2-5 一方的な宣言
「――で? 何をどうすればデレデレになった勇者様を連れてこの場を修羅の地に変えることになる訳だ?」
洞窟内はブローナを取り囲んでいた時以上の殺気に満ち溢れていた。その矛先は私の方へ――正確には私を抱きかかえて座っている勇者へと向けられている。
それにしてもどうして、みんな揃って私の頭に胸を乗せてくるのだ。アネラよ、やはりお前は全盛期よりも肉体的には成長しているぞ。
「説明を求めます」
「あー……どこから説明したものか――」
「ネロ様は良いのです、その女に誑かされた被害者なのですから」
それまで一度も耳にしたことのない、ルスケアの冷たい言葉。自分に向けられていないにしても、その返答次第で何が起こるか分からない。何とかしてこの場を丸く収めたいところだが、その前に勇者アネラが開幕に一言。
「ダークエルフか、珍しいな。流石は我が未来の夫、既にこのような者を侍らせていたとは」
「みっ、未来の夫ですって!?」
「ああそうだ。私はこの第四王子であるネロ=ファルベの“正妻”となる予定の者、“元”勇者のアネラ=エスメラルダだ」
「…………ゆう、しゃ……」
「あぁーっ!? ルスケアがあまりのショックに気絶したぁっ!?」
倒れるルスケアをブローナが起こしている中、アネラは何の悪びれもない様子で、自身のことをつらつらと語り始める。
「知っての通り、私と魔王セフィードはかつて血で血を洗うような苛烈な戦いを続けてきた。当然、勝ったのは私だがな」
「一言多いな」
「まあ良いではないか旦那様。これからは妻も強くある時代だぞ?」
それは私の知ったことではない。
「話を戻そう。あれから十年、私に見合う男はついぞ現れなかった……それも当然だ。勇者に見合う男など、それこそ今の夫のように地位も権力もあり、なおかつ私と張り合えるほどの力を持っていなければならぬ」
「えり好みしすぎた結果、自分が売れ残っただけだ」
「えぇーい、さっきからうるさいぞ旦那様。お喋りなのはこの口かー?」
ほっぺたを軽くつままれ、遊ばれるようにびよんと伸ばされる。絶妙に痛そうで痛くない塩梅だが、この女が勇者であることを忘れてはいけない。
――これは警告だ。これ以上は余計なことを口にするなという意味を持った警告だ。
「…………」
「そして私は運命の再会をした。あの魔王セフィードが人間へと転生した先、ネロ=ファルベという最高の男に」
アビオスが首を横に振って同情するような視線をひっそりとこちらに送っているが、何も言うな。これは事故だ。防ぎようのない事故だった。
「ということで、これからは私もここに住むことになる。よろしく頼むぞ」
「……ん? いや、ちょっと待て!」
「何だ、どうした旦那様。まさか婚約して早々に別居とか言わないだろうな? 寂しいぞ私は。泣いちゃうぞ?」
そういう問題じゃない。
「お前までもが戻らなかったら、向こうは本格的な軍隊を送り込んで来ることになるのだが」
恐らく勇者を送り込んだのはミルベであろう。そして送り込んだ勇者が帰ってこないとなれば、奴の疑念は確信に変わってしまう。
「魔王の坊ちゃんの言う通りだぜ? 疑惑の王子の様子を見るべく、魔王を知る勇者が来たっていうのに、その勇者までもが既定の期日までに帰らぬ人となってみろ。奴さんは本気で討伐軍を送り込んで来るだろうぜ」
私の考えに同調するように、アビオスが補足の説明を入れてアネラを説得に入るが――というよりちょっと待て。坊ちゃんとはどういう意味だ。
「……それもそうだ。依頼を受けてきたというのに、報告に戻らないのはまずい。幼く可愛い夫に危険が及ぶ」
「だっ、だろ? ここは一旦国に戻った上で、むしろあんたが魔王疑惑を晴らした方が良い。なぁに、勇者以上に魔王に詳しい者なんてこの世にいねぇ。そのあんたが言うんだから、向こうも納得せざるを得ない」
「確かに……」
なるほど、流石はアビオス。この勇者を帰らせるついでに、身の潔白まで証明できるとは。これはまさに一挙両得といえる。
「……仕方ない。寂しくなるが、これも夫の身の安全を確保するため。一時の別れとなるが、すぐに戻ってくるからな」
やれやれ、とりあえずこれでいない間に話を纏められる。色々と面倒な誤解を生みっぱなしだったからな。
「それと――」
それまで後ろから抱きかかえられていたところを、向き合うように姿勢を変えられ、私はにこやかなアネラと真っ向から向き合うことになる。
「――浮気したら、いくら旦那様でも許さないぞ?」
「……とりあえずその件についてだが、後で話をさせてくれ」
「話……? まさか、もう浮気するつもりだったのか!?」
「違う、そうじゃない! 貴様が勝手に正妻を名乗ったせいで、ダークエルフ側でも色々と燻ぶっているものがあるということだ!」
「…………」
どうやら自分が言ったことで何が起きているのか、どうして今まで殺気をぶつけられていたのか、アネラは私から言われるまで気がついていなかったらしい。
「……気づいていないフリをしようと思っていたが、やはり彼女達もそうだったのか」
どうやら女同士で察するところもあるのか、あるいは過去の自分と重なる部分でもあったのか。アネラは仕方ないといった様子で約束事をひとつする。
「いいか、旦那様。一夫多妻に不満を持つつもりはないが、私があくまで正妻だからな? そもそも種族としての壁もあるのだからな」
そもそも種族の壁どころか色々ぶっちぎった挙句、転生した魔王と結婚しようとしているお前が言えたことか。
「とにかく、話の続きは帰ってからにしようか」
「当然だ。夫婦の問題は夫婦でしか解決できないからな」
七歳児相手に夫婦と断言できる胆力、流石は勇者とここは褒めておくべきか?
「……そこで倒れているダークエルフにも伝えておけ」
早速身支度をするべく立ち上がるアネラは、いまだ気絶しうなされているルスケアを一瞥してこう口にした。
「あくまで私の夫だが、貴様が想いを募らせていた気持ちを汲んでやらなくもない……故に、たまに貸してやることくらいならできるぞ、と」
「貸すって……そこに私の意思はないのか……?」
「妻公認の浮気なのだぞ? むしろ喜ぶべきだと思わないか、旦那様」
正妻としての優越感を見せつけつつ、アネラは堂々とその場に背を向け、洞窟から姿を消していったのだった。