一切の始まり
「あなたの幼馴染を生徒会長に当選させて欲しい。」
次期会長選に当選間違いなしと噂されていた現生徒会長から、そんな矛盾した依頼を受けたのは、ある初夏の夕暮れだった。
俺がこの高校に入学して、自分ただ一人の部活『映画研究部』を作って3ヶ月が経つという頃。
いつものように映画を見ていると、運命が戸を叩いた。
刷りガラスに映る影は長い髪、女だと分った所で、あわてる必要があることに気付く。
これはスピーシーズって映画なんだと、説明したとしてもこのエロシーンだけ見られると、勘違いされそうだ。
急いでテレビの電源を切り、どうぞと言う。気まずい雰囲気。
女の顔は見たことがなかった。2年か3年なんだろう、落ち着いた雰囲気を持つ人ということは察せられたが
対照的に、彼女は焦った様子で、間合いを詰めながら質問を投げかけてきた。
「あなたは生徒会長派?それとも…柳さんの方?」
あまりに突然で、意味が分らなかった。近々生徒会選挙があって、それに立候補しているのが、柳蒼子だという関連性は
理解できたが、それを何故俺に聞くんだ?全校生徒に聞いて回っているのだろうか。
正直なところ、選挙なんかに興味はない。ただ、生徒会長がとんでもない美人で、その上全国学力テストでも一ケタにランクインするほどの秀才。
さらには、ひったくり犯を追いかけて竹刀でボッコボコにして捕まえて表彰状を貰ったとか、武勇伝にも事欠かない大人物であるということは知っていた。
蒼子の方は…腐れ縁の幼馴染だということ以外何もない。あいつが立候補なんて笑うしかなかったが、お陰で最近は家に上がり込んできて五月蠅く
掃除しろだとか、ちゃんと飯を食えだとか言われなくなったので清々している。どちらかを選ぶって言うなら当然
「生徒会長派かな」
「以外ね…でも良かった。一緒に来て頂戴、あまり時間がないわよ」
腕を掴まれさっさと廊下をけん引されていく。うかつだったという後悔はもう遅い。
「えっ、今?どうして?何処に?」
「今。緊急事態だから。会長の所」
「いや、俺が聞きたいのはそういうんじゃなくて…」
反論の余地なく、見知らぬ場所へ到着する。この付近の廊下だけ、シックな赤の絨毯が敷かれている。目の前にある扉もどこか荘厳に見える。
「校長室…?」
「生徒会室よ。知らなかったの?まぁ、一年生なら仕方ないかもね。この扉の向こうでは言動に気をつけた方が良いわ。私からできるアドバイスはそれだけ。」
なにかもったいぶった言い方だ。まさか扉を開けたらゴッドファーザーよろしくマーロン・ブランドが猫を抱いてご登場ってわけでもないだろうに。
神々しい
それが全てだった。恐らくまともに顔を見たのはこれが初めてのはずだが、彼女が生徒会長であり、そしてこれからもそうありつづけるべき存在である
と、一瞬間のうちに理解させられた。カミソリのように鋭い目をしていながら、睨まれて不快に思わない。むしろ高貴なる者の抱擁といった暖かさがあった。
黒髪は腰の高さまであり、名前も分らないぐらい高級な布のように煌めき、彼女の小刻みな動きにつられて静かに揺れている。
言葉が出ない、どうして俺を呼んだ?何がしたい?生徒会はこんな特別待遇なのか?聞きたいことは次々と出てくるのに。
ただでさえ言葉を出しづらい状況に加え、この神々しいほどの容姿には、純粋に男としての恥じらいが付加される。
「…それで貴方が浅井陽介君ね?」
生徒会長の顔がわずかに緩んだように思えた。どうやら後ろの、俺を連れてきた女が何か合図をしたらしい。
「は、ハイそうです」
自分でも恥ずかしいぐらい緊張しているのが良くわかった。
「私は、姫崎朱音。生徒会長をやらせて頂いてます。急に呼び出してしまってごめんなさいね。」
穏やかな声。感情が後から付いてくる冷たさが、生徒会長という威厳をさらに高めるようだった。
「い、いえとんでもないです。しかし、自分に一体どういうご用件なのでしょうか?」
「…それを話す前に、了承して頂きたいことがあります。新井?」
新井と呼ばれた華奢な女性に流され、テーブルに座る。この椅子も安物ではないようだ。
家具の値踏みをする暇もなく、目の前に黒革のバインダーを渡される。一枚、文章量もわずかだ。
内容は要約すればこういうことだ。
生徒会長への全面的な協力。この部屋での出来事や会話、それ以外にも全ての生徒会に関する情報を漏洩してはならない。
背けば、当人の部活動に影響が出ると。影響ってのはつまり廃部にするって意味だと了解した。
ただこれのみだったが、俺を脅すには十分だった。
「言いにくいけどね、一人の部なんて極めてグレーな存在なのよ。」
新井さんが、こちらが読み終えたと分って話始める。
「貴方の所の担任さんは人が良いから許可しちゃったんだろうけど、結局尻拭いはこちらにくるのよね。部室だって数は限られているのよ」
ごもっともな話だ。自分でもよくもまぁこんな部をやれるものだと常々思っていた。しかし、部を潰されるということは、他の部に入らなければならないということだ
入学から3カ月が経とうという時、恐らくどの部の一年ももうすっかり溶け込んで、今から新人が入るなどと結構な辛さがあるのも分る。
それだけではない、生徒会に背くということは、廃部以上の不利益を覚悟しなければならないのも、この生徒会の特別扱いからして否応にも理解される。
よっぽど酷いことをさせられるのだろうか?案外ビラ配りだったりして…そう思いながら拒否権のない承諾サインをした。
新井さんはにっこり微笑んでそれを回収する。
これでもう文句はないはずだ。鬼と出るか蛇が出るか。賽は投げられた
「それで、一体何をしろというんです?」
冷徹な強迫文のお陰で、落ち着きを取り戻すことが出来ていた。
「その前に…」
会長は人払いの合図を出した。
「あなたもよ、新井さん。」
にわかに納得のいかない表情でしぶしぶ出て行く。
これでいよいよ会長と二人になる。
会長は話さない。ただこちらを凝視している。少し微笑んで見えるのは気のせいなのか。
否応なく頬が紅潮するのが分る。彼女の目に吸い込まれそうになる。
「それで、何をすればいいんでしょうか?…」
何秒、何分続いたか分らない無言の時間がついに終わった。否終わらせた。これ以上は精神と理性が持たない。
「しっ!」
突然の命令、そしてふいにネクタイを掴まれ会長の口が耳元に近づく。
良い匂い。ただし言葉は甘くなかった。
「他に聞かれるとまずいの。今からお願いすることは私との秘密よ、いいわね?単刀直入に言うわ。
次期生徒会選挙で、柳蒼子さんを会長に当選させてほしいの。」
「えっ…!それって一体どういうことなんですか?正直もう貴女が当選しているようなものじゃないですか?っていうかどうして…」
想定していたのとは真逆だった。訳が分らない。疑問が口から溢れ出る。
「今全てをお話しする時間はないわ。そして二人きりで会話をするのもこれからは難しくなると思うの。だからまずこれだけは信じて
私が柳さんに次期生徒会長をやってもらいたいと思っている、これは本心よ。生徒会がどう動こうと、これからどんなことが起きようと、信じてほしい。」
姫崎さんの目が少し潤んで見えた。信じるより他はない。彼女が嘘を言っているようには到底見えなかった。
「分りました。信じます。だけど自分が一体何をすればいいのか…?」
「まずは図書室の宮野さんに会いに行ってください。彼女からもう少し詳しい話をして貰うから。あなたが行くことは伝えているから、向こうから話掛けてくると思います。」
俺が生徒会長に従うことは既に決定づけられていた訳か。まぁそれ以外道が無いんだから唯唯諾諾しか無いよな…
「…少し時間を取り過ぎてしまいましたね、これ以上は流石に怪しまれます。他の生徒会メンバーには、私の選挙活動を手伝ってほしいとお願いした、ってことになっているから忘れないで。
こんなことに巻きこんでしまってごめんなさい。いつかまた日のあたる所で、こうして二人再開出来ることを祈っているわ。」
会長は手早く喋り終わると、俺の返事も反応も見ないうちに追い出された生徒会メンバーを呼び戻した。
「彼は私の当選への全面協力を約束してくれたわ。」