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距離感の近い幼馴染ちゃんとの距離が遠くなったり近くなったりするお話  作者: テル


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2/2

後編 距離の遠くなった幼馴染ちゃんと運命のいたずら

 とっくに一月は終わり、二月に突入していた。気分的には一月だが、二月に入ってそこそこ日が経っている。

 相変わらず外は厳しい寒さで、息を吐くと白い煙が口から出てくる。

 その様子を見て、少しだけ気分が上がった。

 今日の秋葉は学校に行く足取りが軽い。何せ数日ぶりの学校なのだから。

 学校に着くと、すぐにクラスメイトである恵は秋葉の席にやってくる。

「お、誰だっけ」

「もう俺の顔、忘れたのかよ」

「なんてな、秋葉の顔久しぶりにみるわ。先週の木金休んでたけど、風邪か?」

「ちょっと家庭の用事」

「ふーん……とりあえず、授業ノートは後で送っとくわ」

「ありがとう」

 変わらない会話、変わらない日常。

 そんな日常にひびを入れたくなくて、恵に病気のことを言うことなどできるはずがなかった。

 休んだ日、体の不調が続いたので秋葉は病院に行っていた。

 風邪か何かだろうと思っていたのだが、大掛かりな検査をさせられることになった。

 そして、その診断で治療しなければ命の保障がないことを伝えられた。

 心臓病なのだとか。薬を飲んで、しばらくの通院をしなければならない。

 しかし、どうにも現実が飲み込めない。病院に行って検査すれば、急に余命宣告のようなことを言われたのだ。

 自分の体に起こっていることもまだ理解できていない。

「……秋葉? どうした? 朝から顔色悪いぞ」

「あ、ああ……学校だるいな、と」

「月曜だしな……でも、秋葉は四連休だったんだから頑張れよー」

 恵は苦笑いすると「じゃあな」と言って、秋葉の元から離れた。

 もし死んだら、この何気ないけれど心地よい日常を過ごせなくなる。そう思うと、死にたくないが、怖いかといえばそうでもない。まだ理解が追いついていない。

 そんなことを考えながら、自分の席で一人スマホを触っていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「秋葉くん、おはようございます」

「おは秋葉―、おひさー」

「夢花と緋奈か……おはよう」

 秋葉の席に来たのは夢花と緋奈だった。

「先週休んでたけど、何―? インフルー?」

「いや、家庭の用事だ」

「何か知らないけど、とりあえず移さないでね」

「だからインフルじゃないって」

「ひとまず元気そうなのでよかったです」

 夢花は朝から包容力のある笑みを浮かべる。

 いつも見ている笑顔なのだが、今日はそんな笑顔を見ると安心した。

 病気の宣言をされたが、日常は変わらない。気づけば治っていたなんてこともあるかもしれない。

 秋葉はそんな楽観的な考えで自分の病気と向き合っていた。

 しかし、現実は違った。

「秋葉! しっかり! 落ち着いて、息吸って、吐いて」

 数日後の夜のことだった。動悸が止まらず、息が上手くできなくなった。

 死ぬ、その二文字が頭に浮かんで恐怖しかなかった。

 秋葉はやっと医者から言われた言葉を理解した。

「救急車呼ぶから、深呼吸して。吸って、吐いて」

 その時、母は救急車を呼ぼうとした。しかし、秋葉はそれを必死に拒否したのを覚えている。

 向かい側の家は夢花の家。救急車を呼んで大事にしたくなかった。

 自身の病気のことがバレて、心配させてしまうかもしれない。秋葉が死ぬかもしれないことを夢花が知ったら、そんな想像は容易にできた。

 数分後には落ち着き、救急外来に急いで行った。

「入院しましょう」

 そして、そう医者からは言われた。

 入院期間は一週間、そのあとに言われたことはあまり覚えていない。

 薬の種類を変えることや、病気と治療の説明などを聞かされた。

 詳細はあまり覚えていない。しかし、秋葉は自分の病気に初めて恐怖を感じた。

 死ぬかもしれないという不安が夜からずっと拭えなかった。


 死にかけて、入院してからは時間の流れが早くなった。

「秋葉くん、よく学校を休んでいますけど、大丈夫ですか?」

「ああ、平気だ。家庭の用事とか風邪が重なっちゃってな……勉強の方は大丈夫じゃない」

 一度入院をした後は学校を頻繁に休んでいるせいで夢花によく心配された。

 しかし、夢花には病気のことは言わなかった。

 人の死について、夢花は敏感である。だから、言い出せなかった。

 それに、夢花どころか誰にも言っていないので、言い出すのが怖かった。

「今度教えてあげましょうか?」

「夢花が教えてくれるのは心強いな。けど、今回の定期テストは一人で頑張ってみる」

「……秋葉くんからそんな言葉を聞くことになるとは、えらいです」

 そして、望まぬ形で、秋葉は夢花を避けざるを得なくなった。

 一緒に登校したり、帰ったりはする。しかし、それだけ。

「秋葉くん、今日、お母さんいない日ですよね。作りに行きましょうか?」

「今日は大丈夫。作り置きしてくれてるみたいだし」

「……そうですか」

「ああ、でも、いつもありがとう」

「……秋葉くんのお母さんに言っておいてくださいね。次は私が料理を作るので、と。ここ数週間、私が秋葉くんに料理を作っていない気がします」

「そう言えばそうだな、そろそろ夢花の料理が食べたい」

「ふふ、新しい料理が作れるようになったので、楽しみにしていてくださいね」

「楽しみにしとく……じゃあ、また明日」

「はい、また明日」

 母がいない日の料理は自分で作ったりするようになった。

 夢花の誘いを断るたびに夢花は悲しそうに笑う。それを見て、秋葉の胸も締め付けられている。

 薬の副作用は強い。薬を飲んだ後は、吐き気で食べたものを戻す事が多かった。

 夢花の料理を戻したくなくて、断る以外に選択肢はなかったのだ。

 望まぬ形で、夢花から距離を取るという望んだことを実現できている。

 もっと一緒にいたい、そんな本心を病気は許してくれない。

 距離を取れば、夢花への思いは消えるかと思った。けれど、思いは募るばかりで、それに比例して秋葉の心はすり減っていく。

 死ぬかもしれない秋葉はもうどうしようもないほどに夢花と釣り合わなくなった。

 その事実が耐えられないくらい辛かった。

「もう、死んだ方が……」

 軽々しく、そんな言葉を口にしようとした。しかし、夢花の葬式での涙が脳裏に蘇る。

 秋葉が死ねば、夢花はどうなるのだろうか。

 そんな想像をすると余計に距離を取ったことが正解だと思えた。

 死んだ時の悲しみも少なくなるし、秋葉が距離を取ることで、夢花に釣り合う人も現れるだろう。

「……って、何考えてんだよ、俺」

 自分の運命を呪うほど、自分に対する嫌悪感も増していった。

 そうやって秋葉は一人で抱えていた。だからなのかもしれない。

 二月も終わりかけのある日のことだった。

 秋葉と夢花は初めて大きな喧嘩をした。

 ***

「一緒に帰ろうぜ、秋葉」

 放課後のホームルーム終わり、秋葉がバッグを持って帰ろうとすると、恵がやってくる。

 新年が始まったと思い、気づいたら二月も終わりかけ。

 気温は相変わらず低いが、高三はもう卒業ムードに入っていた。

 そして、秋葉が病気だと言われて、一ヶ月経った。この一ヶ月は変化しかなかった。

 友人との交流も減って、学校も頻繁に休むようになって、薬を飲み、通院を繰り返す日々。

「あー、悪い、今日担任に呼び出されてるから」

「まじかー、部活もオフだし久々に秋葉と帰れるって思ったんだけどなあ」

「ごめん、また一緒に帰ろう」

「……なあ、秋葉」

「どうした?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ。じゃあなまた明日……って、明日も学校来るよな?」

「ああ、行くよ。また明日」

 恵はもしかしたら薄々気づいているのかもしれない。病気のことまでは勘付いていなくても、隠し事をしていることは気づいているだろう。

 体育を約一ヶ月も見学しているのだ。

 腕が痛いから、そんな言い訳ができるように湿布を貼って誤魔化しているが、一ヶ月も続ければ流石に誰でも変に思う。

 実際は運動したらまた動悸が止まらなくなるかもしれないから、と医者から止められているのだ。

 秋葉は自分でも薬を飲んでも良くはなってはいないことはわかっている。

 変な動悸も多くなって、このままいけば入院して手術しなければならない。しかし、手術しても治るとは限らない。そう医者は言っていた。

「先生、話って何ですか?」

「その前に、ちょっとデリケートな話だから、場所を変えようか」

 秋葉は壇上にいる担任に声をかける。そして、担任は秋葉を『生徒相談室』に連れていった。おそらく病気のことだろう。

 中に入ると、テーブルが一つ、椅子が二つ、真ん中にポツンと置かれていた。

 先生に向かい合う形で秋葉は椅子に座る。

「別に説教とかじゃないからな。安心してくれ……秋葉の病気のことだ」

「……はい」

「ちなみに、どうだ? 不便というか、困ったことはないか?」

「特にないです。体育も見学させてもらってますし、感謝しています」

「してほしい事があったら言ってくれ。何でもするから」

 担任の先生は男のかなりいい先生だ。

 病気だと言うと、親切な配慮や対応をしてくれた。

 そこからは先のことに関する話だった。

 この先、病気を打ち明けるか打ち明けないか。休学の予定はあるのか。するならどれくらいになるのか。もし入院して休学するとなった場合、長期間であれば留年することになる。

 先生と将来について深く話すたびに、大きな不安が秋葉を覆った。

「いつかは……病気のことを友人に言わないといけないですよね」

「秋葉と仲がいいのは恵だったよな。その恵にも言っていないのか?」

「はい、全く」

「……そこは秋葉の判断に任せる。言わないと言うなら先生も隠す。言ってほしいならホームルームで時間を作る」

「ありがとうございます……ただ、しばらくは言わないでいようと思います」

「わかった……じゃあ、話はこれで終わりだ。すまんな、時間取って」

 そうして先生との話は終わった。

 秋葉は話して、理解した。考えなければならないことが多すぎる。

 手術して、休学したとして、勉強はどうなるのか。

 入院が長ければ留年することになる、とも担任からは言われた。

 そして、いつ友人に打ち明けるべきか。

 まず、生きられるのかどうか。

 そんなことを考えて、ふと、夢花のことが頭に浮かぶ。

 病気だと打ち明けた時、夢花はどんな反応をするのだろうか。

「……いい加減、この恋も諦めないといけないのにな」

 秋葉は何かを考えるたびに夢花のことも考えてしまっている。

 家が隣だというのに夢花と話す機会は少なくなった。かと言って好きの気持ちが収まるわけでもなかった。

 夢花と一緒にいる時間は満たされて、その時間が前よりも貴重なものに思えるのだ。

 そんなことを考えながら階段を下っていた時だった。

「ごめん、急に呼び出して。時間作ってくれてありがとう」

「いえ、大丈夫ですよ」

 下から男女のやり取りが聞こえてくる。そして、女子生徒の方は秋葉も聞き馴染みのある声だった。

 もう少し降りて、下の階を覗き込んでみると、夢花と、向かい合う形で立っている男子生徒が視界に入る。

 状況的に告白だろう。秋葉は覗き込むのをやめて、耳を澄ませた。

「それで、話ってなんでしょうか?」

「もう薄々わかってると思うんだけどさ、単刀直入に言うわ」

 男子生徒は一拍置いて、少しハリのある声で言う。

「夢花が好きです。俺と付き合ってください」

 そこから少しだけ沈黙が流れた。

 緊張しているのは夢花に告白した男子生徒の方だろう。しかし、秋葉もなぜか変な動悸が止まらなかった。

 夢花はモテる、それは知っていたが、告白の現場に遭遇して目の当たりにしたのは初めてだ。

 どう、答えるのだろうか。

 男子生徒はかなり容姿が整っていた。名前は知らないが秋葉も見覚えがある。かなり陽キャラな印象だ。

 夢花と呼び捨てもしているあたり、夢花と同じクラスなのだろうか。

 断ってほしい自分と、了承してほしい自分の二人が共存している。

 男子生徒は性格も良かったはず。その上に容姿が整っていて、夢花を好いている。

 付き合ってほしい、そうしたら、終われるから。

「……すみません、お気持ちはありがたいですか、お付き合いはできません」

 しかし、夢花はそう言って断った。

「そっかあ、やっぱ無理かあ。理由だけ聞いてもいい?」

「好きな人が……いるので」

「秋葉だっけ? 付き合ってないって聞いたけど、その子?」

 違う、そんなはずがない。

 夢花が秋葉のことを好きなわけがないのだ。

 大事な時に支えられなくて、泣いている時にハンカチ一つ貸せない、言葉もかけられない。

 そんな人を好きになるはずが。

「……そっか、そうだよな、やっぱりそうだよなあ」

 夢花は何も言わなかった。しかし、男子生徒がそう言って苦笑いするのは聞こえてくる。

 男子生徒の反応が、疑問に対する夢花の答えを示していた。こればかりはもう否定のしようがない答えだった。

「じゃあな、俺帰るわ。時間取ってごめん」

「またクラスメイトとしてよろしくお願いします」

「……おう、また明日な」

 男子生徒が廊下を歩く音が静かな校内に響いた。

 秋葉は階段の段差に座ると、深く息を吐く。心臓は破裂しそうなほど、早く動いていた。

 目を瞑ると、呼吸に集中して、自身の心臓を落ち着かせた。

 予想していなかったわけではない。そうなったら嬉しいとも思っていた。

 しかし、もう叶ってはいけない恋なのだ。

 もし、これを聞いたのが病気だと言われる前だったら、秋葉は何を思っていただろうか。

 とにかく、盗み聞きするべきではなかった。何も、聞かなかったことにしよう。

「……帰るか」

 秋葉はそうして立ち上がる。

このまま降りると夢花に会うので、別の階段から降りた方がいいだろう。

そうして階段を登って、迂回しようと考えていた時だった。

「あ、秋葉……くん?」

 後ろから、夢花の声が聞こえる。

 振り返ると、階段下でカバンを両手に持った夢花が立っていた。

「聞いてたん、ですか?」

「……悪い、階段降りてたらたまたま聞こえてきて、たまたま……盗み聞きするつもりはなかった」

「ど、どこから聞いてたんですか?」

「時間作ってくれてありがとう、のところから」

「……がっつり盗み聞きしてるじゃないですか」

 夢花は秋葉を軽く睨む。責められると思った。

 しかし、数秒睨んだ後は表情を緩めると、なぜか笑みを浮かべた。

 その頬は赤くて、夢花のそんな表情に秋葉の体はまた熱くなり始める。

「秋葉くん、二人でちょっと話しませんか」

 

 帰り道、空を紅くする夕陽は二人を後ろから照らしていて、地面には二人の伸びた影ができていた。

 影と影の間にはいつもよりも隙間がある。夢花との距離はいつの間にか遠くなっていた。

 ゼロ距離だった二人の距離は、もうかなり空いている。

「こうやって二人で帰るのも久しぶりですね」

「そうだな、前はほぼ毎日一緒に帰ってた気がする」

「……秋葉くん、最近どうしたんですか? 忙しいんですか?」

「あ、ああ……家のことでちょっとバタバタしてるから」

「なるほど」

 夢花は秋葉の家庭の事情を知っている。だからなのか、あまり深く触れることはなかった。

 ありがたいと感じると同時に、騙しているという罪悪感も生まれる。

とはいえ、避けている、そう堂々と言えるはずがない。

夢花の好きな人がわかったのだから、尚更だった。

「そういえば、もうすぐ学年末テストですけど、勉強してますか?」

「……まずいかも」

「今回、結構難しいらしいですよ」

 二人はそうして帰り道を歩いていく。

 いつも通りの他愛もない会話内容、けれど、不自然だった。

 久しぶりの会話だからというのもあるが、秋葉は夢花の雰囲気で何となく察していた。

 取り繕っている感じがして、いつもの夢花ではなかったのだ。

 そして、公園の前まで来た時だった。

 夢花は急に止まった。少し歩いて、秋葉もそれに気づくと、立ち止まって、振り返る。

「……秋葉くん、さっきの話に戻りますけど、告白、全部聞いてたんですか?」

「ああ、聞いてた」

「……じゃあ、私が好きな人がいる、って言ったのも、聞いてましたよね」

 秋葉は首を縦にも横にも振らなかった。

 しかし、答えがわかった上での質問だったのだろう。夢花は言葉を続ける。

「……聞かれてたら、もう、しょうがないです」

「ごめん」

「……何の謝罪ですか……謝らないで、くださいよ」

 夢花は苦笑いをする。しかし、その目は笑っていなかった。

 そして、しばらくの沈黙の後、夢花は言った。

「秋葉くん……好き、です」

 ずっと聞きたかった言葉だった。

 振り返れば、小学生の頃から、本当はずっと聞きたかった言葉だった。

 しかし、あの日からずっと、自分にはそれを言う資格も聞く資格もないと思っていて、だから、その言葉をすぐには飲み込めなかった。

「……なんで、俺なんだ?」

「好きに理由なんてないです。好きになってしまったから、好きなんですよ」

 夢花はそうキッパリと言った。

 秋葉も夢花も同じ気持ちをお互いに抱えていた。正直、嬉しい。

 でも、同時に、自分の運命を呪いたくなった。

「……秋葉くん、最近、私を避けていますよね。知っていますよ。十数年一緒にいて、それくらいの変化には気づきます」

 避けたくて、避けているわけではない。そうした方がお互いのためだと思った。

 秋葉の病気のことも夢花には言わないといけない。だから、その時に傷つけたくなかった。

 しかし、当然、夢花はそんなことなど知らない。

「……なんで避けているのかはわからないです。ただ、秋葉くんは、多分、私のこと、好きじゃないですよね」

 秋葉は否定しかけて、止まる。

 自分の気持ちをここで夢花に言うわけには行かない。

「でも、秋葉くん、私は秋葉くんのことが好きです」

 夢花の真っ直ぐな言葉に秋葉はどう返せばいいかわからなくなった。

「どうしようもないくらい好きです」

 そして、もう、秋葉は夢花から目を逸らした。

「……せめて何か、言ってくださいよ、秋葉くん。振るなら振ってください」

 秋葉でなくてもいい。

 もうすぐ死ぬような人間に恋をするより、夢花を支えてくれる、夢花と釣り合う人に恋をした方がいい。

「……俺よりいい人なんていくらでもいるだろ。さっきの男子の方が、顔も整ってるし、性格も良さそうだった……俺と夢花だと、釣り合わない」

 秋葉は自分の気持ちを素直に伝える。言い終えて、秋葉が顔を上げると、夢花は今にも泣きそうな表情で、その肩は震えていた。

「だから、私は秋葉くんが、秋葉くんが好きだって! ……そう、何回も、言ってるじゃないですか」

「……ごめん」

「っ……秋葉くんのばか!」

 夢花は小走りで秋葉を追い抜かすと、そのまま、家の方面に向かっていった。

 その様子を秋葉はただ突っ立って見ていることしかできなかった。

 呼び止めることもできずに、やがて、その背中は消えていった。

「最低だな、俺……」

 恋は現状維持を許してくれない。変わらなければならない。

 しかし、これで良かったのだ。もし、秋葉も自分の気持ちを伝えて、付き合っていれば、この先で今よりも悲しい思いをさせた。

 まず、釣り合っていないじゃないか。そう思っていると、先ほどの夢花の言葉が蘇る。

『好きになってしまったから、好きなんですよ』

 胸が苦しい。張り裂けそうになる。

 徐々息も荒くなっていき、やがて、まともに呼吸ができなくなった。

 この動悸が心のせいなのか、病気のせいなのか、区別がつかないほどに秋葉の心臓は破裂しそうだった。

 もし、この病気がなければ、秋葉は変われていたのだろうか。

 自信のない自分を過去の後悔から変えて、夢花のそばにいられたのだろうか。

「俺も、好きだ……好きなんだよ、夢花」

 辺りが暗くなっていく中、公園の前で一人、秋葉はうずくまった。

 

「ただいま」

 無心で、家に帰ると、家の明かりがついていた。

 母の車が停めてあったので、どうやら今日は家にいるらしい。母はいつもより早く帰ってきていた。しかし、秋葉はそんなことに疑問も何も感じなかった。

 頭にモヤがかかっているような感覚で、うまく思考が働かない。

「おかえり」

 家に帰ると、母が久しぶりにそう玄関で迎えてくれた。いつぶりだろうか。

 しかし、今はそんなことにも嬉しさを感じれない自分がいる。

「……ってどうしたの、何かあった?」

「いや、別に……ただ、疲れた」

「今日は久々のお母さんの手作りよ、シチュー作ったから」

「シチューか……」

「どうしたの? 本当に元気ないじゃない」

「何でもない……とりあえず風呂入ってくる」

 冷えた体を温めるために、秋葉は風呂に入った。

 風呂に入っている時も、やはり思考はうまく働かなかった。

 扉の外から「もうご飯できたからー! 早く上がっておいで!」という母の言葉が聞こえるまで、秋葉は風呂に浸かっていた。

 体を拭いて、服を着ると、リビングに行く。

 リビングの食卓もうすでに料理が並べられていて、母がニコニコしながら座っていた。

 もう使われることのない四つの椅子の一つに、母は座っている。

 その光景に秋葉は過去と比べてしまった。

 秋葉と夢花が隣り合って座って、向かい合う形で秋葉の父と母が座る。

 小さい頃は、隣の家だからこそ夢花とお泊まり会をする時があって、四人席が埋まるあの時間が好きだった。

 夢花は幼馴染であり、家族のような存在だったのだ。そうだ、いつも隣にいて、隣にいることが当たり前で、もっと言えば家族よりも一緒にいる時間が長くて、大切な存在だったのだ。

 秋葉はうまく支えられなかったけれど、大変な時はお互いに支え合って、生きてきた。

 それを、秋葉は夢花に恋をして、壊してしまったのだ。

 でも、これで良かった。結果的に距離は遠くなった。

 きっと夢花と釣り合ういい人が、そう考えたが、夢花の言葉が頭から離れない。

 秋葉くんが好き、そう何回も言われて、秋葉の心が動かないはずなかった。

 いや、もう、いい。終わったことなのだ。

 病気を治して、まずは生きることに専念しなければならない。

「秋葉、どうしたの? ぼーっと突っ立って」

「……ごめん、何でもない」

「とりあえず食べよ食べよ、冷めるから」

 秋葉は母と向かい合う形で座ると、手を合わせた。

「いただきまーす」

「……いただきます」

 シチューをスプーンで一口掬い、口に運ぶ。

 久々の母の手料理は冷えた心も体も温めてくれた。そして、やっと心が落ち着いてくる。

 近頃は秋葉の治療費のせいで、母もより忙しく働いて、それに薬の副作用もあって、夕食をまともに食べる日はあまりなかった。

 秋葉は次々とシチューを口に運んだ。

「どうしたの? 今日は元気ない日?」

「別に……シチュー、美味いよ」

「そう、ありがと」

 喋る気力くらいは出てきた秋葉はやっと、母が早く帰ってきたことに疑問を感じる。

 無理矢理にでも切り替えたかった秋葉はそのことについて触れることにした。

「そういえば、今日は母さん、早く帰ってこれたんだな」

「……秋葉と話したいことがあったから」

「話したいこと?」

「うん、食べた後、話しましょうか」

 何の話だろうか。そんなことを思いつつも、ひとまずは夕食を食べ進めた。

 やがて、二人とも食べ終わって、食器の片付けをしている時だった。

 母は真剣な顔で「秋葉に話さなくちゃいけないことがあるの」と切り出した。

「……何?」

「正直、秋葉にとっては辛いと思う……けど、ごめん。もし、手術することになったら、退学してもらって、引っ越しすることに、なるかも」

 入院、手術の期間は長くなると言っていた。当然、その間は高校を休学するので、留年することになる。

 それでも、秋葉はここに残りたい思いが強かった。退学なんて、したくはなかった。

 しかし、母は言葉を続ける。

「お金がないの……ごめん。家のローンもまだ残ってるのに、治療費とか払わなきゃいけない。あの人に言ったけど……そこまでは無理だって。だから、家を売って、引っ越さないとお金が足りない」

「……引っ越すとして、どこに行くんだ?」

「私の実家、ばあちゃんとじいちゃんが受け入れてくれるって。異動先の仕事場も近くにあるし、先生に教えてもらったけど、大きい大学病院もあるから……そこなら、今の病院よりいい治療してくれるかも、って」

 母の実家、祖母と祖父の家は関東にある。

 ここから電車で四、五時間。新幹線を使っても二時間程度かかる場所。

 さらに家も売り払う。実質的にもうここには戻ってこれないことを意味していた。

 秋葉が生まれ育った地元、思い出のあるここを去ることになる。

「……もし、秋葉が嫌だって言うんだったら、もう一回、あの人に言ってみる」

「俺は……」

 秋葉はしばらく考えた。

 忙しい中働いて、生活費も治療費も払ってもらって、わがままを言いたくない。それに、母の話には秋葉にもメリットが大きい。大学病院で治療を受けて、治る可能性が高くなるかもしれないのだ。

 それでも秋葉はここを離れたくなかった。友人と別れたくなかったから。

「正直……離れたくない。だって、友達とも、夢花とも……」

 しかし、秋葉はそう自分の思いを口に出そうとして、ハッとさせられる。

 夢花とは今日で終わったじゃないか。距離を置いて、最低だと知りながら振って、嫌われたのだ。

「うん、そうなる。夢花ちゃんとも別れなくちゃいけない」

「……いや、ごめん、やっぱり何でもない。引っ越さなきゃいけないんだったら、引っ越すよ」

「本当に? ここは秋葉の地元だし、思い出のある場所でしょ? 嫌なんだったら嫌って……」

「俺のことは、もう大丈夫」

 秋葉がそう言うと、母の肩は震え始めた。そして、大粒の涙を流し始める。

「ごめんね……秋葉……本当にごめん。あの時からずっと、ごめんね……親らしいこともできないで……」

 そんな母を見て、秋葉は体が固まる。どう声をかければいいか、何をすればいいのか、実の母であってもわからない。

 実の息子が死にそうで、生活費と治療費を夜遅くまで働いて稼いでくれて、それでも愛情を注いでくれる。

 一方で、秋葉は人に迷惑をかけているくせに自分は何も返せていない。夢花にだってそうだし、母にだってそうだ。

 いい加減、自分が嫌になる。

「いや、母さんは、悪くない。むしろ、こんな息子で……ごめん」

 秋葉は気付けば母にそう謝っていた。しかし、母は震えた声で言った。

「っ……お願い、そんなこと言わないで……謝らなきゃいけないのは母さんの方だから。私は……秋葉を産んで良かったって思ってるの」

 母は秋葉の謝罪を決して受け取らなかった。

 そして、言った。

「……何があっても、私はいつでも秋葉を……秋葉を愛してるから。家でもなかなか喋る機会が少ないけど、私は秋葉を愛してるから……それだけは覚えておいて。私の方こそ、こんな母でごめんね……」

 母のそんな言葉は、夢花の言った言葉と似ていた。

 秋葉はふと、思う。

 迷惑ばかりかけていて、人に恩を返せていない。でも、周囲の人はそんな秋葉を支えてくれる。それなら、秋葉もその恩を返すべきだ。

 不器用だから、気の利いたことはできないかもしれない。それでも、支えようとすること自体が相手の支えになっているのなら。

「母さんの方こそ……謝らないでくれ。いつもありがとう……感謝してる」

 秋葉は母の方に行くと、その背中をさすった。あまりにも泣いていたので、秋葉が苦笑すると、母も少し笑った。

 ああ、そうか、あの時も、こうするだけで良かったのかもしれない。そばにいて、支えようとするだけで、良かった。傷つけるかもしれないと怖がる必要もなかった。

 しかし、それに気づくのはあまりにも遅すぎた。

 

 その日の夜、秋葉は夢を見た。

 葬式、泣きそうな夢花を抱きしめて、支える夢だった。あの時、支えられていたら、そんな後悔は尽きない。

 夢花との関係はもう失われたのだから。

 朝起きると、いつの間にか秋葉の頬は濡れていた。

 ***

「なーに、どしたの、秋葉。ため息なんかついて」

 休み時間、秋葉が窓越しに外を見ながら何度もため息をついていると、緋奈に話しかけられる。

 厄介な人が来たなと秋葉は思った。今は緋奈のテンションに合わせられるような気分ではないからだ。

 夢花との一件があって、一週間ほど経った。自分で選んだ選択である。それでも、その日から気分は沈んだままだった。

「……いや、別に、何でもない」

「声もテンションも低っ」

 緋奈は相変わらず元気そうである。

「ちょっと疲れただけだ」

「がんば、あと一週間で学校終わりだよ」

「……まじか」

「高一もあっという間だったよねー」

「そう……だな」

 時間の流れが早い。入学したと思えば、もうすぐ高二である。

 とはいえ、秋葉の場合は高二を迎えられるかどうかわからない。このまま治ればいいのに、そう思っているが、 医者からはこれ以上体が悪くなれば、手術すると言われている。

 そうなれば、高二を迎えずに、この地を去ることになる。

 でも、自分の体のことなので、何となくわかる。おそらく秋葉はこの学校で二年生を迎えられない。

 変な動悸や呼吸が荒くなる回数が前よりも増えた。生きられるかどうかも不安なのだ。

「おーい、秋葉ー、聞いてる?」

「あ、ごめん、どうした?」

「……ダメだ、こりゃ。もしかしてだけど、夢花っちと何かあった?」

 緋奈の口から夢花の名前が出されて、秋葉は一瞬体が硬直する。

「別に」

「これは何かあったな。夢花っちも秋葉の席に来たがらないし、四人でご飯食べてないし、何なら秋葉と夢花っちが二人で学校で話してるところ見てないし」

「……ああ、そうだ、夢花と喧嘩中……いや、喧嘩ではないけど、気まずい」

「秋葉が夢花っち怒らせた感じ?」

 緋奈のそんな質問に沈黙を貫いたのだが、その沈黙で確信に変わったらしい。

「恵ー! ちょっとカモン!」

「え、何?」

 緋奈は教室の真ん中の方で友人と話していた恵を呼び出す。急なことだったが、恵は嫌な顔一つせずにやってきた。

「秋葉を元気付ける大会やろうよ。元気なさそうだし」

「おお、いいな、やるか! うーん、そうだなー、何がいいだろ……」

「待て待て、何を急に……」

 緋奈と恵が揃ったことで、なぜか変なゲームが始まった。テンションが低い秋葉を元気付けるというこちらとしては迷惑な内容だ。

 秋葉が突っ込む余裕もなく、恵が言った。

「じゃあまず、俺、モノマネ行きます。ホームルームでの担任の先生」

「おお、期待」

「……はい、おはよう。今日も、いい天気だな」

 恵は担任の声質に寄せて、教室を見渡す担任の真似をした。

 しかし、全然似ていない上に、面白いと感じることはできなかった。

 緋奈もそう思ったようで微妙な顔をしていた。

「うーん、十点」

「何点中?」

「百五十」

「え、ひくっ」

「じゃあ、次、私も先生のモノマネで行きます。怪我をして保健室に行ったときの保健室の先生……」

 それからはチャイムが鳴るまで、秋葉を笑わせる大会は続いた。ギャグやモノマネ自体は終始面白いと感じれなかったが、変な空気感に一度だけ秋葉は笑ってしまった。

 元気がない時は慰めてくれるような、いい友達。そんな友達と過ごす日々もおそらく、あと少し。

 そろそろ今の秋葉のことを二人に言わなければならない。

 二人に言えば、どんな反応をするのだろうか。その反応が少し怖い。

 学校にいる間はそんなことをずっと考えていたわけなのだが、やはり言ったところで心配はされなさそうだと、帰路にて、二人を見ながら思う。

「……なんで二人はついて来てるんだ?」

「秋葉が一人で帰ってて寂しそうだったから」

「俺も右に同じく」

 放課後、秋葉が一人で帰っていると、さも前からいたかのように恵と緋奈に話しかけられていた。

 二人の帰り道は秋葉とは逆方向にも関わらず、わざわざ秋葉について来ている。

「秋葉ぁ、この後、遊びにいこうぜー」

「やめとく」

 緋奈が男子のような口調でそう言う。

 今日はあまり遊びに乗り気でないので、断ろうとした。しかし、秋葉に拒否権はなかったらしい。

「あ、強制参加だから」

「……おい」

「ほら、元気ない時は友達と遊ぶのがいいっしょ?」

「別に、元気がないわけでは……遊ぶなら他のやつ誘ったらどうだ?」

「いやだね、昨日は夢花っちと二人で遊んだから、今日は秋葉デーにするって決めてるの」

「……そういうことだ。大人しく俺らに遊ばれろ」

 恵に肩を組まれると、帰路とは別の道に曲がらされた。

 三学期に入って、一度も友人と遊んでいないのだ。今日は予定はない。思い出作りも含めて、気分転換するのもいいだろう。

 秋葉は少し口角を上げる。

「何、にやけてんだよ。やっぱり俺らと遊びたいんじゃねえか」

「いや、別に……二人って意外に優しいのな」

「意外にって何よ、意外にって。恵はともかく、私はそれはもう他人を思いやれる純粋で温かい心の持ち主なんだから」

 いつも通りのやり取りが疲労しきった秋葉の心を温めてくれる。

 一緒にいるだけで、大きな支えになるのだ。友人とは今思うと大切な存在。病気になってから、それに気づいた。

「……で、ちなみにどこ行くんだ?」

「俺も知らないぞ。緋奈、今日の予定は?」

「え、私も知らないよ。でも、適当にカラオケとか?」

「ここら辺はないな」

「じゃあ電車に乗って……あ、駅、逆方向じゃん。待って、この先何かあるかな。地図で見てみる……うん、なさそう、引き返そっか」

 ノープランで三人とも雑なところがあるというのもある意味では日常だった。

 その後はカラオケに行ったり、ゲームセンターに行ったり、秋葉は二人とひたすらに遊んだ。嫌な事を二人は忘れさせてくれた。時間を見るのも苦痛だった。

 しかし、楽しい時間はあっという間で、もう終わりへと向かっている。

「もう二十時かあ。早いわー。二人とも門限とかないよね」

「特にないぞ」

「同じく」

「じゃあデザートでも頼もっかな」

 遊び尽くした夜、三人はファミレスで夕食を取っていた。どうせなら夕食も食べてしまおうということで、駄弁りながら食べている。

 緋奈はタッチパネルを操作して、デザートを注文すると、伸びをした。

「何頼んだんだ?」

「メガ盛りいちごパフェ」

「あれ、ダイエットは……」

「恵、一回黙ろっか。今日はチートデーなの」

 そんな緋奈の言葉に二人が笑うと、少しの間、三人の会話が止まった。

 気まずいわけではないので、無理に会話を続かせる必要もない。この空間が心地よいと感じるくらいには仲がいいからである。

 しかし、会話が止まったのは、緋奈が空気を変えようとしていたからだとわかった。

「……秋葉」

「どうした?」

「ちょっと今から踏み込んだ話するけどさ……夢花との喧嘩の内容、聞いてもいい?」

 緋奈が真剣な表情でそう聞く。

「できれば、言いたくない」

「そっか、言いたくないならいいよ。でも、四人の仲が崩れちゃうのは嫌だなって」

 秋葉と夢花は二人ともずっと仲が良かった。

 高校に入ってからも一度も喧嘩したり、気まずくなったことなどなかった。当然、二人からしてみれば不安で、気になるのだろう。

「夢花は教えてくれなかったのか?」

「何でもないって、言ってた」

「じゃあ、ごめん。俺からは何も言えない……けど、俺が悪い」

「仲直りできそう?」

「……無理だろうな。それに、今更、仲直りも……できない」 

 夢花のことが好きかと聞かれれば、間違いなく好きと答えられる。廊下ですれ違って、目を逸らされるたびに、胸が痛む。

 でも、それでいい。夢花は好きな人であり、同時に大切な存在なのだ。俺が病気で、死ぬかもしれないと知って、傷ついてほしくない。

「秋葉は仲直りしたいの?」

「そんなの当たり前だろ……でも、できないから、このままにしてる」

「できないって……夢花も仲直りしたいって言ってたよ?」

「……なら、余計にできない」

 仲直りしたいと思っているなら、余計にできないのだ。

 きっと、傷つけてしまうから。

「そっか……しょうがない、ね」

 緋奈がそう言うと三人を重い、気まずい空気が覆った。

 そんな空気に耐えられなかったのか、恵が明るい言葉を秋葉に投げかける。

「な、何をしたのか知らないけど、喧嘩?」

「喧嘩……というか、気まずい。俺のせいで」

「気まずいだけなら一年も経てば、元の関係に戻ってるだろ。そんなに気にすんなって」

「生きて一年迎えられたらいいけど」

 気づけば、秋葉はさらっとそんなことを言っていた。失言した、そう思った頃には、二人の視線が秋葉に集まっている。

「……それ、どういう意味?」

 緋奈が眉をひそながらそう聞く。

 もし、いつか言うとしても、いいタイミングは今しかないだろう。しかし、重々しく言う事もできなかった。

どう言えばいいかわからず、結局、秋葉は普段通りの口調で言った。

「俺、病気だから。来年生きてるかもわからない」

『……は?』

 二人は揃って、口を開けてポカーンとしている。

 ある程度、予想通りの反応だった。しかし、自身の告白に対する羞恥が湧いてきたので目を逸らした。

「冗談?」

「俺も冗談だって信じたい」

「秋葉、お前死ぬの?」

「死ぬかもしれないから頑張って治してる」

 二人はまだ受け入れられていないようである。緋奈はコップを片手に持ったまま、固まっていた。もう少し真剣に話すべきだったかもしれない。

「いちごパフェのお客様」

「あ、はい……ありがとうございます」

 途中で緋奈の頼んだパフェが来たのだが、緋奈はスプーンを取ることはなかった。

「……え、死ぬの?」

「治らなかったら死ぬだろうな……もちろん嫌だが」

「私、まだ信じられないんだけど……ていうか、え、何? パフェ大きすぎなんだけど」

「……何の病気?」

「心臓病らしい、治らなかったらあと数年で死ぬって」

「こわっ……治りそう、なの?」

「実は日に日に悪化してる。体育、出れないし」

「……そっか……まじか」

 緋奈はやっとスプーンを手に取って、パフェを口に運ぶ。しかし、パフェの感想を言うことなく、秋葉の方に視線を戻した。

「じゃあ何? 三学期に入ってよく学校休んでたのって、入院してたとか?」

「そうだな、病院行ってるか、薬の副作用で寝てるか」

「薬の副作用もあるのか……きつ」

「もし、これ以上ひどくなれば、学校を辞める予定だ」

「高校中退って……いや、そりゃそっか。じゃあ秋葉の見舞い行くわ」

「……関東の方に引っ越して、大学病院で手術するから、それも無理だな。別に来てもいいけど」

「引っ越し……か。治ったらまた戻ってくる、よね?」

「多分、もう、帰ってこないだろうな」

 家も売り払うと母は言っていた。手術のためのお金が足りないのだ。

 だから、地元に帰ってくることはない。

「……じゃあ、俺らが関東の方に行くぜ。な、緋奈」

「いや、うん、それは当然」

 二人はそんなことをさらっと言う。

 そんな発言から、秋葉は良い友人を持つことをできた、そう思った。何度も何度も思っているが、改めて、二人は良い友人である。

「引っ越すのはいつ頃?」

「わからない。でも、治れば引っ越さないから、大丈夫だ」

「そっか……じゃ、じゃあ、今から秋葉が治るように祈っとこ」

 緋奈はそう言って胸の前で手を組むと、目を瞑った。そして、これでもかというくらい手に力を入れて握っている。

「力入れすぎだろ」

「俺も祈っとこ。絶対、治してくれよ。秋葉と離れるなんて俺は嫌だから」

「……ああ、治す」

 秋葉も本音を言えばこの地を去りたくない。でも、去らなければならないだろう。

 そうして半分諦めかけていたところ、二人を見ると、引っ越したくないという気持ちがより一層強くなった。

「今のことは……ここだけの秘密で頼むな。まだ夢花にも言ってないし」

「夢花っちにも言ってないの?」

「言うタイミングがなかったから」

「なら、余計に夢花と仲直りしなきゃじゃん」

「そう……だな。仲直りした方がいいんだろうけどな……」

「……引っ越すかもしれないのにさ、喧嘩したまま終わりたくないでしょ?」

 緋奈にもっとものことを言われてぐうの音も出なかった。

 このまま何も言わずに引っ越すのも、良いと思った。しかし、後悔はある。

 しっかり謝って、引っ越しのことを言うか。謝らずに、このまま言わないか。

 どちらの方がいいかなど秋葉には決められなかった。

 ***

 三月の中旬、朝夕は寒く、昼は涼しいか少し暖かいという微妙な気温。

 流石に桜はまだ咲いていないが、春に向けて緑が少しずつ増えてきていた。日が落ちるのも徐々に遅くなってきていて、季節の交代を感じる。

 秋葉の学校は春休みが始まっていた。

 おかげで毎日が暇になったわけである。

 起きて、病院に行って、薬を飲んで、寝て、起きたら夕方。病院がない日も家にいることが多かった。外に行っても買い出しに行く程度で、友達と遊んだりするわけでもない。

 春休みになって新しく始めたことは自炊くらいである。

 夢花とは気まずいままで、時間だけが過ぎている。だから、母がいない一人の日は自炊することにした。失敗続きだったけれど、料理は案外楽しいもので、やりがいがある。

 しかし、もし、夢花と料理をできたら、そんな想像をしながら、いつしかにした約束を思い出すこともあった。

 母も夢花もいない一人の家は秋葉にとっては広過ぎる。

「……未練ったらしいな、本当」

 夕方、暗くなっていく家の中、電気もつけずに秋葉はソファで寝転がっていた。

 今日も母がいない日なので、夜遅くまで家には誰もいない。家で一人だという事実を受け入れると孤独に胸が苦しくなる。

 寝転がっていると気分も上がらないので、秋葉は起き上がると、家の電気をつけた。テレビも同時につけて、その音量を上げる。

 テレビで時間を見ると、もうすでに五時半ごろ。暇つぶしに今日も自炊してもいいかもしれない。

 昼間はレトルトだったので、夕食は自分で作ってみることにした。スマホで検索しながら、献立を決めると、秋葉は台所へと向かう。

「魚もあるし、和食でも作ってみるか」

 そうして、秋葉は具材を準備していく。今まで主食や主菜、サラダくらいしか作ってこなかったが、今日は他の副菜も作ってみる予定だ。

「とりあえず、ほうれん草切って……って、レンチンでいいのか。楽だな」

 スマホでメニューを見つつ、不器用ながらもゆっくりと作っていく。

 母の分も作る予定なので、その分、モチベが大きい。

 そうして一品が出来上がり、ラップをして冷蔵庫にしまった。その時だった。

 ちょうどインターホンが鳴った。

 宅配だろうかと思ったものの、声は聞こえない。インターホンが鳴っているだけ。母は今日は遅くなると言っていたので母でもないはずだ。

 インターホンを確認してみるも、カメラには服だけ写っていて、顔は見えなかった。

「今開けます」

 先ほどテレビで流れていた押し売りや宗教勧誘だろうか。とはいえ、もう日は落ちている。

 そんなことを考えながら秋葉は玄関に向かった。

 秋葉はスリッパを履いて、扉を開ける。しかし、そこには予想していなかった人物が立っていた。

「秋葉……くん」

「ゆ、夢花? どうした?」

 扉を開けると、ボロボロの夢花が立っていた。

 髪の毛は乱れていて、泣いていたのか目元はいつもより腫れている。さらに、唇を軽く噛んでいて、目には涙を溜めていた。

 壁にもたれかかっていた夢花は、フラフラと秋葉に近づく。そして、秋葉の胸元に倒れ込んだ。

 気まずかった夢花との久しぶりの会話。けれど、そんなことはどうでもよかった。夢花に対しての心配と、困惑の感情しかなかった。

「……何か、あったのか?」

「しばらく……こうさせて……もうダメなの、耐えられないの」

 夢花はそうして秋葉の服をぎゅっと握りしめる。いつもの敬語は外れていて、声も震えている。

 やがて、夢花は秋葉の胸元に顔をうずくめて、泣き出した。

 秋葉は手を後ろに回して、そんな夢花を抱きしめる。気づけば、そうしていた。もう迷うことも考えることもなかった。

 何があったのかはわからない。でも、夢花が苦しいなら、あの時できなかった分、支えたい、そう思った。

「……ごめんなさい、急に。ありがとう……ございます」

 しばらくして、落ち着いたのか、夢花は秋葉から離れる。

「とりあえず中入るか?」

 夢花はこくっと頷く。そうして秋葉は夢花を家に上がらせると、ソファに座らせる。まだ気温は寒いので、お湯を沸かして、夢花にすぐに温かいお茶を出した。

 距離を空けて、秋葉は夢花の隣に座る。

「……急に押しかけてすみません。今日は、ここにいてもいいですか?」

「ああ、好きなだけいたらいい。誰もいなかったから暇してた」

「そっか、今日はお母さんがいない日で……あ、私、しばらく料理とか作ってなかった……ご、ごめんなさい」

「今は、その話はいいから。自分のことを優先してくれ」

「……ありがとうございます」

 夢花は手を伸ばすと、秋葉の小指を掴む。その手は少し震えていて、それを見た秋葉が夢花の手を握ると、震えは止まった。

 夢花の手は冷えていて、そんな手を温めるように、秋葉は握っている。

 何があったのか、聞こうと思った。しかし、夢花を見ると、まだ心の整理がついていないように思える。

 夢花が話すまで、秋葉からは聞かないことにした。辛い記憶を蘇らせることになるかもしれないからだ。

 それからしばらく、夢花は秋葉の手を握ったまま何も話さなかった。

 テレビも消しているので、ただ時計の音だけがリビングに響き渡っている。

 このままそばにいるだけでもいいのだが、どうせなら夢花を少しでも元気付けたい。

「ご飯食べるか? 時間かかるけど」

「……いえ、そんな気分ではないので、大丈夫です」

 夢花はそう言って断る。しかし、そんな夢花の発言とは反対に、夢花のお腹の音が静かなリビングではよく聞こえた。

「や、やっぱりいただきます」

「わかった。ちょっと時間かかるけど、座って待っててくれ」

 秋葉は再び台所へと戻る。量を増やして、三人分作らなければいけない。

 とはいえ、もし、時間がかかりそうであれば、二人分で作って、秋葉の分は少し減らせばいい。男子は白米さえあればなんとかなるのだ。

 そうして秋葉は料理を作っていった。

 副菜をもう一品作り、魚も焼いていく。そして、しばらくして食卓に料理が並べられた。

 味噌汁だけはインスタントになったが、過去作った料理の中で一番美味しそうな見た目をしていた。

「てっきり、インスタントかと……秋葉くん、料理、できるようになったんですね……美味しそうです」

「練習したからな。前まで……」

 夢花に頼りっぱなしだったから。

 そう言葉に出そうとして、秋葉は止める。今は、それを言うべきではない。

「……面倒臭いって思ってたけど、始めたら意外に楽しいなって思ってな」

 二人はそうして向かい合う形で座った。

「いただきます」

「……いただき、ます」

 手を合わせると、秋葉は先に魚の塩焼きを食べることにした。

 見た目はいいとして、味が気になるのだ。美味しくなるポイントもしっかり見て、手順通りに作ったので悪くはないはずだ。

 秋葉は箸で一口分取ると、口に運んだ。

 結果、味は悪くなかった。うまく焼けているし、魚のパサつきもない。しかし、塩を振り過ぎたようである。

 夢花も魚を先に食べていて、表情を変えずに咀嚼していた。

 やはり、夢花の料理と比べると劣る。

「……悪い、魚、塩っ辛いかも。残しておいてもいいからな」

 秋葉は夢花にそう言った。

 口に合わなくても、夢花なら残さず全て食べてしまいそうだからである。無理せず食べるより、残してもらうほうがいい。

「たしかに、塩っ辛いですけど……でも、美味しいです」

 夢花はそんな秋葉の心配とは反対に少しだけ口角を上げる。そして、夢花は箸を持ったまま、涙を流し始めた。

「残さない、ですよ……とても……美味しい、です……」

 夢花の涙はまた止まらなくなって、服の袖で何度も目元を拭っている。

 秋葉はそんな夢花に何も言わず、ティッシュを渡した。

「ごめんなさい。涙、止まらなくて……ありがとう……ございます」

「……謝らなくていい、気にしないでいいから」

「じゃあ秋葉くん……手、握ってくれませんか……? ……安心するんです」

 夢花は秋葉に右手を差し出す。秋葉はそんな夢花の手を優しく握る。

 泣き終わるまで、秋葉は夢花の横にいて、その手を握っていた。

「……ありがとうございます。落ち着きました」

「もう大丈夫か?」

「……はい、料理も冷めてしまいますし、そろそろ食べます」

 そんな夢花の顔には少し笑顔が戻っている。

 二人はお互いの手を離して、席に戻ると、また食事を食べ始めた。

「ごちそうさまでした……美味しかったです」

 しばらくして、夢花は秋葉の作った料理を全て綺麗に食べ終えていた。

「……全部微妙だったよな。料理下手だから、許してくれ」

「いえ、そんなことないですよ……全部、美味しかったです」

 夢花はそう言って、笑みを浮かべる。

 元気が出たなら、良かった。そう思って、いつの間にか秋葉も笑っていた。

 

「……秋葉くん」

 夕食を食べ終えた後、二人は隣り合ってソファに座っていた。付けたテレビを見たり、軽く話したりして時間が過ぎていく。

 そうしていると、夢花が秋葉の名前を呼んだ。

「どうした?」

「明日、予定ありますか?」

「別にないけど……」

「じゃあ……病院に……ついてきて欲しいです」

 夢花は俯いていて、表情は柔らかくはなかった。

 秋葉が夢花との距離を詰めて、座る。そして、何があったのか聞くことにした。

「ついてきて欲しいなら、俺も行く」

「ありがとう……ございます」

「……何かあったのか?」

 秋葉がそう聞くと、夢花はしばらく沈黙をした。

 その間、秋葉はテレビを切って、急かすことなく夢花の言葉を待った。また時計の針の音だけがリビングに響き渡っている。

 どれくらい待っただろうか、やがて、夢花が重々しく口を開いた。

「話してる時に……取り乱したらごめんなさい」

「もし話したくないんだったら、別に話さなくてもいい」

「いえ……言わなければいけないので」

 夢花は一拍置いて、言った。

「……おじいちゃんが今日の朝に倒れて、まだ目を覚ましていないんです」

昭英あきひでさん、だよな」

「はい……朝におじいちゃんが倒れたって、おばあちゃんから連絡が来て、病院に行ったんです。そうしたら、まだ、意識が戻ってないって言われて……」

 夢花の祖父、昭英さんは向かい側の家で夢花と一緒に住んでいる。当然、秋葉も交流がある。

 昭英さんはよく笑って、よく酒を飲むかなり豪快な人だ。夢花や夢花の祖母とは対照的な人物である。しかし、 夢花の両親と似た笑顔を持っていて、人柄が良く、優しい人。

「おばあちゃんは病院に残るらしいので、私が家に帰って、いざ一人になった時に……怖くなって、不安で……だから、秋葉くんの家に来たんです。秋葉くんが出てきてくれた時……安心しました」

「別に、夢花がいたいならいつまでもいていいからな」

「ありがとうございます……やっぱり秋葉くんは優しいです。一緒にいると、安心できます」

 夢花は固かった表情を少し柔らかくする。しかし、膝に置いた手は震えていた。

「……でもまだ、怖いです。おじいちゃんがいなくなっちゃうんじゃないかって、また、私の大切な人がいなくなっちゃうんじゃないかって」

 夢花の声はだんだんと震えて、荒くなっていった。

「私の周りにいる大切な人がまたいなくなるのが、ものすごく怖いです……まだ、おじいちゃんに感謝も伝えられてないのに。いつも、いつもそう。お母さんもお父さんも突然亡くなって、なんで、なんでよ……なんで……」

 涙は流していなかったが、夢花の肩は震えていて、必死に涙を堪えていた。

 そんな夢花に秋葉は手を伸ばす。しかし、寸前で止めた。

 抱きしめていいのか、わからなかった。けれど、夢花が秋葉の胸に頭を預けたので、手を後ろに回して、夢花を抱きしめる。

「……もう辛いです。いつも私じゃなくて、私の大切で、いい人ばかり私の周りからいなくなるんです。一方で、私はお母さんに八つ当たりするような人間で、それで喧嘩して、仲直りできないまま、私は生きて……私から気まずくさせたのに、こうして都合のいい時だけ秋葉くんに頼るような自分勝手な人間で……」

「その話は、今はいいから」

「笑え……ますよね。もう、いっそのこと私が死んだ方が……」

 夢花にそんな言葉を言ってほしくなかった。だから、その言葉を発する前に、夢花を少し強く抱きしめる。

「そんなことない。夢花が死んだら、悲しむ人がいる」

「でも……」

「夢花が死んだら、葬式で俺が大泣きするから」

 秋葉は真面目に言ったつもりなのだが、胸元で夢花の鼻で笑う音が聞こえた。

「……な、なんですか、それ」

「冗談で言ってないからな。俺が死んだら、夢花、泣くだろ?」

「不吉なこと言わないでくださいよ……でも、泣きます。想像もしたくないです」

「そういうこと、俺も同じ……だから、そんなに自分を責めないでくれ」

「でも……これ以上、大切な人がなくなるのは……いやです」

 運命はいつも突然、残酷なものに変わる。

 そんな運命に夢花は自分で自分を責めるしかないのだろう。しかし、秋葉からすれば、夢花もいい人にあたる。 当然、夢花も死んではいけない。

 そう考えていると、ふと、秋葉は自分が病気であることを思い出す。

「……秋葉くんも、いなくならないでください。約束、です」

 秋葉はそんな夢花の言葉に何も返事をすることができなかった。抱きしめることしかできなくて、ただ唇を噛み締めるだけ。

 何度も今と同じ約束をしたことがあった。しかし、守れそうにない自分に腹が立って、悔しかった。

「なんで、だろうな」

「……何がですか?」

「いや……なんでもない」

 運命という言葉があるなら、どうして運命は夢花に酷な人生を歩ませるのだろうか。

 秋葉の大切な人から、大切な人を奪って、だから、運命という言葉が嫌いだ。

 しかし、それ以上に、秋葉は自分のことが嫌いだった。人に自分のことを責めるなと言いながら、心の中では自己嫌悪でいっぱいだった。

 いつかは夢花に病気のことを言わなければいけない。その、いつかが怖い。

 約束を守れず、夢花を一人にさせてしまうのではないか。

 秋葉は自分の死を差し置いてそんな心配をしている。

「……もう、大丈夫です。秋葉くん」

 長い間、秋葉は夢花を抱きしめていた。

 夢花を離したくなくて、離れたくなくて、そんな自己中心的な思いもあった。

「軽々しいことは言えないが……あの、じいちゃんのことだ。生きて、目を覚ましてくれる」

「……そうですね、おじいちゃんのことです。明日の朝、病院に行ったら、酒でも飲んでいそうです」

「おばあちゃんが許さないと思うけどな」

「ふふ、たしかに」

 夢花が落ち着いた頃には、いつもの夢花に戻っていた。

 そして、その日は、帰ってきた母に起こされるまで、二人は寝ていた。お互いに寄りかかって、安心するように。

 気づけば十二時前で、目を開けると母がいた。

「……母さん?」

「二人とも、昔から仲良いわよね」

 左肩に重さがあったので見てみると、夢花の頭が秋葉の肩に置かれていた。

 夢花はまだ寝ていて、すやすやと寝息を立てている。

「……起こす?」

 秋葉は首を小さく横に振った。

 今日は夢花も疲れている。起こすのは可哀想だ。

 しかし、秋葉が母と会話をしていると、夢花も目を覚ました。

 夢花はパチパチと瞬きして、母の存在に気づく。

「あ、おはよ」

「……秋葉くんの、お母さん?」

「普通におかあさんって呼んでくれてもいいのよ」

 夢花は体を起こして、秋葉と母を交互に見る。

 そして、起きて早々に謝罪した。

「あ、ご、ごめんなさい! ね、寝てしまいました。もしかして、私、ずっと秋葉くんの肩に寄りかかってました?」

「そうだけど、気にしないでいい。俺も寝てたから」

「な、なるほど……わ、私、もう帰りますね。お邪魔しました」

 夢花は立ち上がって、髪を軽く直す。そして、玄関の方に向かった。

「……家、一人だろ? 泊まっていってもいいんだぞ」

「大丈夫です……もう、落ち着きましたから」

 夢花はニコッと笑って、笑顔を見せた。

「なら、よかった」

「じゃあ……おやすみなさい、秋葉くん……お邪魔しました」

 夢花はぺこっとお辞儀をすると、自分の家へと帰っていった。

 そんなやり取りを聞いていた母が一言。

「……もしかしてだけどさ、付き合った?」

「違う、ただの……幼馴染」

「あー、まだ、付き合ってないんだ」

「もし、付き合ってても……夢花を傷つけるだけだ。今頃、振ってる」

「じゃあ……あんまり息子にこういうの聞かないことにしてるんだけど、秋葉は夢花ちゃんのこと異性として好きなの?」

「……風呂入ってくる」

「あ、あれ、秋葉? 好きなの? どうなの?」 

 母の質問は無視して、秋葉は風呂場へと向かった。


 次の日の午前、二人は病院に向かった。

 予想通り、夢花の祖父はすでに目を覚ましていて、ニコニコの笑顔で二人を迎えてくれた。

「もう、おじいちゃん……心配したんですよ」

「悪かったな。夢花、心配かけちまった。でも、夢花が大人になるまで、死ぬわけにはいかないからな。はっはっは」

「……なんで、私、頭を撫でられてるんですか。もう子供じゃないんですけど」

「いいや、まだ子供だ」

「髪がボサつくじゃないですか」

 夢花は祖父に頭を撫でられて文句を言いつつも、嬉しそうに笑っていた。

「秋葉も来てくれたのか。久しぶりだな」

「お久しぶりです。元気そうで、よかったです」

「元気も元気よ。なーに、ちょっと倒れただけ。でも、酒を控えろって医者からは言われちまった」

「普段から飲み過ぎですよ」

「そうだなあ。秋葉とも酒飲み合いたいからなあ。秋葉が酒飲めるようになるまで控えるかあ」

 夢花の祖父は倒れて、目を覚ました後とは思えないほどの元気さだった。

 秋葉はいつも通りの元気さと豪快な笑い方に安堵する。

「いやあ、にしても、二人とも大きくなったなあ。俺が倒れてから何年経った?」

「一日ですよ。そんなに経ってません」

「はっはっは。冗談じゃ」

「ふふ、おじいちゃんって相変わらずよくわからない冗談を言いますよね」

 そして、そんな祖父と会話しながらいつも以上に笑っている夢花を見て、胸が熱くなった。

 ***

 このまま病気が治ってほしい。春休み中はそう何度も願った。

 しかし、息切れも変な動悸も増えて、発作が未だに一度しか起きていないことが不思議なくらいだった。

 秋葉が夢花と仲直りしてから、春休み中、夢花は毎日のように秋葉の家に来た。

 料理を作ってもらうだけでなく、一緒に料理を作ったり、二人で遊びに行ったりもした。何もすることがなくても、ただ一緒にいるだけで楽しかった。

 前よりもお互いの距離は近くなっていた。幼馴染として、けれど、時には異性として、夢花を見て、好きの気持ちは日に日に溢れるばかりだった。

 そんな日々が続けば、秋葉が夢花に自分の気持ちを言ってしまうのも時間の問題だった。

「秋葉くんって女ったらしですよね。別に秋葉くんは好きでもないのに、好きって告白してきた女の人を家にあげるとか。優しいから……余計に好きになっちゃうじゃないですか」

「……いや、好きじゃなかったら入れてないから」

「幼馴染として、ですよね」

「違う……い、異性として、好きじゃなかったら入れてない」

 結局、秋葉は夢花に自分の気持ちを伝えた。

 しかし、やはり真剣に伝えることはできなくて、会話の流れで、言ってしまった。

「……わ、私、今、告白されました?」

「こ、告白じゃない……けど、夢花のことは好きだ。い、異性として」

 しかし、その時は告白しようにもできなかった。

 病気のことがあったから。

 全てが終わったら、言う予定だった。

「告白は、さ。もっと真剣にしたい……だから、もうちょっと、待ってくれるか?」

「う、嘘じゃ、ない、ですよね?」

「ああ、嘘じゃない。嘘だったら、こんなことは言わない」

「わ、私が好きって言ったから、ですか?」

「関係ない。もっと前から、好きだった。なんなら小学生の時から」

「……そんなに前から? ぜ、全然、気がつきませんでした」

「ずっと隠してたからな。言ったら、関係壊れるかなって思って、言えなかった」

「じゃあ、なんであの時は何も言わなかったんですか」

「何言えばいいか……わからなかった。好きって言おうにも、言えなくて、ごめん、気まずくさせた」

「……秋葉くん」

「ごめん」

「いえ、やっぱり、もういいです……秋葉くんが不器用なのは昔からです」

 その日、告白はしなかったが、約束した。

「告白、してくれるんですよね」

「今は無理だけど、いつか絶対にする。」

「……待ってますから、私。好きですよ、秋葉くん」

 約束し終わった後は、ぎゅっと抱きしめあって、幸せな時間だった。

 この時間がずっと続けばいいのに、そんなことを何度も何度も思った。

 病気が治るように、そう何度も何度も願った。

 しかし、運命は残酷だった。

 夢花に自分の気持ちを伝えた、その次の日のことだった。二回目の発作が起こった。

 死にかけながら、思っていたことは自分の死に対する恐怖ではなかった。

 好きな人の運命の相手は秋葉ではなかった、その悔しさだった。

「手術しなければ、命の保証がないです……残酷な話、三回目の発作が秋葉くんの最後になるかと」

 秋葉は、もう、この地を離れなければならなくなった。

 医者に手術の必要があると言われた時は、どこにぶつければいいかもわからない、どうにもならない苛立ちが秋葉を覆った。

 しかし、隣では母が秋葉より泣いていた。そんな母を見て、苛立ちは消えていった。

「……手術する場合、転院する予定でしたね。大学病院に紹介状を書いておきます」

「ありがとう、ございます……」

 予想はしていたことだった。

 すぐに秋葉は切り替えることにした。というより、切り替えなければならなかった。

 引越しまで時間がない。にもかからわず、考えることが多かったのだ。

 何より、一番の悩みはこのことを夢花に言うかどうかだった。

 最初は何も言わずに引っ越す予定だった。それが夢花が一番傷つかない方法だと思ったから。

 今は違う。

 夢花と約束をした。

 いつか、告白をすると約束した。いなくならないと約束をした。

 もし、秋葉が急にいなくなったら。

 そんな、もし、が解消されないまま、頭にずっと残っていた。

 ひとまず、恵と緋奈には報告した。

 一人一人会って、話した。

「そっか……まじ、かあ」

「……ごめん、恵」

「頑張れよ、応援してるから……うう、でも、こんな別れ方嫌だわ」

 恵の家に行って、言うと、恵は泣いていた。

 親友の初めて見た涙に、秋葉も釣られそうだった。

「ハグしようぜ、秋葉を感じたい」

「なんだよ、俺を感じたいって」

「いいじゃねえか……うう、いつまでもお前は俺の親友だから、な」

「泣きながら言うなよ。俺まで泣くだろ」

 そうして、恵とはしっかりお別れをした。

 緋奈とも外で待ち合わせをして、二人で話した。

 すると、緋奈は恵よりも泣いていた。

「恵もそうだったけど、泣きすぎだろ。まだ死んでないし」

「だって……秋葉が死ぬかもしれないのも怖いし、秋葉と離れるのも嫌だなあって思って、涙止まらないんだもん」

 二人とも友人思いで、本当にいい友人を持ったと思った。

 そんな友人と離れると思うと、寂しくて、辛い。

 これからは送るはずだった学校生活を捨てて、一人で病気に立ち向かわなければならない。

「……あー、やっと涙止まったわあ」

「また……治ったら戻ってくる」

「約束してよね。生きて帰ってこなかったら一発ビンタしてあげる」

「死人にビンタするな」

「あはは、たしかに」

 そうして緋奈が落ち着いた時、緋奈は聞いてきた。

「……ねえ、夢花にはさ、このことちゃんと言った?」

 気まずいまま春休みに入ったので、ずっと気がかりだったのだろう。

 秋葉としては言う予定だった。しかし、まだ悩んでいた。

 両親の死から、しばらく経ったとはいえ、祖父の一件もあった。

 さらに秋葉が死ぬかもしれないと言えば、その時の夢花の反応を想像してしまって、言うのが怖いのだ。

『私の大切な人ばかり、私の周りからいなくなるんです』

 以前に言った夢花の言葉がまだ脳裏から離れられない。

『秋葉くんも……いなくならないでください。約束、です』

 夢花との約束を破りたくない。

「まだ、言ってない」

「病気のことも?」

「……ああ、言ってない」

「ちゃんと話して、お別れしなよ。じゃないと、夢花が可哀想だから」

「やっぱり、そう……だよな」

「うん、別に死ぬかもしれないってだけなんだから、生きて帰ってきて。それで、また四人で仲良く話そうよ。だから、ちゃんと夢花とは仲直りしてほしい。突然いなくなったりしないで、別れはしっかりとして、また会った時にさ、遊ぼうよ」

 そんな緋奈の考えは秋葉の心に刺さった。また会ったときに笑い合えるように、別れをしっかり言うべきなのだ。

 しかし、夢花は受け止めてくれるだろうか。そんな不安があった。

 結局、引越しの前日まで秋葉は悩んだ。一日中悩んで、ずっと悩んで、秋葉は決めた。

 しっかりと言って、お別れをする。

 夢花にとっては急なことで、残酷なことかもしれない。それは言うのが怖くて、先延ばしにしてきた秋葉のせいだ。

 でも、言わなければいけない。

 それと同時に自分の気持ちも、感謝も全部伝えて。

 また会った時は、今度こそ付き合ってほしい。

 そんな重い言葉は秋葉には吐けないけれど、また会ったら笑い合いたい、そう言いたい。

『伝えないといけないことがあるから、今日の夕方、いつもの公園に来てくれないか?』

 秋葉は朝にそんなメッセージを送ると、すぐに既読がつく。

 直接言わないとダメだと思った。そして、二人がよく遊んだ、思い出の詰まった公園で、話したかった。

 既読がついて、しばらくして、夢花からは『わかりました』とだけ送られてきた。

 秋葉はそこから夕方までずっと話すことを考えていた。

 最初に何を言おうとか、どう切り出そうとか、考えるたびに胸が苦しくなった。言うのが怖くなった。

 それでも、言いたい。話して、しっかりお別れしたい。

 そんなことを考えるうちに気づけば夕方になっていた。空は赤くなっていて、日が落ち始めている。

「そろそろ、行かないとな……」

 秋葉はソファから立ち上がると、洗面台へと向かう。

 洗面台の鏡を見ながら、服にしわがないか、寝癖がついていないか、しっかり見て、直していく。

 今日はなぜか普段は気にならないところも気になってしまっていた。

 そうして整え終わると、秋葉は玄関に向かって、歩き始める。

「……あー、緊張する」

 秋葉は緊張から、そう呟いていた。先ほどからずっと緊張しっぱなしで、胸の違和感が止まらない。

 こうも緊張していると、夢花とまともに話せないではないか。

 秋葉は一度壁に寄りかかると、目を瞑って、深呼吸をした。自身の緊張を落ち着かせるために。

 しかし、いくら待っても、胸の違和感がとれることはない。

 それどころか増していく。

「はあ……はあ、頼む、止まれ……止まってくれ……」

 呼吸がうまくできずに、秋葉は壁に寄りかかったまま、床に膝をつく。

 この感覚は経験したことがある、発作だ。そして、今までの発作で一番苦しい発作だった。

 胸が痛くなって、息ができずに苦しくて、だんだんと思考も鈍っていった。

 秋葉は何とかリビングまで行くと、机の上の薬をとる。それを飲みかけのお茶で流し込むと、また壁にもたれかかった。

 意識がなくなりそうになりながら、秋葉は胸を抑えて、発作が落ち着くことを祈り続ける。

『夢花は神様っていると思うか?』

『……私は信じてないです。そういう文化だと思っています』

『どうにもならなくなった時とか、最後のひと押しとかに、神頼みするのも意外に清々しいぞ』

『それもそうですね……私も秋葉くんみたいにテスト前だけ信じようかな』

 いつしかにした、そんな会話が走馬灯のように頭に浮かんだ。

 もし神様がいるなら、今だけ、この発作を治してほしい。

 都合のいいお願いだと思いながらも、無駄だと知りながらも、そう願った。

 けれど、発作は酷くなるばかりだった。心臓が張り裂けるくらい苦しくて、辛い。もしかしたら、ここで死ぬかもしれない。

 それでも、考えていたのは夢花のことだった。

 やがて、夢花との思い出が次々と秋葉の記憶に蘇った。

『あきくん、お母さんがパンケーキ作ってくれたって! 一緒に食べよ!』

 小さい頃の忘れかけていた思い出から今まで、目を瞑れば映像のように流れている。

『秋葉くん……好きです』

 夢花に好きと言われた時は、嬉しかった。

 会いたい、早く夢花に会いたい。

 その時、スマホがポケットから落ちた。もう拾うことすらできない。

 秋葉はそのスマホに目を向けた。すると、ロック画面に映し出されていたのは、夢花からの一件のメールだった。

『先に公園で待っていますね』

 秋葉がそのメールを見ると同時に秋葉の意識は途切れていく。

 行かないと、早く行かないと。会いたい、会って、話がしたい。

 そんなことをずっと考えていると、気づけば苦しさもなくなっていって、力が入らなくなっていた。

 秋葉は瞼を閉じた。

 その瞼の裏に浮かんでいたのはどうしようもないくらい好きで、大切な人だった。

 ***

 私は秋葉くんのことが好きだ。

 からかった時の反応とか、たまに見せる無邪気な笑みとか、不器用な優しさとか、秋葉くんの全部が大好きだ。

 それには恋愛感情としての好きもあって、幼馴染として好きという気持ちもある。

 秋葉くんとは生まれてから、親同士の仲が良かったので、もっと言えば生まれる前からの付き合いだった。

 生まれたのは秋葉くんの方が早かったけれど、私たちは同じように成長していった。

 物心ついた時にはいつも秋葉くんが隣にいた。それが当たり前の日常だった。

 私にとって、ずっと、秋葉くんは家族のような存在。

 小さい頃の私と秋葉くんは、今とはだいぶ性格が違っていた。

 私は泣き虫で、今とは考えられなくほど秋葉くんはやんちゃ。それでも、秋葉くんのせいで泣いたことはなかったと思う。むしろ、私を守ってくれていて、何かあったら秋葉くんが駆けつけてくれた。

「あきくん、あきくん、痛いよお、歩けないよお」

「……ったく、転んだくらいで何だよ。ほら、手握ってやるから」

「うぐっ、歩けないの!」

「膝……擦りむいてるのか。わかったわかった、おんぶしてやるから」

 小学校四年生くらいまではずっと、秋葉くんのことはあきくんと呼んでいた。

 当時、あきくんの手も背中も私にとっては大きくて、頼もしかった。

 今思えば迷惑と心配ばかりかけていて、秋葉くんに助けてもらってばかりだったと思う。

 しかし、私が大きく変わるきっかけになったのは、小学校四年生で、両親が亡くなった時。

「……夢花ちゃん、大事な話があるの」

「大事な話? それより、ねえ、おばあちゃん。お母さんに謝りたいです。誕生日に喧嘩したままなんて嫌だから、早く謝りたいです。お母さんたち、まだ帰ってこないの?」

「っ……夢花ちゃん……」

「私が……私があんなこと言ったから、お母さん、怒って帰ってこないのかな……おばあちゃん、どうしたらいいんですか?」

「話を聞いて! 夢花ちゃん!」

「っ……ご、ごめん……なさい、おばあちゃん」

 小さい頃から敬語を使えと教えられたりして、厳しかったけれど、普段は怒らない温厚な祖母。

 両親が死んだ日、そんな祖母が初めて声を荒らげたのを聞いた。

 祖母は怒っている顔をしていると思った。でも、違った。祖母は目の涙を堪えていた。

「……よく聞いてね、夢花ちゃん」

 私を抱きしめながら、祖母は言った。

「お母さんとお父さんが亡くなったの」

 祖母はそう言い終えると、私を抱きしめたまま、泣いた。しかし、私はすぐには祖母の言葉を受け取ることはできなかった。

 どこか他人の話のように聞こえてしまっていた。

 しばらくの間、私は現実を受け入れることができなかった。

 多分、心がどこか壊れていたのだと思う。

「夢花ちゃんは……強い子だね」

「……おばあちゃん、私、お母さんとお父さんの分まで頑張ります」

「っ……良い子に育ったね、本当に」

 そして、葬式でやっと、私は母と父が亡くなったという現実を受け止めることができた。

 でも、涙は出なくて、私がしっかりしないといけない、そんな思いが強くなっただけだった。

 そんな壊れかけていた当時の私の心を治してくれたのは秋葉くんだった。

 葬式終わりに秋葉くんと少し話して、初めて心が癒された。秋葉くんが話しかけてくれて、安心した。秋葉くんは私にとっては家族のような存在で、だから安心できた。

 おかげで、いつものように秋葉くんの前で泣いてしまいそうだった。けれど、しっかりすると決めたから、それをグッと我慢した。

 秋葉くんもこの頃からやんちゃではなくなっていて、落ち着くようになった。父の件など家庭のこともあったりして、大変そうだった。

「夢花、きょ、今日一緒に、遊ぼうぜ」

 しかし、私の性格が変わっても、私が辛い時に秋葉くんは支えてくれた。根は変わっていなかった。不器用な優しさもあったけれど、その優しさに救われた。だから、秋葉くんが辛い時は私が支えた。

 お互いに家族が欠けている。それを埋めるように、前よりもお互いがお互いの背中に寄りかかるようになって、支え合う生活を送るようになった。

 高校生になっても、それは続いた。

 料理を覚えて、作れるようになった私は秋葉くんの家によく料理を作りに行った。

 秋葉くんの母が忙しくて、夕食を作れないときは私が代わりに作った。一方、秋葉くんはそれに対して、申し訳なさを感じていたようだけれど、私の好きでやっていることだったから別に構わなかった。

 いつも美味しそうに食べてくれる秋葉くんを見ると作り甲斐があるのだ。

 私が料理を覚えた理由は単純で、初めて作ったお菓子を秋葉くんに褒めてもらったから。

「うまっ、もっと食べたいくらい」

「本当ですか? 自信がなかったんですけど、上手くできてますか?」

「ああ、今まで食べてきた中で一番」

「こ、誇張しすぎですよ。でも……ありがとうございます」

 単純な理由だが、そこから料理を作ることにハマっていて、いつの間にかそんな生活になっていた。

 そうしていると、学校で勘違いする人が出てくる。

「夢花ちゃんって、彼氏いるの?」

「いませんけど……どうしてですか?」

「前に男の人と二人で歩いてたから、彼氏かなって思って」

「あの人は……家族みたいなものです」

 高校一年生の一学期は、私と秋葉くんが付き合っていると勘違いしている人が多かった。

 その度に私は否定した。

 噂を利用して、秋葉くんをからかったりはした。しかし、私と秋葉くんの関係が壊れるかもしれない迷惑な噂だったから、早く止まって欲しかった。

 秋葉くんとは家族のような関係なのだ。決して、恋愛関係にあるわけではない。

 変な関係だと言われても、私は気にしなかった。

 二学期になると、噂は止まった。でも、今度は私が告白される回数が増えた。

「夢花っちはモテるよねー、本当」

「私は可愛い方なのでしょうか」

「自覚なかったの? めっちゃ可愛いよ」

「な、なるほど」

 ある日、緋奈ちゃんにそう言われてようやく自覚した。どうやら私は可愛い方らしい。

 ただ、あまり実感は湧かなくて、可愛いと言われても、なぜか嬉しくはなかった。

「でも、全部の告白に断ってるよね。さっきのだってイケメンで有名の先輩だったじゃん」

「だって、知らない人でしたし……それに、恋愛というものがあまりわからないので」

「ふーん……夢花っちはさ、好きな人とかいないの?」

「いないです。好きがそもそも何かわからないので」

「……じゃあ、秋葉に告白されたら?」

 秋葉くんに対しての恋愛感情はまだなかった。しかし、秋葉くんに告白されれば、私は秋葉くんと付き合っていたのだろう。

 私がもし断れば、秋葉くんと気まずくなるだろうと思ったから。

 今の生活が崩れると考えると怖くて、秋葉くんと一緒にいれなくなるのが嫌だった。

「そんなことはないと思いますけど……もし、告白されたら、付き合うと思います」

「じゃあ好きじゃん、それ」

「好きではないんですよね……秋葉くんと一緒にいて、ドキドキとかしませんし。安心はしますけど……」

「いや、それを好きっていうんじゃないの?」

「……そうなんですか?」

「うん、別にドキドキするだけが好きってことじゃないし。一緒にいたいって思うなら、それは好きでしょ」

 緋奈ちゃんにそう言われても、やはりピンと来なかった。

 秋葉くんは幼馴染であって、家族のような存在。

 一緒にいられなくなるのが怖くて、考えただけで苦しくて。将来、秋葉くんと離れるかもしれないことを考えると、胸が張り裂けそうになった。

 離れなくても、秋葉くんが誰かと付き合って、それで秋葉くんといられなくなるのも嫌だった。そう思って、告白しようか悩んだことがある。けれど、それで関係が気まずくなるのも怖かった。

 秋葉くんがいないと、私は生きられない。私はずっと依存していたのだ。

 そんな私が秋葉くんのことを異性として見るようになったのは、些細なきっかけだった。

「秋葉くんって……私と、え、えっちなことしたいって思ったことあるんですか?」

 緋奈ちゃんに異性のことを教えてもらった日、私がそう聞くと、秋葉くんは顔を真っ赤にしながら頷いた。

 そこで秋葉くんも男の子なんだなと思うようになった。しかし、まだ好きではなかった。

 私が初めて恋した日、そして、秋葉くんを好きになった日は高校一年生の冬休み。

 その日、私は緋奈ちゃんとお泊まりする予定で、私が一人で道を歩いていた時だった。

 急に大人の男性三人が私に話しかけて、私を囲み始めた。

「えー、俺らと遊ばない? ダメ?」

「あの……私、用事があるので」

 囲まれて、断っても断っても、相手は粘ってくる。

 本当に怖くて、どうしようもない状況だった時、秋葉くんが私を助けてくれた。

「すみません、その人、俺の彼女なんですけど彼女に何か用ですか?」

 秋葉くんが私をナンパから救ってくれた時、私は秋葉くんにドキドキしてしまった。

 やはり秋葉くんは頼もしくて、その日から秋葉くんがずっと些細な気遣いを私にしてくれていると気づいて、秋葉くんと接すると胸がいつも落ち着かなかった。

「ねえねえ、夢花っち、本当に秋葉のこと好きじゃないの?」

「えっと、その……好き、かも、しれないです」

 それは日に日に増していって、秋葉くんのことを考えるだけで胸がいっぱいになるようになった。だから、緋奈ちゃんにはよく相談に乗ってもらっていた。

 初詣の時は本当に嬉しかった。

 秋葉くんから誘われた時はデートのお誘いだと思って、張り切っておしゃれしたりした。

 デート中はずっと幸せで、歩いているときに秋葉くんが手を握ってくれたり、ずっとドキドキしていた。

「秋葉くんって……好きな人とかいるんですか?」

「……内緒」

「ってことは、いるってことですよね?」

「さあ、どうだろうな」

 秋葉くんも私のことが好きなのかな、どうなのかな、そう考えて一喜一憂していた。

 でも、次第に私の恋愛感情は重くなっていった。

 一緒にいたい、そして、一緒にいられなくなるのが怖い、その両方の気持ちがあって、もう自分の気持ちを抑えられなくなった。

「……秋葉くん、好きです」

 私は、気づけば、自分の気持ちを秋葉くんに伝えていた。

 秋葉くんは私のことを好きなんかじゃなくて、それを知りながらも、秋葉くんに告白した。

 結果はダメだった。秋葉くんは何も言ってくれなくて、それは秋葉くんの優しさだったのだろう。でも、いっそのこと振ってくれた方が嬉しかった。

 その後は気まずくなって、秋葉くんと距離が空いた。

 このまま秋葉くんと一緒にいられなくなったら、それが怖くて、仕方なかった。

 当時の私は秋葉くんに恋をしていて、依存もしていた。

 今だから、そう言える。

 そのまま私は秋葉くんと離れるべきだった。私の存在が秋葉くんの負担になっていたから。

 しかし、祖父が倒れてから、頼れる相手は秋葉くんしかいない状況になって、私は秋葉くんに甘えてしまった。 秋葉くんなら支えてくれる、そう思ってしまった。

「……離れないでくださいね、秋葉くん」

 私の好きな人であり、家族のような存在で、大切な幼馴染。

 でも、悪く言えば依存先。

 秋葉くんも私のことを好きだとわかった日は、本当に嬉しくて、でも、安心してしまった。

 両思いなのはわかっていて、秋葉くんの告白待ちだったそんなある日、秋葉くんが私を呼び出した。

 告白だと思って、でも、私の勘違いだったらどうしようとか、時間までの間、考えていた。

 公園には早く私の方が早く着いた。ベンチに座って、夕暮れの中、秋葉くんをただただ待っていた。

 けれど、いくら待っても、秋葉くんは来なかった。メールの既読もついていなかった。

 秋葉くんは約束を破る人ではないはず。

「何か……あったのかな」

 変な胸騒ぎがした。

 秋葉くんの家に行って、インターホンを押そうと思った。でも、やめておいた。

 また明日聞こう、そう思って、家に帰った。

 でも、そんな明日が来ることはもうなかった。

 次の日に家を訪ねようとしても、人の気配がなくて、秋葉くんにメッセージを送っても未読のまま。

 もしかして、秋葉くんは。

 ある三文字が頭に浮かんで、私は怖くなった。

 事実を知ったのは私を呼び出した三日後、春休み明けのことだった。

「秋葉いないの……なんか、寂しいわ」

 学校で、緋奈ちゃんがそんなことを言った。

「そ、それ、どういうこと……ですか?」

「夢花っち、知らないの? だ、だって、あいつ……秋葉は言うって……」

「……ねえ、緋奈ちゃん、そのことを詳しく……教えてくれませんか?」

「ああ、もう! 秋葉のバカー!」

 緋奈ちゃんは廊下の窓を開けて、そう叫んでいた。

 私が知らない、秋葉くんのこと。胸騒ぎが止まらなかった。

 そして、泣きそうな顔で、緋奈ちゃんは言った。

「秋葉、病気だった……だから、手術のために引っ越したって」

「病気? 引っ越した……? ど、どこにですか?」

「場所は知らないけど、関東の方」

「関東……嘘じゃ、ない、ですよね?」

 嘘だと思いたかった、嘘だと言って欲しかった。

 でも、緋奈ちゃんは静かに頷いた。

 そうして、私の恋はあっけなく終わった。

 倒れそうになった私を緋奈ちゃんは支えてくれた。

「それに病気ってなんですか。だって……秋葉くん……約束して、くれたのに」

「……秋葉さ、死ぬかもしれない病気だって言ってた。だから、夢花には言いたくないって、言ってた」

 せめて一言くらいは、そう思ったけれど、秋葉くんに言われていても取り乱す自信しかなかった。

 そっか、だから、秋葉くんは言わなかったのだ。

 私はずっと秋葉くんに依存していたのだから。

「ああ、そっか……私の、せい、だ」

 私は自分のことしか考えていなかった。秋葉くんのように他人に何かをすることができていなかった。

 最初から、私と秋葉くんは釣り合っていなかった。心は完全に砕かれて、壊れて、しばらく学校を休んだ。

 そんな時に緋奈ちゃんは助けてくれた。

「……秋葉が夢花に対して、何を思っていたかなんて知らないでしょ。そんなの勝手に決めつけて落ち込まないでよ。秋葉は、ずっと、夢花のことしか考えてなかった! 不器用だったけど、最初から最後まで夢花のことを考えてた……ねえ、見返そうよ。ここでメソメソしてる暇あったら、いい女になって、一人で生きられるようになって、さっさと告白しなかったこと後悔させようよ」

 緋奈ちゃんに言われて、やっと、目が覚めた。

 もう誰にも依存しない。両親がいなくなったあの日から、前を向く。

 私はそう決めて、ようやく、本当の意味で前を向いた。

 秋葉くんを思うたびに、胸が苦しくなる。でも、私は頑張った。

 どこかで秋葉くんが頑張っているなら、私も頑張らないといけないのだ。

 たまにスマホに手が伸びて、秋葉くんに連絡しそうになる。しかし、最後に送ったあの日のメッセージは未読のままなのを見て、止めた。

 もし、もう、秋葉くんがこの世にいなかったら。

 前の私なら想像するだけで胸が張り裂けそうだった。でも、今なら多少は受け止められる。

 受け止めないと、それこそ、秋葉くんが私にしてくれたことが無駄になる気がしたから。

 

 やがて、秋葉くんと離れてから、約一年が経った。

 元日、みんなが新年のお祝いムードの中、私は一人で神社に向かった。

 去年に秋葉くんと一緒に行ったあの神社に。

 私は神様なんて信じていない、信じたくない。両親が亡くなってから、そう思っている。

 だから、行かないつもりだった。でも、秋葉くんとの思い出を思い出してしまって、行きたくなった。

『……どうしようもなくなった時とか、神様に祈ってみるのもいいぞ』

 そういえば、秋葉くんはそんなことを言っていた気がする。

 神社に着くと、私は祈った。

 秋葉くんの病気が治りますように、秋葉くんが幸せな人生を送れますように。

 会いたいとか、そんなことは祈らなかった。ただただ、秋葉くんがどこかで生きていて欲しかった。それだけでよかった。

 今でも秋葉くんは私の大切で、大好きな人。

 依存は抜けても、恋の病はなかなか治らないみたいだった。

「……ねえ、あの時のお姉ちゃん、だよね?」

 そうして神社を去ろうとした時だった。誰かに背中を何度か突かれる。

 私が後ろを振り返ると、見覚えのある姿が目に映った。

「もしかして、サエちゃん……?」

「うん、そうだよ! 久しぶり、お姉ちゃん!」

「大きくなったね。覚えててくれたんだ」

「えへへ、お姉ちゃんにまた会いたいなって思ってたから」

 サエちゃんは去年よりも大きくなっていて、顔つきも変わっていた。

 一年前のひと時なんて子供なら、忘れてもいいはずなのに、サエちゃんは覚えてくれていた。

「今日はふーふのお兄ちゃんはいないの?」

 ふと、サエちゃんはそんなことを言う。

 まだふーふだと思ってるんだ、可愛らしいな。

 そんなことを思いながら、私はサエちゃんに言った。

「……いないよ、引っ越しちゃったから」

「じゃあ、はなればなれ? ってこと? お別れ、寂しくない?」

「寂しいよ。でも、大丈夫。いつか会えるかなって、思ってるから」

 いつか秋葉くんと会ったときは、何を言おう。

 私と約束をすべて破ったことを怒ってもいいかもしれない。そして、またやり直せたら、この恋をやり直したいな。

 空を見上げると、雲に隠れていた太陽がいつの間にか隙間から顔を出していて、私たちを照らしていた。

 ***

 朝、大きく鳴り響く軽快なリズムに心地よく眠っていた秋葉は叩き起こされる。

 秋葉は声にならない呻き声をあげながら、軽快なリズムを奏でているスマホを探した。しかし、腕を伸ばして枕周りをいくら漁っても、スマホに擦りもしなかった。

 なかなか見つからないスマホは朦朧としていた秋葉の意識を覚醒させる。

 秋葉が起き上がると、布団をめくって、スマホの場所を探す。やがて、ベッドと壁の隙間にスマホが落ちていることを見つけたところで、軽快な音は鳴り止んだ。

 秋葉は手を伸ばしてスマホを取る。

「……アラームじゃなくて電話か」

 寝ぼけた頭はアラームと勘違いしていたのだが、どうやら電話だったらしい。

 そういえばスマホから鳴っていたのは着信音だった。

 スマホの画面には『不在着信』と映し出されていて、相手は修である。

 電話をかけ返そうと思うと、また修から電話がかかってくる。すぐに秋葉はコールボタンを押した。

「どうした?」

『今日、俺ら二限だろ? 起きてるかー?』

「……さっき起きた。今何時?」

『十時十五分、あと三十分だぞー』

「やべっ、あいつ厳しいからな。急ぐわ」

『さっさと来いよ』

「おう、すぐ行く。じゃあまた後で」

 秋葉はそう言って電話を切ると、すぐに支度を始める。

 どうやら昨日は飲み過ぎてしまったらしい。

 修と姫乃、秋葉の三人で飲んでいて、なぜか秋葉の昔の話で盛り上がっていた。辛かったことも思い出して、心が痛くなって、酒を飲んでを繰り返していたら、どこからか記憶がない。

 気づいたら家にいた状態である。

「初めて……あんなに飲んだな。頭痛え」

 秋葉は洗面台に行くと、顔を洗おうとした。しかし、鏡で自分の顔を見ると、その頬と目元にはなぜか泣いた跡があった。

 そういえば、今日は変な夢を見た。もう一度あの人と会う夢。

 昨日、あまり思い出さないようにしていた昔のことを話して、心が刺激されたのかもしれない。

 三回目の発作を起こして緊急搬送されてから、秋葉は夢花との約束を果たすことなく別れることになった。別れの言葉すら秋葉は言えなかった。奇跡的に起きた時に連絡をしようとしたけれど、秋葉はスマホを手に取らなかった。手術が成功する確率は限りなく低いと言われたからだった。関東の方に転院して、手術することになって、秋葉は何度も死の淵を彷徨ったらしい。その時の記憶はなかったが目を覚ましてすぐに生きていてよかったと思ったから、きっと生きたいと願ったのだろう。とはいえそれからも大変だった。リハビリ含めて体を全快まで持っていくのに一年以上かかった。その間、夢花に何度も連絡を取って会う約束をしたいと思ったけれど、約束を破ったのにまた約束を取り付けることには抵抗があってやめた。それに夢花もとっくの昔にいい男性を見つけているのだろうと思った。

 手術が成功してからなんのために生きているのか秋葉はいまいちわかっていない。それだけ夢花の存在が大きかったのだろうと思っても、過去の話。

「……ああ、もう、さっさと行こう」

 今日は目覚めが悪かった上に、頭も痛い。いい一日にはならなさそうだ。

 秋葉は自分の両頬を手のひらで叩くと、準備を始めた。

 そして、準備を終えると、秋葉は外に出る。一人暮らしをしている秋葉に朝ごはんを作って、食べる余裕などない。

 マンションのエレベーターで一階に降りると、走って駅まで向かった。

「……危なかった、なんとか間に合ったわ」

 ギリギリで講義室に着くと、秋葉は修の隣に座る。

「お疲れ、冬なのに汗かいてんじゃん」

「ああ、走ってきたからな……あと、起こしてくれてありがとう」

「昨日のあの様子だと、まだ寝てるんじゃないかーって思ってたから。俺の勘は当たってたってわけ」

「……ちなみに昨日の夜、俺、何か変なこと言ってなかったよな? 記憶ないんだが」

「別に言ってなかったぞ。未練がましい人みたいにはなってたけど」

「じゃあ……いいか」

 そんな会話をしつつ、やがて、授業が始まった。

 修と小声で会話をしながら、先生の言った大事な部分はルーズリーフにメモを取っていく。

「……秋葉、このあと、昼どうする?」

「普通に食堂。今日はまだ授業あるから」

「何限?」

「四限だから、図書館で勉強しながら、暇つぶしでもしようかと」

「じゃあラーメン行かね? 近くに新しいのできたらしいぞ」

「おう、ありだな。そこ行くか」

「よっしゃ、授業頑張ろっと」

 友人と授業を受けて、講義が同じだった日は一緒にご飯を食べたり出かけたり。

 何気ない日常だけれど、たまにいつもの毎日が楽しく感じて、生きていることに感謝する時がある。でも、そう思うたびに過去が頭の隅からひょっこり出てくる。生への喜びを感じられるくらい苦いことを経験してしまったのだ。

「……悪い、先生さっきなんて?」

「この範囲を中心にテスト作るって」

「わかった、ありがとう」

 今日は講義に集中できない。なぜか昔のことをどうしても思い出してしまう。

 やがて、講義内容が頭に入らないまま、授業が終わった。

「あー、腰痛え」

「ラーメン行くか?」

「そうだな、行こうぜ」

 二人はバッグに荷物を詰めると、講義室を出る。

 そうして新しいラーメン店に向かって、歩き始める。

「今日の内容、難しかったわー」

「……そうだな」

「秋葉、どうした? 今日元気ないのか?」

「二日酔いがまだ残ってる」

「昨日、お前と姫乃は飲み過ぎてたからな……って噂をすれば」

 大学のキャンパスを二人で歩いている時だった。

 昨日の話をしていると、女子生徒と二人で仲良さげに歩いている姫乃の姿があった。姫乃の隣にいる女子生徒は秋葉の知らない人物である。

 姫乃はそのコミュ力のおかげで、交流関係が広い。ほぼ毎日、昨日とは違う女子生徒が姫乃と一緒にいる。

「あ、昨日酔い潰れてた人だー!」

 前から歩いてきた姫乃は二人に気づくと、秋葉の方を指差してそう言った。

「うっせ、飲まないとやっていけなかったんだよ」

「未練たらたら男め、さっさとうちを彼女にしときー」

 姫乃は関西弁を強くして、ネタっぽくそう言う。

「却下、なんか異性として見れない」

「ひっど、もういいもん。次の相手見つけたから」

「切り替え早いな」

「うち、飲んだらすぐに忘れるから……じゃ、私ら、これから授業だからー」

 会話もそこそこにして、お互いに反対方向に歩いていく。

 その時だった。姫乃の隣にいた女子生徒がカバンの中を漁っており、拍子に、ハンカチが落ちてしまう。しかし、女子生徒は気づかないまま、姫乃と歩いて行っている。

「あ、ちょ、ちょっと待ってくれ」

 秋葉はそれを拾って、女子生徒に近づく。そして、声をかけて、その肩を軽く叩いた。

「これ、落としましたよ」

「え、あ、私のだ、ごめんなさい。わざわざありがとうございます」

 初めて、秋葉はその人の声を聞いた。しかし、どこか聞き覚えのある声だった。

 温かみがあって、包容力がある声。

 同時に綺麗な人だとも思った。長いきれいな黒髪に、澄んだ瞳、肌は艶があって、手入れが行き届いているのがわかる。姿勢も良いので、上品な雰囲気を纏っていた。

 化粧は薄いが、それが返って、自然な綺麗さを演出している。美人にしかできないことだ。

 しかし、どこかで見たことがある。

 綺麗なのに、ドキっとはしなくて、どこか懐かしくて、安心する。

「……あの、何か?」

 秋葉がそう思っていると、女子生徒は困った顔をしながらそう言った。

 女子生徒のことを見すぎてしまったらしい。

「い、いや、なんでもないです」

 まさか、そんなはずがない。他人の空似だろう。

 秋葉は女子生徒から離れると、修のもとに駆け寄った。

「あの人、綺麗だよな。見惚れるのもわかる」

「見惚れてないから」

「嘘つくなー、ほっぺ赤くなってるぞー」

「……うっせ」

「ちなみに、あの人、理系のキャンパスで有名人らしいぞ」

 秋葉が通っている大学にはキャンパスが二つある。理系のキャンパスと文系のキャンパス。

 二人が歩いているこのキャンパスは文系キャンパスで、文系の生徒が通うところだ。

「別にミスコンとか出てないのに、綺麗だから女神様とか呼ばれてるらしい」

「どこ情報?」

「友達が勝手に言ってただけ」

「……なるほどな」

 ふと、秋葉は後ろを見た。

 遠くてはっきりとは見えないが、姫乃とその女子生徒が仲良さげに話している様子は見える。しかし、今日の秋葉には、二人がかつての秋葉の友人のように見えてしまった。

 緋奈は元気にしているだろうか。二回、大学に落ちて、バイトしながら浪人していると恵からは聞いた。今年こそは合格すると意気込んでいるらしい。

 恵と最後に会ったのは秋葉が大学入学した後である。半年より少し前くらいだ。

 高校時代、サッカーばかりしていて、勉強はからっきしだった恵は関西では偏差値の高い方の大学に行って、熱心に勉強している。

「お前にはやっぱり勉強は負けるわー」

「関東は偏差値の高い大学が多いからな。頑張ろうと思えば、恵もいけたと思うぞ」

「かもな、けど、実家から通える範囲内がよかったし……っていうか、今思ったけど、こっちに戻る気は無いのか?」

「……今更だろ、家ないしな」

「俺の家に泊めてやろう」

「じゃあ今度は俺がそっちに行く。母校に俺の生存報告も兼ねて」

「おう、待ってる」

 恵と会った時は秋葉が去った後のことを教えてもらった。

 それで、夢花のことも教えてもらった。ずっと心残りだったのだが、夢花は今は関東に来て、一人暮らしをしているそうだ。名の知れた大学の医学部に通っているらしい。

 現役合格らしいので、今は大学二年生のはず。秋葉は一年間浪人して、死に物狂いで勉強をして大学へと入っていた。

「連絡取って、会いに行ったら?」

「いや……もう、俺のことは忘れてるだろ」

 夢花は関東にいるというのだから会えないわけではない。でも、勇気はない。

「何言ってんだよ、忘れるはずがないぞ。証拠に高校卒業まで、あの人、彼氏いなかったし。関東の医学部に入ったのも秋葉の病気を治すためだったりしてな」

「……なら、悪いことしたな」

「いい加減連絡取ってやれってー。あ、でも、一回連絡先変わったから、お前にそれを送らないとな」

 恵から夢花の連絡先を入手しても、連絡を取れないまま半年。この先、連絡を取ることはないだろう。時間が経ちすぎた。

「……おーい、秋葉、生きてるかー?」

「あ、ああ、悪い、どうした?」

「今日、お前ぼーっとしすぎじゃね? 大丈夫か?」

「……眠い」

「じゃあラーメン食べ終わったら、あそこの芝生で寝ようぜ」

 二人でそんな会話をしながら、キャンパス内を歩いて行った。

 しかし、その日は急に訪れた。

 大学一年生になって初めてのクリスマスの日だった。

 運命はいつも突然で気まぐれだ。変化を許さずに、日常を変えてくる。

 秋葉の送りたい人生と真逆の人生を歩ませてくる。

 何度も自分の運命を呪っては過去を後悔するの繰り返し。

 けれど、もし、最後には希望があるなら。

 ***

「何か買ってこいって言われたし、ナゲットでも買ってくか」

 クリスマスの日の朝、秋葉は一人でショッピングモールの中を歩いていた。

 建物内は盛り上がりムードで、クリスマスツリーが立っていたり、一階の方で抽選会がやっている。デカデカと書かれたセールの文字や、描かれたサンタの絵から、今日がクリスマスということを実感させられた。

 こういう日を利用して、いちゃついているカップルもちらほらいる。

 そんな中、秋葉は一人で歩いていた。しかし、別にクリぼっちというわけではない。

 昼に姫乃と修、そして秋葉の三人で、クリスマスパーティをするのだ。

 秋葉は食べ物を買えるだけ買ってこいと言われたので、スーパーに向かっている。必要かは知らないが後で百貨店にも行って、クラッカーなども買う予定だ。

 そうして歩いている時だった。

「……なあ、俺らと遊ぼうぜ。一人なんだろ?」

「すみません、友達を待っているので」

「友達って男? 女? 俺らも混ぜてよ」

 前からそんな声が聞こえてくる。

 女性が男性二人に話しかけられているようだった。壁際にいる女性を男性二人が囲むように位置している。

 どちらも大学生くらいだろうか。

 クリスマスにナンパするとは、どうやら暇なようだ。

「あの……本当に友達を待ってて」

「だから、そこに俺らも混ぜてよ。あ、じゃあ、連絡先、交換しよ。何やってる? アカウント教えてよ」

 男性二人はなかなか引き下がらない様子で、女性との距離を詰めている。

 近くに行って、わかったが、女性の方は以前に姫乃と一緒にいた女子生徒だ。

 女神様などと呼ばれている綺麗な人である。なぜか、どうでもいいことなのに、そのことが記憶に残っていた。

 ともかく、あれほど可愛いと、ナンパされても無理はない。

 秋葉はそのまま無視をして、通り過ぎようとする。

 知り合いでもないからだ。

 しかし、秋葉は彼女と目が合ってしまう。

「……助けて」

 女子生徒は別に声に出してそう言ったわけではない。けれど、口を軽く動かしていて、そう言った気がした。

 それに、女子生徒の腕は少し震えていた。明らかに怖がっている。

「……お待たせ、この人たち、だれ?」

「し、知らない人。それより遅かったね。待ってたよ」

「悪い、車、渋滞しててさ……えっと、あ、彼女に何か用でしたか?」

「え、あ、いや……別に、み、道に迷ってたからさ。な?」

 男性はもう一人の男性と目を見合わせあった。

 わかりやすい嘘である。しかし、これで退いてくれるならと、追求はしなかった。

「ごめんなさい、これからデートなので、そろそろ失礼してもいいですか?」

「ど、どうぞ、じゃあ俺らはこれで」

 そうして、男性二人は去っていった。

 秋葉は女性と一緒に反対方向に何歩か歩くと、立ち止まった。

「……すみません、助けていただいてありがとうございます」

「いや、全然、何もされませんでしたか?」

「は、はい、触られそうになったんですけど、あなたが助けてくれたので」

「なら良かった」

 どうやら助けるという判断は正解だったらしい。

 にしても、男が来ると男性たちは一気に威勢がなくしていた。揉めごとにはなりたくなかったので、助かったのだが、そこまで身構える必要はなかったらしい。

「あなたって、たしか、同じ大学の人ですよね。姫乃ちゃんの知り合いの」

「覚えてたんですね」

「なんとなく、印象に残っていたので。一年生ですか?」

「まだ一年生で、法学部です」

「じゃあ、私のほうが一個上ですね」

「ってことは、先輩?」

「そうなりますね。今は二年生で、理系の医学部に通ってます」

「……なんで、先輩が敬語使ってるんですか?」

「ふふ、たしかに……けど、昔からの癖なんですよね」

 そんな話を女性としていると、ふと、秋葉は思い出す。

 過去に秋葉が恋したあの人のことを。

 秋葉がハンカチを拾って、話した時に思った。そして、今話して、それは余計に強くなった。あの人と声も姿も、雰囲気も似ている。

「じゃあ……俺は、もう行きますね」

 名前を聞くことなく、秋葉は立ち去ろうとした。

 彼女と話すと、どうしても昔のことを思い出してしまう。別に嫌な過去だったわけではない。ただ、後悔しているのだ。

 もう一度やり直せたらやり直したい。もう一度会っていいなら、あの人に会いたい。

「……ねえ、名前って、なんですか?」

 しかし、女子生徒は立ち去ろうと知った秋葉をそう言って呼び止める。

「佐島 秋葉です……先輩の名前って……」

 秋葉がそう言うと、目の前にいる彼女は笑い出した。

 その笑みには暖かさがあって、包容力があって、何度も見慣れてきた笑顔だった。

 やっと、秋葉は気づいた。

「ふふ、そっか、やっぱり。なんで気づかなかったんだろ」

 彼女はニコッと笑って、こう言った。

「私の名前、ですか? 流石に覚えてますよね。秋葉くん」

 運命はいつも突然で、気まぐれだと思う。けれど、いつも残酷というわけではなくて、思い続けていれば、最後には希望がある。そう、信じたい。

 あの頃と変わらない速さで動いている心臓を押さえながら、名前を呼んだ。

 深月 夢花。

 秋葉の幼馴染で、家族のような存在で、秋葉の大切な人。そして、秋葉が思い続けている大好きな人。

「……時間があるなら話をしませんか? 久しぶりに」

「そうだな、話したいことはたくさんある」

「私のセリフですよ。聞きたいことが山ほどあるんですから」

 ある年のクリスマスの日、カフェのテーブルで向き合って座っている二人の男女がいた。

 側から見れば二人はカップルのようにも見える。

 けれど、実際は数年ぶりに会った幼馴染であることを二人しか知らない。

 二人が歩んできた運命は二人しか知らない。

 これから先、二人にどんな運命が待ち受けているかはわからない。

 しかし、数年ぶりの再会を素直に喜び、空白の期間を埋めるように話す二人の運命はその日、間違いなく変わった。

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