流れ惚ける春の日?・・・・《10:0》
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灰色の町を抜け、少し都心から離れたところまで歩み出る。
学校から歩いて十五分、やっと俺の家がその姿を俺の面前に呈す。
恐ろしいほど都会離れした雰囲気を持つ区域で、幾多の細道が複雑に絡み通り、道に迷うのはこの付近に慣れていないものにとっては必至のことである。
また、この辺りは大地主が多くその庭には季節に準じた様々な木々が植えられている。桜も然り、また菖蒲も然り。
そしてこの俺の家もまた馬鹿馬鹿しいことに必要以上に巨大な作りとなっている。二人暮らしで三階建ての洋式住宅はでかすぎる。この家の家長は何を考えているのやら。
がちゃり。
かぎて型のドアノブは軽く少し押しただけでストンと下へ垂れた。鍵が掛かっていない。見下ろした玄関には黒色の革靴が二つきちんと整えて揃えてある。サイズは大きい。
「…おかえり、晴人」
入り口から真っすぐのびた廊下の横側の扉を開け、顔を出す男。
父だった。厳かな黒髭に白髪混じりの頭髪、黒スーツの右胸ポケットの下では会社の安全ピンで取り付けてある社員カードが光る。
「今日は明日からの出張のため早く帰ってきたんだ、驚かせてすまないね」
俺は靴を脱ぎ家へ足を上げ、すぐに二階へ上がる階段を上ろうとした。
しかし、肩を掴みそれを阻止しようとする者が一人。
「そんなすぐに自室にこもらないで、一緒にご飯を食べないか?」
「……」
俺は黙ったまま父の冷え性の手を取り、払った。
「晴人……」
気落ちした声色を放つ父はそれ以上手を伸ばそうとしなかった。
「…晴人、何が不満なんだい?お父さんの何がいけないのかな?なんでも言ってくれ、お父さんにできることなら何でも……」
「……」
父を無視し、俺は階段を上り始める。
「そうだ、晴人!また喧嘩をしたんだって?」
俺の後ろ背にかけられた声に触発され、俺は目を細め眉を吊り上げゆっくりと顔を背後へ向けた。
「だったらなんだよ」
「そのことは気にしないでいてくれ。またお父さんがちゃんと話を付けておくから……」
「…またそれかよ。そういうのがうぜぇんだよ、こういうときだけ父親ぶりやがって」
「晴人……」
階段を上りきり、父親に軽蔑を含めた冷たい目線を送った。俯いたその不様な様子を見て俺は一度鼻を鳴らし、すぐに自室の扉を開いた。
ただ、なんでもできる父親が嫌いだった。
父はテレビのスポンサーになるほど大きな乳業会社に勤めている。
つい先日、父は厚い書類を俺に突き付けてきた。父は先日付けで会社の副社長に任命された。
わりかし仕事ができる人物で人望も厚く、よく部下から飲み会の誘いを受けているようだった。
酒癖が悪いわけでもなく、女ぐせが悪いわけでもない。実によくできた人なのだ。
しかし、俺はそんな父親が嫌いだった。他人にはどこまでも優しく、俺に対しても生まれてこのかた面倒見よく接してきてくれた。
だが、そんな父親に突然反発したくなる時期が到来した。
自分でも不思議だった。何故か父が憎くて憎くて仕方がなくなった。
俺がどんなに悪いことをしても、すぐに父が現場へ駆け付け、俺が責任を負わなくていい方向へ導いてくれた。しかし、それが嫌だった。
どうしようもなく自分が子供に見られているような気がした。実際子供だったのであろうが、当時中学一年生だった俺はそれが腹の奥で複雑に捩れてたまらなかった。
それから、俺はもう父親と真っすぐ向き合えなくなった。
それが続き、今も未だ…
――夜。
眠るも早く、十一時。
今日も父と昼から一度も会話を交わすことなく過ぎて終わった。
憤った不穏な脳内は、俺に安息の眠りを与えてくれなかった。
父親は俺の生きる上で、いつの間にか邪魔なだけの存在へと変わってしまっていた。