第十三話 遺恨を背負い、誰しもが生きる
--2212年 東京区 南区 内区--
朝日もすっかり顔を覗かせ、燦然たる太陽の光が大地に降り注いでいる。植物達も芽吹き始め太陽の恩恵に与ろうとして、花弁を開き始めた頃だ。遠くで鶏の鳴き声がした。随分と寝坊な鶏だ。今が文明社会だからといって怠慢しているのではないだろうか。自分の責務はきっちりこなしてほしい。
人影がポツポツと目立ち始めた。植物達と同様に朝日を拝んでいる人、朝の日課なのかジャージ姿でランニングをしている人、スーツを着込み時計を確認して停留所でバスを待っている人、様々だ。今日も人は一切の変わり映えもなく、一日を過ごしている。
鉄幹はそんな閑散とした大通りを一人歩いていた。実際結構人がいてあまり閑散とした、とは言えないのだが。
大通りは広い。六車線もあって、その隅に人が歩く歩道があるのだからかなりの広さを想像できよう。だけど車は一切通っていない。この道を通過するのは割と便が過密な区内バスだけだ。後裕福な金持ちもか。ガソリンなどの燃料の補給が困難な昨今は車なるものがほぼ通らない。通るのはバスとたまに通る金持ちの高級車のみだ。正直こんな大通り無駄なんじゃないかと思う。
人通りがまばらな大通りを更に中央に向かって歩く。だんだんと店のシャッターが開き始めた。後数時間もすれば開店するだろう。
正面からバスがやってきた。バスが風を切り裂きながら鉄幹の横を通過する。この時間帯のバスはかなり混雑している。だから鉄幹はあまりバスを利用しない。体が大きいし、こんな巨体がバスを陣取っても邪魔なだけだろう。ずっと前に乗った時横のおじさんから睨まれた。理不尽だと思った。
ずっと歩いていると正面に人影を見つけた。腰は若干曲がり、かなり年をいっているようだ。杖代わりなのか、箒を持って道端を掃除していた。
「あら、鉄幹ちゃん、おはよう」
鉄幹を見かけたおばあさんは箒を両手で持って挨拶してきた。
「おはようございます、おばあさん」
この人はいつも毎日こうして大通りを掃除している。勿論全域とはいえないがおばあさんが住んでる辺りはほぼ綺麗にされている。齢七十歳とは思えない。
「いつもご苦労様です」
「いやねぇ、鉄幹ちゃん。そんなことないのよ。もう習慣になっちゃってるから」
口を動かしていても箒で掃くのは止めなかった。溜まった砂や石ころ、タバコの吸い殻などが箒に絡め取られ、端へ端へ追いやられていく。溜まったゴミはちりとりで集められてゴミはきちんと回収して砂や石ころは街路樹の根本に捨てられ、元のあるべき場所に還っていった。この周期を永遠のように続けている。
「疲れたり、しませんか」
「そりゃ、勿論疲れるねえ。けど、家の中でずっと寝てるのって、何だか死んでいるみたいな感じがするんだよ」
「そう、ですか?」
「あなたもこの年になれば、きっとわかる時がくるさね。体を少しでも動かしてた方が、ずっと生きてるって感じがするんだよ」
「………」
それはこの世界で生きているから、だろう。絶望と破滅しか存在しない世界で自分という存在を認識するのは困難だ。それをこのおばあさんは運動で確立させようとしている。
「それに、おじいさんがいつ帰ってきてもいいようにしないといけないしねえ」
「………」
おばあさんの旦那さんのおじいさん、実際には見たことない。おばあさんがいつの日か話していた。
あたしにゃ、旦那さんがいてね。とっても格好よくて、強い人がいたんだよ。けど三十年前…だったかしら、怪物退治に出て行ったきり、帰ってこなかった。その後同僚の人達が外に探しに行ってたんだけど、結局見つかんなくってね。おじいさんは怪物に殺された事になって、そんで終わっちゃったんだよ。あたしゃ、当時すっごく泣いてね。そりゃもう三日三晩泣き通しさ。でも泣いてばかりいちゃいけないって、しばらくして気づいてね。無我夢中で仕事に明け暮れたのさ。そしたらおじいさんの疵の痛みもだんだん薄れてきて、次第におじいさんの事も忘れてきたんだよ。ま、ボケてきたってのもあるんだろうけどねえ。どんなに大切なものだったとしても、やっぱり時の流れには勝てないものなのかね。
鉄幹はかつておばあさんが喋ってくれたことを思い出していた。その時のおばあさんは悲嘆や悲哀といった感情ではなく、むしろ諦念がこびり付いていたようだった。
「あら、ごめんなさい。辛気くさくなっちゃったわね。解ってるのよ。おじいさんはもう戻ってこないってくらいはね。いつまでも固執するのはよくないってのも。いつか、割り切らなきゃいけないのよね」
「………」
この世界で生きていく以上、誰しも悲しみを背負わずにはいられない。悲しみなんてどこにでも転がってる。さっき捨てられていたタバコの吸い殻や石ころと同じように。特におばあさんの世代ではそれが顕著のようだ。結局どうしようもないのだ。
「あの、」
「ん?」
「……大丈夫ですよ」
おばあさんは何かを待っているかのように鉄幹を見つめていた。
「何かあったら、僕らが必ず助けに来ますから。それが、僕らの仕事ですから」
こんな言葉じゃ足りないだろう。おばあさんの悲しみは、こんな陳腐なものじゃないのだから。それでも、鉄幹はおばあさんを慰めたかった。少しでも、悲しみを取り除いてやりたかった。
おばあさんは少しばかり鉄幹を見つめていた。一瞬とも、永遠ともいえた時間、おばあさんはようやく目を逸らして小さく笑った。
「…ふふっ、ありがとうね。それだけで、もう十分さね」
おばあさんは柔らかい笑みを浮かべ、鉄幹に向かって微笑んだ。太陽が射したような、明るい笑みだった。
「鉄幹ちゃんも、ここを守る、ちゃんとした社会人だものね。もう、昔みたいに誰かの後ろで泣いてる子じゃないものね」
「し、知ってたんですか」
優輔は途端に恥ずかしくなり、顔を赤らめた。おばあさんと知り合ったのは去年からのはずだが、どうして知ってるのだろうか。
「そりゃ、知ってるさ。鉄幹ちゃん、小さい頃からここ、通ってたでしょ」
確かに昔学校に通ってた頃ここは鉄幹の通学路だった。その時にケンカとかもした記憶がある。
鉄幹は昔内気な性格で、体が大きかった事もあって、よくその事に苛められていた。その時鉄幹を助けてくれたのが、優輔と遥だった。当時の優輔は今みたいに人見知りじゃなくて、ずっとやんちゃだった。鉄幹を苛めていた連中も蹴散らしてしまった。遥は、当時から男勝りの根性は相変わらずだったらしい。同じように蹴散らしてしまった。(それでも優輔よりは多少分別ついていたようだが)まあ、遥は優輔の制止剤みたいなものだったのだろう。
だから鉄幹は二人に恩がある。出来ることなら二人のために動きたい。そう思ってきた。それは今も変わらない。
「鉄幹ちゃんだって、今はもう立派な、」
おばあさんは慈しむかのような優しい瞳で鉄幹を見た。きっと、若い時はいいお嫁さんだったに違いない。
「〈戦士〉、だもんね」