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1.奈桜の茶碗を割る

 かすかにかび臭い仏間だった。

 仏壇は扉を閉じているのはいいとして、天井付近にある神棚には、白い半紙で目隠しされているのはどんな意味があるのか。


 神応寺かみおうじ 沙月さつきは素朴な疑問を抱いては、せかせかと忙しく動きまわっている祖母に質問をぶつける。

 8畳間に線香の匂いが、これでもかというほど立ち込め、室内は燻製室もかくやとばかりに煙っていた。


 こんな部屋に沙月の姉、奈桜なおが布団に寝かされていた。

 掛布団の上には、さやにおさめられた短刀のようなものが置かれている。『短刀のようなもの』ではなく、明らかにそのものにしか見えない。もっとも、本身ほんみは入っていないらしいが……。


「これって、なんのために小刀を置いてあるの? なんか意味でもあるわけ、おばあちゃん?」


 姉の枕元で沙月は正座していた。枕飯まくらめしを供えたばかりの祖母、充子みつこに向かって言った。

 姉は安らかな寝顔だ。すでに都内の病院でエンゼルケアをすませ、死に装束ではなく学校の制服をつけさせていた。肩を揺すれば今にも眼を醒ましそうなほど、死の実感が伴わない。

 まだ18歳の若さなのに……。


「人は亡くなるとね、魂が抜け出して、身体からだが空っぽになってしまうんや。その容れ物に、別のなんかが入り込んで悪さするのを防ぐため、こうやって小刀で守ってるんやで。これを守り刀(、、、)っちゅうてね」


「タメになるぅ」


「もっとも」と、充子はため息まじりに言い、沙月がいつまでも姉の死に顔を見ているのをやめさせるために、白布を顔にかぶせてやった。「昔はどこでも当たり前にやってた作法も、時代とともにのう(、、)なりつつあるけどな」


「ふーん」


「ところであんた、東京の自宅からここへ来る前、言い付けどおり、玄関でお茶碗、ちゃんと割ったやろね? 奈桜が生前使()こてた茶碗やで」


「ご心配なく。ちゃんと言われたとおり、こなしてきました」と、沙月は言ってから、眼をまるくした。「……あれって、なんの意味があったの? ひょっとして、なんかのまじない?」


「あれはね、この子に、『ちゃんと成仏してくださいね。あんたが使こてた茶碗はのうなりましたから、帰ってきたらあかんよ』ってこと。亡くなった霊魂に対する意思表示ってわけや」


「なるほど。しかし、なぜに茶碗」


◆◆◆◆◆


 奇しくもお盆がはじまった8月13日、日曜の夕方だった。

 多摩市の自宅で、神応寺 奈桜は不慮の死を遂げたのだった。

 沙月は高校1年の夏休みを、のんびり満喫するどころではなくなった。


 遺された家族が混乱しているのをよそに、奈桜の机の引き出しから書置きが見つかった。

 そこには自身の亡骸なきがらを、都内で火葬して墓地に埋葬するのではなく、近畿地方の父の故郷で土葬にしてくれないか、とだけ記されていた。つまり、祖母の充子が暮らしている田舎である。

 なおさら事態は、ややこしくなった。


 彼女は年末年始、実家へ帰省するたび、静かで風光明媚な場所を気に入っていたようだ。――N県T村のなかの集落のひとつ、武蔵むさし地区である。

 いつか死んだとき、東京で荼毘だびされるのではなく、この山深い懐に抱かれ、いずれは土に還りたいとひそかに思っていたのだ、と付け加えていた。


 土葬――。

 現在の日本における埋葬法は、火葬率が99.9%となり、世界1位である。

 火葬以外の遺体の処遇は、近年、海への散骨や樹木葬が増え出しているとはいえ、土葬については皆無に近くなっているのが現状である。


 意外と法律で禁止されているのではないかと思い込んでいる一般人は多いが、現行法では土葬は実施可能である。

 むろん、東京や大阪、名古屋市、長崎市などの自治体の条例や、寺院・霊園によっては、限定的に土葬禁止区域が指定されている場合もある。


 他にも火葬が義務付けられているのは、旧伝染病予防法によるものか、もしくは法律で定められた感染症で亡くなった遺体も含まれる。

 都市部では公衆衛生の問題と、狭い国土事情もあって、土葬の実現が難しいだけであって、墓地埋葬法は土葬そのものを禁じているわけではないのだ。

 まさに充子の住む山深い小集落ならうってつけだった。T村武蔵地区では、古来より土葬が続けられてきた地域だった。




 生前の奈桜の勉強や生活態度は、優秀すぎるほどだった。

 両親たちの学生時代は、ごく平凡な成績だっただけに、この長女が子どものころ、テストの答案用紙を持ち帰るたび、褒めそやしたものだ。


 ただし、思春期を迎えてからは、大人しすぎるほどの性格になってしまった。不登校になったわけではない。二枚貝のように殻に閉じこもってしまったのだ。

 食事も家族といっしょにとらなくなった。いつしか神応寺家の中では、浮いた存在になっていた。

 2つ違いの沙月をはじめ、一度たりとも両親に意見したり、逆らったりしたことのない少女だった。

 せめて最期の願いくらい叶えてやろうということになったのも、自然の成り行きだった。


 T村の充子には、その日のうちに連絡した。

 孫を失った祖母の落胆ぶりといったらなかった。

 実家の共同墓地に土葬したい旨を伝え、了解を得た。

 それならば、奈桜の遺体を自宅から運び出すとき、彼女が生前使っていた茶碗を玄関先で割るように指示されたのだった。


 悲しみに暮れているゆとりすらなかった。

 通夜・葬儀を、そのT村で執り行うからには、片付けなくてはならない手続きが山積していた。

 遠い実家で葬儀を行うのであれば、奈桜の同級生が参列しかねるのではないか、と沙月は口を挟んだ。


 父、兼光かねみつはこう説得した。

 ――どうせ家族葬にして送り出すのだ。実家での式を終えて都内に帰ってきたら、そのときに自宅に来ていただき、仏壇にお参りしてもらえばいい。

 それで沙月も納得した。




 14日の午後、霊柩車に奈桜のひつぎを載せ、助手席には母、綾女あやめが座った。

 後続に、兼光の運転する自家用車に沙月が乗り、2台に分けて走ることになった。

 出棺時、充子に言われたとおり、玄関の外で、沙月は奈桜の茶碗を割ったのだった。綾女は露骨に顔をしかめた。


 東名高速をひた走り、その後、伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道を乗り継ぎ、亀山インターチェンジから一般道を走り、天理インターチェンジでおりた。

 さらに山間部へ分け入っていること2時間。

 充子の待つ実家に着いたのは、21時にさしかかる時間帯だった。

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