第十五話 苛立ち
--2212年 東京区 南区 内区 南区SMC--
優輔の目の前にそびえ立つのは巨大な灰色塗りの建物、別名SMC本館と呼ばれるものだ。そこには各部署が統合、配置され、日々業務に追われている。実際仕事が本当に忙しいのはSMCの本職である魔獣撃退ではなく事務系の仕事の者なのだが。
魔獣がこの高い壁に囲まれた東京区を襲うことはめったにないからだ。あったとしても侵入する前に討滅されるが。
とどのつまり魔獣撃退を生業とする者は暇なのだ。その暇を補う為に区内を巡回するなどの治安維持に務めている。
実際問題、東京区の治安は決していいとは言えない。かといって犯罪が多発している訳でもない。ガラの悪い連中がたむろっている程度だ。
だが、最近この不良達も無視できないレベルまで達してきた。
通常巡視するSMC団員は基本能力持ちである。能力を持っていることはそれは圧倒的な力の差があるということを意味する。能力保有者は生まれ持った才を持ち、そしてその才は運動能力まで比例する。すなわち能力を持っている者は運動神経が極端に優れているのだ。それこそ、絶対的な力量が決まってしまうほどに。
最近の不良達はこの能力者にさえ刃向かうようになってきたらしい。自身も武器を持ち、その差を埋めるために。いかに運動神経が優れていようとも、例えば銃弾を避けるなど不可能である。そういった手口で区内の治安を不安定にさせる輩が増えてきたらしい。らしい、というのは優輔がまだそういう者達に出会っていないからだ。やはり増えてきたといえどもその数はやはり少ないのか。
優輔と遥、フィリアはSMCの本館の正面玄関の前に立っていた。
「わー、おっきいね!」
フィリアは無邪気に騒ぎ、SMC本館の大きさに感嘆しているようだった。確かに迫力はある。SMCの敷地内では一番大きい建物だし、周りにそこまで大きい建物が無いせいか、尚更そう感じる。
SMCの敷地は並みの学校など比較にならないほどの大きさを誇る。本館を始め、社員が寝泊まりするための宿舎や体を動かすための運動場、また団員のための訓練場までも存在する。この訓練場が特に大きく、敷地内では二番目の大きさになる。ウエイトルームを始め、射撃場、道場も備えている。
「でしょ?この建物は区内でも有数の大きさなんだ。高さが制限されてるから高度ギリギリまで大きくしてあるんだよ」
遥が自慢気に話す。フィリアはへー、と頷いていたが、その視線は本館に向けられたままだ。解っているのだろうか。
遥とフィリアはとても楽しそうに話していた。昨日会ったばかりとはとても思えないほど気軽に会話している。それに引き換え優輔といえば会話の輪から外れている。
フィリアとどう接したらいいのかわからないのだ。さっきも厳しい物言いになってしまったし、元々人と接するのは苦手で相手との適切な距離が掴めない。遥となら難なく話すことはできる。物心ついた頃から一緒にいたせいもある。お互いの正しい距離も理解してる。
「さ、行こうよユウ、早く入ろ♪」
遥が手招きする。フィリアもそれを真似ておいでおいでする。
「……ああ、そうだな」
今はまだ無理かもしれない。でも、長い時間をかければきっと、できる…と思う。今は遥に手を繋いでもらってるけど、いつか独りで歩み寄れるくらいになりたい。難しい事だけど、皆当たり前にやってるんだから。
三人は玄関の扉を開く。古びているのか、歪な音をたてながらガラス戸を開く。隣室している管理室にいる人に会釈をして通り過ぎ、廊下を歩く。階段を三人でゆっくり上がり三階まで上がる。その間もフィリアは物珍しそうに辺りをきょろきょろと眺めていた。廊下の隅を見てはきゃっきゃっと騒ぎ、花瓶に飾られてある花を見ては嬉しそうに眺めていた。何かしでかさないか少し心配だった。
三階階段から一番奥の部屋に団長室はある。ドアには誰が書いたか不明なドアプレートが飾られてある。「団長室(ノックしてね☆)」とても団長が書いたものとは思えない。とは言っても怖くて誰が書いたかも問いただせない。優輔はそのプレートの下を二度ノックした。
「松村です。外界調査の報告にあがりました」
「優輔か、入ってくれ」
ドアノブを回し、ステンレス製のドアを押し開ける。
中は暖色系を基調とした色彩に囲まれ、ベージュ色の優しい色合いの壁に同じ色をしたタイル張りの床。奧には少し大きめの団長用のシステムデスクに、多くの収納棚が完備されている。その中には何かの資料のようなものが入っているようだが正直何かはさっぱり判らない。サイドにはまだドアがある。確かあのドアの奥は小さな給湯室だったはずだ。湯沸かしポットやヤカン、それに茶葉やコーヒーが用意されている。
システムデスクのイスには一人の男性が座っていた。短く切り揃えられた髪に、鋭くも優しさを秘めた瞳。見た目二十代中頃ぐらいだろうか、だが、なんとなく若々しさを感じる。団長の都ノ宮大吾だ。
「お疲れさん。よく無事に帰ってこられたな」
「はい」
「新たに発見された新遺跡の探査、お疲れ様」
今度は横から声が聞こえた。団長室に設えられた応接用のリクライニングソファに軽く座り込んでる女性がいた。
つい先ほどまで書類整理をしていたらしく、リクライニングテーブル上には紙類が無造作に積み重なっている。
彼女は結城咲夜という。凛とした姿で真っ直ぐ背中を伸ばして腰掛けていた。長い黒髪を頭の高い位置で一つに縛り、ポニーテールに結っている。その真っ直ぐな髪が流れるようにして垂れ下がり、リクライニングソファに広がっている。咲夜はその怜悧な瞳を真っ直ぐ優輔に向けていた。
「はい、お気遣いありがとうございます」
「で、どうだった、初めての外界は」
「…すごいとこですね、改めて実感しました。俺達は危険と隣り合わせに住んでいるって」
大吾はふっ、と薄く笑い漏らすように話した。
「それさえ解ってくれれば上々だ。んで、それから区民を守るのが、俺達の仕事だ」
大吾はご明察とばかりにパチンと指を鳴らし、イスに深くもたれた。
「それでだ、優輔。朝方鉄幹が来たんだが、その時お前が、その、面倒な事に外界で巻き込まれたって聞いたんだが」
「ああそれなら……」
優輔は体を横に移動し、遥を前に出させた。
「医療班、白河遥です」
遥はキリッとした表情で敬礼した。大吾と咲夜も立ち上がり返しに敬礼する。
「遥もいたのか。どうしたんだ、お前は外界調査には出てなかったはずだが」
「はい、事情を説明するために。……ほら」
遥は後ろに隠れてたフィリアを促し、背中を押して前に出させた。フィリアは少しおどおどしながら前にちょこんと進み出た。少し照れくさそうに俯き加減で上目遣いだった。
「「…………………………」」
大吾と咲夜は開いた口も塞がらない状態だった。瞳もどこか焦点が合ってない気がする。
「………………………はっ」
大吾がまず現実世界に復帰したようだ。そこまで衝撃だろうか。
「えっ…………と……」
大吾は瞳を泳がせながら、ちらちらとフィリアの方を目配せていた。フィリアといえばん?と首を傾げるだけだった。
「その………………………産んだ?」
……………………………………………………………は?
大吾は優輔と遥を交互に見ながら何かを口走った。
あ、これなんかデジャビュ。
「はああぁぁぁ!!?んなっ、そんなわけがないでしょう!!産むって、そんな、アホな!」
「いや、しかしその子、見たことない子だし…」
「だからって話が飛躍しすぎでしょう!!いろんな段階をすっ飛ばしすぎです!」
優輔は顔を真っ赤にして猛抗議した。なんかこの展開、前もやった気がする。
「遥、どうなんだ?」
大吾は優輔を無視して遥に問いた。遥は暫くきょとんとしていたが突然顔をポッと赤くして手を頬に当てた。
「はい、私達の…子供です♥」
「んなわけねええぇぇぇえぇぇ!!!!」
優輔は遥の肩を掴みガクガクと揺さぶる。あぅあぅと声を漏らしながら、遥はニヤニヤしてる。ここでもそんな扱いなのか。
「なんと……いつの間に籍を…そうならそうと言ってくれれば盛大な式を挙げたのに」
「咲夜さんも悪ノリしないで下さい!!」
この人、こんな性格だっけ…?優輔の中での咲夜のイメージが若干変わりつつあった。
よく見ると皆顔を隠しながら、笑いを堪えているのが判る。あの咲夜でさえ普段の毅然とした態度ではなく、単純な笑いを浮かべていた。
(俺の安寧となる場所は…無いのか…?)
どこへ行ってもこんな扱いだ。酷い、理不尽すぎる。何にもしてないのに。場の雰囲気は和むが優輔の心が代わりに折れてしまう。
「マスターをいじめないでっ」
そんな笑いなのか悲しみなのかよく判らない雰囲気の中にフィリアが割って出た。落ち込んで膝をついている優輔の前に壁のように両手を広げ立ちはだかった。それは優輔を守っているようだった。大吾や咲夜や遥、そして優輔までも驚愕に陥った。
「フィリア…?」
「マスターをいじめないで。マスター、かなしんでる。あなた、わるいひとなの?」
フィリアは人差し指の指先を大吾に向けた。その顔は悲しみ半分、怒り半分といった構成だった。指差しながらも体は優輔の前に塞がったままだ。
「ちょ、ちょっと待てフィリア、大丈夫だ。俺は虐められてなんかない。むしろあれは、いじるというか、スキンシップ…そう!スキンシップなんだよ!」
優輔は膝立ちしながらフィリアの向いている方へ回った。上がっている腕を下ろし、必死に弁明した。
「マスター、いじめられてないの?」
「ああ、大丈夫だ。俺はなんともない。むしろこの人はとてもいい人だぞ」
「…ほんと?」
「本当だ本当」
フィリアはじっと大吾を見つめた。針の穴を通すように凝視する。
やがて大吾はフィリアの眼前まで歩き、しゃがみこんで優しい口調で言った。
「やあ、フィリアちゃんって言うのか。俺は大吾、ここの組織の団長を務めている」
「?」
フィリアには組織の構成とか序列は判らないようだ。目を点にして、疑問を浮かべている。
「要するに、ここで一番偉い人なんだ」
「…えらいの?」
「ああ」
それでもフィリアは警戒心を解こうとしない。確かに勘違いとはいえ、虐めれていると思っていたのだ。第一印象があまり良いとはいえない。
「………(じーっ)」
「よし、この飴をあげよう」
「わーい!」
簡単に懐柔されてしまった。フィリアは張っていた警戒線をあっという間に崩し、大吾から飴玉を受け取り包装を外して中身を口に運んだ。口をもごもごさせて幸せそうな顔をして、優輔の方へ寄ってきた。
「もごもご…マスター、この人もごもご…いい人だね!もごもご…」
「……そうだな、とりあえず食べながら喋るのはやめような」
最近の子供でもこんなにいとも簡単に懐柔されることはないだろう。悪い大人にお菓子を見せられたらホイホイついて行きそうだ。
大吾はフィリアにリクライニングソファで座っているように指差した。フィリアはこくん、と力強く頷きとことこ歩いていった。それと入れ違いになるように咲夜が優輔らの方に歩み寄ってきた。
「しかし……フィリア、とか言ったな、あいつは一体、何者なんだ?」
「そうそう、あたしもあまり詳しいこと聞かされてないし」
そういえば遥にはろくな説明なしでなし崩し的にここまで来てもらったような気がする。なんて順応性が高いやつなんだ。
「あいつは…フィリアは高尾遺跡で発見しました。ちょっとした部屋に棺桶に入って安置されていました。それほど奥という訳でもなかったんですが、入り口がかなり特殊な形をしてました」
「特殊、とは?」
咲夜が問う。
「なんか手を翳した瞬間扉が光って自動ドアのように開いたんです。勿論開くのは遅かったですけど。石でしたし」
あの突如開いた石戸は、一体何だったんだろうか?現代の科学では解明できない、古代技術の産物なのだろう。
でもそれだけなのだろうか。
探した限りでは石戸らしきものはあの部屋にしかなかった。侵入者を阻む入り口でさえ扉は無いのだ。なのにあんな辺鄙な場所に扉を設置するだろうか。それほど、あの部屋に有ったものが重要……なのか?
「ふむ………なんにせよ、ここで話しても埒があかん。一度詳しく診てもらえ」
「診てもらうって……検査所ですか?」
ここ東京区は人口二百万人が住む大都市だ。それだけ魔獣や古代兵器に関する情報を有する量は多い。そういった外界から持ち込まれたあらゆるものを検査する機関が東京区には存在する。まあ、東京区に限らず他の地域や国でも似たような機関は多数存在するのだが。その機関は日本では〈外界調査物検査所〉、長いので検査所と略されている。
「………」
優輔は心の隅で少しばかり怒りを覚えた。
検査所は外界から運び込まれたものを検査する機関である。それには遺跡から発掘された古代兵器を始め、魔獣さえも運び込まれる。その中にフィリアが同列としてみなされていることに苛立ちを感じた。
フィリアは紛れもない人間だ。あんな物騒な兵器や魔獣と一緒にしないでほしい。
「……団長、フィリアは人間ですよ。検査する必要なんてありませんよ」
「まあ、そう怒るな。外界からもたらされたものは一度全て検査所に届け出しなきゃいけない義務なんだ。知ってるだろ?」
「……ええ、まあ」
「それなら兵器だろうと魔獣だろうと人間だろうと見てもらわなきゃならない。この東京区に越してきた人は全員そこで検査を受けなければならないんだ」
「そ、そうなんですか?」
知らなかった事実に驚愕を覚える優輔。外界からもたらされたものは検査を受ける必要があるのは周知の事実だったが、よもやそれが人間まで対象の範囲だったとは思いもしなかった。
「…すいません、早とちりしてしまって…」
「いや、構わないよ。知らなかったんだから、当然だ。それに、検査した人はあまりそのことを言いたがらないしな。聞かなかったら知らんままだろうしな」
なんか猛烈に恥ずかしい。なにをムキになって言ってたのか。穴があったら入りたい気分だ。
「しかし松村、お前フィリアちゃんのためにやけに弁護してたな」
「うっ」
咲夜が痛いところを突いてくる。
「お前が誰かのためにそこまでやるとは、成長したなお前も」
「ち、違います。ただ俺は…」
顔を赤くして照れながら優輔は目線を泳がせる。咲夜と大吾が優しい微笑を浮かべる。そんなんじゃ、ないのに…
「俺は…フィリアが、なんか人間扱いされていないような気がしたんで、そう言っただけ、それだけです…」
妙な経緯があるとはいえフィリアは紛れもない人間だ。この体がそれを証明しているし、家でのあの人間らしい感情表現も間違いなく人間そのものだ。外見の割に中身が幼いのは気になるが、そういう人もいるだろう。精神発達が未熟な子だっているだろうし、早熟な子だっているに違いない。
なんにせよフィリアはれっきとした人間だ。それなのに人間扱いされていなかったことに、少し腹が立っただけだ。
「そうか、そりゃ悪かったな。俺としてはそんなつもりは毛頭なかったんだがな。気分を害したなら悪かった」
「いえ、こちらこそすいません」
大吾がちらっと後ろの時計を見た。壁掛けのシンプルな時計は短針を四のところで止めていた。
「む、もうこんな時間か。思ったより話し込んだな」
時計の針はコチコチと秒針を揺らし一秒ごとに時を刻んでいる。思ったより時間をくったようだ。
「俺もまだ仕事があるし、今日のところは帰ってもらって構わないぞ」
「はい、では失礼します。…フィリア、帰るぞ」
「はーい」
テーブルの籠に盛られた飴玉の包みを更に開けようとしていたフィリアはその飴をどうしようかと悩んだ末に持って帰る事に決めたようだ。包み紙がテーブルの上に散乱している。一体いくつ食べたんだ…。
片付けようとテーブルに向かおうとした優輔は咲夜に呼び止められた。片付けはしてくれるそうだ。ありがとうございますとお礼を言った。フィリアにも頭を下げさせた。咲夜はふっとフィリアに微笑んだ。
「検査所には一週間以内に行ってくれればいい。先方には俺が連絡しておくよ」
「わかりました、失礼します」
最後に遥も頭下げて、退出した。途端にひやっとした空気に触れ、優輔は少し心地よく感じた。部屋の中はお香で少し暖かかったからだ。
優輔はふぅと一息つき、窓の外を見た。外に広がる街並みとまばらに点在する並木が見える。住宅区なので人通りは割と少ない方だがそれでも少なからず人の往来はある。相変わらず無駄に広い道路にはバスしか通っていない。あれだけ広くて交通量が少なければ歩道の意味があまり無い気がしないでもないのだが。
「……帰るか」
「うん!」
「そうだね」
廊下を来たときとは逆の順序で降りる。また、フィリアがあれこれやと質問を繰り返してきた。さっき言った事もあるんだけど…。
外にでるとさっき入った時とは少し、違うような感じがした。もう夕方近いからだろうか。後一時間もすれば日も沈み、一日が終わる。そうすればまた明日から一日が始まり一日がなんなく過ぎていく。明日からは忙しくなりそうだ。フィリアの身分証明書や戸籍づくり、遺跡の調査結果等々、やるべきことは山のようにある。
優輔はげんなりしながら家路についた。
道のりは、少し長く感じられた。
温泉に浸かった後で書き上げました。いやー、温泉っていいね!一日の疲れが吹き飛びそうですよ!熱い湯に肩まで浸かってはぁ~。いやー、極楽極楽。
そんなおっさんくさい台詞は置いといて。
十五話です!始めがなんだかドタドタしてたのになにこのほのぼの。これはゆるゆるではないと言うのに……。暫くはこのゆるゆるが続く予定です。不定期で投稿してますので次がいつかは判りませんが、ゆるっと投稿します。
では。