第十二話 家族を、想う
その後はフィリアも悪戯をする事なく、大人しくテレビを見ていた。テレビを見たことがないのか、テレビをずっと見入っていた。「箱の中に人が入ってる」というお決まり文句は無いらしい。
見ていた番組は子供向けのアニメだった。悪い怪獣を正義のヒーローがやっつけるという単純なものだ。
このアニメ、正直言うと視聴率はお世辞にもいいとは言えない。この怪獣が魔獣を連想させるからだ。なにせコンセプトが「魔獣の脅威を忘れさせないこと」というものだ。題材的にも親は見せたくないだろう。でも実際、これで何人の人々がその危機感を抱いているだろうか。
そして外界の様相を知る優輔達にとってもあまり好ましいものでもない。本当の魔獣はこんな生易しいものではない。もっと強烈で、恐ろしくて、不気味だ。まあ、外界のことはあまりよく世間には知られていないし、アニメの作画担当者も外界の世情も知らないからこういうものが描けるのだろう。知っていたら、とてもこういう描写はできない。
おにぎり(in胡麻昆布)を残さず平らげた優輔達は今後について話し合った。フィリアは一人テレビを見ている。優輔達はそのまま食卓に座していた。
「とりあえず僕は団長の所に報告に行ってくるよ」
鉄幹はお茶を啜りながら、真っ先に意見を言った。優輔達は外界調査がなどが終わると団長の所に帰還報告に行かなければならないという暗黙の了解がある。そうした方が団長的にも安心だからだ。
「そうか、なら俺はどうしようか……」
優輔はチラッとフィリアを見た。まだアニメに釘付けになっている。ちょうど怪獣が現れたところだ。怪獣が暴れる度にフィリアは悲しみの声を漏らしていたが、正義の味方が現れると歓喜の声をあげた。現金なやつだ。
「優輔はここにいなよ」
「………そうだな」
現状でフィリアを一人残しておくのは危険…とまではいかないが、やはり不安である。フィリアに危険性が無いにせよ、やはり古代の遺跡で見つかった謎のものというのには変わりないからだ。
「それにフィリア、優輔といるとき、とても楽しそうだしね」
「そ、そうか?あんまりそういうの経験無いからわかんないけど…遥や鉄幹といるときだって楽しそうじゃないか」
「相手にどう思われてるなんて、自分には判らないものだよ」
相手の本心を知ることなんてできないし、その逆もまた然りなのである、か。所詮は他人、どんなに親密に接していても言語化しないことには伝わらないのだ。
「それ、遥自身にも言えることなんじゃないかな」
鉄幹がボソッと言う。なくなったお茶を茶瓶から注ぐ。遥は驚いた風に鉄幹を見た。優輔もつられてそっちを向いた。
「僕が見る限り、遥も優輔と同じくらいフィリアに好かれてるようだけど」
「お前だってそうなんじゃないか?」
正直、その理論だと、誰もが他人の好意に気づいていないことになる。そんな悲しいことってあるのだろうか。いや、だからこそ、人は一人では生きていけない、と云うのだろうか。
「さあ?どうだろうね?」
鉄幹は緩やかな微笑を浮かべるだけだった。昔からこういうやつだった。何もかも見透かしたようで、皆とは少し違った、達観したような態度だった。大人びている、とも言えるし、まだ未熟だともとれた。中等部時代に知り合ってから、ずっとこの調子だった。決して別段と勉強ができたわけではない(それでも優輔よりは遥かにできていたが)。勉学に関しては遥の方が秀逸だった。けど遥は鉄幹ほど大人びていない。むしろ逆だ。遥は子供っぽいところがあり、何事にも楽しそうに生きている。しょっちゅう優輔をからかったり、子供みたいな大袈裟な笑いをする。それでいて空気を読むところはきちんと読む。世話焼きだし。優輔よりはずっと大人だ。
(…それにしても)
優輔はフィリアを見た。
アニメのキャラの挙動に一喜一憂するフィリア。活発だといえばそれまでだが、明らかに子供っぽすぎる。体格はおそらく中学一年くらいである。顔の出で立ちから想像しても、そのくらいが妥当だ。
だが、その体格とは裏腹に言動が子供すぎる。小学生中学年、下手したら低学年の挙動だ。
(いったい、このギャップは何なんだろう?)
まあ、そんなことを言い出したらフィリアの存在自体謎なのだが。
まあいいか、と優輔は思考を中断した。分からないことは早くから諦める質なのだ。それが優輔の処世術だ。
優輔は再び鉄幹に目を戻した。鉄幹はフィリアの姿を見て微笑ましそうにしている。子供が好きなのかもしれない。
子供の気持ちなど、接したことがないからさっぱり判らない。身近に小さい子供がいないからだ。
「鉄幹ってなんかやけに子供の世話上手いけど、兄弟いるのか?」
「うん、弟が一人、妹が二人」
初耳だった。道理で物腰が柔らかいはずだ。あの柔和な表情は常の弟妹達の世話から培われたものだったのだ。
「優輔って…そう言えば……」
「………」
優輔には家族がいない。優輔がまだ小さい時、両親が魔獣に喰われて死んだ。まるごと喰われたらしく、骨一本残らなかったそうだ。
この世界では日常茶飯事に起こっていることだ。
人の命が簡単に奪われ、住み慣れた街が一瞬にして瓦礫の山に変貌することは。危険と隣り合わせの不安定な支えの基でこの世界は成り立っているのだ。
「ご、ごめん…」
「いや、気にするなよ。もう昔のことだ」
鉄幹はばつが悪そうに俯いた。優輔自体、あまりその事は覚えていないのだ。
「とにかく、鉄幹は行くんだろ?なら早く行ってこいよ。そろそろ時間だぜ」
「…そうだね、行ってくるよ」
鉄幹はコップに入ったお茶を一息で呷り、流し台に突っこんで、玄関へ繋がる戸を開けた。
「じゃあ、とりあえず団長には簡単に説明しとくけど…」
「解ってるって。俺も昼過ぎには出勤するからさ。フィリアを連れてな。その時にきちんと説明するから、お前は帰ってきたことを伝えてくれればいいから」
「りょーかい」
戸をバタンと閉め、バタバタと足音が遠ざかっていく。ガラガラと扉を開けて鉄幹はいなくなった。この場には優輔と遥とフィリアだけになった。
「あたしもそろそろ行くよ」
そう言いながら、鞄を中身をチェックし始めた。遥は優輔と鉄幹とは違い、外界調査に赴いていない。休む理由がない、なら行かない理由はない。そう当たり前の事を思いながら、優輔は空になった食器を洗っていた。石鹸でスポンジを泡立て、一枚一枚丹念に磨く。我が家が優輔一人になってから家事の全般は優輔の仕事となっている。たまに、いやしょっちゅう遥が来たりしてなかなか一人きりという機会には恵まれないが、概ねそんな感じだ。
鞄の整理も終わり、優輔の方を見る。
「ちゃんとフィリア見てるんだよ?」
「へいへい」
優輔は適当に返事をし、遥は呆れたように溜め息をついた。鞄を提げて、リビングの戸を開けようとした。
と。
ぎゅっ、
遥の服の裾が何かに掴まれた。
「…フィリア?」
フィリアは真っ直ぐ遥を見据えた。その瞳には微かな不安の色が混じっているように思えた。
「ハルカ、行っちゃうの?」
「え…」
「行っちゃうの…?」
不安げにフィリアは言葉を漏らした。フィリアの瞳が揺らいでいる、不自然なほどに、はっきりと。
遥は正直なところ、その言葉と表情を見た刹那、「よし、休もう。今日はいっぱいすりすりしよう」と不純にも思ってしまった。だが、何の理由もなく会社を休むのはやっぱりあれだ。一日くらい平気ではあるだろうが、彼女の真面目な性格がそれを難しくしていた。
「おい、フィリア、遥に迷惑かけたら駄目だろ」
「ん~~!」
しかし、フィリアはいやいやするように頑なに首を縦に振ろうとしない。遥の服の裾をずっと引っ張ったままだ。
「はあ……しょうがないなあ…」
すると、遥が唐突に言い出した。鞄をその場に降ろして、しゃがみこみ、フィリアに言い放った。
「仕方ないから、今日はいてあげるよ」
「ほんと?」
「うん、ホント」
フィリアの顔がパッと明るみを増し、にっこり笑う。その時のフィリアの表情は本当に嬉しそうだった。
「いいのか?」
優輔がキッチンの奥から出てきた。洗い物が終わったのだ。元々大した量ではないし、元から溜まっていた物は調査に出かける前に全て終わらせておいたから洗うのは先刻使った皿だけで済んだ。
「いいもなにも、仕方ないでしょ。フィリアちゃんが離れないんだから……」
「…悪いな」
「別に、ユウが悪い訳じゃないよ。会社には連絡しておくし…一日くらいどってことないよ」
遥はうっすらと笑い、フィリアの頭を撫でた。フィリアの髪がくしゃっと丸まる。遥はポケットから端末を取り出して、電話を掛けた。
「すいません、今日少し用事があって遅れて出勤させてもらいます。……いえ、その、ちょっと諸々あって……理由は話すと長くなるので出勤してからで……はい、はい、わかりました。ご迷惑をおかけします。いえ、はい、それでは」
端末を切り、ポケットに仕舞う。遥は再びフィリアに顔を向けた。微笑む遥、無邪気に喜ぶフィリア。二人の絵図はまるで微笑ましい姉妹…いや、親子のように見えた。出会ってまだ間もない二人がまるで、以前から知っていたように思えた。そんなことは絶対に有り得ないのに。
「どうしたの、ユウ?」
「あ、あぁ…なんでも…」
優輔は言葉を濁した。なんとなく気どられたくなかった。思考を中断した。
「それより、どうすんだ今日?昼過ぎには出るとしてもかなり時間余ってるぞ」
今現在八時前後。時間はたっぷりあるが、有りすぎるほどではない。何をして時間を潰そうか…。
「ふぁぁ~……」
フィリアが盛大に欠伸をした。目をゴシゴシ擦る。瞼がトローンと下がり、首がかくかくしている。そのまま寝てしまいそうだ。
「フィリアちゃん、眠いの?」
「うん………」
フィリアは優輔のズボンを弱々しく握り、掠れるような声をあげた。よほど眠いらしい。「ふああぁぁ……」また一つ、欠伸をした。
「そうだな…俺も帰ってきたばっかでちょっと眠いし、丁度いいな」
「あたしも昨日遅くまで待ってて、今日も朝早くから起きてたからあんまり寝てないんだよね…」
今後の予定は決まった。優輔は二人を招き、寝室へと向かう。廊下を歩き、襖を開く。畳の敷かれた六畳半の部屋には布団が一式揃えられている。優輔は押し入れから敷き布団、掛け布団を二組引っ張り出し、一つを遥に手渡す。さて、遥をどこで寝さすか…。
遥は渡された布団をそのまま敷きだした。敷き布団の上に掛け布団をかけて、その中に入った。ちなみにフィリアは既に優輔が普段寝ている布団で夢の中に堕ちている。
「って、ここで寝るのかよ」
「別にいいでしょ。フィリア、もう寝ちゃったし、一緒に寝ようよ。昔よく一緒に寝てたじゃん」
「昔は、だろ。今は少し遠慮し……あぁ、もういいよ…」
優輔は遥の指差す反対側のフィリアの左隣に布団を敷き、枕を敷いた。
「って、これ川の字じゃねえか」
「いいじゃん、川の字。一度やってみたかったんだよー」
「子供かお前は…」
優輔は呆れながら布団の中に入った。思ったより疲労が溜まっていたのか、すぐに眠気が襲ってきた。
(そういやこうやって遥と並んで寝るなんて何年ぶりだろ…)
遥と互いに成長して、一緒に寝なくなって久しい。現在十七歳。更にこう大人数で寝るのは優輔の記憶の中にほとんど無かった。微かに母と父や兄と寝ていた記憶が残っているくらいだ。
(………)
そう思うと優輔は自分にとって家族はなんなんだ?と思わざるを得なくなった。断片的な記憶しか残っていない家族。それは決して家族と呼べるのだろうか。物心ついた時から遥と一緒にいて、当時はしょっちゅう遥の家に泊まっていた。いや、むしろ住んでいたといった方が正しいかもしれない。
初等部中学年の頃から段々一人で暮らすようになってきて中等部に入る頃には既に自炊をしていた。今でも養ってくれていた遥の母親への恩返しは忘れていない。我が子でもない、両親の遺言も遺されていないのにも関わらず、優輔を育ててくれた。感謝してもしきれない恩が遥の家族にはある。
遥の家族は母親と遥の二人きりだ。父親はいない。別に魔獣に殺された訳ではない。病気で亡くなったのだ。遥の父親は病弱で、常に病院通いだった。心臓辺りの血管の弁膜がなんたらの病気だった…らしい。当時優輔と遥はまだ五歳だった。人の死を感じるにはまだ早い年頃だった。だから遥も父親の事をよく知らないし、死について特に深く悩んでいる風でもなかった。それでもたまに思い出すかのようにひっそりとアルバムを見ていた時の遥の瞳は、どこか遠くを見ているような顔だった。優輔はそんな遥をこっそり見ていた。遥は誰にも見せたくないように思っていたらしかったが、実際優輔は見ていたし、多分遥の母親も知っているだろう。
優輔にとって家族は遥であり、白河家だった。自分の本当の家族よりも違う家族の方が本物だと感じるなんて、なんて皮肉だ、と思わないでもない。でも白河家で感じた暖かさは間違いなく本物だ。たとえ本当の家族でなくても、今そこにある暖かささえあれば、人は生きていけるんだ、優輔はそう思った。
白河家から少し離れた今でも遥との交流は依然として続いてるし、今まさにフィリア、という新たな家族も増える予感がしている。憂える必要はどこにもない。ただこの今を謳歌すればいいんだ。ずっとこうやって、遥やフィリアと過ごしていたい。優輔はそう思った。
目の前に暗闇が広がり出し、やがて優輔の意識は、途切れた。