好きな人、嫌いな人
生ぬるいジュースを飲みながら、あたしはグラウンドを眺めていた。
日光をモロに浴びているグラウンドの中央で、大勢の人間がサッカーボールを追いかけている。
彼らは玉のような汗を流しながら、懸命に走っているのだ。
適当なところで歓声をあげながら、あたしは試合の動向を見守っている。でも正直いって、サッカーにたいする感想は特にない。ルールもあんまり理解してないし。
強いて言うなら、こんなに暑いのによくやるよなと思っている。しかしその反面、あんなに夢中になって頑張れることがあるなんて羨ましい、とも思えてくる。
少なくとも、何でもかんでも中途半端なあたしには、マネできない芸当だ。
ふと、隣で大きな歓声をあげている彼女を盗み見た。うちの学校でサッカー部のマネージャーをしている、泉灯。彼女とは、もう十年来の付き合いになる。
「みんなー、頑張って! ……ふう。凛、今日はサッカーの応援、来てくれてありがとね。おかげで沢田くんのモチベーション、八割増しになってる」
長い髪をかきあげながら、灯はつぶやいた。
沢田くん。という言葉にあたしは、無意識に反応してしまった。
グラウンドの目立つところで、必死にボールを奪い合いしている彼が目にはいる。
「ね、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? 凛の好きな人。沢田くんじゃないって言ってたけど、だったら誰なのよ」
突然の灯からの尋問に、あたしは平静を装って断言した。
「だから、好きな男子なんていないよ。それがあたしの本音」
「えーっ! またまたあ、沢田くんいい人だよ。二人がくっついたら、あたしも大満足」
灯は試合からは目を離さずに、口だけで会話をしている。すっかり夢中になっているようだ。
あたしはさりげなく、完全にぬるくなったジュースの缶を灯に渡す。すると彼女は、嬉しそうにそれを受け取った。そして炭酸の抜けきったジュースを、一気に飲み干す。
「ぷはー、やっぱり炭酸の抜けた炭酸飲料って美味しいよね。いい感じにぬるくなってるし。ね、凛?」
あたしは一応うなずいて見せたが、本当はそんなこと思っていない。
炭酸の抜けた炭酸飲料なんて、本末転倒ではないか。それに夏場の飲み物は、やっぱり冷えたものにかぎる。
世界広しと言えども、灯のような感覚を持った人間はそうそういないだろう。
やがて試合終了のホイッスルが鳴り、両チームが整列した。
結果は、うちのサッカー部の圧勝だった。灯が大きく手を振ると、サッカー部員たちが爽やかな笑顔をみせた。
そのうち沢田くんもこちらに気づき、あたしたちの方へやってくる。
「マネージャー、約束通り勝ったぜ!」
「偉い! さっすが沢田くん。これで念願だったアレが叶う……」
「あー、言うな言うな!」
なんだか親しげな雰囲気に、あたしは気まずさを覚える。まったく。灯ときたら、あれだけ沢田くんと あたしを冷やかしておいて。色んな意味で、見せつけてくれるではないか。
もう、こっそりと帰ってしまおうか。そう考えたとき。
「あ、えと。湯川さん、今日は応援に来てくれてありがとう。暑かったでしょ?」
唐突に沢田くんが、声をかけてきた。あまりにも突然すぎて、灯ですら口をあんぐりと開けたままになっている。
「いや、それほどでも。というか、沢田くんの方こそお疲れさま」
できるだけ当たりさわりのない返答をすると、彼は声をあげて笑った。それにつられるようにして、灯もニヤニヤと笑いだす。
「というわけで凛。来週の日曜、沢田くんとデートしてあげてね」
いきなりの提案にあたしは「え?」と、素っ頓狂な声を出してしまった。遅れて、沢田くんの「は?」という間の抜けた声が続く。
どうやら今の提案は、単なる灯の思いつきだったらしい。
あたしよりも先に、沢田くんが抗議の声をあげる。
「マネージャー、変なこと言うなって! ゆ、湯川さんも困るよな?」
沢田くんは、なぜかあたしに同意を求めてくる。まあ確かに、あたしも沢田くんの言葉に賛成なのだが。
灯が無言で両手を合わせて、懇願している様が見える。
どうもあたしは、灯には弱いのだ。
「沢田くんさえよければ、あたしは構わないよ」
彼が断ってくれることを願い、あたしはあえて高圧的な態度を取る。しかし沢田くんは、そんなあたしの思惑を裏切ってしまった。
「え!? 本当にいいの。……それなら、せっかくだし」
何がせっかくなのか分からないが、あたしはそれを承諾した。
そうすると灯は、とても満足そうな顔をした。――灯のアホ。
というわけで日曜日、あたしと沢田くんは遊園地にやってきた。
休日だけあって、ほとんどが親子連れやカップルばかり。あたしたちは肩身の狭い思いをしながらも、かなりの数のアトラクションを回った。
しかし廻ったアトラクションの数に比べ、話はそれほど弾まなかった。というのも、沢田くんとあたしには何の接点もない。当たり前のことだが。
互いの趣味を聞いたり家族のことを話したり、まるでお見合いのような会話ばかり。いつしかあたしは、ほとんど口を開かなくなっていた。
それは沢田くんの方も同じで、気まずい空気だけが漂う。そんな時だった。
「沢田くーん、灯ー。もうちょっと盛り上がろうよ」
二人で軽食を取っているところに、タイミングよく灯が現れたのだ。おそらくは、あたしたちの後をつけていたのだろう。
こんなことをするなら、最初から三人で来るようにすればよかったのに。……灯のことだからきっと、いらぬ気を遣っていたのだろう。
「マネージャー! いるならもう少し早く出てきてくれよ。俺もう緊張しっぱなしで……」
沢田くんは急に饒舌になり、普段の明るい笑顔を取り戻した。彼ほど分かりやすい人は、なかなかいないと思う。
結局あたしたちは、三人で遊園地を回った。
ジェットコースター、コーヒーカップ、幽霊屋敷など。
定番を遊びつくしたあたしたちは、最後に観覧車に乗ることにした。しかし灯ときたら「最後くらい沢田くんと凛の二人きりでさ! あたし、一人で乗るから」などと言い出した。
そして驚くことに沢田くんが、その提案に乗ってしまったのだ。
そうして昇りだした観覧車だが、思った通り無言が続く。どうして沢田くんは、こうなると分かっていながら灯の言い分に乗ったのだろう。
「湯川さん! じ、実はさ……俺」
なんて思っていたら、急に沢田くんが口を開いた。
あたしは黙って、彼の言葉に耳を傾ける。
「す、好きなんだ――」
そこから先の発言は、おおむね予想通りのものだった。
だからあたしは驚いたり、取り乱したりはしなかった。ただ、どうしようもない苛立ちだけがつのる。
彼が全部言い終わったあとで、あたしはわざとらしい溜息をついた。
「こんなまどろっこしいことして、どういう了見なの? ……それに、残念だけどあたしは沢田くんを応援できない。絶対に!」
そう言い放つと、沢田くんは度胆を抜かれたように目を見開いた。それから観覧車が回り終えるまで、あたしたちは何もしゃべらなかった。
かくしてあたしにとっての初デートは、実に苦い経験として刻まれたのだ。
「で、告白されたの? キスは?」
遊園地から家への帰り道、灯は食い気味にそんなことを聞いてきた。
「観覧車という狭い密室だよ、うら若い男女が二人きり。何もないはずがない!」
彼女の頭の中は、半分が少女漫画でできているらしい。本当にうらやましいかぎりだ。
それなのにどうして、沢田くんやあたしの本当の気持ちに気がつかないのだろう。
踏切りに差し掛かったところで、灯がすっと立ち止まった。不思議に思ったあたしは、灯の顔を覗き込んでみる。
するとやはり、彼女は涙をこぼしていた。表情は笑顔なのに涙を流している様は、とても不自然なものだった。
「沢田くんと、仲良くしてあげてね。……あたし、が初めて、好きに、なった人だから」
灯は、か細い声で言った。もし今、灯の隣にいたのがあたしではなく沢田くんだったら。彼はきっと、大喜びして小躍りでもするに違いない。
そんな彼を想像して、あたしは微笑ましい気分になり、憎々しい気分にもなった。
観覧車の中で沢田くんは、予想通りの発言をした。
『実は俺、マネージャーのことが好きなんだ! でも面と向かって言えなくてさ。だから、湯川さんのことが好きだ、って嘘ついたんだ。それでさ、成り行きでマネージャーと約束しちゃったんだ』
彼は知らない。その発言を受けて、灯がどれほどまでに傷ついたか。
『もし試合に勝ったら、湯川さんに告白するって。まさかデートの約束まですることになるとは思わなかったけど……こんな男だけど、俺のこと応援してくれないか? 本気でマネージャーのことが好きなんだ』
以上、回りくどい男の回りくどい作戦をあたしは聞かされたわけだ。
思い出しただけでも腸が煮えくり返る。
灯の涙を見つめながら、あたしは大きく深呼吸をした。あんなやつに灯を取られるなら、いっそのこと……。
カンカンカン、と踏切の警告音が鳴る。ゆっくりと遮断機が下り、向こうから電車の来る気配がした。
あたしは自分の服の袖で、灯の涙を強引にぬぐった。
呆気にとられた顔をした彼女の肩を抱いて、あたしは言った。
「 」
電車の通り過ぎる音はうるさくて、あたしの声はすっかりかき消さてしまった。
あたしがどうして、灯の言うことだけには背かないのか。あたしがどうして、わざわざ口をつけたジュースを灯にあげるのか。あたしがどうして、大嫌いな男とのデートで休日をつぶしたのか。
どうしてあたしに『好きな男子』がいないのか。
その答えを全て内包したはずの言葉は、きっと灯には届いていない。
彼女は目をしばたたかせ、懸命にあたしの声を聞こうとしている。でも、別に届かなくてもいいのだ。
とりあえず、まずはあたしと沢田くんの誤解を解かなくてはならない。
そうしたらきっと、また、元の仲良しな友人に戻れるのだから。