第二十三話 ゴブリンの巣穴:「ギャギャ(子を産ませたら、どれだけ強い子が生まれるか)」
*< ミロク視点 >
洞窟に入って三十分が経っていた。
縦に深く伸びる石の通路の中、五体のゴブリンが錆びた鉈を構えて立ち塞がっている。先頭の一匹が一歩踏み込んだ瞬間、俺は両腰の鞘から短剣を引き抜いた。逆手に持った二本の刃を胸の前で交差させ、息を吸って地を蹴る。
「ギャアッ」
先頭の右脇を斜めに抜け、交差させた両刃を左右に開く。喉の両側を同時に裂いた感触が掌に返ってくる。倒れ込んでくる体を肩で跳ね退けながら次へ。
「残り四体」
洞窟の幅では四体が横並びに動けないようだ。奴らは縦二列に詰まって先頭の二匹が鉈を振り回す。俺は姿勢を限界まで落としたまま右壁へ踏み込んだ。
片足を壁面に当て、反動で体を左へ弾く。天井低く弧を描くように飛んだ体が二匹目の頭上を越え、三匹目の懐へ滑り込む。
着地の瞬間に膝を折り、下から突き上げた短剣が三匹目の顎を貫いた。
「三体」
後ろの二匹が鉈を振り上げる。俺は三匹目の体を盾にしたまま地面へ滑り込み、その下から二匹の足首の腱を同時に切る。崩れ落ちた二匹の間を割って前へ出ると同時に、腰から投擲ナイフを一本抜いて残る一匹の喉へ投げた。
ズチリ、と刺さる音がした。
鉈を持つ腕を切り飛ばし、ナイフをさらに奥へ押し込み、体を石壁に叩きつける。背中から壁に叩きつけられたゴブリンがくぐもった声を上げた。
最後の二匹は腱を断たれ地面に這いつくばったまま、それでも鉈を振り上げようとしていた。俺は一匹ずつ、止めを刺した。
砕けたゴブリンたちの魂核が光となって、俺の魂核に吸収される。
ゼロ(魔王)が宿り、始めての魔族討伐。
今までは何も感じなかった魂核の吸収が魂力と言うエネルギーとなって俺の体中に巡ってくるようになった。
不思議な感覚だ。願っていた力でもあるため感情が高ぶってしまっている。
「片付いたぞ。リーファ、そっちはどうだ」
「こっちも大丈夫」
後ろから返ってきた声は平静そのものだった。俺が五体と格闘していた間、リーファは穴から湧いた五体を傷一つなく仕留めていた。さすがA級魔族。E級相手では本気を出す必要すらないのだろう。
対して俺は、腕に二箇所、脇腹に一箇所、引っかき傷がついていた。先ほどの戦闘ではなく、洞窟に入った直後の戦闘での傷だ。
E級のゴブリンだろうと、仕留めそこなえば肉を修復しながら向かってくる。その粘り強さに何度か後手を踏んだ結果。脇腹の傷が浅く熱を持っていて、呼吸のたびに小さく疼く。
血のついた短剣を服の端で拭い、鞘に収める。
時刻は十時を少し回ったところだろう。今朝、宿で朝食を取り、装備を整えてギルドへ向かい、この巣穴に踏み込んできて三十分が経つ。
依頼の内容は「ゴブリンの巣穴の攻略」だ。
倒したゴブリンの数に応じて報酬が増え、巣の中の個体を全て仕留めてギルドが確認できれば、さらに上乗せがある。
E級の中でも難易度は高めの部類に入ると受付嬢は言っていたが、俺にはD級まで一人で対処できる自信がある。それに相方はA級魔族だ。全滅させて帰るつもりだ。
問題は、依頼書に書かれていた「長が一匹いる」という一文。この洞窟をここまで探ったが、まだ姿を見ていない。
「奥にまだいるな」
俺は先へ続く穴を見て、後ろをトコトコと歩くリーファを先導する。
……今朝のリーファは、昨日より少し様子が違った。
宿の食堂で向かい合って朝食を取った時、俺が礼を言った。昨夜、風呂場で意識を失った俺を部屋まで運んでくれたことへの礼だ。
リーファはしばらく目を逸らしたまま黙っていた。それから短く「別に」とだけ言って、パンを口に運んだ。
その後、ギルドへ向かう道の途中で、彼女は前を向いたまま言う。
「……信用するって、決めたから。今日からまたよろしくね、ご主人様」
俺は少し驚いた。昨夜の風呂場のことを含めて、全部まとめて飲み込んでくれたのだと分かった。それと同時に良かったと安堵したものだ。
「こちらこそ頼む」と返したら、リーファは耳だけ赤くして、そっぽを向き、それ以上は何も言わなかった。
この洞窟へ向かう道で、俺たちは互いに何ができて何ができないかを話し合った。
俺は近距離が得意。二本の短剣と体術、それから投擲ナイフが遠距離の全て。魂術については、今は使えないと伝えた。使い方がまるで分からない。魂力が宿ったのは間違いないが、どう扱えばいいかの感覚が全くつかめていない。
リーファは魂術による遠距離攻撃が得意で、近距離もA級魔族の身体能力と防御系の術でカバーできると言った。
そして、リーファの切り札。魂能『絶対零度』についても話してくれた。
周囲に白い霧を発生させ、その中で想像を物質化する。氷で敵を凍らせたり、氷の刃を生み出したりできる。発動中は何でもできる反面、魂力の消費が桁違いに激しい。長く維持できないし、何度も放てる術ではない。魂力には自信があるが、それが尽きた瞬間が最大の弱点になる、とリーファは淡々と言った。
自分の弱点を正直に教えてくれた。昨夜、俺が手を出さなかったことを確かめた上で、今朝、信用を決めた。そういうことだろうと俺は思った。
「……ねえ」
歩きながら、リーファが言った。
「何だ」
「さっきの戦い方、見てた。壁を蹴って飛んだところ」
「あぁ」
「……魂力なしで、あんな動きができるの?」
少し意外そうな声だった。俺は前を向いたまま答えた。
「身体能力だけが頼りだからな。十年間、死なないために磨いてきた動き方だ」
「……そう。頼りになるわ」
先ほどの戦いや、洞窟に入った時の戦闘もそうだが、彼女は本当に俺を信用してくれている。
俺の言葉を信じ、背中を任せてくれている。信用してくれている証だと思った。昨日頑張った結果があった。
穴が狭くなり、横向きになって体をねじ込む場所を越えると急に空間が広がった。天井が高くなり、通路が左右に枝分かれしている。
その時だった。
パシュッ、と空気を切る音がした。
俺が振り返るより早く、リーファの足元から複数の縄が地面を割るように出てきた。両足首に絡みつき、そのまま横の通路へ向かって一気に引き絞られる。縄の表面が薄く光っていた。魂力で強化されている。
「ミロクッ」
リーファの手が伸びてきた。俺も踏み込み、手を伸ばす。一瞬だけ指先と指先が触れたが掴めなかった。
「リーファ……ッ!!」
彼女の体が横の通路へ引きずられ消えていく。石床を引きずられる音が壁の向こうで遠ざかっていく。俺は追おうとして――。
ドッ、ドッ、ドッ。
後ろ、前、左右。洞窟の穴という穴から一斉に気配が湧いた。石床を揺らす足音が重なり、十を超えるゴブリンの赤く濁った双眼が闇の中に灯っていく。
「ガアッ(女ハ奪ッタ。次はオ前ダ)」
俺は奥歯を噛んだ。
追いたい。今すぐ追いたい。しかしこの数を無視して通路を駆ければ、背後から確実に狙われる。リーファのところに辿り着く前に俺がやられるだろう。
……ここで全員素早く片付ける。
俺は二本の短剣を再び抜いた。
*< リーファ視点 >
引きずられたのは数秒。
防御系の魂術が反射的に皮膚を強化していたおかげで、石床を引きずられても傷はついていない。ただ、両足首の縄だけは切れなかった。魂力の通った縄に魂術を当てると弾かれる。かなり魂力を込めているわね。
気づけば円状に広がった岩の部屋の中央、私は逆さに吊るされていた。
天井から縄が伸び、両足首を締め上げたまま私を宙に固定している。銀髪が重力に従って下へ垂れ、視界が逆さになった。血が頭へ集まる感覚がじわりと広がる。
逆さの視界で、私は部屋の全体を確認すると奥に暗い鉄格子の檻が見えた。
その中に何人もの女性が衣服は引き裂かれ、目が虚ろな状態で壁際に膝を抱えて座っていた。光のない瞳が、遠い何かを映したまま動かない。
その中の一人、腹が大きく膨れた女が、膝の上に額を押し当てたまま微動だにしていなかった。
部屋中のゴブリンたちが私の憎悪を煽るように騒ぎ出す。
「ギィッ、ギィ(来たぞ。銀髪の女だ。エルフか)」
「ガッガッ(あの女たちより上等だ。長に報告しろ)」
「ギャギャ(子を産ませたら、どれだけ強い子が生まれるか)」
全部、聞こえていた。
私は魔族。ゴブリンの濁った声も、奴らが考えていることも、全部分かる。
「ガアッ(エルフの女は初めてだ。長が喜ぶぞ)」
騒がしいわね。
私は逆さのまま、静かに息を吐くと大きな穴から今まで見てきたゴブリンとは明らかに格の違う一匹が姿を現した。
体格は通常の倍近い。分厚い肩、節くれだった腕、手に持つのは鉄と骨を鋲で打ち合わせた重量のある棍棒だ。額に古い傷跡。赤く濁った両眼。
ホブゴブリン。ゴブリンとオーガの中間に位置するD級個体。あれがこの巣の長ね。
「ガアッ、ガアッ(見事に捕まえた。銀髪の女……いい。あの檻に入れろ。俺が犯す)」
長が棍棒を床に叩きつけ、岩が鳴った。部屋中のゴブリンが喉を鳴らす。
私は、ただ見ていた。恐怖はなかった。感じる必要がない。
……相手は醜悪な同族だもの。
私はゆっくりと両手を前へ伸ばし、逆さのまま宙で上体を起こした。腹筋に力を入れ、自分の足首まで手を届かせる。縄に指先を当て、魂力を細く、鋭く一点へ集中させた。縄の魂力を全て上回る必要はない。解除の糸口だけ見つければいい。
バン、と縄が弾け、体が落ちる。
床に両手をついて、くるりと着地した。銀髪が舞い、石床に広がる。私はゆっくりと立ち上がり、乱れた髪を片手で払う。
ゴブリンたちが固まり、部屋が静まり返った。吊るされていた獲物が音もなく地面に降り立った事実を低い知能が処理しきれていない。
私は長を、まっすぐに見た。
「ガッ……(な、なぜ)」
説明する気はない。格の差は言葉で教えるものじゃないもの。
ミロク……ご主人様にはあまり使うなと言われている魂能。
でも今は、こんな気持ち悪い場所を……彼に見せたくないと思う気持ちが勝つ。
私が全部片づける。
「白き吐息は慈悲、空想は氷刃と化す。描くは凍てつく景色、綴るは零の叙事詩」
声が部屋に静かに落ちた。
「白き霧の帳よ、我が意思を依代に形を成せ」
ファン、と部屋の空気が変わる。
「魂能:『絶対零度』」




