第十話 鉄幹って怖い
優輔達が居を構えるここは“東京区”と呼ばれる。東京区はかつて二十三区と呼ばれた地域を含むおよそ旧東京都の半分の大きさの都市である。旧東京都の中央の東側が現東京区である。魔獣の侵入を拒む巨大な外壁から構成され、内壁で更に外壁内部を分断する。内壁を隔てて外側、つまり外壁と内壁の間は外区と呼ばれ、更に内壁の内側は内区と呼ばれる。
この外壁や内壁は強化コンクリートと呼ばれる素材で造られたものだ。既存のコンクリートとはまるで強度が違う、正に人類の“盾”だ。それが旧東京都の県境と中央に真っ直ぐ建築された外壁をぐるりと覆っている。とてつもなく大きなもので、昨今の世界では三番目の大きさを誇る。
内壁はその外壁の内側を更にぐるっと取り囲むようにして建築された。二重構造により、万が一外壁が破られたとしても内壁に逃げ込めば、まだ反撃の余地は得られる。
そして東京区は北区、南区、東区、西区とそれぞれ分けられている。加えて中央には東京区を統治する政治家達の場所、中央政区がある。ここはほぼ円形に内壁が設けられている。中央政区は基本的に一般人立ち入り厳禁なのだ。区民に余計な心配をかけさせないと謳っているが、実際のところどうなのか。北区、南区、東区、西区は内壁で分け隔てられている。北東、南東、南西、北西に外壁に向かって一直線に建設された内壁の中にそれぞれの区がある。北西+北東に囲まれた区は北区、北東+南東は東区、南東+南西は南区、南西+北西は西区と呼ばれる。
それぞれの区で機能する働きが違うのも特徴的だ。
北区は魔獣に対抗するための武器、兵器工場が多く建ち並んでいる。
東区は商売の街だ。多くの商店街や、店などが多くある。最も活気づいた、景気のいい街である。
優輔達が住んでいるのは南区だ。ここには多くの人々が住む住宅街から成る地区だ。よって最も人口が多く、様々な人達と出会える。勿論全ての人がここに住んでいるという訳ではない。他区にも人は多く住んでいる。ただ機能的に鑑みて、割合が高いというだけだ。朝の大通りは学生や仕事人などでかなり混雑する。
そして西区。ここは農地を多く構える農業地区だ。春夏秋冬、彩り豊かな野菜や米、肉などほぼ全ての地区の食料をまかなっている。ゆえに農地にする沢山の土地が必要になり、結果的に最も面積が広い。自然豊かな景観が臨め、建物がすし詰め状態になっている他区とは大きく異なっている。
地区それぞれには、外壁に向かって中央に走る大通りがある。その大通りの末端、つまり 外壁には外門がある。これは東京区と外界を結ぶ巨大な門で、特殊な合金を使用しているため非常に強固だ。いかに魔獣といえどもこの門を破壊することは叶わない。
この壁は二百年前、魔獣が現れ出した年に建設され始めた。
闇に潜み、魔獣の目をかいくぐりながら、およそ百年かけて完成した。完成と同時に内壁の建設も始まり、これは二十年で完成した。外壁の完成により、多くの人々が安堵し、再び安寧を取り戻した。
世界でもこれと同じような目論みが成されている。世界各所で同様の壁が建設されだし、その中に東京区もあったのだ。
日本は東京区だけでなく、各都道府県一つずつ、大きさはまちまちだが、造られた。このように一つの国に多数の壁が造られるのは稀なケースである。
その東京区の南区外門近くで優輔達は騒いでいた。早朝であること、外門近くで人通りが少ないことのおかげで、その騒ぎは閑静な住宅地に飲まれるだけで終わっていた。
「う、うん……」
優輔は目が覚めた。後ろ後頭部が痛い。ジンジンする。どうやら数秒ほど気を失っていたらしい。優輔は起き上がろうとしたが、何かが乗っかっているのか、重くて起き上がらない。
「いっ……!?」
「マスタ~♥」
目の前に女の子がいる。しかも、優輔の胸に抱きついて、顔を擦り付けている。何がそんなに嬉しいのか恍惚な表情だった。
「お、目が覚めた」
鉄幹は呆れ顔だった。少し離れた所で様子を見ているだけだった。少しは助けようとか思わないのか。
「て、鉄幹!一体こりゃなんの冗談だ!?」
「知らないよ。この子がいきなり飛びついたんだから」
優輔もこんな子知るかよ、と思いながら擦りよってくる少女に戸惑うばかりだった。
「ゆ、ユウ!これは一体全体、どいうことなの!?」
「だから知らないって!俺が聞きたいくらいだよ!」
「でも、現にこの子ユウにしがみついてるじゃない!やっぱりユウ、この子に何かしたんでしょ!」
「え、冤罪だ!俺がこんな子知る訳ないだろ!外で見つけたんだぞ!?」
ギャーギャー騒ぐ幼馴染み二人。場が混沌とし、もはや二人は互いの意見を聞かずただ叫ぶだけになっていた。棺桶の少女はそんな二人には目もくれずただ一心不乱に抱きついてるだけだった。
ドンッ!
衝撃が地面を伝わり、優輔達に伝播した。優輔と遥は驚き、衝撃を受けた方へ目をやった。
鉄幹が鎚型古代兵器を背中から引き抜き、地面に叩きつけていた。地面には窪んでいる所は見られないが、手加減したのだろう。(壊すと弁償とか面倒だからだ)この鎚型古代兵器の破壊力はこの程度では済まない。厚さ五センチもある鉄板を粉砕してしまう威力があるのだ。ただのアスファルトで出来た道路など一瞬で瓦礫の山と化してしまう。鉄幹は打ちつけた鎚をそのままに、野太い声で諫めた。
「二人とも落ち着いて。まずは状況を整理して一つずつ解消していこう」
「お、おう…」「…うん…」
優輔と遥は一瞬で熱が冷め、同時に深呼吸した。少しは沈静化しただろうか。
「とりあえず君……優輔が起きられないからそこから離れてくれるかな?」
少女は優輔から顔を離して、鉄幹の方を向いた。鉄幹はしゃがみこみ、にっこりと微笑んだ。何でも話したくなる、優しい笑みだった。少女は始め目をパチパチまばたきをして惚けているだけだったが、やがてこっくりと頷いた。
「うん」
先刻の機械じみた、感情のない声とは裏腹に、子供じみた高い声だった。少女は優輔の体から離れ、隣にちょこんと座り込んだ。それに伴って、優輔も起き上がった。痛てて、と腰をさすりながら、少女の方を見た。目が合わさり、少女はニッと笑った。言葉が自然と優輔の口から流れていた。
「なあ…お前、一体何者なんだ?」
「?」
少女は眉を寄せ、困ったように首を傾げた。質問の意味が解っていないようだ。気持ちが素直に表情に出るみたいで、ころころと表情が子供のように変わる。
「質問が抽象的すぎるよ。それに……」
鉄幹は周りを見渡し、そして空を見上げた。遠くで朝日が昇り始め、薄闇が取り払われ、世界が色づき始めた。
「とりあえず家に行こう。この子も、そんな裸じゃいけないしね。誰かに目撃されちゃマズい」
優輔はようやく事の重大さに気づいた。確かに今の状況を誰かに目撃されたら後々厄介だ。何か誤解されかねない。ただでさえ現在でも知り合いの遥にさえ嫌疑をかけられているっていうのに、それを赤の他人に見られたら、優輔の社会的地位が危なくなり、精神的にも社会的にも抹殺される。そんな不名誉は嫌だ。
「そうだな、とりあえず俺ん家が一番近いから、ウチに行くか」
優輔はそう言うやいなや、スッと立ち上がり、全員を促した。
「よし、とりあえず俺ん家に避難するぞ。社会的抹殺は御免だからな」
鉄幹と遥も立ち上がり、遅れて少女も立ち上がった。何をするのか理解してないらしい。
「ほら」
優輔は少女の前でしゃがみこみ、背中に乗れと促す。
「ちょっと待って」
遥が上着を脱ぎだし、少女に被せた。これでひとまずは安心だろう。少女は嬉しそうに優輔に飛び乗った。大して重くないのが幸いだった。
「ねえ、あの棺桶どうする?」
「ひとまず置いておこうぜ。持って帰れねえし、ここなら置いておいても邪魔にならねえだろ」
鉄幹はそうだね、と言い、バックパックを背負い直した。優輔の分のバックパックは遥が背負った。かなり重そうだが、なんとか大丈夫だろう。
三人と一人は朝焼けに染まりだした南区の大通りを迂回するように横道に入った。いくら何でも大通りを走る訳にはいかない。
近いと言ってもここからは何キロもある。その間に間違いなく人には出会う。なるべく人とすれ違わないようにしなければならない。
(また面倒な事になりそうだな…)
優輔はこれからの事に少々げんなりした。報告書とかその他云々、やらねばならないことが一気に増えたためである。
しかし、優輔はまだ知らなかった。
この少女との出会いが、
様々な運命を優輔にもたらし、
この謎の少女を中心に、
世界を、
優輔自身を大きく変えたということを。