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第25話 新居

 都内某所。ギルド本部ビルの一室にある不動産管理部門。

 応接室のソファに座る俺たちを前に、恰幅の良い中年のギルド幹部が、明らかに値踏みするような、疑り深い視線を向けていた。


「……あの、大変申し上げにくいのですが。当ギルドが管理する『特A級地下シェルター』は、売却希望価格が百億円を下りません。相馬様は、失礼ながらFランクの探索者とお見受けしますが……冷やかしであれば、お帰りいただきたいのですが」


 幹部の態度は、慇懃無礼そのものだった。

 無理もない。俺は相変わらず冴えないパーカー姿だし、隣にいる凛も元々はCランクパーティのしがない渉外担当だ。そんな若造二人が「五十億の物件を買いに来た」と言えば、正気を疑われるのが普通だ。


 だが、凛は余裕の笑みを崩さず、鞄から一枚の書類を取り出してテーブルの上に滑らせた。


「ローン審査なんて面倒なことはお願いしませんわぁ。キャッシュで、今日中に引き渡しをお願いしたいの。即金なら、少しは色をつけてもらえるかしら?」


「はっ、即金? 馬鹿馬鹿しい、そんな大金が……私たちも暇じゃないんだ」


 鼻で笑いながら書類――銀行が発行した『残高証明書』――を手に取った幹部の手が、ピタリと止まった。

 彼の目が、信じられないものを見るように見開かれ、書類と俺たちの顔を何度も往復する。


「ご、ご、五百……おくっ!?」


 幹部の額から滝のような冷や汗が噴き出した。

 五百億円。それは、中堅のギルドが束になっても敵わない、国家クラスの個人資産だ。


「し、失礼いたしましたッ!! ただちに、ただちに契約の準備を進めさせていただきます! 値引きのなどに関しましても、ギルド長に掛け合いまして最大限の誠意を……ッ!」


 幹部は椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がり、腰を九十度に曲げて部屋を飛び出していった。

 圧倒的な資本の暴力。社会的な地位が、一枚の紙切れによって完全に逆転した瞬間だった。

 ついつい口角が上がりそうになるのを押さえながら、ギルドの案内を待つのだった。


 ◇


「ひろっ……! なんだここ、サッカースタジアムくらいあるぞ!?」


 その日の夕方。

 俺たちは手続きを終え、購入したばかりの地下数十メートルにある新オフィス――元シェルターの内部へと足を踏み入れていた。

 分厚い鉛と魔力吸収合金でコーティングされた隔壁の奥に広がっていたのは、無機質だがとてつもなく広大な空間だった。

 天井は高く、自家発電機や巨大な空調システム、果ては地下水脈を利用した浄水施設まで完備されている。まさに映画に出てくる秘密基地そのものだ。


「ここなら、巨大なアーティファクトを何百個並べても床が抜ける心配はないわね。それに、ギルド直轄の警備システムをそのまま引き継いだから、ハッキングや物理的な侵入も絶対に不可能よ。私が交渉したの、感謝してよね」


 凛が満足そうにヒールの音を響かせながらフロアを見渡す。


「さて、それじゃあ引っ越しといくか」


 俺は広大なフロアの中央に立ち、左手にはめた『亜空間の指輪(アイテムボックス)』に魔力を通した。


「――展開」


 シュンッ! という空気を切り裂くような鋭い音と共に、亜空間のゲートが開く。

 タワマンから丸ごと収納してきた高級ソファ、大型モニター、大量の未修復ジャンク品、生活用品一式、そして何より巨大な『万物転送の神碑(ヘルメス・リンク)』の石柱が、広大な地下空間の一角へと整然と並べられていく。


「……相変わらず、非常識な絵面ね。業者が泣いて抗議してくるわよ」


 一瞬にして、無機質だったコンクリートの空間が、俺たちの快適な新しい『拠点』へと生まれ変わった。

 これだけ広い空間なら、誰に気兼ねすることもなく高圧洗浄機を振り回せるし、サンポールの刺激臭を気にすることもない。


「ふぅ……これでようやく一安心ね。株式会社アンティーク・アイ、新オフィスの堂々完成よ。あ、前のタワマンの方はもう私から不動産屋に連絡して、即日解約の手続きを済ませておいたから」


「お、仕事が早いな。違約金とかかからなかったか?」


「もちろん経費で落とすからノーダメージよ。別に未練はないんでしょ?」


 凛は新調した高級オフィスチェアに深く腰を下ろし、ホッと息をついた。

 俺たち二人は、ひとまず近所のコンビニで買ってきた缶コーヒーを掲げ、ささやかな乾杯をした。


「それにしても、トントン拍子に進みすぎてる気がするな。怖いぐらいだ」


 俺が少しだけ気を緩めながら、壁際に設置したばかりのモニターの電源を入れると、ニュースチャンネルの映像が映し出された。


『――続いてのニュースです。現在、新宿ダンジョンにおいて、不可解な現象が報告されています』


 キャスターの神妙な声と、画面に映し出された物々しいダンジョンゲートの映像に、俺と凛の視線が自然とモニターへと吸い寄せられる。


『本来、地下五十階以降の《《深層エリア》》にしか生息しないはずの凶悪な魔物たちが、中層や上層付近で相次いで目撃されているとのことです。ダンジョンギルドは、探索者たちに厳重な注意喚起を行うとともに、防衛部隊の増強など、原因の究明と対策を急いでいます――』


「深層の魔物が、上に上がってきてる……?」


 俺は眉をひそめた。

 以前、凛から聞いた「中層の様子がおかしい」という噂が、いよいよ本格的な全国ニュースとして取り上げられ始めたのだ。

 画面の端には、怪我をしてストレッチャーで運ばれる探索者たちの姿が映っている。


「嫌な予感がするわね」


 凛が缶コーヒーを握りしめながら、ポツリと漏らした。

 俺も全く同じ気持ちだった。ダンジョンの生態系が崩れるということは、何かしらの致命的な《《異常事態》》が起きている証拠だ。まるで、地震の前にネズミが逃げ出すように、深層の魔物たちが何かから逃げてきているとしたら。 

 それは──


 嫌な予感が頭の片隅をちらつく。


「まさかな……」


 気のせいだろうと、軽く首を振ってつぶやく。

 しかし、嫌な予感は、もやもやと頭の奥にこびりついて残っていた。

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