人形
桃の節句は、紙などで人をかたどった人形で身体をなでて身の汚れを負わせ、自分の罪やケガレをせおわせて川や海に流した祓い(はらい)の行事だった。
今でも、その名残で「流し雛」の風習が残っている場所もある。
ひな人形の語源は、ひいな遊びに使う人形である 「ひいな」。
あるいは「小さい」や「可愛い」を意味する「雛」だという説が一般的。
だけど、名前の由来は、実はもう一つある。
難を被る(かぶる)で「被難」。
自分の代わりに厄災を被せる被難人形が語源だという説。
余談だけど、被難人形作りはうちの神社の初代が名人だったらしい。
テレビコマーシャルなんかで流れるヒナ人形の映像はキラキラだけど、元の意味を考えればヒナ人形はめでたいばかりではない。
そんな名を子供につけたら、家の難を、ケガレを全てかぶせることになる。
ヒナちゃんは人間だけど、名前の言霊で、被難人形になってしまった。
「呪いですって、誰が!! どうしてヒナをっ!」
おじさんの大きなこぶしが、畳をたたく。
「呪いなら返せるじゃないんですか! ほら、あなた。前に見た映画、陰陽師でやってたじゃないの」
希望をみつけたと、おばさんの声が高くなる。
陰陽師っていうのは、占いやまじないを仕事にしている人のこと。
まじないには、呪い(のろい)と祝い(いわい)がある。
呪いが悪いことを起こし、祝いは良いことをもたらす。
「他人を呪うような悪い奴だから、呪いを返しちゃって下さい。ほら、えっと、弓かなんかで」
お母さんがつらそうに顔をゆがめた。
「返りの風。
ヒナさんの病気は、返ってきた呪いの結果です。
なので、呪いを打ち返すことは不可能です」
ヒナちゃんのひいおばあちゃんは、まじない屋をやっていたという。
「人を呪わば、穴ふたつ。呪いは必ず返ってきます。
当事者か、その子孫かはわからないが、いつか必ず返ってきます。
ときには、呪った人も呪われた人が死んでしまった後にも」
お母さんの言葉に、おじさんとおばさんの動きが止まって、
「曾祖母さんは呪詛もしていたのでしょう。
返ってきた呪いを受けて封じるワラ人形を使って、一時的に返りの風を防いでいたようです。
ですが、その身代わり人形をを燃やされてしまったので……」
二人の顔から血の気がひいた。
おじさんが、真っ青になって、ガタガタふるえ出す。
「俺のせいか。俺のせいで、ヒナが。頼む、神主さん。その呪いを、俺に。娘じゃなくて俺にしてくれ! 俺が代わるから。娘を助けてくれ!」
おじさんが、お母さんの袖にすがる。
お母さんはだまって首を横に振った。
「なんでだっ! 頼むよ、娘はまだ五歳なんだ。これから楽しいことがいっぱいあるんだ。頼むよ。俺はどうなってもいいから」
「だめよ、あなたは生きなきゃ。神主さん、私を、母親である私を身代わりにしてください。呪ったのは、私の祖母です。だから、私なら娘の身代わりになれますよね?」
おばさんが、泣きはらした目でお母さんを真っ直ぐに見た。
それにも、お母さんは首を横に振る。
あたしはお母さんを見上げて、目で合図した。
あたしはヒナちゃんが好きだよ。この子の命をかがやかせてあげたい。
お母さんは一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべたけど、唇をかんで、首をたてにふってくれた。
そして、静かで強い声で宣言する。
「大丈夫です。ご両親がぎせいにならなくても、あなた方の娘は助かります」
「人形には、命はありませんが、心はあります」
あたしはヒナちゃんに抱きしめられたまま、深々と頭を下げるお母さんを見ていた。
「その被難人形を、私の娘をどうか大事にしてやってください」
お母さんの声はこれ以上ないくらい真剣だった。
あたしが呪いを引き受けて、ヒナちゃんを守る。
大丈夫、心配しないで。
あたしもお姉さんたちみたいに、ちゃんとお仕事できるよ。
お母さんが紙垂をふって、祝詞をとなえる。
黒い呪いがヒナちゃんの身体からあたしの器に移る。
空。お花。お母さん。キレイなものを、あたしはいっぱい見た。
お母さんの娘であること、被難人形であることを、あたしは誇りに思うよ。
だから、お母さん、あたしのために泣いたりしないで。
ああ、だんだん暗くなる。
お母さん、泣かないで。
ヒナちゃん、強く笑って。
もう、なにも見えないけど、あたしはずっと忘れない。
世界はとてもキレイだね。
fine
主人公の正体は人形。
なので「思うこと」と「見ること」しかできないという、
縛りで書き上げるのは楽しかったです。
感想なども頂けたら、とても嬉しいです。
誤字などがありましたら、お気軽に連絡を下さいませ。