森の不審者
前回のあらすじ
この世界には神様の目、と呼ばれた精霊がいたらしいよー。
その中のある精霊によって、世界には魔物や魔族が現れたんだってー。
お母さんことカサンドラは何故か、自身の子供を森に置いてきぼりにしちゃったー。
閉じた瞼の向こうから、うっすらと感じる春特有の優しい日差しを眩しく思いながら、目を開けて周囲を見渡す。
「……もり?」
もはや素晴らしいとしか言えない程の大自然が作り出したであろう森の入り口に、ポツンと一人。覚えているのは転生モノで言うところの前世の記憶が女性のものであることと、昨晩まで心の整理がついていなかったこと。それと…
「…かさんどら、…おかあさん」
記憶を取り戻した少女が物心付く頃から二人で暮らしてきた母親の名前と、そのかけがえのない母親に捨て置かれてしまったのではないかと言う、私の前世の記憶からの推測。つまりは捨て子…でいいんだと思う。
少女の記憶を持っていても実際に体験した訳じゃないし、もちろん前世の記憶からしたら悲しむつもりはあっても、あくまでも他人として悲しんでいた筈だった。そう、所詮他人事だと心の中では分かっていた。
「あれ…わたし、ないてる」
けれどそんな思いに反してポタポタ、と涙は目から溢れた。
理由は分からなかった。
寝起きで、あくびだってしていたからだと冷静に判断できているのに涙は止まる様子を見せない。大きく泣き声をあげるわけでもなく、ただ淡々と涙を拭っても拭っても止まらないだけ。
「……メソメソと五月蝿いと思えば、昨晩の小娘か」
誰……?
「さあ、目が覚めたのなら早々に森を出ていけ。お前がいると他の人間も集まってきて煩わしくなる」
その金髪の端正な面をしている男の言葉で、私の心も思考も瞬時に冷え固まる。
…いやだって多分だけどさ、私明らかにティアちゃんって言う女の子の身体を借りてるようなものなのかなって思って、無理に涙を止めようとするのもティアちゃんに悪いと思ってた気持ちがさ、全部目の前の男のせいで吹き飛んでったんだけど?
それについさっきまで意味不明なままメソメソ涙を流していた私も悪いとは思うけど、流石に小学校低学年くらいの女の子への態度じゃないよね、それ。
私が精神年齢二十歳超えてなかったら泣いてるよ?ギャン泣きだよ?
「だれですか、このあたりで見ない人なのでふしんしゃですね」
「…ほお、この我を不審者と言いのさばるつもりか」
「そうです」
だって事実見たことがないし、ティアちゃんの記憶にもない。
むしろ見ていたらきっと印象に濃く残る勢いの美丈夫を、若干面食い気味の私が思い出せない筈がない。
現代社会だったらスカウトが絶えないくらいのイケメンだぞ、逆に覚えてないのは失礼なのではっていう勢いでイケメンなんだぞ?…褒めてないけど。
「前回訪れた時のように躾がされたいのであれば我は大歓迎だがな」
「…前回?わたしがこの森に入ったのは、生まれて初めてです。しょたいめんで何言っているんですか、あたまだいじょぶですか」
男はまるで私が既にこの森に足を踏み入れたことがあるように言い、その言葉に反発すると目の前の男は酷く驚いているのか、爬虫類のような細い瞳孔が僅かに見開かれる。
おお、やっぱり爬虫類系の瞳孔ってことはドラゴンとかなのかな。異世界転生でドラゴンとか魔物がいるのは定番中の定番だからね。
「…お前、我を覚えていないのか…?」
「わたし、生まれてから七年しかたってないので人ちがいです」
「……そうか」
心なしか寂しそうに気分が沈んでいる男に多少の動揺と困惑をしつつも、ハッキリと断言すると男はかなりショックを受けたような顔をしながら空返事を返す。
「あとここどこですか」
「……さあな」
「お母さん、無事ですか」
「……さあな」
「…話聞いてますか?」
「……さあな」
…こいつ、面倒臭いヤツだなあ。
と、ついそう思ってしまった私を許してほしい。
いやさ、確かに私が覚えてないことが相当ショックだったかもしれないけど、あからさまに雰囲気をジメジメさせるのはやめて欲しい。
本当に私の記憶にも、なんならティアちゃんの身体の記憶にも目の前のイケメンの記憶などなかった。
それなら嘘を吐いてでも覚えていると言えば良かったと一瞬思うが、それをしてバレた時にどうなるかなんて大体想像できると考え直す。
だけどこの森はティアちゃんの身体の記憶によると、昔龍がいたと言われる神聖な森で、入った者は問答無用で罰を受ける。
だから私としてもこのイケメンの言う通りに森を出たいのは山々だが、きっと身一つで森を出た所で現状が悪化していくことぐらいしか予想できない。
多分、私が神聖な森にいるから危害を与えられないだけで、森から一歩でも出た瞬間に、息の根を止められてもおかしくないだろう。
「何もそんなにおちこまなくても……」
しまった、と口を抑えて失言を止めたが、当の本人も自身のことを言われているのだと気付いているのか、恨めしそうで不満げに私を見ている。
その目は憎しみと羨ましさが入り混じったような、複雑な感情を宿していた。このイケメンからすれば知り合いだというのは、それだけで理解できてしまった。
「……お前は、我のように知人が自身のことを覚えていないのであれば、何か他の対策を簡単に生み出してしまうのだろうな」
金髪イケメンが相変わらず雰囲気が沈んだまま放った言葉に、一気に興味と僅かな恐怖が引き寄せられる。それでも心の中で思うことは「気味が悪い」という感情だけ。
我ながら現実主義者的な一面があることは否定しないが、だからと言って夢を見ないわけでもない。故に異世界転生モノというジャンルにハマって、なおかつこんな状態であってもある程度の冷静さを保てているのかもしれない。
けれどもしも、私が現代社会での絡みでの知人が私のことをだけを忘れていたら、きっと現代社会で生きている私は目の前の男が言ったような行動を起こすだろう。
それで私ができることをやって、それでも思い出して貰えなかったら?そう考えて、男への対応に少し反省する。
「すぐ、そうやってお前は我や緑のを置いて何処かに去ってしまうのだ。今回もそうだ…裏切られた我らとて昔の顔馴染みに忘れられることは、酷く傷付く」
昔の顔馴染み…やはり目の前の男は、私が異世界に転生してしまった原因・要因を少なからず知っている可能性がある。
…それにある程度の情も持ってくれているようだった。そんな相手を切り捨ててしまうほど、私も非情ではないから。
「…そうです、わたしはたしかにあなたのことを覚えてません」
「……そう、か」
「ですが、思い出したいと思わないわけではないのです」
「……」
そう私が歩み寄ると、先ほどから私に背を向けて落ち込んでいた男がスッと立ち上がって森の奥へ入っていく。
私は男が「出ていけ」と言っていた森に深く足を踏み入れていいのか戸惑い、立ち止まっていると男が急かすように少し振り返ってこう言った。
「…早う来い。我らを裏切った以前のお前のことは一旦忘れることにしてやると、緑のも認めている」
「あ、はい」
我らを裏切った以前の私、という言葉に引っかかりを覚えながらも男の後ろに着いて歩く。あと緑のという、多分何らかの人物から認められたが、周囲に私とイケメン以外の人物はいないのに、どうやって認めたんだろう…?
それに私が知らない現代技術で連絡を取った以外であれば、やっぱり異世界モノによくある魔法的なもので連絡をしたのかな?
「…………これって、ツンデレに入るのかなあ」
「おい、独り言は後にしろ。日が暮れ、魔族の身であるお前でも対処できない程に魔物が現れるぞ」
……そういう重要なことは先に言おうよ。
森のクマさん…
【魔物・魔族】
遥か昔に影の精霊龍が最初に生み出した存在と言われていて、空気中に漂っている魔素を過度に吸収してしまった生物の成れの果て。動物の群れから魔物になった個体が現れたり、人間も同じように群れの中から魔族になった個体が現れる時がある。害を与えなければ何もして来ないが、総じて魔素や魔法の影響を受けやすい為に、自我を強く持たない魔物は魔素が極端に少ないか極端に多い地域だと凶暴化しやすい。
明確な理性と自制心を持つ者を魔族と呼ぶ。