第七話 類は友を呼ぶ
*< 魔王:ゼノン視点 >
【眩しいな】
不快なほどに陽光が突き刺さる。
洞窟を出て数日。我を導くのは、自分自身の魂核の欠片が放つ魂力だ。
どれほど離れていても、微かに欠落した自分の在り処を指し示している。
魔王城は大陸の最南端。そこから我は西の荒野を歩き続けてきた。
ふと、自分の無様な姿を見下ろす。
今の我は、泥と返り血に汚れた下着一枚を纏っただけの、上半身裸。
風が剥き出しの肌を撫でるたび、この器の脆弱さを思い知らされる。
【……あそこか】
視線の先、陽炎の向こうにそびえ立つ巨大な石壁。
交易都市「ソルディア」。
間違いない。あの石壁の奥、都市の中に散っていった我の魂核のうちの一つが眠っている。
我は立ち止まり、ドクドクと脈打つこの人間の心臓に意識を向けた。
そこには、この体の本来の持ち主である人間の魂核が、硬い宝石のように心臓へ固着している。そして我の魂核は、その宝石のすぐ隣にぴったりと寄り添っていた。
我は、隣り合う人間の魂核へ意識の触手を伸ばす。こやつが何者で、どのような過去を持つのか、その記憶を力ずくで引きずり出そうと試みた――。
バチッ
【……まだ、弾かれるか】
我はこの肉体の主導権を掌握したが、記憶の扉だけは見ることができていない。
この体に留まる以上、器の事情を一切知らぬというのは、いずれ人間共の面倒な法やしがらみに足元を掬われる原因になりかねん。人間共はやたらと無意味な繋がりに拘るからな。
魔族の器であれば、このような作業は必要ないのだが……
【つくづく、面倒な器に宿ったものだ】
我は一度諦め、思考を巡らせる。
散っていった他の魂核たちに、我のような「意思」があるか?
おそらく、答えは否だ。
”意思を持つ”今の我がこうして一つの器に宿っている以上、他の欠片に宿っているのは、知識というよりは純粋な魂術や魂力だろう。
我の魂核を宿した肉体は、我同様に強化されているはずだ。その強者たちを次々と殺し、力を回収して回るのは、今の不自由な器では相応の苦難を強いることになるだろう。
しばらくはこの弱々しい体に対する屈辱に怒りが収まらなかったが、先程の魔族共を蹂躙したことで、ようやく頭を冷やして先を考える余裕ができた。
我を殺したのは人間だ。
敵を知るには己を知ると言うが、まさにこのこと。
この人間の体を通して現代の人間を学び、あの小賢しい「無詠唱魂術」への対策を練る。
【……さて、どうしたものか】
都市の門へと続く一本道。
この半裸の血生臭い人間が正面から近づけば、門番が槍を向けてくるのは容易に想像できた。
力尽くでこじ開けるか、それとも――
そう考えた時だった。
「……そこのあなた。もしかして、S666番さん、ではありませんか?」
ゾワリ、と首筋の産毛が逆立った。
我は大きく目を見開き、弾かれたように後方へと振り向いた。
いつからそこにいた。
魂核が散り、感覚が鈍ったとはいえ、わずか数メートルの距離にいる人間の気配を感じ取れないなど、あってはならぬことだ。
【……貴様は、誰だ】
我は腰を低く落とし、真紅の瞳で男を射抜いた。
そこに立っていたのは隙のない黒のスーツに身を包み、ハット帽を深く被った背の高い男だった。両手を後ろに組み、余裕を崩さぬ薄笑いを浮かべている。
「おっと、もう忘れてしまったのですか? 失礼ですね。命の恩人に対して……まぁいいでしょう。忘れているのならば、もう一度」
男はハット帽の縁をつまんで持ち上げ、大袈裟な所作で頭を下げた。
「私はあなたの命の恩人であり、あのオルローに高値であなたを売り捌いた奴隷商人。”レグナート”と申します。二度と忘れることなきように」
レグナートと名乗った男の言葉が、氷の楔のように我の脳内に突き刺さる。
――奴隷、だと?
我の魂が宿っているこの肉体は、ただの人間ではない。金で買われ、番号で呼ばれる家畜同然の商品であったというのか。
記憶の見えぬこの器の正体を知ることができたのはいいが、よもやそれほどまでに卑屈な存在であったとは……。
我は再度この器に失望し、ため息を一つ吐いた。
【さっそく、面倒ごとに巻き込まれたか】
目の前の男、レグナート。どうやら、この人間と関係がある。
問題はこの男が一目で分かる強者であることだ。
男の体から漏れ出る魂力は、巧妙に抑え込まれている。だが、我を騙すことはできん。
……相当なものだ。
並の魔族では足元にも及ぶまい。トロール程度であれば、瞬殺するだけの魂力をレグナートは秘めている。
我が観察しているとレグナートが言葉を口にした。
「なぜあなたがここにいるのですか?一人で。魔王討伐が終わったとは言え、あのオルロ―が自身の所有物を逃がすなど考えられないのですが」
我は、男の言葉に耳を貸す必要はないと判断した。
思考はすでに「この人間をどう殺すか」の一点に絞られている。
レグナートはこの人間を知っている。しかし、我(魔王)が宿っていることまでは知らぬはずだ。
この情報の乖離こそが、最大の武器となる。
一度きりの奇襲。そこに残る魂力をすべて注ぎ込み、この男を消し炭にする。
我の魂力は、一日に魂術を三発、もしくは魂能を一発放つのが限界だ。
ここに来るまでの道中で魂術を一度使った。残る魂力は二発分。
時が経てば魂力は自然と回復し、魂能を放つことも叶うだろうが……。
「聞いているのですか?」
これ以上会話を重ねれば、逆に奇襲は意味をなさなく成る。
本人ではないと気づかれる前に殺す。
特に理由はないが、強いて言うのであれば……我の本能が、こやつを危険だと判断したからだ。
……そうと決まれば、慈悲をかける理由はない。
元々、容赦するつもりもないのだがな。
――シッ!
我は地を蹴った。
脆弱な少年の足首が悲鳴を上げるほどの爆発的な踏み込み。低空を這う一筋の雷光となり、瞬時にレグナートの懐へと滑り込む。
正面からその心臓を穿つと見せかけ、衝突の直前、右足の親指一本に全体重を乗せて軸をずらす。慣性を殺さぬまま回転で男の背後へと回り込む。
バンッ!
背後を取った直後、岩を砕く勢いで踏み込み、右拳に魂力を凝縮させる。
【赤竜よ、我が命に従い、その意を示せ】
細い腕に血管が浮き出し、皮膚が熱量に耐えかねて焦げ始める。大気は悲鳴を上げて震え、破壊の熱波が拳の周囲に荒れ狂う螺旋を形作った。
その右拳を背に向けて放つ。
【魂術:火竜拳】
――ゴォォオオォォオンッ!!!
熱風が荒野を吹き抜ける。
ドッ、ォォォオオオンンッ!!!
確かな手応えがあった。
少年の細い体から放たれたとは思えぬ破壊の旋風。視界を埋め尽くす赤黒い炎が、レグナートの黒い影を無慈悲に飲み込み、跡形もなく焼き尽くしていく。
殺したか?
本能が、一瞬の勝利を確信した。
だが――立ち昇る黒煙の向こう側から、この世の道理を嘲笑うかのような音が響いた。
――ギ、ギ、ギ……。
それは、巨大な鋼鉄の塊を無理やり軋ませるような、あまりにも不気味で重厚な拒絶の感触。
逆巻く炎が、何かに吸い込まれるように急速に収束していく。
晴れゆく視界の先。そこに現れたのは、衣服の乱れ一つなく、あろうことか指一本で我の拳を受け止めているレグナートの姿だった。
拳の先から溢れていた業火が、男の指先に凝縮された不可視の重圧によって、霧散させられ、消えていく。
凍てつくような静寂が、荒野を支配した。レグナートの、感情の欠落した深淵のような視線が、我の魂を冷酷に射抜く。
「……おかしいですね。なぜ、あなたが魂術を使えるのですか?」
ゾワリ、と。
初めて、この器の背筋を氷の指が這い上がるような戦慄が走った。
我は弾かれたように後方へと跳んだ。
タッ、ズズズーッ。
地面に砂煙を上げながら間合いを取る。
「私の情報では、あなたは非適性者。魂術など使えないはず。なのに今、あなたが放ったのは紛れもなく攻撃系の魂術……。どういうことですか?」
レグナートは灰が付いたスーツの肩を払いながら、魂力を微かに解放した。それだけで、周囲に残っていた砂煙と熱気が波動によって一瞬で吹き飛ばされる。
「非適性者が、後天的に適性者へと変異する事例など、歴史上一つとして存在しない」
男の瞳の奥、底知れぬ理性が光を放つ。
「……もしや。あなた、S666番ではありませんね?」
気づかれたか。
焦燥が思考を乱すが、無理やり押さえ込む。落ち着け。状況を整理しろ。
こやつに今の魂術は効かない。ならば、残る一発に賭けるか、あるいは――。
再度の攻撃に転じようと、我は意識を研ぎ澄ませた。
だが。
【……消えた!?】
直後。意識の外側、知覚の届かぬ死角から、
ドンッ バンッ!!!!!!!!!!!!!!!!
首筋に、重い、あまりに重い衝撃が加わる。
――ッ。
声すら出なかった。
回避不能の速度で放たれた男の手刀が、我の脆弱な体を容易に沈め、神経の伝達を強制的に断絶させる。
ズゥゥゥンッ!!
地面に激突した。
視界が激しく点滅し、上下の感覚が混濁して溶け合っていく。
【……また、なのか】
脳裏に、勇者に敗れ、地に付したあの屈辱の光景がよぎる。
それを今、名もなき人間の、ただの商人に過ぎぬ男の手で、再び味わわされている。
指一本動かせぬ。
(許さぬ……。レグナート。貴様の名、我が魂に刻み込んでおくぞ……。勇者ともども、貴様らを一人残らず八つ裂きにしてくれる……絶対に……絶対にだ……!)
意識の輪郭が、暗い虚無へと溶けていく。
薄れゆく感覚の中、土の臭いとレグナートの冷ややかな靴音だけが、耳障りに響いていた。




