若者たちのすべて
俺は自転車をだらだらこいでフクジュ商店へむかっている。
少し寒い街路に所々、通行止めの看板が片づけられずに放置されている。
空に浮かぶ雲がずんずん彼方へ流れ、大気は草木の匂いをふんだんに含んでいる。
メイが地球に滞在する最後のひと時は、楽しかった思い出が鮮明に寄り添っているだろう。
メイの笑顔の先に過去の俺がいる。
ふたりは手と手を取りあい航宙艦に乗りこんで、宇宙でも仲睦まじく暮らすのだ。
それだけで、俺は恐悦至極だ。
なんの不満もない。
フクジュ商店の前で自転車のサドルを下す。
たばこの自販機脇に誰も座っていないベンチを視界の端に捉える。表面に水粒が付着していて、陽の光を乱反射して星の礫が散らばっているみたいだ。
三日前はメイと肉まんを食べた。
昨年の夏はメイとソフトクリームを舐めた。
忍び寄る感慨をなぎ倒し、フクジュ商店の扉を開く。
「おうジュン、やっぱりきたか」
「やっぱりとはなんだ」
店内はがらんとして、他に客はいなかった。
ヤマ兄はレジに頬杖をついて暇そうにしている。
「運命に導かれたな」
「そんな大袈裟な用事じゃない。昼飯を調達しにきただけだよ」
俺は弁当を物色するため、冷蔵棚へむかう。
「メイちゃん、地球を発つらしいな」
俺の背中越しにヤマ兄は言った。
さすが噂の坩堝フクジュ商店の店主。
町の情報はなんでもご承知だ。
俺を慰めるつもりだろうが、迷惑千万である。
「らしいね。だからそっとしおいてよ」
俺は上半身を屈めて、弁当を見繕おうとするも、フードを掴まれ、乱暴に引き起こされた。
振りむくといつの間にかヤマ兄が背後にまわって、俺を見下ろしている。
「そっとしておいてやりたいが、そうもいかねえんだわ」
「お節介」
俺は唇をすぼめて、ヤマ兄を睨め上げた。
ヤマ兄はにっと笑い、俺のフードから手を離し、腕を組む。
「昨日の晩にメイちゃんがきたぞ」
「そう」
「ジュンへ言伝を頼まれてな。必ずくると信じていたぞ。青春の天才!」
「妙な称号を授けないでもらえるかな」
精一杯の反論をしてヤマ兄から視線を逸らす。
メイからの最後のメッセージは罵詈雑言に決まっている。
しかし、俺には聞かなきゃならない責任がある。
「メイはなんて?」
声が裏返り、語尾が震える。
「おう、ジュンに渡したいものがあるから、青いベンチで待ってるってよ」
あるべき間を置かずに、ヤマ兄はあっさりと伝えた。
俺は気構える隙がなく、だらしなく口を開けて、絶句したまま知能指数の低い腑抜けた面をさらす。
「ほら、さっさといけよ」
ヤマ兄はしゃくった顎の先で店の出口を指す。
「いって辛くなってこい。会わずに辛くなるよりも会って辛くなれ」
俺はまたヤマ兄から視線を外して、下方を見る。
「メイはとっくにいないよ」
「いるかもしれないだろ。理由をつけるな、折りあいを探すな。望まなくても生涯で諦めなきゃいけない岐路なんていくらでもある。クソガキのお前にはまだ早い」
ヤマ兄の叱咤激励はびりびりとしびれる。
それでも素直と屈折の境界線を越えられない。
クリーム色の床に情けない俺の影が薄く揺らめいている。
「俺はメイに切り捨てられたんだ。不確かな未来はいらないって、俺なんて必要ないんだ」
「ジュン」
ヤマ兄に呼ばれ顔を上げると痛烈なデコピンを喰らった。
俺は額をさすりながら不条理なヤマ兄を睨んだ。
彼の表情は怒気をはらんでいながらも、悲しみに満ちていた。
「メイちゃんな、ジュンにはきてほしくないって言ってたぞ」
「はっ?」
「ずっと、待ち続けられるからってな。ジュンに拒絶されたら生きていけないそうだ」
「なっ」
俺は戸惑うばかりで、二の句が一切出てこない。
「まだ、こんなところでうだうだしてるつもりか?」
展開が怒涛すぎて、俺の頭は処理を放棄した。
雑念が吹き飛ばされ、一筋の光がさす。
眩しくて、愛しくて、精神が昂り、腹の底が燃える。
光へ導かれるように俺は黙ったままふらふらと歩み出し、ヤマ兄を横切る。
「いけっ! メイちゃんの青春を無駄にさせるな!」
ヤマ兄が咆えるも俺は応えず、歩みを止めない。止められない。
光の至る場所へ。
メイの待つ、青いベンチへ。