2.大人になりきれていない大人
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翌15日、昼間のうちに地元の僧侶に枕経をいただいた。
その日の夕方に通夜を営んだ。
家族葬だと固辞しているにもかかわらず、充子と親しいご近所たちが集まり、喪服姿の家族に頭をたれ、焼香をしてくれた。
明けて16日水曜日、僧侶を自宅に招き、10時から葬儀式を行った。8畳の仏間で祭壇を組み、寝棺を据えてあった。
式の最中、ちょっとした騒動が起きた。
兼光と綾女の態度に、充子の堪忍袋の緒が切れたのである。
兼光は喪主なのに、僧侶が読経しているあいだ、あまりの退屈さからスマートフォンをいじっていたのだ。妻まで同じことをやっていたから開いた口がふさがらない。
仕事のことで急を要する連絡ならいざ知らず、通常は電源を切るか、マナーモードにするのが社会人としてのマナーであろう。
充子が問いただすと、他愛もないSNSの書き込みと、レスをチェックしていたにすぎなかった。
綾女など、自身が運営している料理レシピサイトを見ていたらしく、コメントの返信をしていただけだった。
ふだん温厚な充子でも、さすがに声を荒らげて叱責した。
実はこの二人――前日にも充子に、きつく注意されていた。
というのも、早朝、納棺師に来てもらい、奈桜の死化粧を施していただいた。毒物による不慮の死だったので、特有の顔色の悪さは見るに堪えなかったのだ。
納棺師の技巧に、一家は手を叩いて喜んだ。奈桜の顔は、生気を取り戻したかのように見ちがえるようであった。
棺におさめた長女を、兼光と綾女は、せっかく最後の記念だからと、スマホのカメラで撮影しはじめたのだ。
いくら我が子とはいえ、ご遺体を写真におさめるのは、いささか不謹慎すぎる。
しだいに嬉々とした撮影会になったから、祖母が怒るのも無理はない……。
「奈桜、大人びたメイクしてもらって。よかったな!」
と、兼光は歯を見せて、パシャリ。
「このままいけば、きっとみんなが羨む美人になれたのに――私に似て」
綾女は哀れみながら、パシャリ。
「さすが、元ミス・インターナショナル世界大会に選ばれたママだけあるな!」
ふたたびパシャリ。
「勉強だって、できたのにもったいない……。なんで、こんなふうになっちゃったんだろ。わからないものね、人生って」
綾女は棺に手を入れ、長女の髪を撫でてやりながら片手でパシャリ。
と、シャッター音を響かせて撮影するのだが、そこには悲嘆に暮れる親の姿はなく、まるで成人式でのひとコマのようなノリなのである。
「ええ加減にせんか! あんたたちに落ち度があったから、この子を死なせたんとちゃうんか!」
見かねて、充子の口からきつい言葉が突いて出た。
ようやく二人は我に返った。
ともに42歳の夫婦は、項垂れ、謝った。
スマホのデータを削除し出した。いくらなんでも、たった18で逝った娘のこのような姿を記録して、なんの慰めになるというのか。
――にもかかわらずである。
通夜での騒動は、弔問に訪れていたご近所にも目撃され、神応寺家は恥をかいたのだった。
年かさの僧侶は喪主らをふり返り、片方の太い眉を吊りあげ、咳払いしたあと、読経を続けた。
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そんなひと幕もあったが、告別式はきっかり1時間で終わり、いよいよ出棺となった。
喪主である兼光をはじめ、集落の老人たちが担ぐことになった。
寝棺の両側に4人がつき、計8人で持ちあげ、屋敷の縁側から外に運び出した。
棺が出されると、老女が畳の上を箒で掃くような仕草をした。
庭に出てから、兼光は担ぎ手を代わった。喪主は位牌を手にして、葬列の前を歩かねばならないからだ。
家の前には、車4台ばかりが停められるスペースがある。
敷地を、担ぎ手たちは、時計まわりに三周まわった。これは故人の方向感覚を狂わせることで霊魂を迷わせ、現世に帰ってこられないようにするための儀礼だとされている。
共同墓地までは、武蔵地区から約1キロの道のりだった。一家は年末年始に訪れるたび、墓参りに足を運んでいたので歩き慣れていた。
ただし、沙月にとっては葬列の参加は初めての体験。祖父は沙月が生まれる前に病死し、すでに土中の人となって久しい。
その日は雲ひとつない晴天だった。
ただし茹だるように暑く、目的地に着くまではたらふく汗を流すことが予想された。
いかんせん、担ぎ手の足りない人口過疎地である。
寝棺を担ぐのは老人ばかりだった。ふだんは年金暮らしか、農業か林業、建設業を営んでいる人たちだと口々に自己紹介した。
そのなかで、いちばん若いと思われる60前後の男が印象的だった。唯一、何者であるか名乗らなかった。――身体つきも大きく、白い無精ひげをはやした厳つい風貌で、目つきが険しい。
一人だけ、肩に細長いケースをさげたまま棺を担いでいるのだ。さぞかし邪魔になるだろう。が、男は気にしているふうもない。
沙月は、男の肩にかけたケースを見つめた。
バイオリンケースにしては細すぎる。さらに長いものを収納しているようだ。
やがて、誰かが合図するまでもなく、野辺送りがはじまった。
武蔵地区の道幅の狭い田舎道を、山に向けて練り歩く。
家屋は少ない。両側の田んぼには稲穂が垂れさがる時期だった。
あぜ道はきれいに刈られている一方、高齢化が進んだせいか、荒れた畑も少なくない。
山深いT村でも、とりわけ武蔵地区は小高い山に囲まれ、隔離されたような細長い集落だった。
集落を出入りできる道はひとつしかないため、土地勘のない旅行者なら、まさかこんな一方通行の先に家々があるとは思わないだろう。
神応寺家らのすぐ間近に、針葉樹の密集した山影が視界いっぱいに広がっていた。
セミの声が、あたり一帯から降ってきた。
葬列の先頭は武蔵の区長がつとめた。
昼間だというのに松明を赤々と燃やして歩く。これは弔いの聖火だという。道を清める意味でもあると、70代の区長は神応寺家に教えてくれた。
そのあとを兼光が位牌を持ち、下を向いたまま続く。
沙月は遺影を持たされた。両親は喪服姿だったが、沙月は学校の制服をつけていた。
充子は黒の和装姿で、杖と草履を持つ役だった。これは死者が旅立つために身に着ける品だという。
箸を一本立てた飯碗は綾女が受け持った。複雑な顔つきをしている。根っからの都会育ちからすれば、ナンセンスに感じずにはいられまい。
僧侶はその次に続いた。お鈴を鳴らしながら歩く。
『諸行無常』と書かれた白い四本幡の幟は、古老の2人が掲げていた。
そのうしろに、8人の担ぎ手たちが寝棺を抱え、ゆっくり歩く。いずれも喪服の上に白い半纏をつけている。昔は白装束で葬儀に臨んだのだ。白い半纏はその名残りらしい。担ぎ手たちは、どうしても歩幅が小さくなりがちである。
暑さからだけではない。万が一が躓いて棺を落としてしまう失態は許されないのだ。すでにどの面々も大量の汗を滴らせていた。
あとは提灯を手にした者、篠竹にロウソクを立てた者など、用途のわからない野道具や、竹や紙で作った葬具を手にしている老人老女が5人。――家族葬とはいえ、棺を土中に埋めるには、どうしても人手を要するのだ。
米や紙吹雪、小銭を撒く役割の古老までいた。
「ホ――――イ、ホイ! ホ――――イ、ホイ!」
と、かけ声をあげて花籠を揺すると、中から硬貨がバラ撒かれた。
路肩で待機していた3人の子どもがしゃがみ、手を伸ばす。
10円玉が多く、100円も混じっていた。なかには500円硬貨を見つけたと、男児が嬉しそうにはしゃいでいた。
お盆だから里帰りした家族だろう。かたわらには若い両親らしき男女がいて、笑顔で見守っている。
炎天下のなか、葬列はのんびりと進んだ。
寝棺の担ぎ手たちが遅れないよう、歩調を遅くする必要があったのだ。
やがて、武蔵地区のはずれまで来ると、野辺送りを見学する近所の人たちも見えなくなった。
僧侶が鳴らすお鈴に耳を傾けながら、誰もが口をつぐみ、歩く。そのころには花籠の硬貨も切れていた。子どもも追ってこない。