導士と知り合いの仲間がいるわ。
彼女なら何かわかるかも」
私はローレスとまた改めて話し合うことを約束し、ローレスは去っていった。
藤野(さて、この件は村長に報告しないと…)
解決策が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
どちらにせよ、このまま何もせずに被害者だけが増え続けるというのは良くない。
家に戻った私は、うまいこと解決策が見つかることにうっすらと期待しながら眠りに堕ちた。




