2-2 愛情表現の違い
「――クソッ! クソッ! クソッ! 何だってんだよあいつは!!」
馬車という狭い空間の中、ミルベは八つ当たりをするように向かいの椅子を何度も蹴っては苛立ちを露わにしていた。
「あんな、あんな奴が魔王な訳ねぇだろ! あんな弱虫ネロが、あんな声を出すなんて……クソッ!!」
冷やかしのつもりで行った流刑地の視察で、弟の無様な姿が見られるかと思ったらそうでもなく、かといって珍種売買の裏ルートですら流れてくるのは非常に珍しいとされるダークエルフを見つけたかと思えば、下に見ていた弟に気圧され、手を出せないまま帰っている始末。
「恐ろしい……あくまで魔王の疑いという話でしたが、あの一瞬だけは恐ろしさを感じさせられました」
そんな中護衛の一人が、あの場から逃れられたことに安堵の息を漏らす。蛇に睨まれた蛙などという生易しいものではない。直に心臓を握られているような、ともすれば戯れに握りつぶされかねない程の強烈な圧迫感を七歳の子供から感じてしまった。
この事自体が魔王の転生を裏付けかねないような、恐ろしい出来事から逃れられた。その幸運だけが今の彼を満たしている。
「ちっ……まさか、本当に魔王の可能性があるってのかよ……?」
まだまだ疑いだけで確信する事もなかったミルベだったが、それでも万が一にコケにした相手が魔王だったとしたらという、不安が僅かによぎりだす。
そんな中でまた別の護衛が、馬車の窓越しにミルベにある提案をする。
「であれば一つ、妙案があるかと」
「ああ? 何がだよ?」
不機嫌な表情を浮かべるミルベに対して、護衛はにやりとあくどく笑う。
「あの行き遅れ女を利用してやりましょう。あの女ならば、本物の魔王をある意味一番よく知っているでしょうし」
「あぁん? ……ああ、あの酒場でいつもくだを巻いているあいつか」
どうやらミルベにも心当たりがあるようで、二人は共通の人物を思い浮かべる。しかし片方は名案と思っていても、もう片方がそれを否定する。
「駄目だ駄目だ。もし本物だったとしてどうする? ここ数年酒場に入り浸りでまともに鍛えてもいないだろう女が、今更剣を振るえるとでも?」
「それを言うなら、今の魔王はまだ子供です。潰し合わせるのなら丁度いいかと」
「まあ、確かにな。いくら昔の栄光があるからって、お荷物となったあの女にタダ飯をいつまでも食わせるわけにはいかねぇ」
ここまでの話を横で耳にしていた者にとっては、どう考えてもその者だと魔王相手に勝ち目がないように思えるだろう。
しかしそれも最後の一言で、ひっくり返されることになる。
「では首都に戻り次第、ギルドを通して依頼をして、向かわせることにしましょう――」
――かつての魔王に勝利した伝説の“元”勇者、アネラ=エスメラルダ、その人を。
◆ ◆ ◆
ミルベを見送ってからの洞窟内にて、ブローナは大勢の同族に囲まれ、立ったまま見下されていた。
「ほんとにごめん! あたし達の為にそこまでしてくれていたってのに――」
「なんでそんな遠くまで出ていたのよ! 今日は近場で狩りをするって話だったでしょ!?」
「連絡の為に探しても見つからないし、先に帰っているのかと思ったらまさかネロ様のところに行ってたなんて! もうっ!」
「ほんとに悪かったって……今回は反省してる」
「今回“は”?」
「ああ違う違う! 今回も! 反省してます!」
いつもなら態度もあって大きく見えていた彼女が、縮こまって座っているせいかやけに小さく見える。
どうやら彼女はこうして怒られる機会が割とあるらしく、中にはもう慣れてしまったといった様子で呆れている者も見受けられる。
「その辺にしておけ。今更責めたところで何も変わらない」
いざとなれば不浄の地で不幸な出来事に巻き込まれた――なんてシナリオも立てることができたが、生きて帰って貰った方が今はまだ面倒事が少なくすむ。
最も、ブローナが出てこなければ面倒事は最小限に収められたのだが。
「それにしても面倒なことになってきたみてぇだな……こりゃ、向こうも本気で来る可能性があるだろうよ」
あくまで浄化を手伝うのが仕事であって、それ以外は他人事といった様子のアビオスだったが、もちろんこれにも巻き込まれてもらう。
「他人事みたいに言っているが、向こうは私が僧侶に匿われていると解釈しているようだぞ」
「ん……? なぁっ!? なんでそんなことになってんだよ!?」
「私一人がこの不浄の地で生きている可能性など、普通に考えればまずあり得ない。しかしそれが不浄の地の半分を浄化せしめた高位の僧侶のそばにいるなら、生きていても不思議ではあるまい」
「高位のってところは周知するべき事実としてよく言ったと言いたいところだが、これ下手したら俺が匿ってるってことにならないか?」
「おまけで貴重なダークエルフも連れ歩いているという、まさに相手からすればもう一度使者を送り込むには充分の理由立てになるだろうな」
今度は全責任をアビオスに押し付けるような形で、私は他人事のように敢えてふるまってみせる。するとアビオスは納得が行かない様子で顔をしかめているが、この振りかかった火の粉を振り払う為にも早速考えを巡らせている様子。
「はてさて、どうしたもんかね……」
「ふはは、考えろ考えろ」
「お前のせいだろ!? ったくよぉ……」
「……な、なあネロ様」
「ん?」
アビオスが本格的に事態の打破する為の考えを始めたところで、この場は解散の雰囲気となっていく。そんな中で私の肩をそっと叩き、声をかけてきたのは今回の問題の渦中となっているブローナだった。
「ちょっと、いいか?」
「どうした? 話してみろ」
「い、いやー……ここじゃできない話なんだ……」
「うん?」
何をそんなにもじもじとしているのか。やはり普段無神経な彼女でも、流石に今回は罪悪感を覚えるものなのか。
「とにかく、ついてきて欲しいんだ」
「一体何だというのだ……」
ひとまずはついていかないことには話は進まないと、私はブローナに連れられるがまま、洞窟の奥へと向かって行く。
「……ん? ここは確か――」
ルスケアとブローナが寝ている部屋――と思っていたところで、突如として私はベッドの方へと押し倒される。
「っ!? な、何だなんだ!?」
「……やっぱ駄目だ。あたしもう、“我慢”できねぇ!」
「一体何のはな、し……」
おもむろに自ら衣服を脱ぎ始めるブローナを前にして、私は唖然としたまま動けなかった。
「……ダークエルフにとって一番の愛情表現ってのは、お互いの肌と肌を擦り付けあうことなんだ。身を寄せ合って、とかいうだろ?」
いや、知らないが。などと心の中で言っている間にも、ブローナは一糸まとわぬ姿を私の前に見せつける。
「そして相手の全てを受け入れるってことで、奉仕の意味も込めて全身を舐め回す……例え汚れていようが、関係ない」
目の前に迫りくる肉体――筋肉質だが決して体系としての美は損なわれておらず、女性らしい曲線が、主張されるべき場所に確かにある。
「……ネロ様は私を守ってくれた。本当なら魔王としてまだ成熟していない、見せたくもない力だってあるというのに、あの場であたしの前に立ってくれた」
「いや、だからその――」
「あたしなんて、ルスケアとかに比べたら知恵もないし、何も持ってない。それでもせめて、ネロ様に最大限の愛情でもってお返しをしたい」
そうして呆気にとられたままの私の衣服に、ブローナの手がかかったその時のことだった。
「なっ!? 何をやっているんですかブローナ!?」
「ちぇーっ、見つかっちゃった」
「大丈夫ですかネロ様!? 何かされましたか!?」
「何かされるというか、何かされる直前というか……」
危ないところだった。中身は私だがこの身はネロのもの、あんなことやこんなことをされてしまったら、色々と癖が捻じ曲がってしまう。
「もう! ブローナったら好き放題やり過ぎよ!! 皆だって“我慢”してるのよ!」
「わりぃわりぃ。いや、あんなことされたら、もうなんか、我慢できないだろ?」
「きっ……気持ちは分かりますが……駄目です! ネロ様がまだもうちょっと成長するまで我慢です!」
「ちぇー……」
「ちょっと待て。まさか、我慢って……このことではないだろうな?」
「えっ……?」
急に色んな意味で危機感を覚え始めた私は、ルスケアに我慢の意味を問いただそうとした。しかしルスケアはというと、顔を赤らめて明後日の方向を向くだけでまともに答えようとせず、ひたすらに話を逸らそうとし始める。
「さ、さーて! ウサギ鍋の準備をしなくちゃ! ブローナも急いで服を着て手伝いなさいよ!」
「はいはーい……続きはまた今度な、ネロ様。その時になったら、全身ふやけるくらいご奉仕させてもらうからな」
「……えっ」
――それまでがさつなイメージしかなかったブローナにすらドキドキしてしまうほどに、ダークエルフという種族は恐ろしい。そしてやはり、このような種族をあの下衆のミルベの好きにさせる訳にはいかないと、私は乱れた襟元を正し、恐らく未だにうんうん唸っているであろうアビオスの元へと戻っていくのであった。