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第116話 解呪

 フランスギルド本部の地下にある、重厚な石造りの特別待合室。

 扉を開けて俺が中に足を踏み入れると、張り詰めた空気の中で待機していたセイラ、凛、ノアの三人が一斉に弾かれたように顔を上げた。

 部屋の隅に控えていたシャルルとシルヴィの視線も、同時に俺へと注がれる。


「透くん……!」


「透!」


 安堵と緊張の入り混じった声を上げるセイラと凛の前で、俺はゆっくりと横に退き、背後の通路に向けて声をかけた。


「入れ、アダムス」


 その言葉に応じるように、一人の男が静かに部屋へと入ってきた。  

 エデン・グループの頂点であり、欧州の闇を支配していた男、アダムス・ヒューズ。


 彼の両手には魔力を封じる手枷もなく、背後を固める護衛もいない。ただ、俺の指示に従うように、静かに俺の斜め後ろへと佇んだ。


「……え?」


 セイラが息を呑み、その碧眼を丸くして立ち尽くした。

 全員が息を呑んだのは、アダムスに従順な様子があったからではない。その逆だ。


 アダムスのサファイアブルーの瞳には、燃え盛るような、強烈なまでの「敵意」と「憎悪」がはっきりと残っていたからだ。

 彼の意志は一切失われていない。意識も、プライドも、俺たちへの激しい怒りも、すべてが完全にクリアなまま彼の内側に存在している。

 にもかかわらず、彼の肉体は俺の命令に寸分の狂いもなく従い、まるで行儀の良い執事のように俺の後ろに控えているのだ。

 その精神と肉体の恐ろしい乖離に、シャルルが喉を鳴らした。


「……素晴らしい、いや、恐ろしいと言うべきか。彼の瞳は君を千回は引き裂こうとしているのに、その肉体は完全なる忠誠を示している」


「……」


 シルヴィも無言のまま、アダムスの魔力波形に一切の反抗や暴走の兆候がないことを確認し、服従の種の恐ろしさに喉を鳴らしていた。


「アダムス。無駄な抵抗はやめておけ。お前の身体が、お前の意志では動かないことは、お前自身が一番よく分かっているはずだ」


 俺が静かに告げると、アダムスは顔の筋肉をピキピキと震わせ、殺意に満ちた目で俺を睨みつけてきた。

 彼の喉はヒューヒューと小さく鳴り、自らの命令を聞かない身体に対して、内側で死に物狂いの怒号を上げているのが伝わってくる。


「さて、命令だ」


 俺は、アダムスを真っ直ぐに見据えて、冷徹に告げた。


「今すぐ、日本の特別療養施設にいる『神宮寺 琴音』。彼女の体内に埋め込まれた魔力枯渇症の呪いを、完全に解除しろ」


「が……っ、おの、れ……!」


 アダムスの口から、血を吐くような、激しい拒絶の呻きが漏れた。

 彼の精神は、かつて自分が『道具』として縛り付けた女の呪いを解くことを、激しく拒んでいる。

 絶対に嫌だ、解くわけがない――彼の脳内はその拒絶で埋め尽くされているはずだ。


 だが、彼の左手は、自らの意志をあざ笑うかのように滑らかに動き、禍々しい魔力を発し始めた。


「く、そ……があぁぁッ……!」


 顔を真っ赤にし、脂汗を流しながら、自らの指を止めようと精神で絶叫するアダムス。

 しかし、その左手は完璧に俺の命令を遂行する。


 キィィィィィィン……。


 アダムスの手首に刻まれていた黒い紋章が、ボロボロと砂のように崩れ落ちて消えていく。


「……解呪、完了……だ……」


 アダムスは、奥歯をガタガタと震わせ、今にも俺を噛み殺しそうな形相のまま、敗北の言葉を口にさせられていた。


 ====================

【対象】神宮寺琴音への呪詛解除シグナル

【判定】真正。

 術者アダムス・ヒューズ自身の意思により、呪詛の核は完全に消滅。日本側の魔力枯渇要因は排除されました。

 ====================


「……よし。琴音さんの呪いは、これで本当に解けたぞ。セイラ、お前のお母さんは、もう大丈夫だ」


「お母さん……っ!」


 セイラが思わずといった様子で、その場に膝をつき、両手で顔を覆って涙を零した。


 無理もない。長い間、神宮寺の家を、そして二人を縛り、どん底へと突き落とし続けていたアダムスの呪い。

 それが今、この瞬間に、完全にこの世界から消え去ったのだ。


「そして、アダムス」


 俺の声が、さらに一段と低くなる。


「お前がこれまで、自らの野望を果たすためのただの道具として弄び、切り捨ててきた二人の娘……セイラとノアの前に立て」


 アダムスは、俺の命令に激しく抗うように、その身体をガタガタと震わせた。

 だが、彼の足は、実際には抗うことなく、セイラとノアの正面へと彼を歩ませた。


「その場に跪き、床に額を擦り付けて、これまでの自らの罪を心から謝罪しろ。土下座するんだ」


「が……あ、あ、ああああああああっ!!!」


 アダムスの口から、ついに本物の、狂気じみた悲鳴が迸る。


(嫌だ、死んでも嫌だ。この私が、這いつくばるなど、あってはならない――!)


 アダムスは自らの舌を噛み切ろうとしたが、以前俺が下した「自傷行為の禁止」の命令がそれを瞬時に遮断した。


 バシィィィンッ!!!


 床の大理石に、激しい音が響き渡る。

 アダムスは、自らの意思に反して、両膝を床に突き、その白金の髪を乱しながら、自らの額を、冷たい大理石の床へと全力で擦り付けさせられていた。


「……申し訳、ありませんでした。私の犯した数々の罪を、心より、お詫び申し上げます」


 アダムスの目からは、大粒の涙がポロポロと床へ零れ落ちていた。


 意識がはっきりしているからこそ、この土下座の持つ意味、自らの無様な姿が、彼自身に屈辱を与えているのだろう。


「……」


 セイラは、這いつくばって涙を流す実の父親の姿を、潤んだままの瞳で、静かに見下ろしていた。

 ノアもまた、自らをゴミと呼び、破壊しようとした創造主のその無残な姿を、黙って見つめている。


「透……ありがとう」


 セイラは涙を拭うと、俺の前に歩み寄り、その小さな手で俺の右手をしっかりと握りしめた。


「お母さんを助けてくれて、本当にありがとう……それと、ちょっとだけスッキリした!」


「ふっ……そうか。何よりだな」


 俺はセイラの手を握り返し、這いつくばるアダムスへと視線を戻した。


「アダムス、そのままでいろ……セイラ、ノア。この男の今後の処遇について、お前たちの希望はあるか? こいつをどうするかは、お前たちに任せる」


 俺が問いかけると、セイラはノアと目を合わせ、いたずらっこのような不敵な笑みを交わした。

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