第二十五話 可愛いリーファ:第一の魂核(ソウルコア)
横へ倒れかかってきた肩を両手で掴み、体を支える。
「怪我はないか」
「えぇ、まぁ……余裕、よ」
かすかに震えた声が聞こえた途端、俺は気づいたら、リーファをそのまま引き寄せていた。肩に手を回し、自分の胸へと抱き込む。
リーファの体が、一瞬だけ石のように固まる。
「っ……な、何を」
「無事でよかった」
彼女は数秒間抵抗していたが、すぐに収まり、しばらくの間、俺の胸の中でじっとしていた。呼吸が少しずつ整っていく。冷えた体温が、じわりと上がってくる。
リーファの頭のてっぺんが、俺の顎のすぐ下にあった。銀髪が頬に触れる。白い霧がゆっくりと薄れていく。氷の部屋が静かに溶け始めていた。
部屋を見れば分かる。魂能を使ったのだろう。出会った時のように。あの時もリーファの手は本当に冷たかった。今も肩に触れている体温がほとんどない。俺の右手も魂術の余波で焼け焦げたまま。
ナナとイツキがかつて言っていた。
術を使い始めた当初はうまく扱いきれず、魂力を余分に消費したり、術の反動を喰らって自身に傷が付くなどがあったと。俺とリーファの今の姿がまさにそれだと分かる。
俺はともかく、リーファまでも扱いきれてないのは知らなかった。A級魔族だからといって、全員が術に慣れているわけではないようだ。
特にリーファの魂能は聞いた時から思っていたが、あまりにも強力すぎる。
こうして自身の体が凍てつくほど冷えるのも無理はない。早く回復してくれと、それだけを思う。
しばらくして、リーファがふいに顔を上げた。
耳の先端が根元まで赤い。頬も同じ色をしていた。その蒼い瞳が俺を見上げて、すぐに横へ逃げた。
「……もういいわ」
「リーファの体が冷たい。もう少しこのままでいよう」
「んっ……ちょっ……離して」
そう言うと、小さな拳が俺の胸をぽすぽすと叩き始めた。
本当に拒絶されているのならば、彼女に危害を加えないことを約束している俺は即座に止めるところだ。しかし、抵抗しているようでされている感じが全くしない。だから、俺は彼女に少しでも体温を与え続ける。
お互いに自己修復能力があるから傷は塞がるとはいえ、体温までは回復しないだろうからな。
「もう少しだ」
「も、もう少しって……どのくらいよ」
「体が温まるまで」
「温まってる! もう十分温まってるから!」
声が上ずっていた。いつもの平静さが、どこにもない。
俺が少しだけ腕の力を緩めると、リーファは上目遣いでこちらを睨んだ。頬が耳と同じ色をしている。眉が困ったように下がっていて、怒っているのか照れているのか、自分でも分かっていなそうな顔だった。
「……ご主人様って、本当に」
「何だ」
「……えっちなくせに、こういう時だけ」
言いかけて、止まった。
「こういう時だけ、何だ」
俺が聞き返すと、リーファは「なんでもない」と顔を完全に逸らした。銀髪が頬の前に流れ落ちて、表情を隠す。だが耳だけは隠せない。根元まで赤いままの耳が、かすかに震えていた。
俺はそのまま確認を取る。
「魂力はどれくらい残っている」
「……ちょっと使ったけれど、今はゴブリンたちから吸収しているからもう少しで回復すると思うわ」
「そうか、よかっ……」
言いかけた俺の目が、止まった。
リーファの胸元。薄藍色の革鎧が描く、深いV字のライン。その切り込みの奥、白磁の肌のすぐ内側あたりから、淡い光の粒が集まってきていた。魂核のある位置だ。吸収した魂力が魂核へと還流する際に漏れ出す、かすかな発光。洞窟の薄暗さの中で、それがひどく鮮明に見えた。
俺は咄嗟に視線をずらすが……遅かったようだ。
「ねぇ、知ってる? ご主人様」
リーファの声がひどく静かになった。平坦で、感情の起伏がなく、それでいてどこか冷ややかな響きをしていた。
「女の子ってね。自分の胸が見られると、分かるものなのよ」
「……光が、見えただけだ」
「見たでしょ」
「魂力の流れが……」
「見たでしょ」
一切引かない。蒼い瞳が真正面から俺を射抜いていた。
「……えっち」
俺はぐぅの音も出なかった。弁明のしようがない。光が見えたのは本当のことだが、小さな奈落(谷間)が見てしまったのも本当のことだ。
氷の溶ける音だけが、洞窟の静寂に混じっている。
リーファはしばらく俺を睨んでいたが、やがて視線を横へ逃がす。腕を胸元で交差させ、何かを堪えるように唇をひとつ結ぶ。
「……まぁいいわ。あなたがえっちなのは知っていることだから。それも含めてあなたを信用しようと思ったの」
俺は否定することなく、彼女の言葉を受け入れた。
「こうして、助けに来てくれたんでしょ。嬉しいわ。私がほとんど全部倒しちゃったけれど。長も含めて」
そう言いながら、小さな拳がいつの間にか俺の服の裾をぎゅっと握っていた。睨んでいた時とは打って変わって、今度は少し挑発するような顔つきだった。自身ありありに私が全部倒したと主張してくる。頬も耳も赤いままだが、口角だけはちゃんと上がっていた。
俺はその顔を素直に可愛いと思ってしまった。妹がいたらこんな感じなのだろうかと、ふと思う。
「そんな偉いリーファにはご褒美をあげないとな」
「へぇ、何があるのかしら……って」
俺は左腕に力を入れ、リーファをさらに引き寄せた。彼女の体がぴたりと俺に押し当たる。ムニュッと下の辺りで柔らかい感触があったが、気のせいだろう。
「へぁ」
聞いたことのない声が漏れた。体温が急に上がっていくのが腕越しに伝わってくる。耳の赤みが頭頂部まで昇っていくのが見えた。
「こっ……これは私が欲しているものじゃ……」
「今はこれが一番だ。体がまだ冷たい。しばらくはこうして、クエストが終わったら美味しい物でも食べよう」
「ぁたって……る……」
リーファは何かを言いかけて止まり、小さく咳払いをした。
「ゴホン。……そっそれなら、昨日食べたお肉が良いわね」
声だけは平静を取り戻そうとしているが、頭から湯気が出そうなほど赤い顔がそれを台無しにしていた。
俺は何も言わず、ただ腕の力を緩めなかった。
……
洞窟の奥は思ったより広かった。主穴から三本に枝分かれした通路を一本ずつ確認していく。最初の通路は行き止まりで、ゴブリンの巣の残骸だけが残されていた。食い散らかした骨と干からびた皮、磨耗した粗末な石器が散乱している。
鼻を通過した瞬間に脳の奥まで染み込んでくるような、腐った獣脂と血が混ざり合った不快な臭いだ。
洞窟によっては貴重な鉱石が眠っていることもあると聞いたことがあるが、Eランクのクエストにそんな都合の良いものがあるわけがなかった。
これだけ隅々まで漁っても、俺たち二人の足音以外は何も聞こえない。
巣の中にいるゴブリンは全滅したと判断し、入ってきた場所へ戻った。
洞窟を離れ、数時間を掛けてようやく都市に帰ってきた。正直、かなり腹が減っている。ギルドにいって報酬を貰い次第、リーファのご要望通り肉を食べよう。
石門をくぐり、大通りへ入ると人の声と馬車の音と、香辛料の匂いが俺たちの空腹を煽ってきた。
俺の首元の奴隷紋に気づいた者が数人、視線を向けて通り過ぎていく。
リーファは今日は俺の袖を掴まなかった。自分の足で、前を向いて歩いていた。
少しは慣れたのだろうか。そう思っているとギルドの看板が見えてきた……瞬間。
ドカンッ!!!!
大地ごと揺れるような、低く重い爆音が空気を叩き割った。一拍遅れて爆風が吹いてくる。大通りの人々が悲鳴を上げ、子供が地面に転んだ。馬が嘶き、荷車が横倒しになる。俺は反射的にリーファの肩を掴み、盾になるように前へ出た。
「何が……!」
「下がってくれ」
都市の北側、住宅が密集する区画の方角から黒煙が上がっていた。
炎の色が赤くない。薄く紫がかった、禍々しい色をしていた。普通の火事じゃない。あの色は魂術の余波だろうか……街中で、しかも相当な規模の。
石造りの建物の壁が、炎でも熱でもなく、何か別の力で内側から崩れていくように砕けていく。
ピンッ!
急に脳裏から直接、冷えたゼロの声が落ちてきた。
【ふふふ……ついに始まったか。おい、人間。あの火の手が伸びている場所へ向かえ。そして、そこにいる”魔族”を……殺せ】




