『辿る道が消える時』
ニジイロは居るかと、垂れ幕を捲る。
いつの間にか氷粒砂漠も夜になっており、寒さが増している。月などは若干雲で隠れてはいるものの、星空は、はっきりと綺麗に映っていた。ここは空気が澄んでいて俺は暮らせるならここで暮らしても良いくらい居心地が良いと思う。星空を愛でるのも、夜の氷粒砂漠も綺麗なものだ。昨日の夜空も格別だったが、個人的には今日のが綺麗だと思った。
ここの氷粒は夜では輝きを失うものの、氷自体が透明度が高いため、テントにあった手持ちのライトを放つと、光が乱射してそこら一帯は、本来ライトで照らせる範囲の三倍は明るくなる。夜では輝きが美しく、きっと月が出ていたら月明かりで全体的に乱射して美しいだろうな。このザ・アースに届く月の光は、前の世界よりも強い。強い理由は知らないが、雅なことには変わりないので良いことだと思う。
しかし、こんな中でニジイロが外に出たら風邪を引くだろうに……。いや、最悪の場合は風邪どころで済まないな……。
「仕方ない、ニジイロを探しに行くかー」
夜にこんなところで出歩くのは流石に無理がある。多分、出歩くならこのテント周辺だろう。
歩く、足が動く、己の目線は彼女を探す。
歩いても歩いても、彼女の姿はそこには居ない。
「ニジイロー!」と呼び掛けてはいるが、彼女の姿は勿論だが、声も返ってくる気配は無い。
何処に行ったんだよ、ニジイロ……。
ニジイロを探して歩いて三十分。もはや、周りには居ないのかもしれない、そして、何処かで入れ違いになっているのかもしれない。入れ違いになっていると信じて、俺はテントに戻るべきだろう。
冷風が身体に纏わりつく、自分の体力は元からかなり無い、瞬発的な運動ならなんとかなるが、持久的な運動はかなり体力を減らされて疲れて動けなくなってしまう。それは、日常生活でも同じこと、体力無しにはこの寒さと捜索で盗られた体力を少し休憩させて回復したいところだ。しかし、周りには寒さを凌げる遮蔽物が無い。
「どうしたものか……」
少しの間座っていよう、そうだ。それがいい。
寒さが強くなる、風が通る回数も多くなる。
この場所はやはり来るべきではないだろう。テントに着いたらニジイロと帰る相談でもしよう。ここで大迷宮に挑むのは命知らずだ。
確かにこの世界で死ぬという事は少し緩くはなったけれど、やはり死ぬというのは嫌なことに変わりないだろう。
世界改変の際に生まれた新ルール、それが"生存権三つの法則"。自我を持つ生命一つにつき、三回の生きる権利がある。例えば、交通事故で人が亡くなった場合、その人が生きたいと提示すればそこで死んだ事は変わらないが、死んだ身体を蘇生させ、死んだ後に、回復した自分の身体に魂を入れ直すという行為だ。神様が冥府神とかいう奴に取り次いだり天界と交渉を成立させたとかでこういう法則が生まれたらしい。
単純に二回までなら死んでもいいっていうのは天変地異的な事故死を考えなくていいという事になるので良いことだ。怪我なら復活する時に回復するらしいし、ある程度の距離なら位置を任意に転送出来るらしいというのもかなりの利点だな。任意に転送出来るのは、身体も魂も死後の世界とやらに回収して、身体に魂を入れて転送するのだが、死んだ場所、つまり回収場所からある程度の距離までなら位置座標をずらす事が出来る技術があるらしい。もし死んだら聞いてみたいところだが、その為だけに死ぬのはごめんだな。
さて、休憩はこの程度でいいだろう。
立ち上がる動作で空を見上げたが曇っていることに気付く。
先程までに見ていた星空は隠れ、更に氷粒の輝きが失われている気がした。寒風は当たり、煌めく星は靄が掛かり、鼠色の雲で覆われる。早く帰らねばと思ったが、両手に冷たい感触が一瞬、また一瞬と生まれていた。両手を見るが、冷たい感触の正体は見えはしない。風にしては一点に寒さが集中していて、周りに冷たそうな物は無く、足元にある氷粒に何らかの形で触れたとは到底思えない。それでもその冷たさの正体は数秒後に明らかになる。この世の詩人は舞い降りる冬の精とも詠っただろう。
「これは……雪?」
幻想的で、この砂漠には氷粒だけしか無いから雪なんて降らないだろうと思っていたが、やはり冬場の寒さが堪えるのか、雪も寒さのあまり出現したくて堪らないのだろうか。雪を見るのは久しいが、氷粒砂漠も相まって冬の風物詩が揃っている、口からぽろりと言葉が落ちる。
「────良い、寒さだ」
しかし、状況を飲み込むのが遅かった。
冬や氷、雪が好きという自分の感情に流され入り浸ってしまったが、本来これは最悪の状況だ。軽く探すつもりだったので荷物はテントに置いていて、寒さは増す一方。
雪はまだ弱いものの、ここでの雪はきっと必ずと認識した。
「この雪は後々……吹雪くな……」
雪が好きだからという理由で納得させるのは不可解ではあるが、自分の直感が、というより雪の精が教えてくれているような気がした。
定期的に夜は吹雪いているのだろうか。
少なからず、昨日からここで生活はしたが、
吹雪が発生している情報は知らないし、昨日はずっと綺麗な夜空だったはずだ。
悪いタイミングだ、ニジイロを待っているべきだったのだろうか、しかし、彼女が砂漠で倒れている可能性も否定出来ない。どちらにしろ悪い可能性に辿るなら、彼女が死なない方で頼むぜ、神様……!
神に祈る行為は無駄ではないだろう、命運を決めるのはどちらにしろ神様のおかげであることは否定出来ない。自分自身が神様にどう応えるか、それが大事なんだと思う。神様が存在していても、結局は自分の道は自分で歩くんだから。神様という応援してくれる人物が居るに過ぎないが、それでも一人の応援で頑張れる。きっとそう在るべきだ。
踏み出す足は一歩、また一歩。
雪の降る量、風が吹く量、数分歩くに比例してそれら全ては徐々に強まる。
自分は今、何処をどうして向かっているのか分からない。向いている方角や現在の位置座標に関してもだ。
風がとても強く、前が吹雪いて見えやしない……!
その時だ。
「✕✕✕────‼」
何かの音と地響きが聞こえた、それでも猛吹雪のせいで正体は掴めない。
「何だ何だ……⁉」
状況は掴めないままだが、注意深く耳を傾ければ、それは事態が更に悪化している事を理解する。
正体不明の何かが急接近している事実だ。
音は氷粒に刺さる豪快な足音からかなりの大型だという事を認識させる。
こんなところで巨大生物と交戦したら死んでしまう……!
どうすればいい……どうすれば……?
緊迫した雰囲気、混乱する脳内、思考は凍えてまともな答えなど出て来ない。
焦り続けるだけで時間を浪費し、音は目前まで迫り来る。
真ん前にある氷粒の山からその正体は吹雪に隠れて黒いまま、大ジャンプを試みる。
大きな巨体に似合わない跳躍力、目の前にある砂山は、いとも容易く越えらえる。
あの巨影が来るのは予想してはいたが、飛び込んで来るとは聞いてないッ!
着地点が自分の今居る場所だと気付くには遅すぎた。
疲れを先程、癒やさなければここで死んでいただろう、足は先程よりも軽く動く。しかし、巨影の着地に間に合うという訳ではなく、巨影の着地点の丁度ギリギリ前に出る。
空中で速度を増した影が地面に着地する。
その時だ、後ろを振り向き確認しようとしたものの、巨大な何かが跳躍を行った足で今までの無理な動きを全て受け止め地面に辿り着く。
辺りの衝撃は氷粒で軽くはなっているものの、反動は大きい。周囲三メートルの氷粒は全て舞い上がる。
しかし、舞い上がるのは氷粒だけではない、近くに居た俺の身体もその衝撃波に巻き込まれ、遠くに吹き飛ばされる。
咄嗟に受け身を取り、ダメージを最小限に抑え込む。
あの時に後ろを見れず、姿形も分からず仕舞いだったが……これでようやく謎の化け物の正体暴いたりだ!
「出てきやがれ、大ジャンプ野郎ッ!」
「✕✕✕────‼」
何かが擦れ合う音がする。生命の鳴き声とは到底思えない。というか、この砂漠に生命なんて存在しない、ならば目の前に居るのは機械か何かか……⁉
巨大な何かが遂に視界に見える位置へとゆっくりと近付く、ギチギチと鳴り響く辺り、獣ではないだろう。
そいつは、吹雪の中で顔を見せる。
強靭な顎、生命を根絶させる両手鋏、そして太く大きな体躯をしていて、末端は本来であれば毒針なのだが、毒針と形容するには相応しくない鎌の様な物を尖らせている化け物。
サソリだ。しかも氷で出来ており、機械的な人工物のように見えるものの、どうしてだか生命活動を行っているような昆虫らしい動作をしている。
明らかに俺の事を敵視している雰囲気だ、理由はどうあれ俺に何か文句の一つでも付けそうな見た目をしている、まぁ相手の場合は文句という名の蹂躙なのだが。
「どうやら、俺を生かして帰す訳にはいかないらしいな……」
氷のサソリ、名付けるなら名前は『アイス・スコーピオン』だろうか。名前の通りの見た目だし、そう呼ぶのが理想的だろう。
そのサソリに対して俺はこう言い放つ。
「俺に対して文句があるなら、かかって来やがれ氷の怪物! 俺はまだ死後の世界に行く訳にはいかないんだからなッ!」