第二十二話 現れた本性(ヤンデレ):魔の復讐
*< ナナ視点 >
八千五百八十五回。
私が脳内でミロクに犯された回数。それと同時に私が彼を愛した回数でもあるの。大切に一回一回噛みしめて、彼との本番に備えている。
でも今夜は、その気が起きなかった。
……ミロクがいないのだから。
医療室のベッドの上、シーツに毛布をかぶったまま、私は天井を見上げていた。体の傷はもう塞がっている。でも胸の奥に開いた穴だけは、三日経っても塞がらない。
瞼を閉じると、すぐに浮かんでくる。
あの瞬間。
漆黒の鎧を纏った騎士の拳が、ミロクの体を捉えた、あの瞬間。音が遅れて届いた。鉄と肉がぶつかる、鈍くて重い音。砕けていく岩の音。そしてミロクが、奈落へと消えていく光景。
「……いやぁぁぁ——ミロクッ!!」
あの時の自分の叫び声が、今も耳の奥に残っている。
それからのことは、鮮明に覚えている。
怒りが、全てを塗り潰した。
ミロクを奪ったあの騎士の背中が視界に入った瞬間、私の体は勝手に動いていた。
脳の中に長い詠唱が浮かび上がり、今まで一度も唱えたことのない言葉が、まるで最初から知っていたかのように、滑らかに溢れ出してくる。
今思えば、あれが私の魂能だったと思う。
ミロクが落ちた瞬間に私の魂が覚醒した。
愛する者を奪われた怒りが、鍵になったのかもしれない。
結局、初めて使った魂能で私は力を使い果たし、気づいた時にはこのベッドの上だった。
幸か不幸か、ミロクの捜索任務が与えられた。これから私とイツキはミロクの捜索に出る。
……全部、あの騎士のせいだ。
毛布を握る指に、力が入る。
あの騎士が生きているのなら、私は絶対に許さない。
天井の染みを、ぼんやりと見つめる。
何もない白い天井に、なぜかあの夜の焚き火が浮かんで見えた。
ミロクの横顔。短剣を磨く手。私が隣に座ると、少しだけ肩が強張る、あの癖。
もう遅いけれど、私は後悔している。ちゃんと伝えとけばよかった。
「ミロク。もし、明日が無事に終わったらさ……」
そこで魔族の記憶が流れ込んできて、ミロクの意識が遠のき、私が言いかけた言葉は、最後まで届かなかった。
でも、いつか言う。必ず言う。
「イツキを殺して、二人で暮らしましょう」
金貨二百枚。三人で十年かけて積み上げてきた金額。それが揃った時点で告白しようと、ずっと決めていた。遠征を生き延びれば報酬が出る。奴隷紋の解除で底をついても、しばらくは暮らせる計算だった。
あとは簡単。
イツキを消して、その分の報酬も合わせて、ミロクと二人で静かな場所へ行く。剣も魔族も奴隷紋も関係ない、のどかな田舎で、ただ二人で普通に生きる。
そして……あなたとたくさんエッチをするの。
「……ミロク」
呼ぶと、少しだけ楽になる。だから呼ぶ。何度でも。
彼はまだ生きている……私はそう思っている。想い続けている。
見つける。どこにいても。どんな姿でいても。
「待っていてね。愛して(私と結婚して、私をたくさん孕ませて、何度も何度も何度も、何度も!)あげるから」
< S級魔神 漆黒の騎士:ファースト視点 >
あの気配を忘れたことがない。
数十年前、初めてあの女と刃を交えたあの日から、自分の中に焼き付いて離れない。
赤髪。非適性者。魔族でも適性者でもない、ただの人間。それが自分を初めて地に伏せた存在だ。
あの感覚を、もう一度。
それだけを胸に、自分は魔王様の下を離れ、この戦場へ足を踏み入れた。
……
霧の中を歩く。
記憶に刻まれたあの気配と、寸分違わぬ何かが霧の奥から滲み出している。心臓ではなく、魂核が騒いでいた。全身の鎧の下で、骨が沸騰するように震えている。
数十年ぶりだ。あの昂りが、戻ってきた。
下級魔族共が、音もなく道を開けるとその先に、三人の人間が現れた。
……ん?。
自分は足を止めた。目を細め、三人の輪郭を順に辿る。盾を構えた大柄な男。杖を握る女。そして二本の短剣を逆手に持った、細身の少年。
おかしい。
気配は確かにここにある。しかし、求めている者の姿がなかった。
「(気のせい、だったか……ここに、いると思ったのだが)」
勘違いだと分かり、自分はすぐに始末に取り掛かる。
二人の人間が戦闘不能。残りの一人を片付けようとしたが、想定外の出来事が起こり、始末に時間が掛かってしまった。
魔王様が敗北したとの報告を受け、自分はその事実を確かめるべく、剣を納め、その場を離れた。
全力で走りながら、自分は過去の記憶を思い出していた。
E級のスケルトンとしてこの世に忽然と出現した自分。
最初に手にしたのは、死体の傍らに転がっていた錆びた長剣だった。使い方など知らなかった。ただ本能のまま振るうと、人間が死んだ。魂核が砕けて光となり、自分の中へ溶け込んだ。
その瞬間、初めて理解した。
自分はこのために生まれたのだと。
大陸を歩き回った。強い者を探し、刃を交え屠る。その度に魂力が積み重なり、骨の白さは肉に覆われ、やがてA級魔族へと進化を果たした。
一度も、負けたことがなかった。
だからこそ——気づかなかった。
自分は偶然、明確な強者に出会ったことがなかっただけなのだと。
キンッ!!
耳をつんざく金属音と共に、自分の剣が弾かれた。
ズボッ。
硬い地面へと突き刺さる、自分自身の剣。
生まれて初めての感覚だった。卑怯な手も奇策もなく、正面からねじ伏せられた。純粋な剣の技術で。
屈辱ではなかった。むしろ感動すら感じた。
「……強い」
目の前に立つ者が、静かに剣を下ろした。
周囲にいた者が、その者の名を呼んだ。
「スカーレット」
それを聞いた自分はその名を骨の髄まで刻んだ。永遠に消えないように。
その後、自分はその感動を胸に剣の道を極め、黒一色の頑丈な鎧に覆われた今の姿、S級魔族へと至った。
魔王様にお目をかけ、四代魔神の末席に加えていただき、ファーストの名を賜った。
本来であれば、誇るべきことだ。
しかし自分の心は、微塵も満たされなかった。
……
魔王城へ着いた瞬間、自分の足が止まる。
内部は見る影もなくボロボロだった。
玉座の間へ踏み込むと、魔王様の遺体がそこにあった。魂核は砕かれ、光の欠片すら残っていない。どれだけ目を凝らしても、魔王様の気配が、どこにも感じられなかった。
魔族は魂核が壊れれば、無に帰す。それは魔王様とて例外ではない。
あの方が敗北するなど考えられなかったが、今回の勇者は歴代の者たちと違ったと言うことか。それも知らなければなるまい。
遺体を取り囲む魔族共が、ざわめいている。これからどうするか。誰が指揮を取るか。怒号と嘆きが入り乱れ、収拾がつかない。
自分はその中心へ、ゆっくりと歩み出た。
全員の視線が集まる。この場にいる中で最も強い者が誰か、彼らは既に分かっている。
自分は長剣を抜き、天へと掲げた。
「魔王様がお隠れになった。我々の敗北だ」
……。
「このままでは家畜同然の人間共に、我々が支配される世界がやってくる。それをお前たちは望むか?」
「ギィギャァーー!!!(否だッ!!)」「ガァーーーー!!!認めぬ!!」「グガォーーーーーー!!!人間共に膝など屈せぬ!!」
怒号が、城の残骸を揺らした。砕けた石柱が、魔族共の咆哮に共鳴するように細かく震えている。
「ならば——復讐だ」
再び、轟音のような咆哮が上がった。
「他の大陸に散っている四代魔神、残り三名にも声を掛けろ。魔王様がいない今、我々四代魔神が指揮を取る」
魔族たちが地面にある武器を掲げ始める。
「さぁ、お前たち。今度は我々が人間共の王の首を取る番だ」
「ガァーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
自分は剣を下ろし、瓦礫の向こうに広がる空を見上げた。
人間共が勝利を謳歌しているであろう、どこかの空。
スカーレット。
お前はまだ、生きているか。
次に刃を交える時、自分は必ずお前を超える。
止めてみろ。お前が来ないのであれば、まず、その他の人間を魔王様の祭壇へとあげて見せよう。
一人残らず、我が剣の錆にしてくれる。




