4.邪気払いの銃弾
いつ来ても陰気な広場だと、沙月は思った。
左側は赤茶けた岩山の斜面で、右側は杉の木立が迫っている。墓地の奥は切り立った崖になっており、はるか向こうの峰々を眺めることができた。崖下は、落ちればひとたまりもない。
見晴らしは悪くないが、あたり一帯に土臭さと草いきれと、お盆の時期ということもあり線香の匂いが漂い、およそ長居したい場所ではない。
墓地自体はテニスコート3面分ほどの広さで、30基前後の墓石が建ち並んでいた。
なかには家が絶えたのか、古びた墓石が傾き、花立になにも活けられていないものもある。
ここ最近、誰かが亡くなって埋葬されたのか、ピッチャーのマウンドのように、こんもりとした土饅頭が2つばかりあった。そこには卒塔婆が建ち、花束が供えられていた。
武蔵では千年以上土葬が続いてきただけに、墓石と墓石の間は、かなりゆとりが持たされている。
休憩のあと、僧侶が寝棺の顔付近にある上蓋の小窓を開けた。
故人に向かって引導を渡すべく、九字の真言を切る。
そのあとお鈴を鳴らしながら読経しはじめた。
経を唱えながらも、奈桜の遺族と会葬者たちに手をさし出した。肉体との最後の別れだ。
順ぐりにご遺体の安らかな顔を見ながら焼香し、合掌した。
その後、僧侶は担ぎ手たちに合図した。
いよいよ穴に寝棺をおろすわけである。
寝棺の下にくぐらせた4本の両側を、それぞれ男たちが手にし、墓穴へ移動させた。
ゆっくりロープを下へと繰らせると、棺は徐々に降下しはじめた。
底に着くまでに、時間はかからなかった。一度たりともバランスを崩すことさえもなかった。
墓穴におさめると、あとは土をかぶせ、埋め戻すだけだと、沙月は考えていた。
ところが、武蔵地区のそれは、ひと味ちがった――。
沙月は仰天した。
物騒なものを抱えた男が、前に進み出たからだ。
さっきまで寝棺を担いでいた一人、60前後の厳つい顔の男である。
どうりで細長いケースを肩にさげたまま、参加していたのだ。あれはバイオリンの容れ物ではなかったのだ。
白い無精ひげをはやした男は、そのライフル銃の上についたレバーをスライドさせ、薬室に銃弾を送り込んだ。
銃床を頬付けし、かまえた。銃口を斜め下に傾ける。
「え?」
「どういうこと?」
「うちの奈桜に、なにするつもり」
神応寺家の誰もが、思わず声を洩らした。
参列者は、なんの抗議もしない。
東京から来た家族だけが、その異様な光景に釘付けになった。
眼つきの鋭い男は、やおら墓穴めがけ、ためらいもせず撃ち込んだ。
耳を弄さんばかりの轟音が響き、崖の向こうの山々まで木霊となって広がったほどだ。
神応寺家だけが耳をふさいだまま、眼をしばたたいた。
ライフル銃を手にした男は、レバーを引いて排莢させると、その空薬莢を拾って喪服のポケットにおさめた。
「じゃあな!」
男は言い、ライフルのスリングを肩にかけた。
不敵な笑みを残して、すたすたと去っていく。お役御免らしい。
「今の人は?」と、沙月はそばの充子に聞いた。祖母は驚いたそぶりは見せていない。数珠を手に、合掌のポーズを作ったままだ。「なんでお姉ちゃんの棺に撃ったわけ?」
「工藤さんは武蔵の人とちがうんやけどね。隣の集落に住む現役猟師さん。銃を撃ったんは、邪気を払うとか魔除けの意味があるとか。そやけど、ほら見てみ。弾は穴の壁に当たっただけや」
と、充子は言ってから指さした。
たしかに寝棺には傷はついていない。墓穴の壁は大きく抉れていた。万一棺めがけてやったら、なんらかの罪に問われるだろう。
「は――。邪気払いとか、ありえない」
沙月は呆気にとられて身体を硬くしていた。
「こんな埋葬の作法はめずらしいんです。武蔵ではなかった習慣でしてな」と、大西老人は補足した。「T村のよその地区では猟銃を撃ったそうです。そやけど実弾を撃つちゅうのも、えらい昔の話やったらしいんです。今回、あの人は奈桜さんの埋葬する件を聞きつけ、特別に撃っちゃろうとなったそうです。彼に、どんな意図があったのかまでは知りませんが……」
その一場面が強烈すぎて、沙月にとってはのちの記憶は曖昧である。
老人10人ばかりがスコップやら鍬、ジョレンを手にし、盛り土を墓穴に落としていったところまでは憶えている。
人海戦術で、手際よく棺に土がかけられ、あっという間に見えなくなった。
あれよという間に縦穴は埋め尽くされたうえ踏み固められ、鏡餅なみに盛られた。土饅頭の完成である。
どうせ日を追うごとに土中のご遺体は朽ち、土の重みで白木の棺までつぶれてしまう。となると、そのすき間にまで土砂が入り込み、覆ってあった土が窪むから、大目に盛っておくのだという。
墓石を据えるのは、一周忌をすぎてからでかまわない。墓石を置いてしまえば、重みで大きく陥没してしまうからだ。
したがってその間、角材状の墓標を目印として建てておく。
いざ、墓穴が埋められてしまうと、遺族たちは白けた空気に包まれた。
人生はあっけないものだ。――沙月は立ち尽くしたまま思った。
今まで多少なりとも気が張っていたせいもあるが、奈桜が葬られると、むなしい風が胸のあたりを吹き抜けた。
本来ならば、これが姉との永遠の別れになるはずだった。
お供え物や手作りの野道具やら葬具は、そのまま土饅頭の前に供えられた。
僧侶をはじめ、参列者のほとんどは手ぶらで墓地をあとにした。
先ほど充子が言ったように、野辺送りは墓場への行きの道と、帰りの道は異なるルートをたどった。
歩いてきた山道とは別に、赤茶けた岩山の真下に、その細道はあった。
辛うじて軽トラ一台分が通れるほどの道幅である。
武蔵出身の会葬者たちは、それが当たり前のように、誰もが別の道に足を向けた。
行きとはちがい、葬列を組む必要はないらしく、三々五々帰っていく。埋葬し終えたら、解散、といった趣であった。
神応寺家の4人もそれに習った。
◆◆◆◆◆
ところがである。
参列者に先に行かせ、一家はくだらない雑談をしながら山道を歩いていた。まるで打ち上げ花火を見終わった後の散歩のような調子である。
武蔵地区の村はずれまであと100メートルばかりにさしかかったとき、前方のカーブから喪服姿の老人たちがこちらへ引き返してきたのだった。
眉毛の太いあの僧侶の姿もあった。誰もが困ったような顔つきをしている。
「どうしたんだい。戻ってきたりして」
充子は、担ぎ手をしてくれた老人たちに近づいてみた。
「一昨日は、こんなはずじゃなかったんだが」と、白髪頭の男がタオルで首の裏を拭いながら言った。「崖崩れや。岩山が崩れてしもうて、こんなでっかい岩が転がっとるし、落ちてきた衝撃やろう。道まで抉れとる。こっちを通るのは無理や」
「迂回できそうもないんですか?」
と、兼光。
「乗り越えられんこともないけど、せっかくの一張羅を汚したる。それに不安定やし、また土砂が崩れる危険もあるな」
「困ったね」と、充子は心配そうに頬に手をそえた。「どんな具合か、私らも確かめさせて」
「すぐそこや」




