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「ざまぁ」や「俺Tuee」所謂なろう系に見るサブカルの老い

作者: 古城ろっくん(チャリカス

 まず、「ざまぁ」や「俺Tuee」といったなろう系が読まれる、好まれる理由はなんぞ?

と言われればそれらが現実の私達のエゴのデフォルメだからだと思うんよね。


 現実の私達の持つ欲求、他人にチヤホヤされたいとか周りの人間を見返したいとか、それらが「ざまぁ」や「俺Tuee」で疑似的に満たすことが出来る。これがなろう系が好まれる理由やね多分。

同じことがアニメゲームラノベといったヲタクコンテンツにも言えると思う。


 これらのなろう系やアニメゲームラノベのコンテンツが幼稚だとか子供騙しだとかいう指摘は全く正しくて、大の大人が正面から向き合うモノではないと思うんよ。

人生経験の乏しい子供がコンテンツを通して成功や失敗などの疑似体験をするといった形が本来の形じゃないかな?

親しい人間との別れを経験したことのない子供が登場人物の死を通して別れを疑似体験する。または強大な敵を倒すことで何かを成し遂げる達成感を疑似体験する、自転車の補助輪みたいな感じでさ。


 最初に言ったように飽くまでもコンテンツから得られる体験は現実のデフォルメなんよね。アニメの登場人物の悲劇的な死より現実の親しい人間を死の方が悲しいし、ゲームのラスボスを倒して世界を救う達成感より現実のちょっとした成功の方が達成感がある。

説明するまでもなく創作上得られる体験の雛形は現実にありそれらはデフォルメに過ぎないからやね。

人生経験を積んで成功も失敗も出会いも別れも現実である程度経験してきた又は子供に比べて容易に経験することが出来る大人が真正面から向き合うコンテンツ或いはその視聴に耐えうるコンテンツでないんよ。




 じゃあ何故なろう読者の年齢層はある程度高いと言われているのにデフォルメに過ぎないなろう系が持て囃されるのか?というと、なろう系やヲタクコンテンツに依存して又は一体化している大人が一定数以上いるからやね。

人間って自分の内側に自信がなくなると外側に寄る辺を求める生き物なんよ。これは誰だって変わらない。

若い内は自分の内なる可能性やら云々でなんとか踏みとどまれるかもしれないけど、歳を取れば身体能力や知能や容色は劣化していくんよ。だからその代わりを外側に求めてしまうんよね。

ヲタクコンテンツのような娯楽であったり、国家や思想信条であったり宗教だったりお金とか家族とか社会的な地位とか人によって求めるものの形や性質に違いこそあれね。



 タイトルにあるサブカルの老いはこうした依存や一体化が進むことによって起きてしまうんよ。

老いた人間の求めにサブカル側が答える形で歪んでいって辿り着くのは金太郎飴のように陳列される中年のエゴってな感じやね。

その先はないんよね、自分の内側を見切って外の娯楽に依存や一体化を望んでいるんだから新しいものなんて生まれたりはしない、新しいものを生み出したり受け入れるに肝心な自分の内側がないんだもんね。



 よくランキングに文句があるなら☆を付けろとか言うけどさ、逆だと思うんよね。

大人は☆を付けるべきじゃないというか、なろう系のようなコンテンツから距離を取ることが大事なのだと思う。依存や一体化を避ける為にもね。

☆を付けるのだとしたら現実のデフォルメだけに終わらないギミックだったりの+αに対してとかかな。

なろう系が評価に値しないとか面白くないってわけじゃないんよ、読めば面白いんだろうし☆を付けたくなることもある。

ただその面白さは飽くまでも現実の私達のエゴに根差した面白さでその作品そのものが放つ面白さではないと考えるし、

評価すべき人間はある程度歳を重ねた私達ではなく、10代とかもっと若い読者層なんだろうと考えてるんよ。

それが私達となろう系の適正距離じゃないかなぁ。



 少子高齢化の進む日本では上で語ったサブカルの老いみたいなことがあらゆる分野で起きると考えてるよ。

そして依存や一体化は対象のコンテンツを老いさせる歪めさせるだけでなく関わる人間の認知も歪めてしまうんよ。

例を挙げるとしたら、今流行ってるフェミやLGBTやリベラル叩きをヲタクコンテンツに関わってる人間が行うのは認知の歪みに見えるんよ。

ヲタクコンテンツって昔は今のような市民権がなかったんよね。それがクリエイターの努力や技術の発展だとから現在の位置にまで伸し上がった。

コンテンツ自体が権利を持たなかった立場から権利を認められた立場に移行した経緯を持つのに、何故女性やLGBTが権利を主張することを嫌うのか?ってね。

それはヲタク達がヲタクコンテンツと一体化することによって現在の市民権が当然のものだと錯覚して、市民権を得た経緯やリベラルLGBTフェミを否定する立場から見たらヲタク達自身が排斥対象になり得る(独身中高年なら尚更)

といったことが認知できてないからだと思うんよね。




 こういった事がサブカルだけに留まらずに色んな所で色んな人にこれから起きていく多分。

自分の外側に依存する一体化するってのは老いていく人間である以上は避けきれないことなんや。

言い方を変えると自分の外側のモノに依存して認知が歪むのは自身の判断を外に明け渡している哲学的なゾンビとなる事と同じかもしれんね。

それならば、私達の主が私達自身であり続ける為にも自分が所属するもの信じるもの好むものから出来る限り距離を取るように努力しなきゃならないってね。

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[一言] いいね、その結論。 お金は好きか? 好きなら捨てる気分で俺にくれ!
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