愚痴を吐く場所がない件
パチパチと焚き火が爆ぜる音が聞こえる。元の世界では安眠BGMだったそれだけど、今の私には旅の夜の象徴だ。
焚き火の番をしている時が一番落ち着くというのだから皮肉である。
城であれば一人の部屋で防音魔法をかけて愚痴を零せたし、元の世界であればSNSや友人、弟に愚痴を零せた。
けれど今はそういうのを見せるべきでない相手ばかりだ。泣いて駄々をこねて叫びたいけれど、そうしたって事態が変わるわけではない。
だから心の中で火に悪い感情を焼べていく。心を殺すというのはそういうものなのかもしれない。
「ノエル、そろそろ代わる」
「まだ眠くないからいいよ」
「……ベッドじゃないと眠れないとか言ってる?」
「違うよ。焚き火を眺めていると落ち着くから、苦ではないだけなの」
交代の時間だと声をかけてきたアレンにそう返す。
アレンだって被害者だろう。
勇者だなんて神託がなければ冒険者として各地を回って自由でいられただろうに。
だから、アレンに対して悪い感情というのは今のところない。むしろ、聖女が私でごめんねという気持ちだ。
いざとなったらコロッと敵に転びそうな聖女なんて誰だって嫌だろう。
「だとしても、休める時に休まないと倒れちまう。そういうので体調を崩してそのまま……ってのもなくはないし。だから、寝転んで目を閉じるだけでもしてろ」
意外に優しいその声に「わかったよ」と返す。少し仕方なさげな声が出た。
それに、「よし。いい子」と言われたのは解せないけれど。
「お前、もう少し気ぃ抜かないと辛いぞ」
「必要なだけ抜いてるよ」
「そっか」
警戒はするに越したことはない。
油断するな。
そう自分に言い聞かせる。
だって、そうでないと生き残れない。
信用する人間は選ばなくてはいけない。
辛いと泣いたらつけ込まれる。
「放っておけないヤツだな」
何か言われたような気がしたけれど、意識を手放した。
「寝たか」
勇者と呼ばれるようになった青年は溜息を吐いて、聖女となった少女に手を伸ばそうとした。途端に、バチンッと指が弾かれる。
拒絶されている、という事なのだろう。
当然だ。
彼女の信頼を得る、ということは並大抵のことではない。
眠りながらでも強固な守りを見せる彼女を見ながら、初めて城に連れて行かれた日を思い出した。
ある朝、いきなり宿に乗り込んできた王国兵は問答無用でアレンを攫って行った。あれは連れて行く、という言葉では生ぬるい。紛れもなく拉致である。
居丈高に振る舞い、「勇者として選ばれた。国のために戦うのが使命である」と言う王と出会った時の気持ちがわかるのはきっとここに居る人間ではノエルだけであろう。
それだってアレンはそもそも自由に旅する冒険者だ。
家族はとうの昔にいなくなったが、故郷だってあるし、友もいた。
彼女はその全てを奪われている。
そんなアレンですら「この国滅べばいいのに」と薄ら思っているのだ。彼女が思わないはずがない。
(まぁ、何かあったら一緒に世界でも滅ぼそうや)
心の中でそう語りかけて、口元に笑みを作る。
アレンは別に良い人ではない。
冒険者として真っ当に欲のある人間だ。
だからこそ彼は「こんな人間を勇者に選ぶなんて、女神は目が悪いか人間を滅ぼしたいんだな」と考えている。
そんな彼が勇者として旅に出た理由は単純にそうしないと面倒そうだったからだ。
ルイーゼと名乗る少女が訪ねてきて、「近い未来に聖女と呼ばれる少女がもう一人現れ、わたくしは有りもしない罪で裁かれるのです」と言われた時はこれが聖女とか笑うな、と思ったものだ。
わかっていれば対策をすれば良いのだ。だからどんな人間かもわからないもう一人の聖女とやらを貶める理由にはならない。
だから初めからアレンはルイーゼが気に食わなかった。
哀れにも呼び出されてしまったノエルの立場を、ルイーゼは城内で貶める。
何が憎いのか。
王太子になる予定の第二王子はルイーゼに夢中だし、その側近だって彼女に好意を寄せている。
そしてその反動か、ノエルに対しての当たりが厳しかった。自分たちが呼び出した癖に。
生まれた国は、祖国はこの国だ。
それでも、彼女か国を選ぶのならアレンはノエルを選ぶだろう。
一人くらいそう言える人間がいなくては、この怯えながら立ち向かう少女が余りにも救われない。




