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vol.2


 リィズは部屋に戻ると、金色の髪を鷲掴みにして放り投げる。その下からは燃え盛る炎のような赤い髪があらわになる。


「何よ、あのえらそうな態度! 王子だからって何言っても許されると思っているわけ? 鉱山でもあんなムカツク奴はいなかったわよ。あー、思い出しただけで腹が立つーっ!」


 怒りの矛先を枕にぶつける。やわらかな羽毛の枕は、リィズの鉄拳を何度受けてもふわりと元の形状へと戻っていく。


「だいだい何だって私みたいな女を花嫁なんかに選んだのよ……」


 リィズは寝台の上から鏡に映った自分の顔を見つめた。鏡の中の赤い双眸がこちらを同じように見つめていた。


 リィズに与えられた部屋は王室がある南の塔から離れた北の塔にあり、外出は禁止され、ほぼ軟禁状態に近かった。歓迎されていないことは一目瞭然だった。


 昔からオーラジン王国では、赤は血の色として不吉の象徴とされてきた。そのため、リィズはディファラントに来てから赤い髪を隠すため常に金色のウィッグをつけることを強いられていた。さすがに瞳の色だけはどうすることもできず、特定の侍女以外と接することは禁じられた。結婚後もこのような軟禁状態が続くのかと思うと、リィズは憂鬱になった。


 リィズは幼い頃に東南にあるクワテボという小さな漁師町の沿岸に打ち上げられ、当時神父をしていた養父に救ってもらった。養父の話によれば、異国の船が嵐か何かで難破してオーラジン王国まで流れ着いたのだろうということだった。リィズの他に人は発見できかなったものの、船らしき残骸が多数打ち上げられていたのが何よりの証拠。しかし、リィズの身元を証明するものは発見できなかった。憶えていたのは、自分の名と母親らしき女性と旅をしていたということだけだったらしい。


 命拾いしたリィズだったが、その容姿のおかげで物心ついた時には皆から忌み嫌われる存在となっていた。そんな愛娘を不憫に思った養父は母国に帰してやりたいと思うようになり、膨大な費用がかかる船旅の路銀を稼ぐために自らイルダッカ山脈の鉱山で働くことを選んだ。しかし、元来力仕事に向いていない養父は過酷な労働の日々に耐えられず床に伏すようになり、ついには二度と目を覚ますことはなかった。


 一人残されたリィズは、赤い髪を見えないように布で覆い隠し、鉱山作業員として働いた。養父の遺志を受け継ぎ、どこにあるのかわからない母国にいつか帰ることを夢見て。


「お父さんと約束したもんね。自分の国に帰ってみせるって」


 王子と結婚すれば権力と財力を使って、自分の母国を探し出すことができる。リィズはそう信じていた。


「そのためなら愛のない結婚だって……我慢してみせる」


 言った後で極度の自己嫌悪に陥り、顔を枕に押し当てる。


「やっぱりそんなのやだ!」


 今まで鉱山でむさ苦しい男ばかりを相手にしてきたリィズにとって『王子』という存在はとても魅力的なものだった。天空に浮かぶディファラントを見上げては王城での生活に憧れを抱いたこともあった。しかし、実際の王子を目の当たりにして、その憧憬が打ち砕かれたのは言うまでもなかった。


「どうしてあんなのが王子なのよ!」


 リィズは先刻のアブサルークの言動を思い出して、再び怒りの気持ちをふつふつと沸き上がらせ、枕を鏡に向かって投げつける。


 肩を怒らせて鼻息荒くしていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。リィズは慌ててウィッグをつけると、扉を開ける。


 黄金色の長髪の青年が遠慮がちに入ってくると、急いで扉を閉めた。アブサルークと同様に金と銀の刺繍を施した衣服を身にまとっている。どこかバツの悪そうなその表情は、まるでいたずらをした子供が親に怒られないために隠れようとしているように見えた。


 オーラジン王国王位継承権第二位のエテミド・ストゥーラ・ディファラント。アブサルークの弟である。


「良かった、部屋に戻ってくれていて」


 エテミドは安堵の息をもらす。


「どうかしたの?」


「リィズ、ダンスのレッスン中に逃げ出したのでしょう?」


「あ、そういえば」


 リィズはあからさまに顔を引きつらした。


 リィズの教育係は王妃であるキャサレーヌが直々に行っていた。王妃自らが教育係を買って出たということだったが、王族の掟だのマナーだのと叩きこまれ、リィズは真綿で首を閉められているような苦痛を感じていた。侍女たちもリィズに接する態度は冷酷なものだった。


 今までの鬱憤と、ダンスのレッスン中にドレスの裾を故意に踏まれたことが引き金になり立腹して逃走したというのに、アブサルークに会ったことでそのことをすっかり忘れてしまっていた。


「母上たちがあなたにきつくあたっているのは知っています。それを苦痛に感じて、城から逃げ出したいのなら、僕は協力しますよ」


 リィズは首を横に振った。


「ありがとう、エテミド。でも、私なら大丈夫」


「ならば、ここはすぐに母上に謝ってください。今ならまだ許してくれるはずです」


「許してはくれないと思うのだけど」


 おそらく王妃の目的はリィズを追い出すことにある。こんな恰好のネタを放っておくはずがない。今頃は国王に進言しているはずだ。それがわかっているだけに、王妃の策略にまんまと引っかかってしまった自分が腹立たしかった。


「僕もいっしょに謝りますから」


「いっしょに、って、エテミドは何も悪いことはしていないじゃない?」


「それはそうですが……」


「エテミドは優しいね。あのアブサルークと兄弟とは思えない。あー、あなたが私の王子様だったらよかったのに」


 エテミドが困惑の表情を浮かべるのを見て、リィズは微苦笑する。彼女の髪の色を知っているのは王族と元老院の者だけだった。


「こんな私じゃ迷惑よね?」


「いえ、そんなことはありません。リィズはとても美しいです。でも、あなたは兄上が焦がれた理想の女性ですから」


「私が?」


 今度はリィズが困惑の表情を浮かべた。


「オーラジン王国の王族は短命が多いため、王子は十八歳になると戴冠式を執り行います。そのためには十八歳になるまでに結婚していなければなりません。しかし、兄上は元老院が薦めてくる王族筋の女性を断り続けて、赤い髪と瞳を持つ女性以外とは結婚する気はないと言ったそうです。二週間前にガスニアがあなたを連れて戻ってきた時には安堵しました。兄上の十八歳の誕生日まで日数があまり残っていませんでしたから。あなたは数年かけてやっと見つけだした兄上の理想の花嫁なのです」


「どうしてアブサルークはそんなことを?」


 リィズはオーラジン王国で自分と同じ容姿を持つ人間に出会ったことはいなかった。それくらいこの国では希少な存在ということだ。リィズがいなければアブサルークは王位を継承することはできなかった。わざわざそんなリスクを背負って一国の王子が他の結婚相手を頑なに拒んで、不吉とされる赤い髪と瞳を持つ女性を花嫁に選ぶ理由が理解できなかった。


「リィズ、僕をよく見てください」


 エテミドに真摯な眼差しを向けられ、リィズは一瞬胸が熱くなるのを感じた。


 初めて会った時も思ったが、エテミドの髪は眩しいほどに見事な黄金色を放っている。そして、双眸は雲ひとつない澄んだ青空のようにきれいな色をしている。リィズにしてみれば理想の王子像といえよう。


「国王を始めとして、王子はみな王たる証として黄金の髪を持つと言われています。これは王位継承のもうひとつの条件です」


「でも、アブサルークは……」

 黒い髪をしている。


 リィズは出かかった言葉を思わず飲み込んだ。触れてはいけない。そんな気がした。


 リィズが押し黙っていると、それを察したエテミドが優美に微笑む。


「あなたになら兄上も本当の気持ちを打ち明けてくれるかもしれませんね」


「無理! あんな冷酷王子……って、ごめんなさい。エテミドにとっては大切なお兄さんだものね。アブサルークがちょっとうらやましいな。私にはもう家族と呼べる人は誰もいないから」


「そんなことはありませんよ。リィズはもう僕の大切な家族の一員なのですから」


「ありがとう、エテミド。こんなに優しくしてくれたのはお父さんの他にはあなたが初めてよ」


 リィズはエテミドの両手を取って満面の笑みで感謝の意を伝えた。それだけ嬉しくてたまらなかったのだ。


「では、母上に謝罪を」


 エテミドが言いかけて、扉が開いた。


「もう手遅れです」


 王妃キャサレーヌが黄金色の美しい髪を撫でながら柳眉を逆立てて入ってきた。その後方には、柄に親衛隊の証でもある鷹の紋章が刻まれた片手剣を腰に携えた親衛隊隊長のガスニアが跪いていた。


「母上?」


「キャサレーヌ様?」


 リィズは握っていたエテミドの両手を慌てて離す。


「エテミド、この部屋に入ってはならないと何度も言っておいたはずですよ」


「申し訳ありません」


「早く自分の部屋にお戻りなさい」


 キャサレーヌに叱責されたエテミドは、まるで捨てられた子犬のようにしゅんとうなだれて部屋から出ていった。


「やはり下々の者に王族のしきたりを理解するのは難しかったかしら?」


「申し訳ございません、キャサレーヌ様。慣れぬ王都暮らしゆえ」


「その抑揚のないしゃべり方。感情を押し殺した目。あの子と同じですわね。まあ似た者同士でお似合いかもしれませんけど」


 キャサレーヌは憎悪に満ちた言葉を吐き出した。『あの子』がアブサルークを指していることはリィズにもすぐに理解できた。


(前々から思っていたけど、キャサレーヌ様はアブサルークのことを相当憎んでいるみたいね)


 弟のエテミドは兄を慕っているというのに。


「本来ならば陛下の許しがなければあなたのような下女はここにいることすらできないことをよく覚えておきなさい」


 キャサレーヌの卑下した言葉に、リィズは唇を噛みしめて耐えた。


(ここで引き下がるわけにはいかないのよね)


 アブサルークにだけは負けたくはない。


 そんな強い信念がリィズの態度を豹変させた。背筋を伸ばし口元を引き締めると、ドレスの裾を持ち上げて頭を垂れた。


「キャサレーヌ様、今までの非礼はお詫びいたします。ですから、もう一度だけ私にチャンスをください」


 予想外のリィズの謝罪に、キャサレーヌは一瞬たじろぐ。


「私としてはあなたに花嫁を辞退してもらいたいところですが、陛下があなたのことを大変気に入っております」


「ブレスフォード王が?」


 意外な人物の名にリィズは目を丸くする。ブレスフォード王は、歴代国王と比べると異端児であり、元老院からの圧力には屈せず、国民からの賦役を軽減したことで絶大な支持を受けている。その国王に謁見したのは、一度だけだった。言葉すら交わしていないというのに、気に入られる要素が何ひとつ思いつかなかった。


「とにかく、あなたに王都の生活をいち早く覚えてもらうために側近をつけることにしました」


「まさか?」


 リィズはキャサレーヌの後ろに控えているガスニアに目を向けた。


「あのキャサレーヌ様。お言葉を返すようですが、ガスニアさんは男性で……その私はアブサルーク様の花嫁で……やはりここは女性の方がよろしいのではないでしょうか?」


「あなたの逃げ足についていける侍女はこの城にはおりません」


 一喝され、言葉を失うリィズ。


「では、ガスニア、後は任せましたよ」


「あ、あの、キャサレーヌ様、このことをアブサルーク様は?」


「言い忘れていましたが、罰として今夜の食事はなしとします」


 リィズの問いに答えることなく、キャサレーヌは無情な言葉を残して去っていった。


(どうしてこういうことになっちゃうわけ?)


 跪いたままのガスニアに、リィズは目線を向ける。黙っていればいつまでも頭を下げていそうな雰囲気である。


「ガスニアさん、もう立ってもいいんじゃないですか?」


「ご命令ならば」


「命令ってわけじゃないですけど、とにかく立ってください」


「かしこまりました」


 ガスニアが立ち上がると、リィズの目線が下から上へと一気に変わる。


 亜麻色の短髪と端正な顔立ちは、いかにも生真面目な家臣といった感じである。二十歳という若さながら元老院からの信頼は厚く、王都の護衛だけでなく国政に関わることも多い。二週間前に鉱山にリィズを訪ねてきたのもガスニアだった。無表情で何を考えているのかわからないところがあり、リィズは苦手だった。しかも、側近として何をしてもらっていいのかわからず、困惑するばかりだった。


「側近って部屋の中にいっしょにいるものなのですか?」


「いえ、私はお部屋の外におりますので、ご用があればいつでもお呼びください」


「あ、ありがとうございます」


 リィズはぎこちない笑みを作って扉をゆっくりと閉めた。






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