第九話 運命の出会い:純白のハーフエルフ
「奴隷……だと?」
乾いた声が漏れた。
この男、レグナートは今なんて言った?
ギャンブルで金を溶かしたから、その穴埋めに俺に奴隷を売りつけると言ったのか?
「ええ、知っての通り私は奴隷を売り、金銭を稼ぐのが仕事。金銭が無くなったのであれば、また手持ちの奴隷を売ればいい。そう思ってこの都市に稼ぎに来たのですが……その途中であなたを見かけた。驚きましたよ。オルロ―に飼われているはずのあなたが、一人で都市に向かって歩いていたのですから。さらに再会して早々に、あなたが私に魂術を振るって……」
「それは悪かったな」
まぁ、正確にやったのは俺ではないし、お前が言うか?とも思う。
そう思っているとレグナートはパンッと手のひらを合わせた。
「とにかく、ここに連れてきたのはあなたと話をすること。そして、あなたにこの商談を持ち掛けるのが目的だった、という訳です」
「……商談、ね」
「商品はすぐ近くにいます。あなたがこの商談に前向きであるのなら、案内しますよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に古い記憶が蘇った。
三年間、俺はこの男から一方的な暴力を受けていただけじゃない。
レグナートは東西南北、あらゆる場所へ赴いては数々の商人と火花を散らすような取引を重ねてきた。
当時、わずか四歳だった俺はレグナートの護衛としてその冷え切った商談の場に何度も同席させられていた。
幼かった俺には、交わされる言葉の裏側までは分からなかった。だが、その場の空気感で勝敗だけははっきりと分かった。
俺の記憶にある限り、レグナートという男が商談で後れを取った姿など一度たりとも見たことがない。
そして、この商談という言葉がレグナートから出たということは……。
「それを俺が断ったら、どうなる?」
試すように問う。レグナートは表情を変えず、ハットの縁を軽く直した。
「もちろん、断っていただいて構いませんよ。ですがその場合、あなたを再び私の商品として回収し、オルローへ返品するか、あるいは別の主人に売り捌くだけです。どちらにせよ私に損失はない。わざわざこうして話し合いの場を設けたのは、今のあなたに奴隷を売った方が、私にとって利益が大きく確実、そして最短でお金が手に入るからというだけに過ぎません」
やはりか。
十年という月日が流れても、レグナートが取引のプロであることに変わりはなかった。
この話を振られた時点で、いや、俺がこの部屋で目覚めた時点で、逃げ道は塞がれていたのだ。
俺が気を失っている間にオルローの元へ突き出すことも、この男なら容易だったはず。それをせず、俺を客として扱っているのは、俺がこの取引に乗るしかないことを確信しているからだ。
この至近距離。他の相手であれば力づくで商談をなかったことにできるかもしれないが、相手はレグナート。俺に勝機は万に一つもない。
理由は――俺自身が、この男の底知れない実力を痛いほど知っているからだ。
商談の度に、レグナートは敗者に殺されそうになっていた。裏の世界では至極当たり前の光景。
本来なら護衛である俺の出番なのだが……俺がその役目を果たしたことは、ただの一度もない。
なぜなら……レグナートの魂能は、”無敵”だからだ。
暴力という最終手段においてすら、この男には届かない。
世間では現代最強は勇者アクトだと言われているが、俺の認識は違う。
勇者がどれほどの実力者かは知らないが、この男が膝を屈する姿だけは、どうしても想像がつかなかった。
勇者に選ばれるのでは?とすら思っていた時期もあったが、この男はあくまで裏の世界で生きている人間。世間はこの男を知らなかった。
記憶で見たあの絶望的な魔王ですら、レグナートならあるいは……そんな予感さえ、俺の脳裏を過る。
逃げるという選択肢も検討したが、即座に捨てた。背を向けた次の瞬間には、俺の意識は刈り取られ、目覚めた時にはオルローの屋敷で鎖に繋がれているのがオチだろう。
「……どんな奴なんだ。その奴隷は」
「付いてくれば分かります。もちろん、言い値で紹介しますよ。どうしますか?」
事前の説明は一切なし。
言い値と言いながら、相場も正体も不明。
あまりに怪しすぎる商談だが、俺に拒否権など最初から存在しない。
「前向きに考える」
「賢明な判断です。では、案内しましょう」
レグナートは満足げに椅子から立ち上がると、タンスに掛けていた黒い上下服を俺に投げ、扉を開けた。俺は重い体を動かしてそれを身に纏う。
不思議なものだ。ボロ布同然だった今の俺にとって、その黒い服は、かつての地獄のような日々を思い出させる。
俺はレグナートの背中を追って部屋を出た。
外に出ると、突き刺さるような太陽の光が頭上にあった。時刻は十二時頃だろう。
周囲は石造りの建物が並び、馬車の轍が響く、ありふれた中世風の都市だ。
レグナートは迷いのない足取りで、明るい表通りから、陽の光を拒むような真っ暗な路地裏へと滑り込んだ。
右へ曲がると、人一人がやっと通れるほどの細い道。そこを十歩ほど歩いた場所で、彼は立ち止まり、何の変哲もない壁に向かってトントンと二回ノックをした。
ガガッ、と微かな振動と共に壁がスライドし、地下へ続く暗い階段が姿を現す。
レグナートは使い古されたロウソクに火を灯し、ゆっくりと煉瓦の階段を下り始めた。俺は周囲を警戒しながら、その狭い背中を追う。
「言っておくが、俺はあんたと同じで金はないぞ。遠征の際、武器以外の荷物は全て置いてきた」
金貨200枚。俺たち三人が、地獄のような十年間で血を吐きながら貯め込んだ結晶だ。それは今も、俺たちが寝床にしていた馬小屋の地下深くに眠っている。
教会に「金貨100枚」を納めれば、奴隷紋を合法的に解除できる。つまり、もう二人分は確保できている。
もし誰か一人が欠けても、残りの二人が金を使って自由になれ。それが三人の約束だった。
イツキとナナが生きているのなら、今頃あいつらは自由の身になっているはずだ。
「会った時から分かっていますよ。今はそれで構いません」
レグナートの声が、狭い階段に反響する。
俺は歩きながら、聞くのを躊躇っていた質問をぶつけた。
「魔王は……どうなった?」
「おや、三日前に勇者アクトが魔王を討伐したそうですよ。それすら知らないとは。察するに遠征の途中で意識を……あるいは肉体を乗っ取られていたのですか」
「……あぁ、そんなところだろう」
短く応えたが、内側では安堵が広がっていた。最悪の事態――魔王が存命し、全滅した遠征軍の死体の上で笑っている――という未来だけは回避されたようだ。
二人は生きている。そう信じることにした。
俺は歩きながら、無意識に右手を首元へと這わせた。
指先に触れるのは、十年以上も俺を縛り続けてきた忌々しい奴隷紋の凸凹と、焼き付けられたS666の数字。
……静かだ。オルローの傲慢な命令が聞こえてこない。
奴隷紋の絶対強制権が届くのは、主人を中心とした半径五百メートル前後。今、俺がこの都市で自由を感じていられるのは、単にオルローから物理的に離れているからだろう。
もしまた奴と出会ってしまえば、俺は一瞬で操り人形に戻ってしまう。
だから、この自由に動ける間にやるべきことを整理する。
今の俺は一文無し。
借金なんてする余裕はどこにもないが、これから待つのがどんな奴隷であっても、俺は買うしかない。
ならば、俺の進む道は決まっている。
一:これから会う奴隷と共に金銭を稼ぐ。
二:稼いだ金銭で奴隷紋を解除。
これが俺の今の明確な目標だ。
「着きましたよ」
レグナートが足を止めたのは、地下の最奥へと続く重厚な鉄扉の前だった。
彼が懐から取り出した鍵を差し込む。錆びついた金属が噛み合う不快な音が響き、扉がゆっくりと、重低音を鳴らしながら開いた。
正方形の石壁に囲まれた、殺風景な部屋。
天井に吊るされている淡い光。その頼りない灯火に照らされた鉄格子の向こう側に少女はいた。
「――っ」
一瞬、思考が止まった。
そこにいたのは、この世のものとは思えないほどに幻想的な少女だった。
月光をそのまま紡ぎ出したような、透き通るような純白の長い髪。それが乱雑な石畳の上に、絹糸を散らしたように広がっている。陶器を思わせる白い肌は、薄暗い室内でそれ自体が微かに発光しているのではないかと錯覚するほどに綺麗だった。
両手には重々しい黒い枷をはめられ、その腕は力なく地面に投げ出されていた。下半身は横倒しになり、辛うじて上半身だけを起こしている。
伏せられた長い睫毛の隙間から、射抜くような鋭い蒼い瞳がこちらを捉えた。
「こちらが今回、あなたに紹介させて頂く商品。Z001番。種族はハーフエルフ。人間と魔族の混血です」
「……魔族?ハーフエルフ? いや、どう見たって人間じゃないか」
俺は唖然として言葉を漏らした。
レグナートが紹介するからには、もっと凶暴な魔物か、あるいは特殊な力を持つ屈強な男でも出てくると思っていた。だが、そこにいたのは、触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細な少女だ。それも人間の容姿をしている。魔族とは到底思えなかった。
「エルフを見るのは初めてのようですね。お答えしましょう。確かに彼女は人間と何ら変わらない肉体構造をしています。見分ける方法は一つしかありません。彼ら特有の先が尖った長い耳です」
「彼女の耳は、俺と同じくらいに見えるが」
「エルフという種族は厄介なことに、自身の意識で耳のサイズを変えることができるのですよ。彼女の意識が途切れる夜にでも確認して見てください。彼女が正真正銘、人ならざる魔族の一端、エルフなのです」
その声が響くたび、檻の中の少女が微かに肩を震わせた。
彼女の視線は俺を警戒しているが、それ以上に、隣に立つレグナートに対して底知れない恐怖を抱いているのが分かった。唇を固く結び、何かを耐えるように身を強張らせている。
「彼女は言葉を話せるのか?」
「もちろんです。エルフは魔族の中で最も知能が高い……A級魔族ですから」
A級……目の前にいる彼女がトロールよりも強い種族なのか。
それに魔族は全個体が魂術を放つことができる。
剣も持たない丸腰の俺では会話すらできないか。
「ですが、ご安心を。彼女の手枷は魂力を吸収する特殊なものなので、"魂術"を放たれることはありませんよ」
安心したと同時に早く言えと思わず突っ込んでしまいそうになった。
「……レグナート。少し彼女と話をさせてくれ」
「どうぞ、ご自由に」
レグナートは無造作にポケットから鉄の鍵を取り出すと、俺に向かって放り投げた。
放物線を描いて飛んできた金属の塊を、俺は鈍い掌で受け止める。ズシリとした重みと、地下特有の冷たさが肌に伝わった。俺はその鍵を握りしめ、一歩、また一歩と、鉄格子の前へと歩み寄る。
ガチャリ、と重く錆びついた音が地下室に響いた。
慎重に、相手を刺激しないように扉を押し開ける。嫌な軋みを立てて開いた隙間から、俺は狭い檻の中へと足を踏み入れた。
「…………」
少女は無言のまま、ビクッと身を縮めた。
石畳の上に投げ出されていた細い足を引き寄せ、俺から少しでも距離を置こうと後ずさる。枷に繋がれた鎖がジャラリと冷たい音を立てて、湿った地面を這った。
至近距離で見れば見るほど、その美しさは際立っていた。
整いすぎた顔立ちは、人間が作り出した精巧なドール(人形)のよう。けれど、俺を射抜くように睨みつけるその蒼い瞳に宿る意志の光だけは、確かに彼女が生きていることを物語っていた。
俺は彼女の正面、手が届くか届かないかの絶妙な距離で屈み込み、視線を合わせた。
「初め、まして」
魔族と会話をするのは、これが初めてだ。
どんな言葉を投げればいいのか分からず、俺の口から出たのは酷くぎこちない挨拶だった。
できるだけ威圧感を消し、声を低く抑えたつもりだったが、俺の第一声に、彼女の肩が大きく跳ねた。
反応を見る限り、A級の魔族という肩書きが嘘のように、その中身は見た目通りに幼い。人間の年齢にすれば十歳前後といったところか。
魂力を吸い取る鎖によって自由を奪われ、光の届かない地下に閉じ込められているこの状況は、彼女にとって耐えがたい恐怖の連続だったに違いない。
優しくだ。
これ以上怖がらせないように、糸を解くように話を進めなくてはならない。彼女がどんな魔族で、何ができるのか。事前に知れば、これからの流れも決まってくる。買うことが決まっているなら、早いことに越したことはない。
「怯えなくていい。俺も、人間じゃないからな」
俺は静かに、自分の服の襟元に指をかけた。
厚手の布を少しだけ引き下げて、そこに刻印された「S666」の数字を、彼女の蒼い瞳へと真っ直ぐに見せた。
「君と同じ奴隷だ」
……
こんにちは、T.Tです。
リーファはDカップです。リーファはDカップです。リーファはDカップです。リーファはDカップです。
ふぅ。重要なことなので四回言いました。以上です!




