消しゴムにわたしの名前書いてたお義姉ちゃん
初めに言っておくけれど、わたしはかわいい。
生まれつきの二重にぷっくり涙袋、お餅みたいなほっぺたに天才的な口角。栗色の頭はハーフツインがぴょこんと跳ねて、とってもチャーミング。加えていろんな人からも好かれる愛嬌つき。
そんな完璧すぎるわたしは、恋をしている。相手は2つ年上の、瑞葉お姉ちゃん。姉と言っても血は繋がっていなくて、小学6年生のときにお父さんの再婚で家族になったのだ。
お姉ちゃんはかっこいい、あと美人だ。振り返ってみても明確なきっかけは見当たらなくて、たぶん気づいたら好きになっていたのだと思う。やっぱり顔のいい女は顔のいい女に惹かれるのだろうか。
外ではいつもクールに澄ましているけど、家でわたしに向けてくれる笑顔は爽やかな甘さを孕んでいる。あーもう、メロいなぁ。
しかし欲張りなわたしには、もっと高濃度のメロが必要だ。
独り占めして、わたしのことだけを意識させて、いつか両想いになったらイチャイチャして。
そういう最高の未来を手に入れるため、わたしは今日もまた、己のかわいさをとことん利用して彼女にアピールするのである。
♡
とある金曜日の夜。受験生らしく、机に向かって勉強をしていた。
お姉ちゃんと同じ高校に入るためなら、どんな精神的苦痛だって丸めて呑み込むことができる。苦くて不味いそれは、春への希望と憧憬が甘い粉で包んでくれる。わたしはいつだって無敵なのだ。
きらきらメロメロ高校ライフを想像していたら文字が乱れたので、透明な筆箱をがさごそと漁って消しゴムを探す。けれど、見つからない。
もしかしたら、学校か塾の教室に落としたのかもしれない。
それならまぁ、嘆いても仕方がないので。
「おねーちゃんっ、消しゴム貸して」
彼女に頼めばいいだけのことだった。
「ん……机にあるから、自由に取って」
「ありがと!」
リビングのソファでクイズ番組を観ている瑞葉お姉ちゃんは、とても眠たそうだ。
無防備な姿をわたしに晒してくれることが、腹の底から嬉しい。落ちてくる瞼をなんとか引っ張り上げているお姉ちゃんを、舐め回すようにじっくり見つめて、短い黒髪にちょんと触れた。照れてすぐに離した。
気を取り直し、ちょっとからかってみる。
「えへへ、ここで寝落ちしちゃだめだよー?」
「……しない。咲愛は元気だね、ほんと」
「元気ないわたしなんて、わたしじゃないも同然だもん」
暗い女の子と明るい女の子なら、大半の人は後者のほうを選ぶだろう。だから、多少無理をしてでも笑顔を絶やさないよう意識しているつもりだ。
最後に念押しで、計算され尽くした必殺スマイルを向ける。色よい反応はない。
テレビのなかで歓声を浴びながらクイズ優勝賞金を受け取っている芸能人を見て、わたしはべつにお金とかいらないから、早くお姉ちゃんがほしいなーと思った。
目当てのものを無事入手して、自室に戻ってきたわたし。
「消しゴム、おねーちゃんの……どぅへ」
軽く頬ずりしてしまった。
ただ黒鉛を擦って消すだけの文房具が、こんなにも輝いているだなんて。この世界は可能性に満ち溢れている。
紙ケースが邪魔で使いづらかったので、少し下へずらす……と。
なにやら、文字の一部のようなものがちらりと顔を覗かせた。
訝しんで、というか興味が湧いて、深く思慮することなく手に力を込める。そして、勢いでカバーを外した。
わたしは眉根を寄せる。だって、まっさらなはずの白い消しゴムに、わたしの名前が。
咲愛、って綺麗な文字で、マッキーペンではっきり書かれていたから。
状況を理解し切るのにどのくらいかかっただろう。冷静になって、これは古典的なおまじないだということに気づいた。
消しゴムの内側に好きな人の名前を記して、最後までバレずに使い切れば恋が成就する、みたいな。目を凝らすと端のほうにひとつ、小さなハートマークが恥ずかしそうに居座っていた。わぁ確定演出。
考えうるパターンはふたつある。まず、お姉ちゃんがわたしのことを好きっていう場合。どぅへへ。
それとわたしはモテるので、限りなくお姉ちゃんに筆跡が似ていてわたしを好いている誰かが迂闊にもお姉ちゃんに消しゴムを預けている可能性も、なくはない。なさそうだけど。
とりあえず、消しゴムを丁重に元の状態へ戻してあげる。辺りを駆け回った直後のように心臓はばくんばくん音を立てていて、それに呼応して階段を駆け上ってくる足音が聞こえた。
あくまでもめっちゃ勉強してましたよーという風に、背筋をぴんと伸ばす。
家なのに息を切らしながら部屋に入ってきたのは案の定、お姉ちゃんだった。机に置かれている消しゴムを認識して一瞬だけ固まり、すぐ生き返った。
「みっ、見た!?」
「…………なにをー?」
咄嗟の判断ですっとぼける。こてん、と首を傾げてもみた。
さっきの微睡みはどこへ消えたのか、澄んだ瞳をギンギンに見開いているお姉ちゃん。
慌てっぷりから察するに、あの消しゴム、ぜったいお姉ちゃんのじゃんって思った。思って、初めて胸の高鳴りを覚える。
「それなら、いいんだけど」
お姉ちゃんは俊敏な動きで消しゴムを奪い取って、自分の部屋へ逃げていく。ほどなくして、別の消しゴムを持ってきた。
「使うならこっち使って」
「わかったけど、なんで?」
「……いろいろと、諸事情」
特技の上目遣いを仕掛けると、露骨に視線を逸らされる。頬の赤みがじんわり、顔全体に撹拌されていくのを見た。え、なに、かわいいんですけど。
「諸事情って、怪しいなぁ……やらしいこと?」
「ば、馬鹿なこと言わないでよ。咲愛だって私に言えないこと、一個くらいはあるでしょ。それと同じ」
「うーん」
確かに、あるかもしれない。以前お姉ちゃんに貰ったウサギのぬいぐるみに毎晩ちゅーしてから寝ていることとか、こっそり録音したお姉ちゃんの声を起床時に必ず聴いて意識を覚醒させていることとか。わたしは普段から、ドン引きされるようなことばかりしている。
話をいい感じにずらされてしまったけれど。
それにしても、へぇー。お姉ちゃん、わたしのこと好きなんだぁー。
試しにぎゅっと、抱きついてみる。清涼なお花の香りに身を委ねる。表情は見えなくても、狼狽しているのがはっきりわかった。お姉ちゃんは両手を彷徨わせて、やがて諦めたようにわたしの頭に載せた。
心臓が忙しなく脈打っているのを至近距離で聞き届けて、なんだか、にへぇってなる。
「どう、したの」
「おやすみのハグだよっ!」
「……こういうの、男子とかにはやらないようにね」
若干掠れた声で、意味のないことを諭してくる。
やるわけがなかった。男子に興味はない、わたしの眼中にはいつだってお姉ちゃんしかいないのだから。
「だいじょうぶ。心配しなくても、おねーちゃんだけだよ」
「そ、そう……なら安心、かなぁ」
うん、安心してね。
わたしたち、なんか両想いみたいだし。
明日からはもっと大胆に行ってみようと、大好きなお姉ちゃんの腕のなかで静かに決意した。
♡
「どーお? 今日のわたし、かわいい?」
「うん、咲愛はかわいいよ」
「もっと具体的に!」
隣を歩くお姉ちゃんを通せんぼして、顔をずんと近づける。いや近。まつ毛、長い、あとつやつや。自分から近づけておいて、なにドキドキしているのか。
わたしたちは仲良くお出掛けをしていた。家を出たばかりで、近くのバス停へ向かっているところだ。
もちろんふたりっきりで、まだ付き合ってはいないけど両想いではあるはずなので、俗に言うデートというやつだろう。わたしから誘った。きゃーっ。
衝撃の事実が発覚した翌日、土曜日のことだった。何事も早めに、思い立ったらすぐ実行に移すのがわたしの常だ。
勢いがなければ生まれないものというのは、きっとたくさん存在するから。
「えぇと……全体的に、かわいい」
「それは抽象だよー」
「……服、似合ってる、控えめなフリルがいい。あとは髪も、毛先ちょっと巻いてるの、かわいい。前にあげたピン、まだ使ってくれるんだ」
凛としているお姉ちゃんにしては珍しく、ぽそぼそと語る。けれどその一つ一つが、優しい光の塊となってわたしに染み込んでいく。
素直じゃないなぁって、愛おしさが地の底からせり上がってきた。
髪の毛につけたピンに指の腹で触れる。これは、大切な思い出だから。
お姉ちゃんがくれた、宝物だから。
「一生使い続けるつもりだよっ」
「それはなんか、さすがに。近いうちに買うよ、新しいの」
「なら、楽しみにしてるね」
顔面が崩壊しない程度ににんまりしてみる。いまのわたし、たぶんかなりかわいいはず。
貰ったのももう2年前になるし、そろそろ替え時ではあった。お姉ちゃんがくれたものなら、わたしはなんでも喜んでしまうのだろう。
「あっ、バス来てる。急いで」
見ると、後ろに目的のバスがいた。停留所はそう遠くないし、走れば十分に間に合う。
というわけで、お姉ちゃんはさり気なくわたしの手を取って走り出した。繋がった手を一瞥し、わたしは閃く。……お互いの指をそーっと、交互になるように並び替えていく。足は動かしながら、なんとも器用なものである。
恋人繋ぎ。それが完全な形になったとき、前を走るお姉ちゃんが減速するのがなんとなくわかった。止まりそうになって、必死に踏みとどまるみたいな。
彼女はいま、どんな表情をしているのだろう。
知りたいけれど、頑なに正面を向いているせいで、よくわからなかった。
♡
──あたしたちって運命なのっ♪ 出会わない世界線とか存在しNAI? NAIっ♪
流行りのアイドルソングを歌い上げるわたしと、たまに掛け声を入れてくれるお姉ちゃん。
駅前のモールで服を見繕ったり、ゲーセンで散財をしたり、おしゃれなカフェでご飯を食べたりしたあと、わたしたちはカラオケに来ていた。個室だからイチャイチャしやすいなぁという、邪な気持ちで選んだ部分も否めない。欲望に忠実な咲愛ちゃんなのである。
お姉ちゃんとは何度も来たことがあるけど、今日はラブソングを多めに入れている。歌うのはもっぱらわたしだった。歌いながら、たまにちらっと視線を送ってみる。
目が合うと、お姉ちゃんは誤魔化すように瞬きを2回ほど繰り返す。観察していて判明したことだ。かわいい。
「ふぅ、つっかれたー。おねーちゃんもなんか歌って!」
「うーん、じゃあ私は……」
そう言って機械を操作し始めた。むふふ、隙あり。
わたしはお姉ちゃんのコップを素早く引き寄せて、一口飲む。ただの烏龍茶だ。
「あ、ちょっと咲愛」
「えへ、油断しちゃいけないよ! ……こういう味なんだ、間接キスって」
「なななに言って」
声のトーンを落として意味深なことを呟くと、狙い通りに動揺してくれた。形のいい口元はだらりと開いて、目線は定まらずにうろついている。眼球が充血しているのも、たぶん勘違いではない。
意外とチョロいのだろうか、このお姉ちゃんって。
「減っちゃった分、わたしのも飲んでっ」
「いっ、いやべつに、大丈夫──」
「はい、どーぞ?」
困ったときの最終手段、きゅるきゅる上目遣い。
「うぅ…………」
呻きながらも、お姉ちゃんはわたしのコップを持って緑色の液体を喉に流し込む。
わたしが口をつけていた場所にお姉ちゃんが上書きしているという状況に、どうしようもなく高揚してくるものがあった。足の指がもじもじと動いて地面をやんわり押す。
残り少なかったので、中身は空になってしまった。
「おいしかった?」
「……普通の、メロンソーダだったけど。甘い」
わたしと目を合わせようとしないお姉ちゃん。いじらしくて、わたしのほうまでなんだか、照れ照れしてきてしまう。
甘ったるい空気が、狭い部屋のなかに蔓延している。
メロンソーダにどれだけアイスを溶かしたって、砂糖を放り込んだって、いつまでも勝機は訪れなさそうだった。
「……わたしっ、えと、飲み物入れてくる! おねーちゃんは待っててね!」
自分で作り上げた空気に自分で耐えられなくなって。
このままいたら、おかしなことを口走りそうで。
わたしはコップを持つと猛ダッシュで個室を出て行く。振り返らない。頬が、耳が、首が、手が火照って仕方がなかった。熱を冷ますためにも小走りで進んで、ドリンクバーへと辿り着く。
思わずうげぇ、と顔を歪ませてしまった。先客が、いた。その人物というのが、中1のときに僻みで陰口を叩いてきた同学年の女子たちだったから。
半ば無意識に、頭のヘアピンを撫で付ける。
嫌われるような立ち回りはしていないつもりだけど、なにしろわたしはかわいいので、嫉妬の対象になることもある。しょうがないことだ。
ほんのちょっぴり傷ついていたわたしを元気づけるために、あのとき瑞葉お姉ちゃんは、賑やかな街へ連れ出してくれた。このピンも、買ってくれて。
初めてお姉ちゃんをお姉ちゃんとして認識したのはそのときなのだと思う。
単純に、かっこよかった。光り輝いてすら見えた。でも、換算すると今のわたしと同い年かぁと嘆息をつく。
わたしは彼女と同じ立場になったとき、実際してくれたように行動できるのだろうか。正直、無理そうだった。だから憧れてしまう。
いじめられていたわけではないけれど、不快な思いはたくさんした。女子の一人と目が合って、あっちもわたしだと気づいたみたいで、気まずい雰囲気に包まれた。
にこにこを保ってやり過ごす。笑うのは特技だし、矜恃。
笑ってるほうがかわいいって、お姉ちゃんが言ってくれたあの日から、わたしの笑顔には芯が填った。中身が伴うようになった。
お姉ちゃんが好きなわたしは、わたしも好きなのだ。
「どうしたの、咲愛」
様子が変だったのか、戻ってくるとそう声を掛けられた。
「……さっき、あの子たちと鉢合わせた」
「あの子たちって……あぁ」
伝わったらしい。お姉ちゃんの眉は、心なしか険しく寄る。
「大丈夫だった?」
「なんにも喋ってないよ、無言」
「気まず……でも、よかった」
安堵したように顔を緩める。わたしはそんなお姉ちゃんの腕に、滑らかな動きでするりと抱きついた。彼女の肩が鋭利に跳ね上がって、でも気を取り直すように咳払いをした。
しばらく沈黙が居座る。その間わたしは、さらに力を込めてぎゅうっとお姉ちゃんに密着する。
そこには温もり、いや熱があった。血が沸騰したように両者の体温が上がって、ぶつかって、混ざって。
少なくともわたしはお姉ちゃんに触れているし、お姉ちゃんもわたしに触れている、その事実だけで十分なのだった。
お姉ちゃんが、すぅっと息を吸い込む。
「咲愛さ、きのう嘘ついたでしょ、絶対見たでしょ」
「へっ!? ナ、ナンノハナシカナー、アハハ」
「とぼけなくていいから。さすがにわかるよ、やけにスキンシップ多くなったし思わせぶりなこと言ってくるし……私の気も知らないで……」
いつもより早口だけれど、なにを言っているのかはちゃんと聞き取れた。
まぁ確かに、露骨すぎたかもしれない。外から客観的に見たらわたしはどんな感じだったのだろうかと苦笑いする。
「じゃ、じゃあ……改めて訊くけど、おねーちゃん、わたしのこと好き?」
「かわいいところも、努力家なところも、心が綺麗なところも。ぜんぶ、大好き」
「…………ひょ」
「なんか言ってよ、私だけ恥ずかしい」
こんなに真っ直ぐ伝えられて、わたしだって恥ずかしい。
「実はね、わたしも、好きだよ。おねーちゃんのこと」
耳元でそう囁いて、湿った吐息を存分に浴びせた。
さーて、お姉ちゃんの反応はいかに? と期待を纏いながら目をやる。けれど、予想よりもぜんぜん動揺していない。あれっ。
「な、なんでそんなに落ち着いてるの! もうちょっと驚いてよ!」
「いやだって……なんとなく、そうなんだろうなって思ってたから。普段の言動がわかりやすすぎるんだよ、そういうとこがかわいいけど……」
そこまでの好き好きオーラを発していたのか、わたし。ぽかんと驚愕する。そしてすぐに、かわいいならまいっかーとなる。
「ていうか! 両想いってわかってたならもっと早く告白してくればよかったのにー」
「あの消しゴム、バレずにぜんぶ使い切ったら告白するつもりだった。……もしフラれたら、恐いし」
「でへへぇ」
口の端がでろでろに溶けてなくなりそうなほど、にやけてしまう。
これまでずっと下から狙いを定めてきたお姉ちゃんも、結局はわたしと同じ、ただの乙女だったのだ。いまだってほら、整った顔を真っ赤に染めて斜め下に俯いている。
あぁもう、こんなの。
「かわいいね、おねーちゃん」
「……うるさい」
「かわいい」
「咲愛のほうが、」
人差し指でその唇を塞いで、続きの言葉を引っ込めさせた。悔しいけどどう考えたって、この場ではお姉ちゃんのほうがかわいい。
少し迷ってから、両手を彼女の頬に優しく添える。
そして、じりじりと迫る。距離を縮める。お姉ちゃんは眼球をややこしく転々とさせて、後ろに仰け反っていく。やがて限界が来て、ソファに手をついたらしい。
唇同士が触れるすれすれの場所で、わたしは小さく訊ねる。
「いや?」
「……やじゃない、けど」
「えへ、だよね」
「まっ、まま待って」
「だーめ」
そうして重ねた唇はびっくりするほど柔らかくて、お姉ちゃんも女の子なんだなぁと思った。
かわいい女の子とかわいい女の子の百合、需要しかない。




