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第二話 愛に溺れる者

 夜は異様なほどに静かだった。  

 焚き火の橙色だけが、俺の手に握られた短剣の刃を不気味に照らしている。


 木の丸太に腰を下ろし、布で二本の短剣を拭う。刃にこびりついた血と脂はどれだけ擦っても落ちない。まるで殺した奴らの執念が鉄の奥底まで染み付いているようだった。


「……あいたっ。もう、まただ……」


 静寂を割ったのは、情けない声だった。  

 見ればナナが地面の小さな窪みに足を取られ、派手に杖を放り出していた。慌てて抱え直そうとして、さらに自分の足に引っかかる。

 相変わらず、死地ここにいるとは思えないほどおっちょこちょいだ。


「怪我はないか?」

「だ、大丈夫!ちょっとびっくりしただけ。えへへ……」


 ナナは照れ隠しに頬を掻きながら、ふらふらと俺の隣まで歩いてくると遠慮がちに腰を下ろした。彼女からは鉄臭い空気に似合わない、雨上がりの草木のような微かな匂いがした。


「ミロク、ちゃんと休んでね」

「休んでいる。こうして手を動かしながら、座って……」

「私が言いたいのは、早く寝た方がいいってこと」


 ナナはそう言うと、俺の手から強引に短剣と布を取り上げた。


「道具を磨くのはいいことだけど、明日にしなよ。自分を磨り減らしちゃダメだよ」


 彼女の声が少しだけ鋭くなる。


「ミロクが倒れたら、私がどうなるか分かってる? ……泣いちゃうからね。戦場でも、魔王の前でも大声で泣いてやるんだから」


 冗談めかしているがその瞳は真剣そのものだった。  

 俺たちはまだ十六歳だ。戦場という過酷な環境で使い潰されるだけの奴隷であっても、成長期の体は悲鳴を上げながら休息を求めている。


 寝るべきなのは分かっている。  

 だが、瞼を閉じる恐怖は彼女には想像もつかないだろう。   

 殺した魔族の記憶――家族を想う熱、引き裂かれる肉体の衝撃、人間を憎む憎悪。それらが泥流となって不規則に俺の精神に流れ込んでくる。

 なかなか眠れるものではない。


 俺の指先が、無意識に微かに震える。


「……またあいつらの記憶?」


 ナナが俺の手をそっと覗き込んで言った。僅かな震えを彼女だけは見逃さない。


「ああ。不快なだけだ」

「そう……だよね。ミロクはずっと一人でそれを……」


 重い沈黙が流れた。空気を重くしてしまった。

 そう思った直後、隣でナナがふわりと両手を広げた。  

 少し震える手で、俺の体すべてを包み込もうとするような、不器用でけれど精一杯の仕草。


「何をしているんだ」

「何って、見ればわかるでしょ。……おいで、ってこと」


 ナナは顔を赤くしながらも、逃げないように目を瞑る。  

 十六歳とは思えない豊かな胸部が、呼吸に合わせて上下している。


「ミロクの頭痛も、怖い記憶も、私が全部吸い取ってあげ……る」


 言い切る前に、ナナの顔が焚き火より赤くなる。  

 広げた両手は行き場を失って空を泳いでいた。


「……ありがとうな。気持ちだけ貰っておく」


 俺は少しだけ口角を上げ、彼女の抱擁をかわすように焚き火へと向き直った。  

 無粋な拒絶。今の俺には彼女の柔らかさを受け止める心の余裕なんてなかった。

 もし腕を回してしまったら、このまま戦うことを止めたくなってしまいそうで、それが怖かった。


 ナナは「もう、この恥ずかしがりやさんめ」と小さく毒づくと、気まずさを消すように隣へ寄り添い、俺の肩にこてんと頭を預けてきた。

 肩に伝わる、柔らかな髪の感触。


「ねえ、ミロク」

「なんだ」

「……私のこと、ちゃんと女の子だって思ってる?」


 吐息が届く距離。ナナの声は、さっきまでの強気なものとは違い、今にも消えそうなほど細かった。


「……思ってる。だから、こうして隣に座るのも本当は少し緊張してる」


 嘘ではない。家族のように大切で、失いたくない相棒。けれど、ふとした瞬間に見えるうなじの白さや、自分より小さな手に俺の心臓は時折うるさく跳ねる。


「……そっか。少しだけ安心した」


 ナナは俺の右手を手繰り寄せると、自分の指を一本ずつ、隙間を埋めるように絡めてきた。


「でも、本当に疲れちゃったときは、私の胸、いつでも貸してあげるからね」

「あぁ」

「あっ!エッチな意味じゃないよ!? ……まぁ、ミロクがどうしてもって言うなら、その……」

「大丈夫だ。理解している」


 彼女の献身的な意図を、俺なりに汲み取って答えたつもりだった。

 だが、俺の返答にナナは「本当に分かっているんだか……」と、呆れたような、それでいて愛しそうな吐息を漏らす。


「ミロク。もし、明日が無事に終わったらさ……」


 ナナが俺の手を握ったまま、顔を上げた。鼻先が触れそうな距離。焚き火の光を反射した彼女の瞳が、熱っぽく揺れている。彼女は何かを決意したように、薄い唇を震わせ――


 ――キィィィィィィィィン……!


 鼓膜を針で刺されたような、暴力的な衝撃。

(グッ、またか……!)

 視界が真っ白に染まる。殺した魔族の記憶が、ナナの声を強引にかき消した。タイミングさえ選ばせてくれない。

 

「……すまない。何か言ったか?」


 激痛に耐えながら問い返した俺に、ナナは弾かれたように立ち上がり、背を向けた。


「かぁーーーー!!!……もう、バカ!はぁー大バカミロク!さあ、寝た寝た!明日も早いんだから!」


 顔を真っ赤にして自分の寝所へ駆け込む彼女の背中を、俺はぼんやりと見送った。今、何か決定的な言葉を聞き逃した気がした。


 焚き火は静かに燃え尽き、世界は完全な闇に包まれた。  

 俺は、布に包んだ短剣を枕元に置き、浅い眠りの中へ――誰かの絶望が待つ深淵へと、ゆっくり沈んでいった。


 ……


 午前六時。夜明けは来ず、冷たい風が森の腐臭を運んできた。


「うぁあああああっ!!」

「ギャァァァァ!!」


 霧の奥で、断末魔と咆哮が重なり合う。金属が砕け、骨が折れ、肉が爆ぜる音。地を這う深い霧のせいで十歩先すら見えない。

 俺たちは大岩の上に伏せ、その惨状を見下ろしていた。


 ――第一部隊が、食いつぶされている。    


 霧の向こうで踊る巨大な影。先行した奴隷たちが、まるで枯れ枝のように吹き飛ばされていく。  

 俺たちは第二部隊。

 前線が崩れたときに放り込まれる使い捨ての予備戦力だが、予定よりも早くお呼びがかかるだろうと直感していた。


「もうすぐだな」


 隣でイツキが巨体を起こした。背丈ほどもある重盾を墓標のように地面に突き立てる。  


「……」


 ナナは何も言わず杖を握りしめていた。その指先は止まらない震えを隠すように白く強張っている。


 今回の作戦の第一次目標は、魔王城を覆うあの忌々しいドーム状の結界を破壊すること。勇者たちが進軍する道を切り開くため、結界の基点となっている魔族たちを殺す。それが俺たちに与えられた役割だ。


「イツキ、ナナ。……いたぞ」


 霧がわずかに晴れた刹那、俺は捉えた。巨大な影の背後、岩陰の隙間で禍々しい魂力を放つ杖を掲げた術師。あれらを殺せば、結界は壊れる。

 先行隊の情報によると複数結界を張り、保持している魔族がいる。全員を殺せば、それは申し分ない戦果だ。


 イツキが不敵に笑う。

 その視線の先には巨大な影が浮き彫りになって立ち塞がっていた。

 ――オーガ。    

 緑泥色の巨体。赤く濁った双眸。返り血でぬめる丸太のような棍棒を振り回し、逃げ惑う奴隷を一人残らず肉片へと変えている。


「C級……か」


 魔族の階級はSからEまであるが、C級は一つの境界線だ。

 だが、勇者や騎士が出るほどでもない。

 つまり――奴隷が処理するには、ちょうどいい化け物。


「第二部隊! 前進!」


 号令が飛んだ。俺たちは一斉に地を蹴る。


「ミロク、全部お前が殺しちまっても文句は言わねえぞ!俺たちの金貨は三人で一つだ!」

「……分かっている」


 イツキの軽口を背に俺は二本の短剣を逆手に抜いた。  

 霧の中を低く、速く。滑るように間合いを詰める。


 ――ザクッ、ドシャリ。


 行く手を阻むゴブリンや魔狼を、視界に入れることすらなく屠っていく。血の匂いはとうに鼻を壊し、踏みしめる地面は内臓と泥が混じり合ってぬかるんでいた。


 やがて、その中心へ。  

 第一部隊の成れの果て――折れた槍、引き裂かれた盾、そして血で満たされた池の中に巨躯が立っていた。


「グァァァァァ――!!」


 咆哮が空気を震わせ、森が悲鳴を上げた。

 衝撃が地面を伝い、足の裏が痺れる。

 周囲の奴隷たちが、思わず一歩、後ずさった。


 そんな中……


「……よし、行くぞ。我が魂を礎となし、万象の憎悪をここに繋ぎ止めよ」


 一歩前に出たのは、イツキだった。彼が低く唱えると、その魂力が重盾に流れ込み威圧感を放ち始める。


魂術ソウル・アーツ:『誘導怨念ヘイト・アンカー』!!」


 盾から放たれた不吉な赤い波動が、オーガの脳を直接揺さぶる。挑発された巨躯が、その憎悪の全てをイツキ一人へと向け、丸太のような棍棒を振り上げた。


 ガンッ!! ドォォォン!!


 鼓膜を叩き割るような、肉と鉄がぶつかる衝撃。  

 盾が悲鳴を上げ、イツキの足が泥濘ぬかるみに深く沈み込む。だが、彼は歯を剥き出しにして笑っていた。


「今だっ、ミロク!!」


 俺は影を縫うように滑り込み、オーガの足元へ。


「魂の脈動、器を超えて四肢を焦がせ」


 背後で、凛としたナナの声が響く。それと同時に、彼女の杖から放たれた白い光が俺の全身を貫いた。


魂術ソウル・アーツ:『加速アクセル』!!」


 バンッ! ドンッ


 爆発的な速度。俺の肉体が外部からの魂術によって限界を超えて加速する。

 その勢いのまま、二本の短剣を猛打した。  

 オーガの注意はイツキに釘付けだ。俺はやがて、オーガの太ももを裂き、左の刃で逆の腱を鮮やかに断ち切る。

 ――ガクンッ、と。支えを失った巨体が崩れる。

 俺は返り血を浴びながらその背を駆け上がり、無防備な首の付け根へ、二本の刃を十字に交差させて全体重を乗せた。

 確かな手応え。噴き出す熱い返り血。


 しかし……


「ガァァッーーーーーー!!」


 オーガが狂ったように咆哮した。  

 イツキの魂術を、圧倒的な生の執着がねじ伏せる。赤い波動が霧散し、憎悪の矛先がイツキから俺へと、音を立てて塗り替わった。


「あっ……!」


 回避不能。至近距離。  

 逃げる隙さえ与えず、オーガの丸太のような剛腕が、俺の胴体を下から上へと突き上げた。


 ――グシャリ。


 内臓がせり上がり、肋骨がひしゃげる嫌な音が脳裏に響く。  

 重力さえも失ったかのように、俺の身体は上空へと弾き飛ばされた。

 裏返る視界。俺の意識は、そのまま真っ白な虚無へと塗り潰されていった。


 死の淵へ沈もうとした、その瞬間。


「千切れた命を縫い合わせ、欠けた器を満たせ……魂術ソウル・アーツ:『治癒ヒール』!!」


 ポワン、と慈悲深い緑の光が全身を包み込む。ぐちゃぐちゃに砕けたはずの肋骨が強引に繋ぎ合わされ、霧散しかけた魂が肉体へと引き戻された。肺に空気が戻り、焼けるような激痛と共に意識が覚醒する。


……

次回:第三話 ・・・・・者

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