第1章第3節:木漏れ日の村ソーラ
少年――後にリアンという名前だと知ることになる――に連れられて森を抜けると、視界が開け、穏やかな陽光に照らされた小さな村が現れた。
木組みの家々が立ち並び、畑が広がり、家畜の鳴き声や子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。素朴だが、活気のある村だ。驚いたのは、村を行き交う人々の姿が多様であることだった。人間が最も多いようだが、森の方面から来たのだろうか、すらりとした体躯に尖った耳を持つ者(エルフであろうか?)、あるいは、動物のような耳や尻尾を持つ者(獣人であろうか?)の姿もちらほらと見受けられる。
(ほう……多種族が共存しているのか。これは、言語状況も複雑そうだ)
私の知的好奇心は、村の風景を目にした瞬間から、再び強く刺激されていた。
リアンは私を連れて、村の中央にある少し大きな家へと向かった。家の前では、穏やかな顔立ちをした人間の老人が、杖をつきながら日向ぼっこをしていた。リアンが彼に駆け寄り、何事か説明を始めると、老人は驚いたように私を見た。おそらく、この老人が村の長なのだろう。
老人はリアンの説明を聞き終えると、ゆっくりと私に近づき、優しい声で話しかけてきた。言葉はやはり分からないが、その口調や表情からは、私を気遣う様子が伝わってくる。
私は、リアンにしたように、言葉が分からない旨をジェスチャーで伝えた。老人は深く頷き、何か思案するような表情を見せた。
試しに、地面に木の枝で簡単な文字――日本語と、念のためラテン文字も――を書いてみたが、老人にもリアンにも、全く理解できないようだった。文字体系も異なるらしい。これは、本格的にこの世界の言語学習から始めねばなるまい。
幸い、村の人々は私を邪険に扱うことなく、むしろ同情的に受け入れてくれたようだった。身振り手振りと、リアンの懸命な(推測だが)説明のおかげで、私はしばらく村で保護されることになり、村はずれにある小さな空き家を使わせてもらえることになった。質素だが、雨露をしのぐには十分な家だ。
そこからの私の言語習得は、我ながら目覚ましいものだったと思う。
百八年の人生で培った言語学の知識と経験は、伊達ではなかった。リアンや、世話を焼いてくれる村人たちの話す言葉――彼らが「大陸共通語」と呼ぶらしい言語――の音韻体系、文法構造、基本的な語彙を、私は驚異的なスピードで吸収していった。
音の最小単位(音素)を特定し、形態素を分析し、文の構造を解析する。
それは、長年慣れ親しんだ作業であり、この若い肉体と脳が、前世以上に効率よく機能しているのも心地よく感じられた。
数週間も経つ頃には、日常会話にはほとんど不自由しないレベルにまで達していた。村人たちは私の学習速度に驚いていたが、私にとっては当然のことだった。前世では常に、複数の言語を同時に学び、分析していたのだから。
言葉が通じるようになると、世界は一気に色鮮やかになった。リアンとは、他愛ない話ができる友人になった。村の人々とも、少しずつだが交流が生まれた。
しかし、同時に、新たな疑問と好奇心が次々と湧き上がってくるのを抑えられなかった。