アルカディオン 斜曲
「駄目です、やり直し」
この世界には、アルカディオンという楽器がある。
蛇腹状のふいごと鍵盤、ボタンとスイッチが特徴的。少し重くて、音色はどこか哀愁を感じさせるのだ。
「はい、お願いします」
なんとなくそんな楽器を演奏している。
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自ら先生に頼んだスパルタ練習。それが終わると私はアルカディオンの手入れをする為、だけではないが、一人教室に残っていた。椅子を窓際に持っていき、夕日を眺める。
彼女の頬に一筋、やるせなさから涙をこぼしながら。
「ルカ、いたのね」
「アイリス?」
ふと聞きなれた声が聞こえると、ルカは目元を拭い、平然を装う。
「練習してたのかしら」
「…そんなところ」
「お疲れ様。失礼していい?」
私が頷くとアイリスは椅子を持ってきて、ルカの隣に可愛らしくちょこんと座った。私はそれを横目で見ると逃げるように手入れの準備を始めた。
「そっちは」
「先生のお手伝いしてたの」
アイリスは優等生だ、先生にも評価されているし。同じアルカディオン奏者としても天才級でクラス1、いや、学園1かも知れない。私が追いかけても、遠い。たどり着けない場所にいる子。
「ねぇ、今度良かったら二人で町に遊びに行かない?最近忙しそうでしょ、息抜きにどうかしら」
アイリスはにこやかに笑う。
「ごめん、最近疲れててさ。また後にしたい」
否定の言葉を聞くと、やはり少し残念そうな顔になった。ああ、そんな顔をしないでほしい。
「そっか、ごめんね」
「いや。私もごめん、また今度誘ってほしい」
自分のためを思い、誘ってくれた事はルカも理解していた。アイリスとは長い付き合いで、何回も一緒に遊んだ事がある大切な友人であり、目標だ。
淀んだ気持ちを共有したくはなかった。それに、こんなつまらない姿は見せたくない。それなのに、彼女は帰ろうともせず、静かに座り続けた。
…
「結構綺麗になったわね」
蛇腹や内部の隙間に入ったホコリを除いて拭く。30分以上の時間をかけて、徹底的に綺麗にした。
アイリスは今もまだ同じようにちょこんとしていて、作業を眺めていた。
「普段はあんまり掃除しないから」
「そうなのね」
ふと彼女が微笑む姿は学園でも人気だという話を思い出す。今はどうでもいい話ではあるが。
「唐突…なのだけれど」
微笑みを消し、アイリスが目線を床に向けて小さく呟く。
「ルカは、アルカディオンを演奏していて嬉しいことってあった?」
「…」
「私は、昔は楽しかった。幼い頃からアルカディオンを教えてもらって、大会で優勝したりして。天才だなんて言われて、正直嬉しかった」
「だけれど子供じゃなくなるにつれて、そんな言葉と一緒に妬みや羨みの声が聞こえるようになったの。何かすると才能だからと言われて、演奏する仲間の視線すら刺さるものを感じたわ。」
「だんだんと、何のために演奏するのか分からなくなってきてね。天才だから何だっていうのか、私の演奏には何ができているのかって」
「だからかな、今は」
「アイリス!」
最後の言葉が告げられる前に、ルカは思わず叫んでいた。
目を見開き、驚くアイリス。
「ごめんなさい。私、貴女の事を勘違いしていた。遠い、偉大な人だと決めつけて、意味もなく勝手に追いかけて苦しんで、羨ましく思っていた」
「友人なのに気づけなかった、気づこうともしなかった」
「私は最低だ」
気づいてあげられないほど、彼女の背中しか見ていなかった。彼女も私と同じ人間で、心を持っている。
「ルカを苦しめていたのだから、私も最低よ」
「そんなことはない!」
思い切り抱き締める。少しでも、自分の気持ちが伝わるように。次第に私にも痛いほど伝わってゆく感覚が、今は心地よい。
日も沈んで暗くなった教室には嗚咽の声だけが響き、歪んだ少女の言葉は、同じく歪んだ少女にだけ共鳴する。
「…そろそろ、痛いわ」
「ごめん」
身体を離し互いの顔を見ると、なんだか可笑しくて笑った。
「ふふ」
「くくく」
全てが良い方向に進む事はなかったけれど。残酷な性で、忌むべき歪んだ選択だったけれど。それでいい。
「今度、遊びに行きたいな」
「ええ、喜んで」