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とある王国の王都にある、レクター伯爵家の夕食時。
ダイニングルームにはレクター伯爵ロバートと夫人メアリが席に着き、静かに夕餉を楽しんでいた。
一見は。
まだ幼い二人の子どもは、ナニーとともにすでに食事を済ませて、今は入浴中だ。
「今年は小麦が豊作らしい」
ロバートは上機嫌で、好物のチキンのローストにナイフを入れた。
「そうですか。それはようございました」
ロバートは気が付いていない。メアリが醸し出す剣呑な雰囲気を。
使用人たちは夕方に突如伯爵家を襲った出来事を脳裏に浮かべて、戦々恐々としている。もちろんそんな態度はおくびにも出さないが。
ダイニングはしんと静まりかえる。時折かちゃ、とナイフが皿に当たる音が聞こえる。
音を立てるなんて、いけないことだ。そうは思っても、メアリは震える手を抑えることができない。
「メアリ?」
このころには、さすがにロバートも様子がおかしいと気づいた。
「どうした。なにか気になることでもあったのか?」
使用人たちは「ああ」と頭を抱えたくなった。その聞き方は一番いけない。きっとこれから、血の雨が降る。
「ええ、ありましたとも。とっても気になることが」
チキンのローストを食べ終えたメアリは、ナイフとフォークを静かに置いた。
ああ、とうとう始まってしまう。使用人たちは耳のシャッターを下ろした。
「今日の夕方」
メアリは話し始めた。
「ご令嬢がひとり、うちにいらっしゃいましてね」
ロバートは無言のまま妻を見つめた。
「先ぶれもなく、突然いらしたのでほんとうに驚きました。全く面識のないお嬢さんでしたからね」
ロバートの顔色がいくぶん青くなった。
「しかも歩いていらしたのよ。侍女もつけずに。ひとりで。バッカス子爵家では馬車も用意できないのかしらねぇ」
「……バッカス」
ロバートがつぶやいた。
「あなた、覚えがおあり?」
「……い、いや」
「あら、おかしいわねぇ」
メアリは、頬に手を当て小首をかしげた。
「身ごもったのだそうよ。あなたの子を」
メアリは一口水を飲むと、グラスをテーブルに置いた。
「いっ、いやいや! いやいやいや! それはまちがいだ。わたしの子ではない!」
ロバートは身を乗り出した。かたんとグラスが倒れた。
いくらあわてたからって、お行儀が悪いわね。メアリは冷たい視線を夫に送った。
「愛し合っていると。彼女は言いましたが?」
「まさか! そんなわけはない。わたしと彼女はそんな関係ではないよ!」
「では、どんな関係なのです?」
「う!」
しまった。墓穴を掘った。ロバートはそう思ったが時すでに遅し。
「自分がレクター伯爵家の新しい夫人になるのだから、わたしに出て行ってほしいとおっしゃっていましたが」
「そんなわけないだろう。きみあっての伯爵家だ。きみが出ていくなんてありえない。よし! バッカス子爵家には今すぐ抗議をしよう」
ロバートはダイニングを出ていこうと立ち上がった。
「お待ちなさいな。まだお話は終わっていません。抗議は後でもいいのよ」
「いや、でも」
「だんなさま」
「はい」
「お座りください」
「はい」
敬語になった妻は怖い。主導権を握っているのは完全にメアリだ。
「まず、彼女はあなたの愛人ですか?」
「いいえちがいます。愛人ではありません」
「では愛し合っているというのは彼女のウソですか」
「はい、彼女のウソです」
まるで取り調べだな。使用人たちは思った。
いつも通りの1日だったのだ。そのときまでは。
メアリと子どもたちは、ティータイムを楽しんでいた。スコーンに紅茶。子どもたちはミルク。
「ジャムだけ舐めてはいけませんよ」
ジャムのポットにスプーンを突っ込む子どもたちに、メアリがにこやかに注意する。
そんなのほほんとした空気は突然の乱入者によってぶち壊された。
「奥様」
家令が困り顔でやって来た。
「なにかしら」
家令は少しかがんで、メアリに顔を寄せた。
「お客様、といいますか、なんといいますか」
歯切れの悪い家令にメアリも眉を寄せた。
「お客様なの? 予定はなかったわね?」
「ええ、先ぶれもなくお見えになりましたので」
「あらまあ」
メアリは眉をひそめた。
「どちらさまかしら」
「それが、バッカス子爵のお嬢さまだそうで」
バッカス子爵なら顔は知っている。それだけだ。交流なんてない。知り合いでもない子爵の、そのまたお嬢さまが何の用だろう。
用件も告げずに突撃してくるとは無礼も甚だしいが。
そこで家令はさらに声を潜めた。
「だんなさまのお子を身ごもっていると……」