[2]ホームセンター・モリケ
マーシィが案内してくれたのは、歩いて二時間ほどの場所にあった、ちょっとした湖(というか巨大な泥の水たまり)を望む小高い丘だった。
いや、実際にはその半分くらいの時間で来られる程度の距離なんだろうけど、何しろ俺は寝ている時のパジャマ代わりのスエットに靴下だけという格好であったため、未舗装の道に足の裏が痛くなって早々にギブアップ。
そういえば昔、ベトナム戦争の時に捕虜になった米兵は、逃亡できないようベトコンによって真っ先に靴を脱がされたという。
地元民は裸足でも平気だが、靴を履くのが当然な文化の人間は靴がないとまともに歩くこともできないから……という理由だったそうだが、確かに身をもってそれを体験した俺の不甲斐なさを見かねて、マーシィが手持ちの革袋(多分携帯食が入っていた空っぽのそれ)を割いて、足首から先を包む履物を即興で作ってくれたので、どうにか先に進むことができたのだった。
「どうでもいいけど、雑草がちょこちょこ生えてる他は立ち木の一本もない島だな、ここ」
殺風景すぎる道のりを眺めながら見たままの感想を口にすると、マーシィが皮肉気な表情を浮かべて周囲をぐるりと一望する。
「何しろもともと魔王のお膝元、魔族の本拠地だったからねー。この山も当時は訳の分からない真っ黒い木とか、生き物に反応して襲ってくる蔦とか、酸を吐く草とか、毒の胞子を撒き散らすキノコとかが一面にびっしり生えてたんだけど、綺麗さっぱり消えたところを見るとアレって全部魔物の類だったのねえ」
それで現在は見事な禿山になったというわけか。
それでも元から根性で生えていたのか、後から風で飛んできたのかそれなりに雑草が生えているところを見るにつけ、植物の生命力ってのはつくづくバカにできないと思う。
「つーか、水平線の向こう側あたりに島影が見えるけど、あっちは普通に森林が残っているっぽいな」
途中の崖から遠くを透かして見ると、そこそこ大きな島……というか沈下を免れた陸地の姿が伺い見える。
「あっちは中央大陸。人族の国だったところ。生き残りがいるんだったら多分あそこら辺だと思うけど、海を渡る術もないし、連絡もできないし、どんな状況かもわからないから、とりあえず救助の船が来たら狼煙を上げる準備はしておいたんだけど……何か積極的に救援を求める方法や、脱出するための船とかが、そのほむせんとやらにあるわけ?」
異世界の技術に期待を込めての問いかけに俺は両手を上げてお手上げのポーズを取った。
「発煙筒や鏡、あと筏に毛が生えた程度のゴムボートくらいはあるけど、見た感じざっと20~30㎞……平坦な土地を歩いて七時間か八時間はかかる距離を漕ぐのは無謀だろう。そういうイチかバチかはもっと切羽詰まった状況で行うべきで、まずはこの場で生き延びることを優先して考えるべきだと思うな。――つーか、まずは飲み水の確保だな」
「……まさかこの水を飲むわけじゃないでしょうね? ここって以前は〈泥人間〉や〈泥粘魔〉の住処で、気色悪い魔物がウヨウヨいたんだけど」
げんなりした様子のマーシィ。どうやら魔物は一掃されても、それ以前に目にした光景がトラウマになっているようである。
まあホームセンターにはある程度の量のミネラルウォーターが確保されていると思うので、飲み水に関してはしばらくは大丈夫だと思うが、生活用水に関しては追々考える必要があるだろう。
とりあえず丘の上をざっと見回して、十分な敷地が確保されているのを確認し、俺はポケットに入れたままだった銀色のキューブを取り出した。
最初に貰った時にルービックキューブみたいな大きさだな、と思ったものだが、マジで3×3の六面体で、バラバラにギリシャ文字みたいな記号が入っている。
試しにそのまま地面に置いたがウンともスンとも発動しない。
「……つまり六面を合わせろってことか」
思いがけずに落っことして不注意で召喚したり、現地人に使われないための安全装置なのかも知れないが、先に一言説明してもらいたかったなー……と思いながら六面を合わせる。
「???」
怪訝な様子で凝視しているマーシィの視線を感じながら、学生時代以来の勘を取り戻すためにキューブをいじっていること数分。どうにか六面を揃えたところで、キューブから軽快なチャイムの音が鳴った。
どうやら安全装置が外れたらしい。
俺は手ぶりでマーシィにその場から動かないように指示しつつ、小学校のグランドくらいある丘の真ん中あたりにキューブを置いた。
どうなることかと見ていると、キューブはその場でガチャガチャと回転しながらどんどんと部品が多くなり、物理法則を無視して拡張していく。
慌てて俺もマーシィの手を引いて丘から逃げられる位置まで後退したところで、
「……ナニあれ。石でできた砦?」
目を丸くして唖然とした声に促されて振り返って見れば、さっきまで何もなかった丘の上に巨大な建物が堂々と鎮座していたのだった。
ホームセンター【モリケ】
特徴的な目付きの悪い鶏のマークと『MORIKE』の看板が燦然と輝いている。
「あー、一応日本の一般的……って言うか、一番店舗数の多い店を選んでくれたか」
見たところ40m×20mくらいの鉄筋コンクリート造りの建物……で、なおかつ三階建てであった。
「……いや、これ余裕で1000㎡超えてるよな?」
首をひねったところで、店の玄関先――シャッターが落ちているそこ――に、一枚の封筒が挟まっているのに気が付いた。
腰が引けているマーシィを置いて、その手紙のとこまで行って手に取って中身を確認すると、封もしていない封筒の中には便箋でペラ一枚。
『ふふふ~~ん。1000㎡と言っても延べ床面積とは一言も言ってないし。敷地面積1000㎡×3でおおよそ3000㎡。聖天使の偉大さを思い知ったか! あと二千年後くらいに戻るので、その間に布教よろしく~♡ by:ユスティーナ』
なんだこのトンチ勝負で勝ったみたいなムカつくノリの伝言は。
いやまあ使える商品が多いに越したことはないし、下手に平屋建てだと守りに不便だから、コンクリ製のビルなのはありがたいと言えばありがたいが、ユスティーナは多分その場のノリだけで、そこまで考えてないだろう。
そう確信を抱きながらとりあえずシャッターを開けようとしたのだが、当然のように鍵がかかっていた(手動シャッターの鍵と南京錠)。
「変わった鍵ね。魔術鍵じゃないみたいだから、時間をかければ開錠はできるかも知れないけど」
安全そうなのを確認して、慎重に足音を忍ばせてやってきたマーシィが俺の背後から覗き込んで、それなりに自信ありげに請け負う。
「いや、多分店の背後にある従業員用の出入り口の方が開けやすいだろうから、そっちに回ろう」
学生時代スーパーでバイトしていた経験から、そう目星をつけてマーシィを促す。
できれば建物の周りにフェンスとか設置してあれば便利だったんだけど、そのあたりは自分で何とかしろってことか。
あと空いている土地は家庭菜園くらいはできそうだし、屋上にソーラーパネルを設置すればある程度の電気も賄えそうだな。
今後の見通しをあれこれ考えながら、俺たちは店の裏手へと回った。