第十一話 優輔と少女の関係
--2212年 南区 内区 優輔宅--
途中で休憩を挿み、内壁の内門の警備兵にもなんとか怪しまれずに済み、なんとか通勤ラッシュの時間帯までに家に辿り着く事ができた。
押入から優輔の初等部時代の服を掘り出し、なるたけ男っぽくない柄の服をチョイスして少女に着させた。その時は男陣は退出された。今度は鉄幹も一緒だった。
着替えが終わり、サイズが合ったことを確認すると、家の応接室で話の本題に戻った。
鉄幹が促し、再び少女に問うた。
「君、名前は?」
「なまえ?」
うーんとうーんと頭を絞り出した。そんな考えることか?と思いつつ、少女が答えを出すまで待った。
そしてあっ、と言いパッと顔に明るみが表れた。
「フィリア、フィリアっていうの!」
「そうか、フィリアちゃんって言うのか。僕は鉄幹、倉田鉄幹だよ」
「てっかん?」
ふふ、と笑いながらそうだよと答える。子供の扱い方が上手い。慣れているのだろうか。
「で、こっちのお姉ちゃんが遥、白河遥」
フィリアと呼ばれる少女は遥に向き直り、小首を傾げながら、遥の名を反芻した。
「はるか?」
「!」
遥は身を強張らせた。小首を傾げながら、名前が合っているかどうか、ちょっと心配しながらもその名前をつぶやくその姿は愛らしく、まるで小さな天使のようだ。
「か、か、かっ、かかっ」
遥はフィリアを見て、口をパクパクさせていた。言葉の呂律が回っていない。少しばかり、いやかなり頬が上気している、と優輔の目には映った。こりゃまさか、と優輔は思った。
「可愛いーーー!」
遥はその場から駆け出し、フィリアをぎゅっと抱きしめた。とても嬉しそうに、満面の笑みを浮かべていた。本人はその行為が先程フィリア同一であることを忘れているようだった。フィリアは、はぅと可愛い吐息漏らしながら、遥のされるがままになった。
「可愛い、可愛いー!なにこれスッゴく可愛いよこの子!さっき帰ってくるときも我慢するの大変だったんだよねー!愛くるしい顔!愛らしい仕草!もー反則!もう持って帰りたいくらい!はうぅぅ、もうホント可愛い!食べちゃいたいなあ!あ、そうだ、あたし、白河遥!よろしくね、フィリアちゃん!」
「うん。よろしく、はるか」
「キャーーーーー♥♥♥」
遥は足をばたつかせながら、更にぎゅっと抱きしめた。フィリアも満更でないらしく、ニパッと笑った。
「お前、あそこでの動揺と驚愕は何だったんだよ」
「いいの、そんなこと。あの時は確かにいきなりだったからちょっとびっくりしちゃったけど」
遥は一度フィリアを離して、フィリアを見つめた。フィリアがきょとんとしている。
「だけど、今フィリアちゃんの可愛さを知っちゃったからいいんだよ~」
再び抱きしめ、頬をすりすりと擦らせる。それはまるでペットを愛でているようであった。
(ぬいぐるみかよ…)
優輔はハア、とため息一つ吐き、来客用に用意したお茶をぐっと飲み干す。うん、やはり茶は美味い。
(って俺はじいさんか)
心の中で一人突っ込み、座布団に腰掛ける。
「それでフィリアちゃん、最後の人なんだけど…」
フィリアは胡座をかいた遥の足の上にちょこんと座った。
「この隣にいる無愛想で、人見知りな男が」
「おいこら」
「マスター!」
フィリアが優輔を指差し、一際大きな声で鉄幹の言葉を続けた。そのせいで優輔は鉄幹の言葉に反論する機会を失ってしまった。
「マスター!マスターはね、フィリアのマスターなの!」
「………」
一瞬、この場の空気が重くなった。優輔は訝しんだ。マスターとは、一体。そう思うと、不思議とすんなり言葉は流れ出た。
「なあ、マスターって、一体なんなんだ?」
フィリアはなんで知らないの?とばかりに首をもたげた。
「?マスターはフィリアのマスターだよ?」
「……これはどうにもならないね」
鉄幹がお手上げだとばかりに肩をすくめた。確かに微妙に会話が繋がっていない気がする。いや、フィリアの中ではそれが解答なのかもしれないが、少なくとも優輔達にはなにがなんだか解らない。
「ねえ、ユウ……ホントに心当たりないの?フィリアちゃんの“マスター”ってのになった覚え…」
遥が心配そうに聞いてくる。彼女の足に座るフィリアを遥はぎゅっと強く抱いた。彼女の瞳は揺らいでいた。そこに揺らぐ、優輔の姿が映し出されていた。
「……うーん、そう言われてもなぁ………………ぁ」
そう言えば。
優輔は遺跡のフィリアが安置されていた場所に入った時、鉄幹と連絡をとりあった。それから優輔は棺桶に触れた。その時に何か不可解な文字列が浮かび上がってきたのを見た。まさか、あれか…?
「もしかして……棺桶に触ったときか……?」
「心当たり、あるの?」
「…確証はないけど」
「なら、フィリアちゃんに聞いてみたら?」
横入りで鉄幹が提案してくる。なるほど、それなら間違いない……のだが、さっきの発言から推測するにまともな解答は得られなさそうなんだが。まあ、やるだけやってみるか。
「なあ、フィリア」
「?」
「俺のこと、マスターって言ってるけど、それって遺跡で触ったからか?」
できるだけ真摯に、真っ直ぐ実直に聞いてみた。フィリアに余計な遠回し表現は必要ない。したところで首を傾げるだけだ。
「フィリアが……ねむってたのかな?そのときになにかあたたかいものにさわられたんだ。それがマスターだったんだよっ」
「…………………」
それ、今の話の筋からして、俺じゃん……
遥はまばたきを繰り返していた。目が「それ、ユウに決まってんじゃん。何がそう言われてもな~だよ。バカじゃないの?」そう訴えている。
「それ、ユウに決まってんじゃん。何がそう言われてもな~だよ。バカじゃないの?」
「ふぐっ」
まさか思ったのと同じ言葉が返ってくるとは。なかなか読心術ができるじゃないか、俺?と優輔はちょっと誇らしくなった。
「そんなの全然誇らしくもなんともないよ」
「な、なんで解んの…」
自分だけと思ったのに。
「そりゃ、これだけ長い付き合いだからね。考えてることくらい、解るよ」
「そんなもんか……」
そんなもんだよ、と遥は溜め息混じりにつぶやいた。
「で、フィリアちゃん、ユウがマスターって言ったけど、マスターってなんなの?」
フィリアは上を見上げ、遥の顔を見た。それから優輔の顔を見た。人差し指を唇に当てて、思案していたが、やがて難しい顔をして言った。
「わかんない……」
優輔達はやっぱりか、と落胆しかけたが、それからフィリアは続けて言った。
「でもマスターはあったかくって、おっきくって、とってもつよいの!」
両手をバッと広げ、大きい大きいのポーズをする。そんなことをするフィリアはますます子供のように見えた。三人は誰からでもなく、プッと笑った。
「まっ、今はいいか。この案件は保留だ保留」
「ふふっ、そうだね」
「ひとまず置いておこうか」
三人は互いに笑い合い、事情が飲み込めないフィリアはただ呆然とするだけだった。
「じゃ、方針も決まったし、皆朝飯食っていけよ。遥、飯まだだろ?」
遥はこく、と頷き、肯定した。
「なら、あり合わせでなんか作るわ。冷蔵庫の中には何かは入っているだろうし」
「手伝おうか?」
「いや、いいよ。ホントに簡単なもの作るだけだから。それに一応、客だろ?」
そう言うと遥は引き下がり、遥と鉄幹とフィリアはダイニングへ移動した。優輔は一人キッチンへと移り、冷蔵庫の中身を確認した。
(そうは言ってもあんまり、いや全然ないな…)
手元にあったのはタッパーに入れておいたご飯と胡麻昆布、さらに漬け物と卵だけだった。これでは正直満足のいく朝食は作れない。
「ま、しょうがないからおにぎりでも作るか。幸いご飯と胡麻昆布はたっぷりあるしな」
優輔はタッパーに入ったご飯と胡麻昆布を取り出し、タッパーを電子レンジの中に入れてスイッチを押した。ピ、と電子音が鳴り、解凍が始まる。中に入っている大皿ごとタッパーが回りだす。
「ねー、ご飯作るの?」
振り向くとフィリアが立っていた。電子レンジに興味があるのか、回転するタッパーに釘付けだった。
「ああ、すぐできるからな。ちょっと待ってくれよ」
優輔は電子レンジのスイッチを切り、蓋を開けてタッパーを取り出した。タッパーの端をあちあち、と言いながらつまみ、タッパーの蓋を開ける。もあっとした蒸気が広がり、しっかり解凍できたと証明してくれる。優輔は手を洗い、茶碗に水を入れ、ご飯を掴んだ。掴んだご飯に胡麻昆布を混ぜ込み、手で丸みを帯びらせるようにご飯を丸く作っていく。度々あちあち、と言いながら人数分のおにぎりをこしらえていく。
「もう後少しは作れそうだな…、って!?」
流し台でフィリアが食器でタワーを作っていた。ぐらぐらと食器のタワーが揺れる。そしてとうとう耐えきれなくなったタワーが崩壊をはじめ「うおおぉぉぉっ!?」なかった。優輔がすんでの所で押さえたのだ。後少し気づくのが遅かったら大惨事になっていた。
「あはは!マスターすごーい!」
フィリアは悪びれた様子もなくけらけら笑っている。全く反省の素振りがない。
優輔はなんとか食器の態勢を戻し、ゆっくりと天辺から食器を戻していく。最後の食器を片付けると、優輔は怒涛のごとくフィリアを叱った。
「おい、危ないだろ!」
「ひぅっ」
フィリアは縮こまり、ビクッと体を震わせた。
「もう少しで割れるところだっただろ!なに考えてんだ!」
「ユウ、言い過ぎ!」
優輔はハッと気づいた。フィリアがブルブル震わせながら俯いていたのを。遥に言われるまで全く気づかなかった。
「大丈夫?フィリアちゃん」
「ふぇ…」
フィリアは涙を浮かばせながら遥に抱きついた。遥はそれを優しく抱き留めた。
「ユウ、言い過ぎだよ。確かに悪いのはフィリアちゃんだけど、言い方ってものがあるでしょ」
「…………」
確かに悪いのはフィリアかもしれない。だけどこんな小さな子相手に怒るのは少々大人気ないかもしれない。
「ほら、フィリアちゃん。悪いのはフィリアちゃんなんだからちゃんと謝んなきゃいけないよ?」
「……………うん、ごめんなさい」
フィリアは素直に自分の罪を認め、ペコと頭を下げた。
優輔は、
「………悪かった。俺も言い過ぎた。でもな…」
優輔は真っ直ぐフィリアを見た。フィリアのその瞳には涙が滲み、優輔の姿が潤んで見えた。
「あのまま倒れてたらフィリア、お前は怪我してたかもしれないんだぞ。食器が割れるのはいい。また後で買えばいいんだから。でもお前の怪我は下手したら一生治らなかったかもしれないんだ」
フィリアはぐすん、と鼻をすすり、涙をごしごしと拭いた。
「俺はその事に怒ってるんだ。皿を割ることじゃない、お前がもし怪我をしたら、ということに怒ってるんだ。お前の体はお前だけの物なんだから大事にしないとだめだ。なっ?」
優輔は微笑み、フィリアの頭を撫でた。フィリアの瞳には更に涙が溜まり、決壊寸前だった。
「……うん、ごめんなさい」
フィリアの体を遥は離した。それと同時にフィリアは泣きながら優輔に抱きつき、ぐすぐすせせり泣きないた。優輔はそんなフィリアの頭を撫でた。フィリアが泣きやむまで、撫で続けた。
その始終を遥と鉄幹は見ていた。
「フィリアが死んでるんじゃないかとか言ってたけど」
遥は鉄幹を見た。鉄幹はどこか決心じみていた。
「それはないって解ったよ。でないとこんな豊かな表情できないよ。フィリアは人間だ。遺跡で眠ってたとか、そういうの関係ない」
「……うん」
遥は小さく、しかし力強く頷いた。
タッパーのご飯の湯気が空気中に霧散していた。