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6.ウーウ、きっと来る! きっと来る!

◆◆◆◆◆


 自身の悲鳴で、沙月は夢から醒めた。

 ベッドから半身を起こすと、朝の7時すぎだった。レースのカーテンから白い光がさし込み、雀のさえずりがかしましい。パジャマは寝汗でぐっしょりだ。


 洗面所で顔を洗い、タオルで拭った。ふらつく足でリビングに入る。

 対面式キッチンのところまで行った。

 朝ご飯の支度をしていた綾女が顔をあげ、表情を曇らせた。


「今日はいちだんと顔色が悪いじゃない。また例の夢だったりして」


 綾女はフライパンで炒め物を作っていた手をとめ、菜箸を置いた。


「そ。お姉ちゃんがまた出てきたの。寝入りぱなはなんともないんだけど、大抵明け方にうなされる」


「いくら妹だからって、罪の意識を感じることないのよ。あの子が(、、、、)勝手に(、、、)死んだのがいけないの(、、、、、、、、、、)」と、沙月がキッチンテーブルの席に着いたのを見計らって、綾女は冷蔵庫から牛乳パックを出し、グラスに注いだ。それを次女の前に置き、テーブルの反対側の椅子の向きを変え、馬乗りになる。背もたれで腕組みし、沙月の顔をのぞき込んだ。「あの子も罪作りなことをしたわね。あれから四十九日の法要をすませたってのに、学校にも復帰できないなんて。精神的ダメージ与えすぎ」


「あーあ。まさかお姉ちゃんが死んでから、こんなコミュニケーションの取り方をするはめになるとは――」


「あの子、私たちの前じゃ、ちっとも口を利かなかったもんね。なに考えてるか、母親の私でさえ、さっぱりだった」


 綾女はそう言いながらスマートフォンの画面をタッチし、またぞろ自身のホームページのチェックするのに余念がない。最近、いいね!が飛躍的につき、ご満悦の様子である。


「今日にでも、充子おばあちゃんに相談してみようかと思うんだ。いくらなんでも、これはふつうじゃない」


「まったく嫌んなっちゃうね、あの陰気臭い田舎」と、綾女は軽蔑したような口ぶりで言った。「私ね、お義母さん、ちょっと苦手なのよ。夫の母だから取り繕ってるけど。あの村も、あそこの人間も、みんな嫌なの。時代錯誤で、頭が固すぎて、長居してると、こっちまでヘトヘトになっちゃう」


「お父さんが、もし定年退職して、田舎へ帰りたいって言い出したら?」


「言わずもがな。離婚に決まってるでしょ。のし紙に包んで、あの人に書類、渡してやるから」


◆◆◆◆◆


 どうやら四十九日をすんだのが、奈桜にとっての分岐点だったらしい。

 たしかに仏教の世界では、亡くなった者はあの世に行くと、初七日から七日ごとに、生前の行いについて審判をかけられ、最後の四十九日目の審判で行き先が決まるとされているのだ。

 だとしたら奈桜は、我が家へ帰ることを選んだのではないか……。




 雨のそぼ降る夜だった。

 壁時計は22時すぎを指していた。

 沙月は、ちょうど湯船に浸かっていた。

 リビングで夫婦がくつろいでいたときだった。二人きりになると、ほぼ口を利かない。

 テレビのニュース報道を耳にしながら、二人とも自身のスマホをいじっていた。


 玄関のインターホンが鳴った。

 仕方なしに兼光が立ちあがった。綾女はイヤホンをしたまま、大音量でクラッシックを聴いていたのだ。

 兼光は廊下を歩き、玄関のドア越しに、


「どなたですか?」


 と、尋ねた。

 夜の22時すぎに訪ねてくるのは、いささか不審に思わずにはいられない。物騒なご時世である。

 返事はない。

 学生が酔っ払ってピンポンダッシュか、と思った。


 ふたたび呼び鈴が鳴らされたので、兼光は身を硬くした。

 じょうを解いてドアを開けた。

 雨が静かに降っていた。

 エクステリアの白い照明を受け、ポーチに誰かが立っている。

 

 雨でずぶ濡れになり、長い髪の毛がべったりと肌に貼り付いている。

 なんと青い顔か。唇や眼のまわりは黒ずみ、一瞬パンダのメイクをしているのではないかと兼光は疑った。

 誰かの悪ふざけではないか。ハロウィンの仮装パーティーにしては時期は早いし、そもそも人さまの家を訪ねる時間帯ではない。


 それにしても鼻の曲がりそうなほどの異臭。牛肉の入っていたトレーを可燃ごみに入れ、長時間放置したときに放つ悪臭を、さらに強烈にしたような――。

 そういえば、汚れた制服に見憶えがあった。

 その俯いた横顔を、凝視するなり言葉を失った。


「まさか……。嘘だろ、奈桜? 奈桜なのか?」


◆◆◆◆◆


 風呂場の外で父が絶叫し、取り乱すような物音が聞こえた。

 ただごとではないと思った沙月は、あわてて湯船から飛び出した。

 脱衣所のかごのバスタオルを身体に巻いて、ドアのすき間から、母を呼んだ。


「いま、お父さんの叫び声、聞こえなかった? お母さん、なにがあったの?」


 呼べども返事はない。

 沙月の心配をよそに、すでに綾女は玄関に駆けつけていた。

 そしてドアの向こうの人物を見るなり、これも狂気じみた声を張りあげた。


 常軌を逸した両親の声に、沙月は異様な胸騒ぎを憶えていた。

 ひょっとして、あの夢が現実になったとしたら――。

 バスタオルで身体をくるんだまま、脱衣所を飛び出した。

 廊下を小走りに、玄関へ向かった。

 角を曲がり、そこで見た光景に、沙月は打ちのめされた。




「許してくれ、奈桜――っ! 力になれなかったお父さんが悪かった!」


 父は三和土たたきにおりてひざまずき、制服姿の足もとに頭をこすりつけていた。


「ごめんね、奈桜! 私がいけなかったの、あなたの親なのに、妹ばかりひいき(、、、)して!」


「人の親となるには未熟すぎたんだ、おれたちは。ごめんよ、奈桜っ!」


「仕事仕事って、仕事に逃げてたのよ! 肝心の子育てをおざなりにしちゃって! ごめんなさい――!」


 綾女など、こちらに尻を向けて平謝りしていた。

 声をらして泣きわめき、しまいには立ちあがり、奈桜のそばに行き、その腐った頬を撫でまわした。

 長女は見るも無残な姿に落ちぶれていた。

 青い面相は黄色いうみが滴り、髪は脂でギトギトしていた。制服には泥と落ち葉が付着し、白いワイシャツは茶色い体液で変色していた。


 沙月は母に、ひいきにされていることを言い訳に、利用されるのは心外だった。

 風呂あがりの恰好で、三人に近づいた。

 まるでグロテスクな喜劇を観ているかのようだった。


「なんで帰ってきたの、お姉ちゃん?」怒りを押し殺して言った。姉がT村の墓地から甦って、ここまでやってきたことに対する恐れよりも、火砕流が噴出するような激しい感情がこみあげてきた。「ここにはもう、居場所はないの。あなたは死んだの!」


 一気呵成にまくし立てると、恨めし気な青い顔は沙月を捉えた。

 焦点の定まらぬ眼を見開き、喉からうめき声を洩らしながら、妹と対峙する。

 それどころか、土足であがり込み、廊下をよたよたしながら歩み寄ってくるではないか。


「答えて。なんで家に帰ってきたか!」


 奈桜は今となっては声帯が機能しないらしい。しきりに指で口をさし、もう片方の拳でなにかを書く仕草をする。

 沙月はハタ(、、)と思いついた。――筆談させろというのだ。


「ちょっと待ってて! 書くもの、取ってくる」


 言い残すと、ふたたび脱衣所に走り、とるものもとりあえず、服を身につけた。

 髪を乾かす暇などない。リビングへ行き、冷蔵庫の横に貼り付けてあるマグネットつきのホワイトボードと、水性ペンを手にした。

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