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 パシッ。

 メアリはその手を弾いた。


「あなたの子でないにしろ、あなたにも責任の一端はあるはずです。仮にも貴族の令嬢ですよ? もちろん無責任な彼女も悪いですが。大の大人が寄ってたかって体のいい遊び相手にして、都合が悪くなったら見捨てるなんて、いくらなんでもあんまりです。バカにするにもほどがある!」

 メアリはすっくと立ち上がると大股でダイニングルームを出た。


 ロバートはメアリの拒絶に激しいショックを受けて、立ち尽くしていた。

 なぜ。なにが悪かったのだ。

 あやまったし、エミリー、もといあの娘とはもう会わない。

 突撃してきたことなら、バッカス子爵に抗議して謝罪させよう。もう二度と自分の子だなんて言わせない。かかわることも許さない。

 それでいいじゃないか。


 だいたい責任っていったって、どうとればいいのだ。何人もいる男の中で、自分だけが責任を取るのもおかしいだろう。そんなことをしたら、父親は自分だと言っているようなものだ。そんなことは断じてできない。

 だから知らぬ存ぜぬを通せばいいのだ。見返りの金なら渡しているのだから。


「それでいいよなあ? カーソン」

 呼ばれた家令は、ぜんぜんよくねえよ、と思いながら冷たく「さあ」と一言言った。




 同じベッドで寝られるわけがない。正直ちょっと触られるのも無理。できれば顔も見たくない。

 最悪。

 メアリは客間を陣取っていた。メイドたちもいかに主とはいえ、ロバートの所業にプンプンしている。

「奥様の言うことはごもっともです。だんなさまが百パーセント悪うございます」

「そうです、そうです。奥様、がつっとやっちゃいましょう」

 がつっとってなに。


 これで浮気相手が、自分よりも年上で妖艶な美女で、さらに商才があるとか、人の上に立つ才があるとか、芸術的才能があるとか、ちょっと自分かなわないかも、と思うような人だったら、あきらめもついたかもしれない。

 それがどうだ。ただ若いというだけ。それ以外に自分が負ける点がどこにある。


 そして当のエミリーがこれが不貞であると自覚していないところが引っかかるのだ。ひとつの家庭を壊して、子どもたちを不幸にする行為なのだと自覚していない。

 だから身勝手に乗り込んできた。

 それがゆるせない。

 ロバートにしてもエミリーにしても、家庭というものを軽く見すぎじゃないか?


 納得いかない。悲しいけれど、それ以上に悔しい。

 メアリは客間に籠った。何度もロバートがドアをノックしたが、会わなかった。食事も客間に運んでもらった。

 子どもたち以外、誰にも会わなかった。そしてたくさん考えた。

 なにが最善なのか、ロバートをゆるせるのか、今まで通りロバートと結婚生活を続けていけるのか、たくさんたくさん考えた。

 涙もたくさん出たし、頭もガンガンに痛くなった。


 三日目の朝、懲りずにロバートは客間のドアを叩いた。返事が帰って来ないにもかかわらず、ロバートはドアの外から語りかけてきた。


「メアリ、悪かったよ。悪ノリしすぎた。反省してるよ。こんなことは二度としない。

 あの娘にもちゃんとあやまる。生まれてくる子どもは受け入れてはやれないが、当面の生活費は渡してやろうと思う。

 彼女と関係のあった男たちで話し合って決めたんだ。全部で十人いたよ」


 ……十人。呆れた。それはもう、りっぱな娼婦じゃないの。

「全員で一万ポンドずつ出して合計十万ポンド。これだけあれば、しばらくなんとかなるだろう。見舞金という形で渡すことにした。

 それで、手を打ってもらった。ああ、交渉したのは腕のいい弁護士だよ。

 受け取った以上、父親の詮索とわたしたちの名前は一切言わないと約束してもらった。もちろん書類に署名してもらったよ。

 これで、わたしとあの娘の縁は切れた。もう会うこともない。

 ただ、彼女が未婚の母になったのは自分の責任だ。世間からはとやかく言われるだろうが、そこまではわたしたちの誰もが責任は取れない。

 そこはわかってほしい」


 メアリはドアに近寄って行った。

「どうしてあなたが父親だと言ったの? わたしを追い出すなどと」

 そう、十人の中からなぜロバートを選んだのか。疑問である。


「メアリ」

 ロバートの声が一段とドアに近づいた気がした。

「……一番やさしかったからと言っていた」

 「なに」がやさしかったんだ。

 けっきょく好きだったんじゃないの?


 でもしかたないか。だってロバートはステキだもの。たとえお客だったとしても好きになっちゃうわ。それは認める。でも、ぜったいに譲らないから。

 ロバートはわたしのだんなさまだもの。子どもたちの父親だもの。

 わたしはロバートを愛しているんだもの!


 メアリは勢いよくドアを開けた。

 バアーン!

 ドアに張り付いていたロバートは吹き飛ばされてしまった。

「あ、あら、ロバート。だいじょうぶ?」

 尻もちをついたロバートに、メアリは駆け寄った。


「う、うん。だいじょうぶだよ、これくらい。きみに無視されることにくらべたら、なんでもないさ」

 鼻を真っ赤にして、涙目でロバートは言った。

「触ってもいい?」

 メアリはこくんとうなずいた。

「メアリ」

 ロバートがそおっと抱き寄せる。

「メアリ」

 それから抱きしめた腕にぎゅうっと力が入った。


「ごめんね、メアリ。わたしが愛しているのはメアリだけだよ」

「うん、わたしも愛してるわ」


 とたとたと軽い足音がした。

「あー、仲直りしたの?」

「ママー」

 子どもたちがやって来た。

「ああ、そうだよ。ママがゆるしてくれたんだよ」


「パパ、どうして泣いてるの?」

 見ればドアがぶつかった衝撃以上に、ロバートは泣いていた。

 あらあら、しょうがないわね。


「パパは己の愚かさに絶望して泣いていたのよ」

「パパは愚か者なの?」

 三才になったばかりの長男は口が達者である。

「そうねぇ、ちょっと愚か者だったわねぇ」

「ええー、じゃあぼくも愚か者?」

 判で押したようにそっくりな親子である。

「だいじょうぶ。まだ、矯正が利くわ」

「きょーせー?」

「そう、矯正」

「きょーせーすれば愚かじゃなくなるの?」

「そうよー。間に合ってよかったわぁ」

「よかったぁ」


 うれしいやら、情けないやらでロバートの涙はしばらく止まらなかった。


 信用を取り戻すのは、並大抵ではないな。それでもロバートは、必ず信用を取り戻すと覚悟を決めた。


ポンドはイギリスの通貨ですが、ここでは実際のレートとはちがいます。

一万ポンドはおよそ百万円です。

十万ポンドで一千万円。子どもが大きくなるのには十分かと思われます。

私立の学校に入るわけじゃありませんしね。

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