プロローグ 転生
短編を連載版にしたものです。
プロローグは短編と同じです。
夜中にふと目を覚ますと、どこまでも真っ白な世界で――別に一面の銀世界というわけではない。そもそも暑くも寒くもない――ギリシア風のヒマティオン(一枚布を使ったワンピース型の上着のこと。女性の彫刻でよく見かける)をまとい、背中に真っ白な翼を背負った長い金髪の若い女が土下座をしていた。
ザ・ジャパニーズ『D☆O☆G☆E☆Z☆A』である。二十五年生きているが、洒落抜きの土下座を見たのは初めてである。
なぜコスプレをした外国人が土下座を!? と思う傍ら傍観者効果で、とりあえず映像をスマホに保存してSNSで拡散したいところだが、生憎パジャマのポケットにはボールペン一本すら入っていなかった。
「このたびは私の不手際であなたの命数を削ってしまい、誠に申し訳ございませんでした!」
そこで女が悲痛な声で謝罪した。
「めーすう……?」
「は、はい。本来であれば同じアパートの山田武志さん(92歳)の大往生後、その魂を異世界イズールへと導く予定だったのですが、間違えて隣の山口隆志様、あなたの魂を回収してしまいました」
かいつまんだ説明を受けた俺の口から、「はあ?」という間の抜けた声が漏れた。
なんじゃそれは……?
「あ、夢か――」
「い、いえ、夢ではないですし、現界ではすでに死亡して半月経っていて……えーと、突然死ということで、ご遺族の手で火葬と納骨はすでに……。ちなみにご遺族は山口様の生命保険金と、過労死が認められたため支払われた労災で実家のローンを払い終え、『改めての新婚旅行だわ!』『はっはっはっ、いまからでも頑張って子供を作ろうか?』と、ルンルン気分でヨーロッパ旅行を満喫中です」
あー、うちの親ならそのくらいの軽さで通しそうだな。
幸いと言うべきか兄弟姉妹は四人いるし、ひとり減っても『残機はまだあるし~』程度のよく言えば放任主義で、悪く言えば子供に興味のない毒親だからな。
とはいえ、話が荒唐無稽過ぎる。
「……どっきり?」
半信半疑。否、全疑で女を見据え、そう確認すると、女が顔を上げて――予想通り二十歳くらいで、泣き顔でなければ絶世の美女といっても過言ではない、ちょっと人間離れした美貌の持ち主だった――ブルンブルンと音がしそうな勢いで首を横に振った。
ついでにこぼれ落ちそうな両胸もブルンブルンと上下左右に波打つ。
ほほう、眼福だな~、と思いながらいまさらながら女の素性を尋ねる。
「あんた誰?」
「私は異世界イズールを管理する〈聖天使〉ユスティーナと申します」
「……異世界ってなんじゃそりゃ???」
「えっ!?」
素朴な疑問に、なぜか驚いた表情で目を見開く自称天使。
俺そんな変なこと聞いたか?
「……え~~と、山口さんはゲームやラノベ、アニメとかは?」
「ん? 小学生の頃ちょっとやったかなゲーム。ラノベとかアニメには興味ないな。暇つぶしに音楽を聴く程度ならともかく、あんなスマホやパソコンで時間潰す意味あるわけ? 普通に友達や女の子と付き合ったり、スポーツしたりした方が有意義じゃないのか?」
「…………ああ、はい、まったくもって、その通りですね……やばい、リア充の陽キャだ……」
何やらごにょごにょと気まずい表情で目を逸らしながら独り言ちる自称天使。
「――?」
「えーと、異世界というのはですね……」
思わず胡散臭げな目で見据えると、自称天使はしどろもどろに説明を始めた。
『剣と魔法の世界』『中世~近世ヨーロッパ風』『魔物』『冒険者』『経験値』『レベル』『スキル』『チート』『世界を征服しようという魔王』『選ばれた伝説の勇者』etc.etc……。
この世界にいると時間の感覚がないので体感であるが、ほぼ丸一日かけて――腹も減らんし、眠気も、疲労も感じないので、さほど苦痛でもないが興味のない話を無理やり――詰め込まれてうんざりしたところで、概要を理解した俺は話をひと段落させるべくユスティーナに確認した。
「えーーと、要するにその『異世界イズール』とかに転生し、冒険者になって経験値を貯めて魔王を倒せと?」
他力本願だな。自分でやりゃいいのに……と思いながら尋ねると、あにはからんや勢いよく首を横に振られた。
「あ、それはもういいです。つい先ほど……と言ってもあくまで超越者の視点ですが、勇者が魔王を討ち果たしましたので、世界は救われ魔の者はことごとく浄化されました」
「ほーーーっ」
切ったはったしなくていいなら楽だな。
だが次に朗らかに告げられた言葉で(これも神託というのだろうか?)、若干上向きになりかけていた気分がいきなりどん底を突破して奈落へと突き落とされる。
「その代わり魔王の最後っ屁の自爆で人類の99.9999927%が道連れとなり、陸地の85%は海に沈みましたけれど、大丈夫です。まだ世界中に百五十人くらいは生き残っていますから、まだ挽回のチャンスはあります。最悪イルカでも進化させて次の霊長類にしてもいいですし」
イルカってああ見えて狡猾だし、仲間内でイジメやホモ○ックス、異種交歓するド変態なので、進化させても現生人類と変わらないか、なおさら酷くなりそうな気がするけれど……ともあれ。
「残り人類百五十人……それも辛うじて残った土地にばらけているとか、滅亡待ったなしじゃないか! それでなんで笑っていられるんだ!?」
「いや、でもぉ……本来私が管理する世界には存在しないはずの魔族――ぶっちゃけ外来種の害虫――を根こそぎ駆除できたわけですし、少なくとも人類は生き延びたわけですので百五十人でもゼロよりかはマシ。ということで人類の勝利です!」
まったく悪びれることなく言い放つユスティーナ。
確かに世界を俯瞰する超越者の見解だな。
コイツにとっては人類がどうなろうとどうでもいいが、せっかく育てた植木に害虫が取りついて病気になった。だから『スキル』だとか『経験値』『チート』、果ては『神器』なんてものを適時注入して害虫を駆除しようとしたのだが、どうにもならないと判断して『勇者』という鉄砲玉を放って『魔王』と相打ちボンバーさせ、結果的に根っこを残して植木を切り倒した。
これで害虫はいなくなったのでスッキリ爽やか。後は切り株から新芽が出ればいいな~、出なかったら別な苗木を植えよう……程度の感覚なのだろう。
「当たらずとも遠からずですね。ですが弁解させていただくと、私にもデメリットはあって信奉者が激減したために神力がほとんどスッカラカンなのですよ。それで伝手を頼りに地球世界でバイトをしていたのですが……」
「こっちでもやらかして俺を殺した、と」
嫌味を込めてあてこすりしたが、そこは腐っても超越者。笑顔でスルーされた。
「つーか、そんな絶望しかない異世界よりも地球で輪廻転生するわけにはいかないわけ?」
「そんなことをしたら私がやらかしたことがバレて査定に響くではありませんか。なので私が管理している世界へご招待して――」
「証拠隠滅か」
「WIN=WINですわね」
完全に俺が一方的な被害者じゃねーか!
この場で地球の神様――天照大御神でもヤハウェでもシヴァ神でも――に祈って告発すれば、この悪事が暴露できるかな? ワンチャン賭けてみるか?
そう本気で身構えたところで、慌てた様子でユスティーナが両手を振って捲し立てる。
「も、もちろん転生にあたっては特典を付けますよ! 十六歳の健康な肉体とイズール世界の中央公用語を事前にインプット。それに地球世界の知識や記憶も持ち越しですから、事実上転生というよりも実質的には転移に近い待遇ですよ。検疫の問題で転移は無理なので、グレーゾーンですがギリセーフということで」
「ふーん……で、スキルとかチートとかは?」
「あ、それはもうないです」
『売り場になければないですね』と、けんもほろろに対応する店員みたいな素っ気ない答えが返ってきた。
「……おいっ!」
散々期待させといてなんだその掌返しは!?
「いや、だってもともとスキルとかチートとかは、魔族に対抗するための緊急手段的処置でしたから、いなくなった以上必要ないでしょう? もともと不自然ですし。あ、現地の生き残りは魔物を倒したりしての経験値もリセットされていますので、自分で自発的に技や力を鍛えた分ならともかく、スキルに胡坐をかいていてレベル上げだけして研鑽を怠った者とかは、子供以下の体力しかないです。なので仮に争いになっても、山口さんでも十分に渡り合えますから大丈夫ですよ」
「つくづく後先考えてなかったんだな、ユスティーナ」
聞けば聞くほど泥縄で対応していたことが分かって、わずかにあった超越者に対する畏怖も消えて『お前』呼びになっていた。
「つーか、そんな終わった世界に身ひとつで放り出されても現代人は三日と持たずに死ぬぞ。なんかないのかもうちょっと便利な特典は?」
ダメもとで駄々をこねると、ユスティーナはかなり煩悶した後、深々とため息をつきながら、
「……ではギリギリ残った神力を使って、地球世界から必要と認めた道具もしくは1000 ㎡未満の施設を一緒に転送しますので、それでどうにか妥協してください。――ああ、それと現地に私を信奉する聖女(現在はただの一般信徒)が奇跡的に生き延びているので、色々あって呆けている彼女を保護して、私への信仰を絶やさないようにしてね」
妥協したようで厄介ごとを押し付けられる。
「1000 ㎡未満というと――」
「基本的に市街化区域において開発許可を受ける必要がない施設ですね。例としては、病院や社会福祉施設。劇場、映画館、演芸場。それと集会場、展示場、マーケットその他の物品販売業を含む店舗。旅館などの宿泊施設。体育館、水泳場、ボウリング場、スケート場、スキー場、ゴルフ場といった体育施設。カラオケボックス、ダンスホール、マージャン、ぱちんこ屋などの遊技施設。図書館、博物館。公衆浴場。食堂、料理店、レストラン等の飲食店。理容所及び美容所。あとは事務所、サービス業の店舗。学校や駅、公衆便所、集合住宅。墓地、火葬場。それらの複合施設……といったところかしら」
「う~~ん、単純に考えるなら複合施設がありっちゃありなんだろうけど、1000 ㎡未満となるとどれも中途半端になりそうだな~」
しばらくウンウン唸って考え込んでいた俺だが、
「もういいかしら? そろそろ休憩時間が終わってバレそうなんですけど」
ユスティーナに急かされて、いくつかあった候補から一番手堅くパニックものの映画でもお馴染みの施設を選ぶことにした。
「決めた。じゃあホームセンターで頼む!」
「ホームセンターかぁ……検疫のチェックが大変そうだけど仕方ないわね。どーせ諦めかけていた世界だし」
嘆息しながらユスティーナはどこからともなく正方形の箱を取り出す。
「このキューブをこれはと思う場所に置けば、その土地にホームセンターが召喚されるので使いなさい。いいこと、使えるのは一度だけだからね」
そう念押しされて渡されたルービックキューブ程度の大きさの正方形を手に取った瞬間、周りの景色が漆黒に染まり、そのまま俺の体がどこかへとどんどんと流され? 落下? して行く。
たちまち小さくなる俺に向かって、ユスティーナがいまさら威厳を取り繕って言い放つ。
「覚えていてください。この地は神の恩寵が絶えて久しい化外之地。流転する魂すら輝きを失い朽ち果てる終焉の場所。或いは……人の子の言う地獄とはここかも知れません」
いまさら地獄送りとか悪魔か手前ーっ!!
「ですが、私は……せめてこの私、この地に残った最期の〈聖天使〉である私だけは、この地に渡りし無垢なる魂……あなたに祝福を贈らせていただきます」
「この世界において、あなたは苦悩と悲嘆に明け暮れるかもしれない。それでもどうか諦めないで、あなたも私も生きている、ただそれだけが奇蹟なのですから」
「この世界で何をするのも自由です。泣き笑い食べて寝て、熱い血が体を駆け巡るのを感じてください」
「そうして、生きとし生けるものを、命ある自分を少しでもいいので祝福してください」
「生きている限りこの世界は地獄ではないはずだから」
「だから心折れ倒れようとも生きてください」
心地よい風のようにも銀鈴が歌うようにも聞こえるユスティーナの声と、その姿がどんどんと遠くなっていく。
「あなたの旅はここから始まります。新たな人生に幸運があらんことを……」
そうして最後の願いを込めた声が俺の耳に届いた時、俺の視界は反転した。