第十四話 南区魔獣対策警備会社
--2212年 東京区 南区 内区--
大通りを更に中心に向かって歩いていくと、正面向かって右手に突然と塀が続きだした。塀の高さは約三メートル。大通りに並ぶ店と並行して続いている。
暫く歩くとその塀も途切れた。そこには大きな門がそびえ立っていた。といっても外壁門や内壁門よりは遥かに小さい。高さ三メートル、幅も同じくらいだ。その大きな門扉の横にもう一つ小さな扉があった。鉄幹はそこに近づいていき、扉のサイドにある黒色の物体にカードキーを差し込んでスライドさせた。ピー、と音が鳴り、扉のロックが外れた。鉄幹は扉を開け、中に入る。
扉の奥の大きな門に通じているのはアスファルトで舗装された道だった。鉄幹は暫くはその道なりを進んだ。そしてそこには巨大な建物があった。学校の校舎を四枚ほど重ねた五階建ての建物だ。外観は校舎というよりむしろオフィスという感じだ。もっともこんな仰々しいオフィスなど無いが。
ここは魔獣から区民を守るために組織された民間会社、南区魔獣対策警備会社、通称SMCの本社だ。
SMCは魔獣と戦うために創設された会社だ。多くの能力者がここの会社に集まり、優輔や遥、鉄幹もここに就職している。各々の能力者がここでその技能を生かし、魔獣達の脅威を退けている。この会社は地区にそれぞれ一つあり、その地区の魔獣対策だけでなく、地区の治安維持活動も行っている。が、今はむしろそっちの方が主流となっている。魔獣は今はほとんど出現しなくなってしまい、たまに現れる飛行型魔獣の撃退が主となっている。しかもそれも簡単に終わってしまい、さしずめ今この会社では仕事が無い状況なのだ。
外界から現れる魔獣は外壁上に設置された大型古代兵器〈エンシェントウェポン〉によって撃退する。この古代兵器はなんと魔力が使えなくとも使用することが出来る。あらかじめ能力者がこの古代兵器に魔力を充填しておけばそれを発射するだけで魔力が無い一般人にも使用することが可能だ。だからこの仕事は一般人に回されている。なぜかというと、魔獣を相手にする仕事というのは給料が多いからだ。必然的に魔獣と相対することとなる能力者はこの会社でかなりいい給料に恵まれている。この仕事は公務員扱いされる。能力者達の給料は区民の血税から賄われているのだ。そう考えると仕事が全くない今が少し心苦しい。平和な事はとても良い事なのだが。
鉄幹は南区魔獣対策警備会社、と掲げられたネームプレートを見つめ、それから正面玄関を開けた。少し古くなったガラス戸がきぃと軋むような音をあげる。
(そろそろこの扉も換えなければいけないかもしれないね。経理担当に話し合っておこう)
鉄幹はふと思いながら玄関の横にある警備員に会釈をして、先へ進んだ。タイル張りの床が廊下によく響いている。鉄幹は二階へ通じる階段を一段ずつゆっくり進んでいった。二階、三階と同じペースで上っていく。
「あら、倉田君じゃない」
三階に着いたとき、見知った顔に出くわした。鉄幹は見知った顔だと判り、その場で挨拶した。
「堂島さん、おはようございます」
「ふふ、おはよう。外界から帰ってたのね、お帰りなさい」
優しい、大人びた笑みを返す。遥のそれとは全く違った包容力のありそうな物柔らかな笑みだった。茶色に染められた短い癖毛がそれを強調しているかのようだった。
「はい、倉田鉄幹、ただいま戻りました」
鉄幹はビシッと敬礼する。手慣れた動きで無駄がなかった。相手はそれを聞いてくすくす笑い出した。
「ふふ、それをするのは団長だけでいいわよ。アタシにする必要はないわ。それと、堂島じゃなくて明美でいいっていつも言ってるじゃない」
「す、すいません、…あまり慣れなくて」
明美は手を腰に添え、少し拗ねたように唇を尖らせた。鉄幹は困ったように後ろ髪を掻いた。
「ま、無理強いするつもりはないんだけどね。気楽に呼んでくれて構わないのよ。…あまりこの名字、好きじゃないのよ」
「……何か、理由があるのですか?」
鉄幹は失礼ながら聞いてしまった。後になって、しまった、と後悔した。だけどもう遅かった。他人のプライバシーに土足で上がり込むなんて失礼極まりない。あのおばあさんに出会ったから、こうなってしまったのかもしれない。少し自重しよう、鉄幹はそう誓った。
「あら、倉田君、女の秘密を探るなんて大胆ね~」
「い、いえそういうつもりは」
鉄幹はたじろいでしまう。なにせ美人のスタイル抜群、プロポーション抜群のお姉さんが顔を接近させてきているのだ。いかに朴念仁である鉄幹も動揺せざるをえない。それに少し甘い匂いもする。香水をふりかけているのだろうか。無闇にふりすぎず、とはいえ全くふらないでもなくいい塩梅だと思った。これなら言い寄る男も多いのでは、と思った。
SMCには能力者ではない人達も多数いる。その中の一人がこの明美だ。主に非能力者達は事務や経理など裏方の仕事を請け負っている。この会社が成り立っているのはそういった能力を持たない人達の力による所が大きいのだ。但し、能力を持たない者がこの会社に入るのは非常に厳しい。非常に優れた技能を持つ人達でないとこの会社に入社するのは難儀だ。明美自身は勉強一筋でこの会社に入社してきた稀な例なのだ。明美は類い希な勉学の素質を持つ。正直研究者とかにでもなればいいのにと思う。まあ、何か思うところがあったのだろう。
「ちょっと、気になっちゃって…それで、その」
「胸が?」
明美は豊満な胸を寄せて上げる。スーツの中シャツの第一ボタンを外しているので、寄せて上げた胸の谷間が露わになった。
「違います」
鉄幹はビシッと言い放った。明美は「あら、残念」といって前傾の姿勢をとってきた。シャツの隙間から覗く大きな胸の谷間がこれでもかというほどに見える。流石にこれにはうっときてしまったが、なんとか耐えきり、気丈に振る舞った。
「その手の色仕掛けには通用しませんよ」
「ちぇっ、残念ね。倉田君、全然からかい甲斐が無くてつまんないわ~。松村君ならすごく動揺して見てて楽しいんだけど」
よし、上手く誤魔化せたようだ。
明美のグラビアポーズに顔を真っ赤にする優輔が容易に想像できた。顔を両手でガードしながらも隙間からちらっと覗く優輔。ついでにそれに怒る遥の姿もプラスアルファオマケ付きで、なんとなく会話も想像できる。
「優輔はホントからかったら面白いですから」
「本当ね~あれだけ動揺してくれると、する方としても嬉しいわ~」
二人はあはは、と笑いあう。他人の不幸は密の味っていうが間違いなくこの事だろう。
「あっ、そうだ。どうじ」
「じっーーー」
何か鋭い視線を感じる。本気で怒ってるようでもないが、出来ることなら導火線に火を点けない方が賢明である。
「ご、ゴホン。…あ、明美さん」
「それでよし」
「…正面玄関の扉なんですけど、ちょっと老朽化してるのか、開け閉めの時変な音出てるんですけど。ちょうつがいが駄目なのかも…」
「あーー、そう言えばそうだったわね。わかったわ、手配しとくわ。教えてくれてありがとう」
「いえ、これくらい」
「お礼に、お姉さんから大人のプレゼントを」
「いりません、僕もう行かないといけないんでこれで失礼します」
一通り礼を言い、頭を下げた後、鉄幹はそそくさと退散した。出来るだけ俊敏に早足で逃げ去った。
「あ、ちょっと待ってよ……もう、つまんない子ね~」
明美はがっかりした様子でもなくそのまま二階へと降りていった。
明美がついて来ていない事を確認した後、鉄幹は人が五人はゆうに通れそうな廊下を歩いていった。一番奥まで行くと階段のつきあたりの場所に一つの部屋があった。そのドアの前にはルームプレートがはめ込まれてあった。
団長室(ノックしてね☆)
ルームプレートの下に張り紙で付け足したように可愛く書きなぐってあった。いったい誰が書いたのだろうか。これを外さないままでいる団長もなかなかすごいと思う。一応張り紙通りノックする。
「誰だ?」
中から男性の声が聞こえた。少し声が高い、青年のような声だった。
「倉田です。外界調査から戻ってきました」
「ああ、鉄幹か、入れ」
鉄幹はステンレス製のドアノブを回し、ゆっくりと前に押し出す。すると部屋の中のハーブの匂いが鉄幹の鼻腔に充満した。お香を焚いているせいなのか、少し暑い。それでも微かに廊下側と違うだけであるが。扉を完全に開くと窓側に面した所に机があり、そこに一人の男性が座っていて、その前には背の高い、長い黒髪をポニーテールでまとめた、すらっとした長身の女性が立っていて鉄幹の方を向いていた。
「あ、副団長、お取り込み中でしたか」
副団長と呼ばれた女性は依然としてキリッと張り詰めた表情で鉄幹に言った。
「いや、私の話は既に済んでいる。少し団長と談話していただけだ。用件があるなら早く済ますといい。それとも、私がいれば話せない内容でも含まれているのか?」
「いえ、大丈夫です。僕は報告にあがっただけですから」
副団長の名は結城咲夜という。SMC副団長を務める実力者だ。彼女は腰に提げた一振りの太刀の使い手である。彼女の刀は振る挙動一切に無駄がなく、目にも留まらぬ斬撃を繰り出す。夜の花のように凛と静かに佇み、静謐な夜に小さく咲き誇る一輪の花、正に彼女の名を体現するのに相応しかった。それほどまでに咲夜の剣技は目を見張るものがあり、その美しい身のこなしは多くの人を魅了させる。年齢はそうはいってないはずだ。せいぜい二十五歳程度だろう。また、長身で端正な美しい顔立ちであることから社内でも隠れファンも多いと聞く。眉目秀麗、理知的で怜悧な瞳、戦いに関しても一等級で並みの男では適いもしない。完璧超人、それがSMC副団長、結城咲夜なのだ。
咲夜は、そうかと言い、横へ逸れた。鉄幹は机の前まで歩き、椅子に座る団長を見た。
「初の外界外泊調査、ご苦労だったな、鉄幹」
団長は労い言葉をかけて、柔らかい笑みを浮かべた。ハーブの心地よい匂いが鉄幹の気分を楽にさせてくれる。
「はい、ありがとうございます」
鉄幹達は外泊での外界を調査するのはこれが初めてだったのだ。なにせ入社してまだ一年しかたっていない、新米同然なのだ。それにもかかわらず外界調査を行えたのはひとえに団長の強い推薦があったからだ。団長は優輔や鉄幹、遥を特に気にかけてくれている。確かに鉄幹達は学生時代から能力が高く、将来有望だとされてきた。それも影響しているのだろうか。
「で、何か変わったことはあったか?」
SMC団長、都ノ宮大吾は腕を組み、おそらく一番重要であろう質問をした。外界調査の目的はまだ見ぬ未知を探索することを主旨に置いたもので、その役割どころは非常に大きい。判らないことが大半を占めるこの世界では、情報が極端といっていいほどごくわずかしかない。それを人間の知りうる範囲で、情報を引き出すことは滅亡から逃れる最大の盾となりうる。
「……」
しかし、一体どう言おうか。
フィリアについて、正直迷うところはある。あまりにも謎が多すぎて、頭がおかしくなる。でも決して悪い子じゃない。悪いなら悪いと反省する子だし、優輔に懐いている、というかマスター、か。マスター。主人、なのだろうか。だったらあの二人の関係は主従関係となる。あんなに慕っているのに、あの二人は主と従属している者という関係でしかないのか。なんというか似合わない、なんか違う気もする、いやきっと違うはずだ。
「そう言えば優輔は?いないのか。……まさか…」
大吾は暗い顔になる。鉄幹は勘違いをしてる、と思い暗い思考を止めた。
「い、いえ、そういう訳ではありません。優輔は帰ってきてますよ。ただ……ちょっと面倒な事が起こってて」
「面倒な?それは優輔が何か関係してるのか?」
「ええ、まあ、ちょっと一言では言いづらいんですが…」
部屋に微妙な空気が流れた。当然だが、そう曖昧にされては知らない者にとってはいささか気分が悪いだろう。しかし、事が事にだけにパッパと済ませられる問題でもない。
「とりあえず優輔は昼過ぎ頃にここに来るって言ってたんでその時に詳しい話を聞いてもらえば」
「…そうか、いや、ならいいんだ。無事であるならそれに越したことはないからな。報告、ありがとう」
「いえ、当然のことですから」
「当たり前の事をするってのは、なかなか難しい事なんだぜ、人間にとってはよ」
唐突に違う種類の声が聞こえた。大吾でも鉄幹でもない、男のような声だった。鉄幹も大吾も咲夜も特に驚くことなく、いつものように出現を待った。
大吾の手首の辺りが不自然に揺らいだかと思うと、そこに波紋が浮かび上がり始まり、その波を突き破って何かが飛び出してきた。
それは長い鎖だった。鎖の先端には三本指の手のひらのようなものがついており、後は普通一般の鎖のそれと同じだった。鎖は大吾の左肩を回って背中を伝い、右肩にちょこん、とその手のひらの部分が出るように位置どった。
「そんなもんだろ、人間って」
「まあ、な。ところでハンヴェルお前、人間の気持ちとか解るのか」
ハンヴェルと呼ばれた大鎖は答えるかのように手を開閉させた。
「いんや、オレが解るのは相棒だけだ。他のやつなんざさっぱりわかんないね」
この人語を介する大鎖は俗に知能兵器と呼ばれるものだ。人の言葉を理解し、話し、意志を持つ極めて特殊な古代兵器だ。その特異さゆえに個体数が限りなく少なく、また、兵器自身も一癖も二癖あって性格が悪かったり、自分が認めた所有者以外には触れることさえ嫌がる傾向がある。ハンヴェルも所有者以外と会話したりすることは拒まないものの、やはり触れられるのは嫌がる。だがこれはまだ軽いほうで、中には会話はおろか、見られることさえ厭うものもある。
東京区にはこの知能兵器所有者は数えるほどしかおらず、またそのうちの四人は北区、南区、東区、西区SMCを率いているそれぞれの団長が所有している。彼らは紛れもないエリートで選ばれたものであり、かつ強力な実力者でもある。
一般的に知能兵器は古代兵器よりも個体数が少なく、古代兵器よりも強力なものが多い。一人で一つの部隊に匹敵する力を有している。
「オレは相棒のものなんだから、他のやつなんて気にしてねえんだよ。オレには相棒だけが唯一なんだよ」
「…そうかい」
大吾はふっと笑い、肩に乗ったハンヴェルを押した。それが合図だったかのよう波紋を呼び、大鎖はもとの(?)空間内に戻っていった。
あの空間は知能兵器が持つ力のうちのほんの初歩にすぎない、というか既に知能兵器に備えられている能力だ。知能兵器を格納する空間。原理は全く不明だが、知能兵器はあの空間内に収まり、それぞれ個体の空間を形成している。空間を形成しないものも勿論あるが、それは持っていてかさばらないものに限定される。大抵の知能兵器は強大な力を持つがゆえにその大きさも古代兵器より一回り大きいものが多数だ。そしてそれは鎖であるハンヴェルにも当てはまる。
「まったく、余計なやつがでしゃばって…」
はあ、と溜め息一つ。確かによくわからない事を言って結局去っていってしまった。
「疲れてるのに、悪いな」
「いえ、特には…」
「そう言ってくれると、ありがたいんだがなあ…」
どうやら団長はハンヴェルのおしゃべりには多少なりに苦労しているようだ。所有者といえどやはり気苦労はあるのか。
「では、僕はこれで」
「おう、優輔にきちんと聞いとくから、お前はゆっくり休んでろな」
鉄幹は大吾に頭を下げて、咲夜にも軽く会釈をして団長室から退出していった。後に残ったのは静かな静寂のみだった。時計の秒針の進む音だけが、唯一の支配者だった。
「………しかし、面倒ごとって何だ?」
「さぁ……」
大吾と咲夜は優輔がやってくる時間まで、ただ首をかしげるしかなかった。