3.死者の甦りを恐れる
アスファルトの路面が途切れたところにさしかかると、今度は車の轍ができた未舗装道路に入っていく。
左右は杉の木立だ。鳥の声すら遠慮していた。セミだけが鳴いていた。
これより700メートル先に、武蔵の墓地があるのだ。
ふと沙月は、山道の左脇に、別の小道が平行して伸びているのに気づいた。
「こっちの道は墓地に続いているのはわかるとして、あの細い道はどこへつながってるの、おばあちゃん?」
うしろをふり返り、充子に聞いた。
眼を伏せて歩いていた祖母は、その素朴な質問に、木立の向こうを指さした。
「あの道も墓地まで続いてるんよ。行きはこっちの道を通って、あっちの道を手ぶらで帰ってくるんやで」
「なんで別々のルートを?」
「この風習については、今でも火葬場へ行くのに守っとるとこもあるんとちゃうか? ご遺体を運ぶとき、行きと帰りは別々にするもんなんや。亡くなった人の魂を迷わして、こちらの世界に戻ってこさせやんようにするためやとか、昔の人は言うたんや」
「ふーん。玄関で茶碗を割るのといい、庭で棺桶をグルグル回すのといい、お葬式って、やたらと死んだ人が帰ってこないよう、気を配ってるんだね」
「せや。そんだけ昔の人は、亡くなった人が現世へ帰ってくるのを恐れたんやね」
「こっちへね」
「沙月、しっかり前向いて歩かな。この野辺送りの最中かて、うしろをふり返ったらあかんって、仕来りがあるほどやで」
「ふり返ると、どうなるの?」
「死者の魂は、列のあとをついてきてるらしいから、戻ってくるチャンスを狙うてるのかもよ」
「馬鹿馬鹿し」
沙月は姉の遺影を抱いたまま、葬列の最後尾を見た。
ようやく木立のあいだを入ってきた武蔵地区の老人衆が、えっちらおっちらついてくるだけで、奈桜の姿などあろうはずもない。
今度は、ちゃんと前を見て歩いた。
僧侶のお鈴の音がくり返される。朗々たる声で、般若心経を唱えている。
平坦な山道は針葉樹の枝葉が太陽をさえぎり、日陰になっていた。ここは安全地帯だ。涼やかな風が吹いてくる。
前を歩く兼光との差が開いてしまったのが、気にもしなかった。
「生物的にも、物理的にも、死んだ人が甦るわけがないのに。昔の日本人って、ずいぶん怖がりだったんだね」
「これ――沙月、滅多なことを言うもんやない。お姉ちゃんの葬儀の途中なんやで。しっかり送ってやらな」
充子は片手で唇にチャックするような仕草をした。それきり口を閉じた。
沙月は早歩きで進み、父の背中に近づいた。
右手の薄暗い林を見ながら、沙月は、
「お姉ちゃん、なんで死んじゃったのかなあ……」
聞こえよがしに言った。
すぐに父はふり返り、チタンフレームの眼鏡を正しつつ、
「謎だよなー。書置きにも、これといって理由も書いていなかったしな。なにがあったのやら」
と、飄々と言った。まるで他人事みたいである。
「担任の先生の話だと、別にいじめられていたわけでもなかったんでしょ?」
「あの子が亡くなったあと、クラスのみんなから聞き取り調査を行ってくれたみたいなんだ。その形跡はゼロなんだってさ。おれだったら、いじめを受けてたら、加害者の名前を書いてやったろう。それも残されていなかったからな。今となってはお手上げだ」
「そうだったとしても、お姉ちゃんの性格なら、相手の名前なんか書かなかったと思う」
「綾女に似ず、人格者だったからな、奈桜は。つくづく、もったいないことをした」と、兼光は肩をすくめて、「しかし、なんでまた、おれの実家で土に埋めて欲しいって思ったんだろ。こんな寂れたとこに埋められるなんて、おれなら願い下げだけど」
兼光の言い分は一般的感覚であろうか。
2001年、市民グループによって、葬送の選択肢のひとつとして、土葬を推進する『土葬の会』が発足されている。本部を山梨県南巨摩郡富士川町に置いた活動団体で、ごく稀にだが生前のうちに自身の埋葬を土葬に希望する人もいるのだ。
総じて土葬の希望者は、奈桜と同じく、大地に抱かれ、ゆっくりと自然に還りたいと願う人たちが多いという。逆に、「いくら死後でも、火葬炉で焼かれるのは熱そうで嫌」と恐れる人もいる。
したがってレアケースではあるが、土葬を願う人がいたとしても不思議ではないのだ。
山道は平坦だが、時折緩やかなカーブを描くようになった。
右手は崖になっている。人の背丈よりも低い下で小川が流れていた。せせらぎが聞こえる。
いくつもの蛇行が続いた。小さいカーブの向こうに前後の葬列が消えるたび、沙月は不穏な気持ちを抱くようになった。
もしや、次のカーブを曲がった拍子に、背後の祖母たちの姿が忽然と消えてしまったとしたら――。
らしくないと思った。
沙月はもとより現実主義で、この世は眼に見えるものだけで構成されていると思っている。
こんな迷信じみた葬送儀礼は時代遅れもいいところだ、と胸の中では冷笑していた。
今回ばかりは、祖父と先祖の墓参りに行くのとは、事情がちがった。
これから姉を埋葬するのだ。厳粛な気持ちにならないはずがない。
野辺送りは思いのほか長く感じられた。山に分け入ってから、時間の概念が麻痺しているように思えた。
はぐれないよう、父にぴったり従いながら歩くうちに、ようやく向こうに、開けた空間が見えてきた。
そこが共同墓地だった。
◆◆◆◆◆
「なにぶんT村は山が険しゅうて、傾斜地ばっかりでしてな。特に昔の樽型の座棺の場合ですと縦に長いだけに、2メートル以上深く掘らなきゃならんかったのです。ですが、言うは易く行うは難し。下に掘り進めるほど地層は硬うて、穴掘りは、そりゃあ骨が折れました」
共同墓地で待機していた土葬名人と称される大西老人が、葬列が全員着くなりレクチャーしてくれた。
今年84歳だという。むろん武蔵地区の出身だ。
墓穴掘りは地質条件の厳しさから、前日に行われるそうだ。埋葬当日に掘ろうとすれば、さまざまなトラブルに遭い、葬儀そのものを滞らせることになりかねないという。
すでに神応寺家の先祖代々の墓石は脇へどけられ、寝棺のおさまるサイズの墓穴が掘られていた。深さは2メートル前後に達するだろう。
「埋葬する日の前日、正午すぎから穴掘りしたのに、岩盤にぶつかり、難儀したことは数知れません。ですから、電動掘削機を使て、岩を砕いたこともしょっちゅうでした。とにかく土葬が廃れ、火葬に変わるのも無理もありません。こんな手間かけんでもすむんやったら、私らも助かるんですが」
穴掘りの達人、大西老人にして、この埋葬の仕方に苦労しているようだった。ましてやふだんの仕事をしながら片手間でこなすには、あまりにも重労働にちがいない。
8人の担ぎ手たちは棺を墓穴のそばまで運び、りん木の上に置いた。直置きしてしまったら、ふたたび抱えることが難しくなるからだ。
棺の真下に4本のロープをくぐらせて準備した。
担ぎ手たちは、その場にうずくまる者や、タオルで汗を拭ったり、ペットボトルをもらって、喉を潤したりしている。
一同は小休止することにした。野辺送りは彼らの負担は大きい。