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第77話 処刑人

 肌を刺すような濃密な殺気をまき散らしながら、10歳前後の幼い少女が一人、音もなく現れた。

 子供らしく、小柄で華奢だが、血のように赤く染まった長髪と、額から生える二本の角。そして、彼女から放たれる、濃密な殺気が、ただの子供ではないということを嫌なほど伝えてくる。

 だが、俺が――いや、この場にいる全員が息を呑んだ理由は、その異様な気配のせいだけではなかった。


「……え?」


 セイラの口から、呆然とした声が漏れる。


 無理もない。

 その少女の顔立ちは、セイラ自身に瓜二つだったのだから。

 透き通るような肌、整った目鼻立ち。

 だが、宝石のように澄んだセイラの碧眼とは違い、少女の瞳は、感情の一切こもらない虚ろで濁った赤色だった。


「お、おお……っ! その紋章、エデンからの助けか!」


 両腕と両足を失い、血の海を這いずり回っていた鮫島が、狂喜の声を上げた。

 少女が身に纏う漆黒の軍服。そこには、エデン・グループの紋章が銀糸で刻まれていた。

 鮫島にとっては、まさに地獄に降りてきた蜘蛛の糸に見えたのだろう。


「助かった……! 早く、早くこいつらを皆殺しにして僕を連れて帰ってくれ! 会長に伝えて――」


「裏切者は規定に則り、処刑する」


「は……?」


「貴方は命惜しさに、エデン・グループの情報を話そうとした。この事実を我々に対する明確な裏切りと判断する」


「待、待ってくれ! 違う、これは――」


 鮫島が必死に弁解しようとしたが、少女――ノアは無造作に、本当に鬱陶しい羽虫でも払うような軽い動作で、その細い腕を振るった。


 ドンッッ!!!!


 地下空間の空気が、異常な圧力で圧縮され、弾けた。

 何の予備動作もない。魔力のタメも、詠唱もない。

 ただのただ軽く腕を振っただけで起こした暴風が、鮫島を飲み込んだ。


「あ……」


 悲鳴すら上がる間はなかった。

 四肢を失い、弱っていたとはいえ、あの鮫島の肉体が熟れたトマトが壁に激突したかのように、一瞬にして赤い肉片と化して四散したのだ。

 壁にべっとりと、赤黒い染みが広がる。

 細胞レベルまで完全にすり潰されたのか、先ほどまでの再生能力は微塵も機能せず、鮫島という存在はこの世界から完全に消滅した。


 それだけではない。

 暴風の余波は、セイラが亜空間から引きずり出してきた、気絶していた二人探索者――鮫島の仲間である前衛の男と魔法使いの女をも巻き込んで、血の霧へと変えてしまった。


 「なっ……!?」


 俺は息を呑み、反射的に身動きの取れない凛を背後に庇った。

 なんだ、今の攻撃は。魔法か? スキルか?


 俺は背筋を流れ落ちる冷や汗を感じながら、右目に意識を集中させ、その赤い少女に向けて『真贋鑑定』を発動した。


 ――ブォン。


 視界に展開されたシステムウィンドウ。そこに表示された文字列を見て、俺の心臓は嫌な音を立てて跳ね上がった。


 ====================

【名称】ノア(クローン体・第Ⅶ期完成型)

【ランク】神話級(成長中)

【状態】感情欠落・命令絶対服従

【詳細】『剣聖』神宮寺セイラの遺伝子をベースに、適合率の高い魔物の細胞を融合させて造り出された生体兵器。エデン・グループの最高傑作。

【危険度】測定不能(※極大の脅威。接触を推奨しない) 


(……嘘だろ、生体兵器だと!?)


 俺は背筋が凍りつくのを感じた。

 エデン・グループは、セイラの遺伝子と魔物の細胞を掛け合わせて、このバケモノを造り出したというのか。

 しかも【成長中】で、すでに神話級の領域に足を踏み入れている。測定不能という文字が、俺の『真贋鑑定』の限界すら超えようとしていることを物語っていた。


「主様ッ! お下がりくださいッ!!」


 血の海と化した惨状の中、いち早く動いたのはカリバーンだった。

 白銀と漆黒の双剣を構えたゴシックドレスの少女が、俺と凛、そして呆然と立ち尽くすセイラを庇うようにノアの前に立ちはだかる。


「本来なら私を見てしまった貴方達も処刑対象なんだけど……Master_Eyeとオリジナルを差し出して」


 感情の起伏が全く感じられない、平坦で機械的な声。

 ノアは、血まみれの凄惨な空間の中央に立ち、首をわずかに傾けた。その無邪気な仕草と、彼女がたった今引き起こした惨劇とのギャップが、凄まじい狂気を生み出していた。


「ふざけるな、小娘! 我が主様にその汚らわしい手を伸ばすなど、万死に値しますッ!!」


 カリバーンが激昂し、地を蹴った。

 ゴシックドレスがふわりと舞い、漆黒の魔剣と白銀の聖剣が螺旋を描きながらノアへと迫る。先ほど、鮫島を圧倒した神話級の連撃だ。


「消えなさいッ!」


 光と闇の刃が、ノアの小さな身体を十字に切り裂く――はずだった。


 ガキィィィィンッ!!!!


「なっ……!?」


 カリバーンの驚愕の声が響く。

 ノアは、振り下ろされた二振りの神話級の剣を、なんと素手で軽々と受け止めていたのだ。

 刃はノアの白い肌に食い込むことすらできず、逆にカリバーンの腕が小刻みに震えている。


「邪魔。あなたは、後回しでいい」


 ノアが淡々と告げた直後、彼女の小さな掌から、どす黒い魔力の波動が爆発した。


「――っ!? あがぁぁぁぁぁッ!!」


 カリバーンの悲鳴が地下空間に木霊する。

 闇と光を併せ持つ神話級の双剣が、ノアの放った純粋な暴力の奔流に押し潰され、その少女の姿を維持できずに霧散していく。


「カリバーン!」


 俺の叫びに呼応するように、空中で光が収束し、一振りの剣――剣の姿に戻った聖魔剣カリバーンが、力なく床に転がった。

 擬人化が解けるほどのダメージ。俺が駆け寄ろうとしたが、それよりも速くノアが動いた。


「まずは、Master_Eye。あなたの技術は、お父様に必要。Master_Eyeはどっち?」


 音もなく俺と凛の目の前に現れたノアが、白く細い手を伸ばす。

 死神の鎌が首筋に触れるような悪寒。俺の身体は、あまりのプレッシャーに指一本動かすことすらできない。


「させ……ないっ!!」


 その刹那、俺たちの前に割り込んだのは、プラチナブロンドの髪を振り乱したセイラだった。

 彼女は床に落ちた自分の聖剣を拾う間もなく、素手でノアの腕を掴み、強引に軌道を逸らした。


「オリジナル……ようやく、動いた、ね」


 ノアの濁った赤い瞳が、初めてセイラを正面から捉える。

 自分と全く同じ顔をした「バケモノ」。セイラはその存在を拒絶するように、喉の奥から絞り出すような声で吠えた。


「私の……私の大切な人たちに、触らせない!!」


 セイラがノアの腹部に鋭い蹴りを叩き込む。

 ノアはそれを腕でガードしたが、衝撃で数十メートル後方へと吹き飛ばされた。

 

「透、凛を守って! この子は私が!」


「他者を気遣う余裕がある?」

 

 ノアは空中で体勢を立て直し、無機質な顔のまま再び突っ込んでくる。

 二人が激突するたび、地下空間の支柱が砕け、天井から瓦礫が降り注いだ。


 一見すれば互角。いや、本物の『剣聖』としての技量と、仲間を守るという執念が勝っているのか、セイラがじりじりとノアを押し込み始めていた。


「オリジナル……さすがに強いね。でも、これなら問題なく――」


 ノアが額の角に魔力を集中させ、周囲の空間が不気味に捻じれ始めた。

 彼女が何かをしようとした、その時。

 ノアは動きをピタリと止め、何者かと通話している様な仕草をし始めた。


「了解……お父様」


 ノアは纏っていた殺気を一瞬で霧散させると、セイラと俺をチラリと一瞥すると、そのまま背を向け、物凄い速さで立ち去っていった。

 静寂が戻った地下空間に残されたのは、血の海と、崩壊寸前の瓦礫の山だけだった。


「はぁっ……はぁっ……っ!」


 オーラを解いたセイラが、その場に膝をつく。


「セイラ」


「透……私、私……っ」


 俺は駆け寄り、震える彼女の肩を強く抱きしめた。

 

「大丈夫だ。まずはここを出よう。……家に、俺たちの家に帰るんだ」


 俺の言葉に、セイラは震える手で俺の服を掴み、小さく頷いた。

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