楽園
わたしたちは霧の道を進み続けた。
森の木々がささやくように葉を擦れ合わせ、時折、遠くから微かな鈴の音が響いてくる。
あの演奏で開いた道は、まるで生き物のように脈動しているようだった。
霧の粒子が私たちの周りを優しく包み、足元に落ちる葉の欠片が、踏むたびにシャランと音を立てて砕ける。
以前の訪問時とは違い、この森は今、静かな拒絶感を漂わせていた——私たちを試すように、深い紫色の霧が木々の間を漂い、視界を狭めている。
だが、その霧の中には不思議な温かさがある気もした。
私は古書を握りしめる。
この森は、ただの場所じゃない。
この森は、謎かけだらけ。
難しくて、でも解けば輝きが見つかる──そんな場所。
レオンは先頭を歩き、剣を腰に差したまま周囲を警戒していた。
ナイトは私の肩でふわふわと体を揺らし、時折「キュイ?」と鳴いて霧の先を覗き込む。
その小さな仕草が、私の緊張を少し和らげてくれた。
レオンはそんなナイトを振り返り、笑みを浮かべた。 「ほんとこいつ元気だなー。相棒、俺たちを頼むからな」
レオンの声には、いつもの荒っぽさの中に、優しい信頼が混じっていた。
彼はナイトを「相棒」と呼ぶのが癖になりつつあるみたい。
相棒……。
レオンのそれは私だけの特権だと思っていた。
なのに、その言葉が今は小さなナイトにも向けられる。
胸の奥に、甘くて苦い何かが広がっていく。
宝物を、誰かに見つけられてしまったような、そんな複雑な気持ちがわき上がる。
霧の道は狭くて先が見えない。歩みが重い気がした。
そうして、霧の向こうに花畑の気配を感じた。
紫色の霧が溢れ、幻想的に揺らめいている。
どこか閉ざされた聖域のような厳しささえあった。
あの木の洞――マルクと謎解きをした石板がある大きい木を囲むように木が生えた開けた空間。
そこに、花々が咲き乱れ、蜜の甘い香りが漂う。
地面は霧が花弁を覆い、まるで秘密を隠すヴェールようにも見える。
この場所は、ただの花畑じゃない——船乗りさんが言ってたあの妖精の住処だ。
私の心は興奮と不安でいっぱいになった。
そおっと花畑に足を踏み入れると、花を隠した霧の中から、ナイトではないポンポンたちがひょっこり顔を出した。
「あら?ナイトのお友達?」
「キュイ!」
彼らは警戒するどころか、私たちを見つけると嬉しそうに体を揺らし、一斉に虹の泡を吹いて霧のヴェールを弾き飛ばす。
「空気が変わった…な」
レオンの言葉に、私も気づく。
それまで私たちを包んでいた、どこか張り詰めたような緊張感が、一瞬で消え去っていた。
「ええ……歓迎してくれてるみたい。私たちが恐れる必要なんて、何もなかったんだわ」
私たちは安堵の息を吐き、足を踏み入れた。
そこは、活気と歓びに満ちた楽園だった。
色とりどりのポンポンたちが、無邪気に飛び回り、虹色の泡を吐き出して遊んでいる。
赤いポンポンは巨大なシャボン玉を作り、その中にふわりと入り込んで、空中に浮遊しながら追いかけっこをしている。泡が弾けるたび、甘い香りがあたりに広がった。
「うわあなんだか、お腹空いてきちゃう!」
「おまえはいっつもメシのことばっかりだな」
「まったく失礼ね!」
「キュキュキュキュ!!」
ナイトも体を揺らして笑っている。
どんどん楽しくなってきたようだ。
向こうの方の青いポンポンたちを見ると、木の葉を小さな帆のように広げ、風を巧みに操ってレースを競っていた。波に乗る船乗りのようにスイスイと飛び回っている。
ピンクのポンポンは、花々の蜜を吸いながら「キュイ!キュワン!」と楽しそうに鳴く。体を虹の泡にぶつけ、シャラン、ポワン、と声は重なり合い、美しいハーモニーを奏でていた。
「これって………」
「俺等が演奏した音楽だな。」
「キュイー!!」
「もともとは妖精の歌なのかしら?」
すると突然、目の前で火花のようなものが散った。
犯人は緑色のポンポンで、光る葉で作った輪を投げ合っては、キャッチするごとに花火のような光を爆発させる。
あたりはキラキラと光の粒に満たされ、ときに花を燃やしているが青いポンポンがスイーッと滑ったところから新たないのちが芽吹く。
芽吹いたそれは歌声に反応して徐々に花を蓄えていた。
泡が割れる音、葉の擦れ合う音、風のささやき。すべてが混ざり合い、この花畑だけのシンフォニーを奏でていた。
これはただの遊びではない。彼らにとっての「いとなみ」なのだ。
ナイトはついに興奮して肩から飛び上がり、仲間たちに合流した。
黄色い体が花畑に溶け込み、他のポンポンたちと虹色の泡を吐き出して歓迎の舞を披露する。
レオンはそれを見て、笑いながら剣を抜いた。
「よし、ナイト! 相棒、俺とみんなに剣術教えてあげようぜ!」
レオンがナイトを抱き上げ、泡の玉を的に剣を振るう。
ナイトは体を膨らませ、泡を連続で吐き出し、レオンがそれを斬った。
レオンはナイトの動きに合わせて体を回転させ、剣の軌跡が光をして無造作に絵を描く。
ナイトはレオンの剣に合わせてリズムを取るように泡を調整していった。
レオンがナイトを抱き上げる。
「反射して剣が輝いてるぜっ!!相棒!!」
……強い絆を感じずにはいられなかった。
レオンはナイトの体を優しく撫で、本当の戦友のように扱う。
さっき会ったばっかのくせして。
ハッとするような意外な感情に、私はふたをする。
「あっずるい!私も混ぜてよね!ポンポン、泡いーーーっぱいだして!!」
「キュワーン♪」
私も妖精たちの遊びに参加した。
ほかのポンポンたちが私たちを輪の中に引き込み、泡のシャボン玉で浮遊ゲームが始まる。
赤いポンポンと追いかけっこをし、青いポンポンと風レースを競う。
光る葉の輪投げでは、投げた輪が花火のように爆発し、声を上げる。
休憩ながら蜜を吸い、歌を歌う。
合唱では、私が鼻歌を加えると、ポンポンたちが「キュイ!」と応じ、ハーモニーが広がった。
遊びは尽きず、泡の迷路で隠れんぼ、葉の帆でボートレース——すべてが夢のよう。
感情の難しさなんて、泡のように弾けて消える。
そんな中、レオンが私の耳元に近づき、囁いた。
「お前と一緒にいると虹みてぇに心が輝くんだ、あんま淋しい顔すんなよ。」
レオンの息が耳にかかり、心臓が高鳴った。
そっと、手を重ねるレオン。
「さみしくなんてないわ、ばか」
その手がずっとそこにあればいいのに、なんてそんなことを願って私は霧に光が透けた空を見上げた。




