第三話 緊急脱出
鉄幹を待つこと数十分。まだ来ない。
向こうはこちらの位置も判らないのだ。幾ら造りが単純だといっても如何せん広大な遺跡だ。辿り着くまでそれなりにかかるだろう。
優輔はもう一度、棺桶の中で眠る少女を見やった。
西洋人形のようで、和風人形のような、生きているとも、死んでいるとも云えず(間違いなく死んでいるのだが)、何か優輔に感じさせる不思議な感覚があった。
仄暗い遺跡の中にいると時間の感覚がずれてくる。山中暦日なしとはよく云ったものだ。腕時計を確認すると午後三時を回ったところだ。そろそろ戻らないと夜道を帰らなければならなくなる。
ガラスのようなつややかで硬質な蓋は発光苔の光を緩く反射し、燦然と輝く光の残滓を生み出している。
優輔はそのガラスにそっと触れてみた。
案の定つるっとした感覚があり、冷たく、それでいてどこか暖かい、不思議な感覚だった。
すると、その蓋に青白い文字が浮かび上がった。
海の底から浮上してくるように、それはまだ曖昧だった。
瞳孔をこれでもかというくらい開け、驚愕を露わにする。
文字は初め曖昧にぼやけていたが、次第に鮮明になり、波紋のようなさざめきが広がり、完全に読めるようになった。
『起動準備中………クリア』
『メインプロセス実行』
『遺伝子情報インストール』
『主人番号認証中………確認』
『検体番号〈友愛〉起動中………現在進行状況一%』
理解不能な言葉の羅列が波間を漂うように浮かんでいる。意味不明なのだがなぜかいやな予感がした。この文字や棺桶からでなく、遺跡全体から不穏か空気が漂っている…気がする。幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた優輔の第六感が危険信号を発している。鉄幹が来る前に早計だったか。
「いや、どうせアイツが来たら触れるんだし、特に問題はないだろ。もうすぐ来るだろうし」
根拠はないがそう思う。これでも長いこと鉄幹とパートナーを続けている。ある程度の感覚なら解るのだ。
しかし、何かマズいことをしてしまったと感じて何分もいるのは精神的に苦しい。早く来てくれないだろうか。
鉄幹が来たのはそれから二、三分後だったが優輔は憔悴しきっていた。
「大丈夫、優輔…、何か疲弊してない…?」
「大丈夫だ、問題ない」
かく言う鉄幹も息を乱していた。走ってきたのだろう。うっすら汗も見える。
改めてみるとやはり鉄幹は大きい。一九八センチの身長に体重百キロ近くと巨躯だ。男子にしてはあまり身長が高くない優輔にとっては羨ましい限りだ。その大きな体格に思わず背中を預けてしまいそうになる。
鉄幹は優輔の隣に立ち、目配せした。優輔が頷き、鉄幹は覗き、同時に絶句した。
「これ…どうするの」
鉄幹が訊いてきた。
優輔は棺桶に眠る少女を見た。青白い文字のおかげで少し明るくなり、中の様子が判別できるようになっていった。
少女は全裸だった、既に見えていたが、暗く、細部までは窺えなかった。が、今は見えてしまう。細く、きゅっとしまったウエスト。髪の色まで判別できないが小振りで人形めいた顔。そして微かにしかないものの、その存在を示している、盛り上がった胸…
そこで優輔は目を逸らした。これ以上見ると頭がどうかしそうだ。そもそも人間かどうかも怪しいのに興奮するとは馬鹿馬鹿しい。そう思いながらもつい裸を想像してしまう。
(いかんいかん。今は任務に集中だ、集中。邪念よ消え去れ!)
心の中で経を唱えながら、邪念を取り払う。不用なものを取り除き、再び少女を見た。少し目線をずらしながら。
「これを運び出す。お前の古代兵器なら大丈夫だろ、鉄幹」
こくり、と力強く頷き、ポーチから二つの手袋を取り出した。これが人間に人ならざる力を与える鉄幹の古代兵器だ。全体にきめ細かい銀色で覆われ、何かの印なのか、緑色のラインが二、三本手の甲の中央の円に向かって伸びている。硬質感を与えているが、中は布のような未知の素材でできており、伸縮自在だ。
鉄幹はグローブに手を通し、感触を確かめるように手を開閉させる。
正常に動作するのを確認し、棺桶を掴んだ。力を加えると、起動音が発し、グローブの緑色のラインが煌々と輝く。その光は力強く、同時にどこか懐かしさを覚えた。鉄幹は棺桶を持ち上げる。
グローブの力を行使してもなお重いのか、棺桶はすぐには持ち上がらなかった。どうやら見た目より重いらしく、苦戦しているようだった。が、その均衡はすぐさま崩壊し、少しずつ徐々に持ち上がっていった。持ち上げた拍子に砂埃が舞い散り、優輔の鼻腔をくすぐる。鉄幹は集中していて粉塵など歯牙にもかけていなかった。
すると部屋から地響きがした。
揺れの連鎖が続き、天井から砂や苔が落下してくる。地響きの根源は天井奥から来ているらしい。
優輔と鉄幹はともに天井を見上げていた。鉄幹も地響きの原因は天井の方だとにらんだようだ。棺桶をを下ろして臨戦態勢に入っていた。
優輔はこの地響きの原因を模索した。考えられる要因は一つしかない。優輔は地響きの正体を看破した。
「鉄幹、棺桶を持ち上げろ!!脱出するぞ!!」
鉄幹の行動は素早かった。再度グローブを起動させて棺桶を持ち上げる。切羽詰まった状況だからか、先ほどよりも持ち上げる速度は上回っていた。
ダンッッ!!
鉄幹か棺桶を持ち上げきったところに天井から何かが落下してきた。天井には一つ、いや二つの穴が顔を覗かせていた。
二人は息のんだ。ごくり、と音がはっきり聞き取れる。背筋が凍り、緊張が走る。胃液が逆流するような感覚に苛まされ、全身に鳥肌が立った。
それは赤黒い真紅の二つの双眸を炯々と照らし、全身鈍い銀色に包まれていた。対となる巨大な鋏を構えている。人間の細腕など容易く断ち切られてしまいそうだ。
装甲蟹だ。
ギチギチと不快な音を漏らし、金属同士が擦れ合う聴くに耐えない狂おしい旋律を奏でていた。
気のせいか先刻出会った個体よりも凶暴になっている気がしないでもない。
「…おい、やけに気が立ってねーか」
「奇遇だね、僕もそう思ってたんだ」
肩で支えるにはいささか不安定な棺桶を担ぎ、しかし平然と立っていた。この古代兵器の力は幾度なく目にしてきたがもの凄い力だ。
人間ではありえない、人では成し得ない強大すぎる力を与える。それが古代兵器であり、大きな利便性わ備えるとともに、凶悪なまでの破壊力を得ることとなる。
とどのつまり、古代兵器は限られた人間にしか所持することを認められていない。それに古代兵器は才ある者しか発動しない。優輔と鉄幹は紛れもなく、才能を有した人間なのだ。
「ていうかあいつ等がご機嫌斜めなのはそれが原因じゃないのか?」
「多分…そう思う」
鉄幹は恨めしげに棺桶を睨んだ。優輔は終始装甲蟹に目を向けたままだ。
装甲蟹の敵意は完全に鉄幹に向けられている。瞳の奥にはマグマのような灼熱の赤色がふつふつと滾っていた赤い両目を怪しく照らし、敵意を明確に示していた。
狙いは、十中八九棺桶だろう。地に着いた四本の脚が気味悪く蠢く。金属質の表面同士が擦れ、狂気の雑音が脳に響く。
装甲蟹は執拗に棺桶を目で追ってる。それはさながら騎士のようだったが、優輔には不思議とそうは感じられなかった。
例えるなら捕らえた捕虜を逃がさず監視する番人のような…
どちらにせよ、持っていかれてはマズい代物が秘匿されているに相違ないだろう。ならば尚更持ち帰らねばならない。
人類が一矢報いるために。
ここでもたついてはいけない。咄嗟にそうお思い、出口を振り向く。と同時に絶句した。
「………!!」
振り向くとそこには絶望的な光景が広がっていた。
入り口付近には何匹ものの装甲蟹で埋め尽くされていた。有象無象に群がり、赤い眼光が宙を舞っている様は蛍の乱舞のようだ。だがその光には侵入者を容赦なく殺す。美しく舞う、暖かみを帯びた淡い黄緑色とは似ても似つかわない、不自然に漂う機械的で冷酷な血塗られた赤色だ。
両壁に巨大な穴が二つある。そこから湧き出たらしい。
(…挟まれた、か)
入り口付近と中央に棺桶が安置されている奥にそれぞれ装甲蟹。
(絶体絶命だな…こりゃ…)
普段の二人なら切り抜けられるだろう。死地は幾つもくぐり抜けてきた。だが今鉄幹は両手が塞がっている状態だ。武器も引き抜けない上に速く走ることすら叶わない。このような状態で一人で、しかも鉄幹を守りながら脱出するのはかなり困難だ。
だが、優輔はなぜかこの棺桶は今すぐに持って帰らなければならない衝動に駆られた。
「鉄幹、予定に変更はない。これを今すぐに運び出すぞ」
「…正気?」
鉄幹は怪訝顔で優輔を見た。まあ当然の反応だろう。無理をして死んでしまっては元の子もない。けれど、えも言い難い衝動が心臓を締めつけるのだ。
ドクン、ドクン。
心臓は正常に脈打っている。だが、心臓を絞り出すような切迫感は拭えない。
「ああ、正気だ。こいつは何かある。そんな気がするんだ。俺達人類が一矢報いるための、檻を突き破るための何かがな。それに……」
優輔は一呼吸置いた。
「何か解らないけど……これは持って帰らなきゃならない気がするんだ……。何かある。絶対。この心臓を締めつける何かが、これにあるんだ……」
最後は消え入りそうな声であったが、鉄幹はその心理を汲み取ったようだ。
「わかった。優輔に従うよ」
力強く頷く。その表情に迷いはなかった。
「いいのか?」
「いいもなにも、優輔が言い出したことじゃないか」
うぐっと言葉に詰まる優輔。それに、と言葉を紡ぐ。
「優輔の射撃の腕と機転の利く頭の回転の速さは信用してるら」
ま、一応性格もね、と言った。
「過大評価し過ぎだろ。俺はそんなに性格良くないし、一人前の人間じゃないぞ」
「誰も一人前だなんて言ってないけど?」
性格良いのは否定しないのかよ、とぼやきながらも優輔は脱出の方法を画策していた。
棺桶を背負って無事に脱出するにはまず、この部屋から抜け出さなければならない。だが入り口界隈には装甲蟹が群れを成している。脱出はかなり厳しい。古代兵器を使うにも、圧倒的に火力が足りない。優輔の手元にある拳銃型古代兵器では一体撃破している間に他の個体にやられてしまう。
ここを出るには一気に前方の装甲蟹を殲滅し、すぐさま後ろの二匹を倒す。それしか方法はない。
その一掃する方法がない。何か、何かないのか。この状況を打破できる必殺の武器は。
するとポーチからカランと乾いた金属音が響いた。金属の何かがポーチ内を転がったのだ。
(これがあったか!)
思考と思考のパーツが組み合わさり、パズルが完成する。欠けていたパズル板にピースが嵌まり、脱出の糸口を掴んだ。一筋の光明が差したが、それでも確率は低い。博打も同然だ。だが今はこれに縋るしか他ない!
「俺が入り口の蟹共を一掃する。全個体の消滅が確認できたら後は脇目もふらずに出口に向かって一直線に走ってくれ」
「了解」
ポーチから楕円型のラグビーボールを小型化したような物体を取り出す。持ちやすく、手でしっかり握れる大きさだ。それには先端に金具が埋め込まれた紐が垂れ下がっている。全体に重々しい深緑色をしており、どこか圧迫感を感じる。
口で紐を引っ張る。紐はピン、と金具の外れる甲高い音とともに外れた。どうやら栓になっていたようだ。小さな窪みが不自然に開いている。優輔は栓を抜いた楕円型の物体を入り口界隈に群がる装甲蟹に投げつけた。装甲蟹は即座に、過剰に反応した。飛来する物体を見入っていた。緩やかな放物線を描き、地面に落ちてカランと音をたてて、部屋の中で反響した。楕円型の物体は一度装甲蟹手前でバウンドし、装甲蟹の足下を転がった。
次の瞬間、光が視界を支配した。
目を開けていられない程の光量が視界を埋め尽くし、爆風が身を引き裂くかのように全身を襲った。
轟音、そして、静寂。
砂塵が晴れたそこにはもうなにもなかった。地面は抉られ、大穴が穿かれていた。あれだけ群がっていた装甲蟹は一匹たりとも残っていない。優輔が投げたグレネードの威力の凄まじさを雄弁に物語っていた。
「走れぇぇぇ!!鉄幹ッッッ!!」
優輔の怒号が飛ぶよりも早く鉄幹は駆けだしていた。だが初速が遅い。無理もない。巨大な荷物を背負っているのだから。
装甲蟹も黙ってはいない。走り出す鉄幹を追いかけて、残っている奥の二匹も駆けだしていた。
だが走り出す前に優輔の銃口が装甲蟹の額めがけて火を噴いた。二つの光弾が光のラインを引きながら寸分違わず赤く輝く核を撃ち砕いた。パキィンと音の後、装甲蟹は目の輝きを失い、その場に崩れ落ちた。
装甲蟹が生命活動を停止するのを待たず、大穴を飛び越え、鉄幹を追いかけた。